生誕
エカル王国ーシェミヌ村。人口50人程度の小さな村である。
そこで今日、一つの命が誕生しようとしていた。
――――
シュミヌ村の中央広場。昼の太陽が真上から照りつける中、そこに一段とそわそわしている男がいた。
その男は広場を端から端へと歩き、時折、低い唸り声を上げながら頭を抱える。
本来ならば二十歳程度の彼は顔に寄ったシワのおかげで+10歳老けているように見えた。
そんな彼を見かねて同じく中央広場にいた男が声をかけてきた。
「落ち着けジェイム。そんなに悩んだところでどうなるわけじゃないぜ」
ジェイム。それが彼の名である。
「じゃ、じゃあ、どうしろって言うんだ……!!」
焦り。ジェイムの言葉にそれを感じ取ることは容易だ。額に脂汗を流して彼は焦燥をあらわにする。
「酒でも飲めばいいんじゃねーの? 酒飲めば悩まずにすむぜ~?」
酒が入った木製のコップを振って誘うその男の名は『ガォル』。独身ののんだくれ。
生真面目なジェイムの幼い頃からの友である。
「だ、だめだだめだ! 俺は生まれてくる子どものために酒をやめることに決めてるんだ!」
ジェイムは甘い誘惑を断固拒否する。殊勝な態度だ。しかし、無類の酒好きである彼の心には激しい葛藤が渦巻いている。
それをガォルは死肉を求めて徘徊するハイエナのような目ざとさで食らいついた。
「ほんとーに飲まないつもりか~? 子どもってのは気苦労が絶えないらしいぜー。
飲まずにやっていけんのか? 生まれる前でさえこの調子だってのによぉ~?」
ガォルの言葉にジェイムは考え込み始めた。
「た、確かに、アーデリンクさんは子どもが生まれたとき、酒をやめるなんて言ってたが、一週間後には『酒飲まずにやってられるかぁーッ!』とグビグビ飲んでいた……」
「そうさ、お前はアーデリンク氏の二の舞を踏む寸前にいる。
それよりかは、最初から上手く酒と付き合っておいたほうがストレスはたまんねえもんよ」
ジェイムは広場の端の方にいたが、自然とガォルが酒を飲んでいる机に歩き始めていた。
これが酒の魔力。人をダメにさせる液体の力である。
「ほら、グイッといけ」
ジェイムにコップを用意して酒を注ぐ。なみなみと注がれた酒の前にジェイムは何も考えられない。
『これからとても苦労するのだから、これぐらいいいだろう』
建前としてのその言葉が彼の思考力を0(ゼロ)にしたのである。
――――
ジェイムが机に手を伸ばし、コップに触れようとしたところでテーブルが吹き飛ばされた。
「……はっ!」
一種の催眠状態に掛かっていたジェイムが覚醒する。
彼は咄嗟に周囲を見渡すと、自分から5mほどのところで砕け散っている机とコップ。
それとヘタリこんでいるガォルとその視線の先にいるムキムキのクマのような男を見つけた。
「ガァォォルゥーッ!!」
雄叫びにも似たその大きな声にヘタリこんでいるガォルが『はいぃぃぃ!!』と悲鳴を上げた。
「貴様ァ!! 朝から酒を飲みやがってェ!! 仕事はどうしたァァ!!??」
「や、やだなぁ……ウェゲンさ~ん、僕は心配そうにしているジェイムにちょっとしたアドバイスをしてたんですよぉ~。
仕事場には今から向かおうとしてたところだったんです~」
「あぁァん??」
ウェゲンと呼ばれたそのクマ、もとい男は隣にいたジェイムに視線を移す。
元々、強面のウェゲンだが、ガォルのせいで機嫌が悪いためか無意識にも剣幕が濃くなる。
彼を元々知っていないとやばい人に見えて、逃げ出すこと間違いなしだろう。
「そういえば……ジェイム、お前は今日休暇をとってたな。出産ってのは今日だったのか」
「はい。村長の見立てだと今日みたいで……妻も朝から陣痛が始まっていて……!」
語勢が強くなっていく。妻のことを思うと気持ちが高ぶり、いてもたってもいられないようだ。
ウェゲンはその言葉を聞くと、広場にある他の机に座った。
「……焦ってもやれることはない。まずは落ち着け」
大柄な体から聞こえる低音ボイスがジェイムの心に響く。
いやおうにも言葉の通りにさせられる強制力を持っていた。
「はい……」
ジェイムは俯くしかなかった。
――――
「……心配か?」
ウェゲンは拳を固く握り締めているジェイムに声をかける。
「……はい」
弱々しい声。
「も、もしものことがあったらと思うと……!!」
心臓が高鳴り始めた。握り締めた拳に嫌な汗が流れる。
ウェゲンは今にも走り出しそうな彼の肩に手を置いた。
無骨で大きな彼の手はジェイムを縫い付けるようにその場に固定した。
「落ち着け。心配のなのはわかるが、俺たちには何もやれることはない」
「しかし……!」
「冷静になれ。今、村長の家には村の女衆が集まっている。あいつらは何度も出産に立ち会ってきたんだ」
「だ、だから、彼女たちに任せて安心しろって言うんですか……!?」
「そうだ。お前以外の男も取り乱していたが、そいつらの嫁から子どもを取り上げたのはあいつらだ。
あいつらほどこの村で出産に適している奴らはいない」
「そ、そうですが!! 僕は妻が苦しんでいるのに一人だけ呑気にしてるわけには――――」
「ウダウダ言ってんじゃねえ!!」
怒鳴り声が聞こえた。ウェゲンではない。ましてやガォルのわけがない。
声が聞こえた方向は自身の後方。振り向くと、そこには10人程度の男がいた。
「……お前ら、仕事はどうした?」
ウェゲンが男らに問いかける。言葉から仕事場の同僚のようだ。
「ほっぽり出してきたぜ!」
「自慢げに言うんじゃねえ!!」
一喝。ウェゲンは男らに怒鳴ったが、彼らが仕事をほっぽり出してまだ来た目的は分かっている。
ジェイムを皆心配してきたのだ。
男衆の中から一人が出てジェイムに近づく。彼はジェイムの目の前に来ると胸ぐらをつかんだ。
「おい、ジェイム!」
「な、なんですか……アーデンリンクさん……」
「今から子どもが生まれるって時になよなよしてんじゃねえ!!」
「……し、したくてしてるんじゃありません……!」
「あぁ? なんだと?」
「俺は妻や生まれてくる子どもが心配なんです! 何か不運が重なってもしものことが起きたらと!」
「んなもん皆同じだ! だからってそのままでどうする!?
子どもが無事に生まれてきた後、子育てには途方もない苦労が付いて回る。
心配事も耐えないだろう。嫁が病気になれば家事を全てしなくてはいけないし、子どもが大きくなればかかる金も多くなる。お前はそんな心配事一つ一つに悩むつもりか!?」
「じ、じゃあ、どうすればいいんですか!!」
アーデンリンクはジェイムの胸ぐらを掴んでいた手を離す。
「腹をくくれ。覚悟を決めろ!」
アーデンリンクの人差し指はジェイムの胸を差す。
「それさえすれば、心臓は慌てない」
――――
かなりの剣幕で胸ぐらを掴んでいたいたが、今、その顔は優しく微笑んでいた。
いつの間にかジェイムの鼓動は平常に戻っていた。
「じゃあ、俺たちは仕事場に戻ります」
アーデンリンクとその他の男衆はウェゲンに一言、言って仕事場に帰ろうとする。
「あ、アーデンリンクさん!」
ジェイムは声を上げた。しかし、アーデンリンクは振り返らない。
その代わりに頭上に腕を上げて握りこぶしから親指を立てた。
『幸運を祈る(GOOD LUCK)』。
何とも粋なことをする男だ。子育てでストレスが溜まり、酒を一晩中飲み続けた結果、嫁に殺されかけた男とは思えない。
――――
ウェゲンが椅子から立ち上がる。
「どうだ? まだ心配か?」
彼の声はいつもどおりの音程。優しくもなく、怒りも、呆れもない、いつもの声。
「はい…………でも、彼らのおかげで随分楽になりました」
「そうか」
がしっとガォルの首根っこを掴んで立たせる。
「俺たちは仕事場に戻る。結果を待っているぞ」
『えぇ~!? 俺もっすか!?』とガォルが抗議するがウェゲンが睨みつけるととたんに静かになった。
「はい、待っていてください」
その言葉を受け、ウェゲンは歩き出す。ガォルは無理やり歩かされながらも仕事場に向かわれた。
――――
広場に一人残されたジェイムは村長宅に走った。そこでは妻が出産しているはずである。
彼が村長宅に着くと、丁度村長宅から人が飛び出してきた。15歳ぐらいの少女である。
彼女は彼を見つけると、急いで近づき、矢継ぎ早に告げた。
――――
ジェイムは村長宅に駆け込んだ。
確か、産湯の確保などから家の奥の方で出産を行っているはず。
『ジェイムさん!』
先ほどの少女の声がリピートされる。
ドタドタと床を踏み鳴らして向かう。途中の女達に場所も聞かずに勘だけで進む。
『先ほどお生まれになりました!』
心臓が高鳴る。先ほどアーデンリンクに言われたではないか、『腹をくくれ』と。
村長宅を進むと多数の女の声が聞こえてきた。きっと、そこだろう。
『ジェイムさん! 先ほどお生まれになりました!』
声がする場所の前に到着する。そこは扉で仕切られている。
ジェイムは扉にありったけの力を込めて開けた。
――――
『ジェイムさん!』
『先ほどお生まれになりました!』
『ですが』
『息をしていません!!』
――――
泣き声が聞こえる。感涙。いや悲涙。
妻に声がかけられる。祝福。いや弔慰。
村長が小さな新生児を逆さにし、胸に手を当てて背中を叩く。叩く、何度も。
その度に濡れた音が部屋に反響して悲しさを深めていった。
父となる予定だったその男は立ち尽くしていた。
思考力が落ちていた。何も考えられない。考えたくない。考えたら絶望してしまう。
『腹をくくれ、覚悟を決めろ』そんな言葉が脳内を流れる。
なるほど、腹をくくれ――とはこのような事態に備えてという意味だったのだ。
――――
ジェイムは無意識に足を踏み出していた。向かう場所は死んだ新生児、自身の子。
村長が懸命に息(生)させようとしているが、返事がないようだ。
「……なんて強情な子だ……」
誰に聞こえるわけでもない小さな声で呟く。そして、村長の前に来ると座り込んだ。
目の前には子どもがいる。男である。今、元気に産声をあげていたのなら、10年後、20年後――ジェイムと彼は沢山の思い出を作ったことだろう。
親とふれあい、時に反抗して。青春を謳歌して、恋をして、そして別れて。運命の人と出会って、愛して、結婚して。
彼の人生はどうなっただろう。楽しい? 悲しい? 素晴らしい? 苦しい?
ジェイムは彼に触れた。
取り出されて時間が経ったのだろう。冷たくなっていた。
『俺はね……君に話したいことが沢山あったんだ』
ジェイムの手が青白くなる。
『でも、君はわがままで口を開いてくれない』
それは血の気が失せているのではない。青白く光始めているのだ。
『俺は君の声が聞きたい』
その光は彼の手に蛍のような動きで集まっていく。
『君の声が聞きたいんだ』
そして次第に大きな光となって、手を中心に大きくなっていった。
『お父さん、って言わなくていい』
周囲の声が消えた。皆その光景にかたずを飲んで見守っていた。
『ただ』
ジェイムは光が集まった手を子どもの背中に当てた。
『産声を……』
『おぎゃあ、と……!』
『言ってくれないだろうか!!』
「イルカニラ……!!」
――――
この世には魔力というものがある。そして、魔力を使った魔法がある。
魔法は多種多様。
火を生み出す魔法があれば、水を生み出す魔法、雷を起こす魔法や、傷を癒す魔法などもある。
魔力の総量は個体差や種族差などが関係しているが、魔法のセンスは日頃の練習や使用経験によるところが大きい。
ジェイムが使用したのは電気を起こす魔法。
魔法などろくに使えない彼だ。しかし、感情の昂ぶりは魔力を増幅させる。
ダメ元だった。魔力が増幅することなど知らなかった。
それでも腹をくくって、覚悟を決めて、この方法に賭けたのだった。
――――
何とかウェゲンの隙をついて逃げてきたガォルは村長宅に向かった。
きっとジェイムが嬉しそうな顔をしてにやけている頃だろう。友としてからかって――もとい、祝ってやらねば。
村長宅に到着して、家の扉を開けると大きな声が聞こえてきた。
その甲高い声は聞き間違い用もなく産声だった。
ガォルはその声がする方へドタドタと床板を踏み鳴らしながら向かった。
――――
ガォルが向かうと、そこには元気に泣き喚く新生児と晴れて父親になったジェノムと同じく晴れて母親になった彼の妻がいた。
ガォルはジェノムが子どもを抱いてにやけている姿を想像していたが、実際の彼は汗を滝のように流して、何かやりきったような顔をしている。
「おはよう、俺たちの王子様?」
呟く声だったが、確かに聞こえる声でそう彼は言った。
そして、汗を拭う間もないまま後ろにぶっ倒れた。
舞台は異世界です。
魔力や冒険者とか色々出せればいいなぁなんて思ってます。
ジャンルがジャンルだけに『パクリ乙』とか言われるのは承知の上。
できるだけ、楽しいものがかけたらと思います。