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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編綴*詰め合わせvol.1*

山無ゴローは今日も思考を放棄する

作者: 鏡双緤

六時間クオリティーです<(_ _)>

シリアス⇒シリアス?⇒……シリ、アス? の順番で展開して参ります。

 *



 忌中の紙が出るところ、何時(いつ)何時(なんどき)も現れる。

 それがここ三年に渡る不問律。

 今日もまた、それは破られることはなく――――――。



「……山無ゴロー……?」

「それが何か」



 几帳所で訝しげに問われるのにも、三年も経てば慣れたものである。

 その表情は些かも崩れない。

 寧ろ泰然としたものである。

 下から上へ、辿る様に挙げられる視線の先で紅の唇が紡ぐ。



「親の付けてくれた名です。他人の貴方に、何か言える文句でも?」

「い…いや、珍しかったものだから。気分を害したなら、申し訳ない」

「……いえ、分かっていただけならそれで良いのです。それでは」



 再び紅の唇がそう言い紡ぐのを、相手は半ば茫然とした面持ちで見送る。

 その背に靡く、滑らかな絹の如き濡れ羽色の髪。

 僅かな躊躇も無く、颯爽と踏み入る足取り。

 まさに歴戦の二文字が似合いそうな、只ならぬ落ち着き。

 弔問に来ていた他人の視線を受けても尚、揺らがぬ背筋。

 まさに――――異様。


 それは焼香を済ませ、“彼女”がその場を去るまで場の空気を歪ませていたが。

 “彼女”が去った後には白昼夢の如く霧散していく。

 それは今日に限らず、今までもこれからも変わることはない。

 他でもない“彼女”はその理由を知っている。




「ああ、今日も駄目だったよ。………ケル。ふふ、君はいつもそうやって慰めてくれるね」


 高架下、葦の生い茂る川の畔。

 その日の成果を報告するのが、山無ゴローの日課である。


 “山無ゴロー”の名に、周囲が違和感を覚えるのも無理はない。

 本来の名は、山梨(やまなし) ()(ろう)

 否、より正確に言うのなら…嘗て、といった方が正しいだろう。


 とある事情により、今の“彼”は只ならぬ色香を纏う、喪服の美しい少女そのものであるのだから。


 この三年間、幾度その名を捨ててやろうと思ったか知れない。

 それでも結局のところ、名前だけは捨てる事が出来ないでいるのだ。

 そう――――仕事も、家も、友人も、ありとあらゆるものを捨て置いて、ここにいる。



 総ては、“あれ”から逃れる為。

 もはや一刻の猶予も無いと、分かっている。

 この三年が奇跡だった。

 足跡を残さぬよう、住まいも仕事も点々と変えながら。


 変えないのは、ただ二つだけ。


 本来の名前。

 忌中の文字を見つけたら、弔問に行く。


 それだけが、この三年間も変えずにきたもの。

 虚しさを覚えこそすれ、止めようと思ったことはなかった。



「ケル、結局僕が見つけられたのは君だけだったね………」

「―――クゥン(どうした、ゴロー)?」

「そろそろ期日なんだ。三年前に“あれ”に告げた刻限が来る。――――あぁ、君にも会いに来れなくなるだろうなぁ」

「―――ウォン、ウォン、ウ―(何。一体何の話だよ)?」

「ケルには初めから話したことは無かったね……ふふ、別れの挨拶がてらに聞いてくれるかい?」



 ほっそりとした白磁の腕を伸ばし、ふわふわの体毛を撫でながら。

 今にも泣き出しそうな表情で、この三年間を独白した。



 それは、笑ってしまえそうなほどに唐突に訪れた。

 今も分からない。

 あの時の自分が、愚かだったのか。

 それとも純然たる、悲劇と言い換えていい出来事であったのか―――。


 確かに言えることは一つだけ。

 歩道橋。

 あの時に感じた浮遊感は、本物だった。




 遡ること、約四年前。

 凍える様な、雪の降る夜のことだった。

 会社帰りだった自分は、やや足早に帰路を辿っていた。

 山梨 五良。三十二歳。独身。

 特に際立った部分の無い、平々凡々の会社員。

 その頃は恋人もいなかった。友人からは、お前は今一つ面白みに欠けると称されており。

 結局のところ、何処にでもいる平凡な男だった。


 男は。

 コンビニの灯りを頼りに、雪の降りしきる中を足元ばかり見て歩いていたのだった。

 残業続きで心身共に疲れていた上、その日は今年一番の寒さを予報されていた一日。


 思えばあの頃、ゆっくりと歩くこと自体少なくなっていた気がする。

 それほどに、気忙しい毎日だった。


 角を曲がり、いつもの歩道橋に差し掛かった時に違和感を覚えていたのなら―――間に合ったのかもしれない。

 けれども、足もとばかり注視していた自分は。

 手を擦り合わせながら階段を上り切ったところで、それに遭遇することとなった。


 白が、赤黒い何かに染め上げられていた。


 切れかけの歩道橋の灯りが、ピン、ピンと不快な音を立てながら微かに照らし出していた。

 いつしか止まっていた足。


 足元から、徐々に広げた視界の先に見たものは。


 横たわる人間。

 その人間から溢れ出る血に、口元を染め上げる黒い獣。


 グルグル、と喉を鳴らす音が其処まで聞こえていた。

 今まで見た事も聞いたことも無い、異様な骨格をした獣だった。



 何だあれ。

 いやいやいや、やばいだろ。

 ――――逃げ道は?!



 振り返り、ぞっとした。

 登って来た階段の中ほどで、また別の獣がこちらを見据えている。



 足元に、広がっていく血溜まり。

 前方には骸。

 後方にも獣。


 自分も遠からず“あれ”と同じになる。

 そう思い至った瞬間、どこかが切れてしまっていたのだろうと思う。


 もはや骸から目を離せず、それだけを視界に収めていた。

 だからこそ、自分はきっとあんな行動に走ったのだ。


 視線の先で。

 地面を啜っていた獣の口が、徐々に開かれていく。

 滴る唾液さえ、血に染まっている。

 醜悪で、奇怪なイキモノだ。

 否、正直イキモノと呼ぶのにさえ違和感を覚える。

 紅に染まった牙は想像を遥かに超える大きさで“それ”を飲み込まんとしていた。

 飲み込み、喰らおうとしていた。



 骸さえ、残さないのか――――と。



 込み上げる激情に。

 今まで生きて来た人生の中でも、遥かに鮮明に抱いたそれに。



 獣が“それ”を飲み込むより先に―――――きっと自分の方が飲み込まれていたのだ。



 壊れた様な悲鳴の後に、耳鳴りの様な憎悪が宿る。

 それは紛れもない、自分の感情だ。

 血に染まった雪を蹴り、駆け寄った先で。

 押しのけた、掌。

 到底、冷静では無かった。現にその腕は丸ごと飲み込まれ――――血が、滴る。

 自分の血が、骸に掛かって。



 その骸が、目を開けた。



 それを、見届けるよりも先に落ちていくその身体は。

 そう、その身体は―――――自分。

 ふわりと浮かび上がる足元。

 永遠の様な浮遊感。

 血塗れの獣と共に、呆気なく暗闇へと落下した。


 焼ける様な痛みと、ぐわりと歪んだ視界。


 ああ、自分は死ぬのかと。

 瞬いたその先に、覗き込む白い(かんばせ)が見えた。



 それは、背筋がぞっとするほどに美しい顔をした少年だった。


 その紅い唇が、紡いだ六文字の音。




 ―――――――しなせないよ――――――――





 それを最期に、山梨 五良の思考は喪われたのだった。




「―――キュウ、グゥ(それで、終わりか)?」

「否、勿論違うとも。寧ろここまでが、プロローグだったと言っても良い位だ」



 緩やかに夕暮れが迫る空を見上げて、哀しそうに笑う。

 そこには諦念と、壊れた様な穏やかさが入り混じっていた。




 山梨 五良は、そうして死んだのだ。

 しかし、それだけでは終わらなかった。


 ただそれだけの、話。

 救いの無い、終わりの無い――――そんな話だ。




 次に目を開いた時、覚えたのは。

 違和感よりも先に、全身を蝕む様な、想像を越える痛みだった。


 まるで産声を上げるように。

 “彼女”が発した悲鳴は、それを作りだした当人を呼び寄せた。



「おはよう、ゴロー。 君が目覚めてくれて嬉しいよ」



 抑揚の無いソプラノに、引き攣れる身体を動かしながら視線を走らせた。

 ふわり、と冷たい体温の無い手に視界を塞がれて一瞬呼吸が止まる。

 耳元で、囁かれた。

 その言葉に、放棄していた筈の思考が一気に押し寄せてくるのを。

 自分は、悲痛と共に受け入れることとなった。



「ゴローの身体は傷んでしまったから、別の身体へ魂を移し替えたよ。君が時間を作ってくれたお陰で私は生き残ることが出来たからね」



 ――――一体何を言っている?

 じっと見詰めた“それ”は、どこか見覚えがある様にも思った。

 何時、何処で、何が……。

『其処』に行きつく前に、ふわりと被さって来た接触に瞬いた。



 口を、重ねられている。

 そう気付いた時には、勿論振り払おうとした。



 しかし、その身体はまるでその思考に反応しないのだった。

 これは誰だ。

 これは、“自分”なのか?

 どうしてこの身体は……指先すら、まともに動いてはくれないのだろう。


 疑問を深めている合間にも、その接触は只ならぬ域へと入りかけていた。


 重ねるだけで満足するつもりは、端から無かったらしい。

 角度を変えて吸われ、呼吸を奪う様に貪られる。


 待て待て待て。

 見るからに未成年のお前が、一体何処まで進むつもりだ……?!


 そんな内心を知ってか知らずか。

 まるで見せ付けんばかりに、身体を纏う衣服を剥いでいく。

 そこで、ようやく痛みよりも違和感を覚えたのは――――遅すぎる認識だった。


 同性愛者かと僅かに思考の端を過ったそれも。

 視界に露わにされた、自分の肢体。

 在る筈の無いモノがあり、在る筈のモノが無い衝撃……によって丸ごと相殺された。



「綺麗だね、ゴロー。君はもう、この世界に存在する筈の無いものだから。だからもう、表の世界には返してあげられないけれど――――この先は、私と共に薄闇で生きてくれるね」



 綺麗だと称される程、その生々しい継ぎ接ぎの身体は正視に耐えられるものでは無かった。

 けれども、その輪郭と継ぎ接ぎ以外の部分は全て。

 それはもう、息を飲むほどに美しい素材を寄せ集められて創り上げられた形をしている。


 それは、美しい女の体をしていた。

 体温が未だ十分に通わないような、青白い肌をした少女だ。


 覆い被さる少年は、その紅い唇で蒼褪めた肌を辿っていく。

 両瞼から、足の先まで。

 それを跳ね除ける力は、その身体に与えられていなかった。


 拒否する術は、元より無かったのだ。


 異様なまでに美しい少年の、望むままに重ねられるだけの身体は。

 自分であって、自分では無かった。




 あの獣は式神と呼ばれるモノの一種で、本来はあの場で私は喰い殺される予定だったらしい。

 そしてそれは、少年も同じだったという。

 二人が死ぬべきであったあの局面で―――生じた亀裂。

 獣と共に、歩道橋から飛び降りたあの行動が全てを歪ませたのだと。

 彼を、生かしたのだと。



「死力を振り絞れば、ゴロー一人生かして逃す位のことは出来た。けれども、私はそれを選ばなかった。正直どちらでも構わなかったから。……でも君、死んでいるかも生きているかも分からない様な人間を放っておけない様なお人よしだったんだよ。歩道橋から、死ぬ直前の君を見下ろした時に思った。――――君みたいにどうしようもない人が、私には必要なのだと」



 聞くだに、最低な話だった。

 これ以上は無いほどに、狂った少年。

 それに関わってしまった自身の不運を、再確認するばかりだった。



 十月。

 一月を十回数える期間を、ひたすらに少年の腕の中で過ごしたあの悪夢のような日々。

 その日々の中で、自分が“何”であるかを知った。

 そして少年が“何”かを理解した。



 あの獣と、嘗ての自分は全く違う生き物だった。

 それが今は、違う。


 少年によって、魂を移し替えられたという。

 その行為そのものが、全ての因果を変えてしまった。




 少年は主となり。

 自分は――――彼の式神となった。




 それはつまり、逃れる術が無いということだった。

 生き筋を、既に縛られた後では足掻く事すら叶わないのだと。


 幾度も幾度も、重ねられた記憶はそれを肯定する。


 少年が誓約を解かない限り。

 少年が死を迎えない限り。

 ――――この身体は、自ら命を絶つことすら叶わない。

 そして。

 例え、誓約を解かれても。

 少年が死を迎えるその時が来ても。

 ――――この身体は、共に死を迎えることだけしか叶わない。


 生きながら、死んでいるという言葉は……まさに今の自分かと。

 もはや逃れ得ぬ現在(いま)を、諦めと共に認めたその時から。


 山無ゴローは思考を放棄することを、覚えたのかもしれない。





「――――クゥ、キュウ、グルゥ(ゴロー…、ゴローは人じゃないんだ)?」

「うん、僕は人じゃない。そもそも思考を放棄するなんて、まともなヒトの出来る事じゃないだろう?」

「――――グル、グル、クゥン(それは、そう、かもしれないけど)」

「ケル、考えてもご覧。そもそも君とこうして意思を通じている時点で、僕は君と変わらぬ存在だ」

「――――……クゥーン、クゥ(……気付いて、いたのか)?」

「ふふ、勿論だよ」


 そう言って微笑んだ少女は、ケルと名付けた灰色の獣を持ちあげて夕日に照らす。



「君が、誰に属しているかまでは分からないが――――……君は、僕と同じイキモノだ」

「――――グルゥ、クゥ…(敵わないな、ゴローには…)」



 諦めた様子で項垂れる、手の中の獣。

 出会った当初と、図らずも同じ構図になったことがおかしく。

 同時に、初めと終わりが重なる因果に哀しさを覚えた。




 なぜ、今の自分が“あれ”の元にいないのか。

 期日とは、何か。

 その疑問に応える為には、あと少しを語る必要がある。


 そしてそれが―――忌中の紙を頼りに、死者の骸を訪ねる理由でもあるのだ。




 山無ゴローとして目覚めてから、一年が過ぎようとしていたあの頃。

 何故、山梨からもじっているのか。

 それは同じであって、同じで無い。そんな複雑怪奇な心情をそのまま字面に反映させたものと解してもらって間違いではなく。

 ゴローについても、それは同じだ。


 響きだけはそのままに、山無ゴローは人としての生を終えて式神として生きていた。

 否、正確には式神として―――というのにも語弊があるのかもしれない。

 何故なら、他でもない主と呼ぶべき立場の少年は。

 その頃には、完全に狂った思考を日常化させていた。



「おはよう、ゴロー。明日の準備はもう出来ているの?」

「おはようございます、(かさね)様。――――そもそも、すべき支度など御座いませんが」



 その朝も、それは変わらなかった。



 少し遡ろう。

 悪夢の十月を過ぎた後に、ようやく陽のあたる場所へ出してもらえた自分は。

 まあ、詰まる所……するべきことが何も無かった。

 “山梨 五良”として生きていた頃のようには、身分証明も何も残されていない身の上で。

 後に判明する式神としての能の発現も、その折はまだ知る由も無く。

 さながら無職。不可抗力だけれども、無職。

 その現実を前にして、邸を案内されている合間も始終心在らずだった自分の心境に気付いていたのかいないのか。


 ふいに“彼”が言葉にしたそれに、曖昧に頷きかけて――――止まる。



「君、今何て………」

「うん、駄目だよゴロー。人の話はちゃんと聞こうね? 基本的に私は同じ言葉を繰り返さない主義なのだけれど……ゴロー、君は特別だから」



 そう呟きながら、彼は意味深に微笑した。

 この頃には、その表情にバリエーションが出てきたことにも気付いていた。

 常日頃から、無表情を常態させている人物であれ。

 十月の間、ずっとその顔ばかりを見続けたらどんなに鈍感な人間でも分かる様にもなる。

 まぁ……自分はもう、人間ではないのだけれども。

 ともあれ、その時の彼は苦笑交じりの無表情。

 つまり、普通に見ただけでは分からない位のささやかな表情の変化も分かるようになっていた。

 同時に、その変化に伴う野生の勘的な部分の発展が著しかったことも補足しておきたい。

 式神の特性にも数えられるそれは。

 すなわち、危機察知能力といったものだろう……。

 とてつもなく、嫌な予感が過った。



 そして、それは例外なく――――当る。



「三カ月後に、式を上げるから。……まぁ、そうはいっても内輪だけの話だけれど」

「………式、とは」

「うん? 勿論、私と君の」

「………何かの、契約的な?」

「うーん、まぁ。契約と言えば契約だね」

「端的に纏めて下さい」

「だからね、婚姻」

「………」



 いやいやいや、何だか幻聴が聞こえる。

 式神の身体というのも、なかなか身に馴染んではいかないものだなぁ……うん、儘ならない。



「再確認です。式神としての、何らかの儀式ですね?」

「それはもう済ませてあるから。ゴロー、そんなに何度も言わせるなら……そうだね。先に君の口を塞ごうか……?」



 やはり、この少年は狂っているらしい。

 何度目になるかも分からない感慨に浸りつつ。

 誰か、この狂った少年を矯正できる人物はいないのかと考え始めた十月と九日目の朝だった。



 実際、その少年を矯正できる人物がいたのなら―――今の自分はそもそも無かっただろう。

 それを認識するに至る出来事が起きたのは、その朝から数えること七日。


 十月と十六日目の昼頃のことであった。



「貴女に、野良(のら)式神としての生き方を享受して差し上げるわ。私に感謝なさい」



 そう、昼時であった。

 肌寒さの感じられる、秋晴れの空の下に現れた少女の口上は―――上から目線を体現すべく練り上げられた絶好のポジションと共に―――非常に印象に残るものであったと伝えておきたい。


 因みにここで言う絶好のポジションとは、軒下に屈んで転がり落ちた芋を拾い上げようとしていた自分を上から覗き込むという立ち位置のことである。


 何しろ、こうでもしない限り“彼女”が自分を見下ろすというのは甚だ困難なものがある。

 それは単純に身長の差によるものだ。

 また、どうしてこの時の自分が転がり落ちた芋を拾い上げるという状況にあったかと言えば―――



()()家の次期当主たる(かさね)がとうとう式神を作ったと聞いて来てみれば……この有様。どこの世界に真昼から焼き芋に興じている式神がいるというのかしら。ええ、私は認めませんとも。ですから、貴女。貴女には由雅家から出て言って頂きます。ですから、その前に。心優しい私は、貴女に外での在り方を説いてあげようというのです。……お分かりになりまして?」



 にっこりと微笑んだ少女は、齢九つ、十…といった処だろうか。

 艶やかな竜胆の着物に身を包み、白魚の如き手を差し伸べてくる。

 それに掴まって、礼を言いつつ正面から見えればその可憐さを改めて認識もする。

 ぬばたまの髪、という表現は彼女の為にあるのではないか。

 夜の闇をそのまま紡いだように、見事な美髪を揺らしつつ。

 二度目の指摘が、桜色の唇から零れ落ちる。



「お返事は? 重ねて申し上げれば、本来名乗るべきは其方からなのではなくて?」

「……失礼いたしました。生前は山梨 五良と名乗っておりましたが……現在はどう名乗ったものか分からなかったものですから」

「まぁ、……呆れた。貴女、まだ名付けも済んでいませんの? ……いいわ。事情は分かりました。では、ゴロー(仮)と当面は呼ばせて頂いて宜しい?」



 是も非も無い。

 その旨を伝えれば、彼女は薄く笑ってからようやく素性を明らかにした。



「私は、由雅家の遠縁に当たります夕凪(ゆうなぎ)家の次女 (かおる)と申しますの。貴女、今後は私のことを呼ぶ時は師匠と呼びなさい。今日から二月の間、折を見て貴女に外での生き方を教えて差し上げます」



 それはまさに、一筋の光と言っていい提案だった。

 何しろこの邸に居続けること。それ即ち、かの狂った少年の下でいつになるかも分からない“本来の意味での死”を待ち続ける事に他ならないからだ。


 なるほど、これが現代版の蜘蛛の糸かと――――手を伸ばし、もとい頷こうとする間際。



「駄目だよ、馨。君、――――襲に殺されたいの?」



 見知らぬ青年が、いつの間にやら彼女の後方に立っていた。

 その青年を目にした瞬間に、理屈では説明のしようがない感覚を覚えて凝視してしまった。

 そう。それはまるで“既知感”。

 記憶が過る。

 山梨 五良が死ぬ間際に見た、血の色。そして―――あのイキモノ。



「あなたは………式神?」

「はい。お初にお目に掛かります、次代の“宵花”様。夕凪に仕えております(すい)と申します。以後、お見知りおきを」



 この上なく優雅な所作で、頭を垂れた青年を半ば茫然として見ていたその時の自分。

 それもその筈。魂を入れ替えられてからは、初めてだったのだ。

 自分以外の、式神と呼ばれる存在を目にしたのは。


 しかし、そんな感慨にも永くは浸っていられなかった。


 それはまさに、空気を裂くような――――低められた声だった。




「そこで、何をしている」




 振り返れば、未だ嘗て見た覚えの無いほどに酷薄な表情をした“彼”がいた。

 外廊の中ほどで、向かい合うこととなった彼女の顔色は一気に色を失い。

 それを横目で見ている式神の青年もまた、世辞にも穏やかな空気は纏っていない。


 どうやら、自分が彼らと会ったことは“彼”が望むところでは無かったらしい。

 更に言えば、相当に怒っている。

 これほど可視化された怒りは、珍しい。

 張り詰めた空気の中でも、薄ぼんやりと思考していた自分の傍にいつの間にやら歩み寄っていた彼。

 耳元で、睦言を囁くように問い掛けられた言葉の中には。



「ゴロー? ……彼らが君に必要の無い言葉を吹き込んだのなら、存在ごと消してしまう必要があるのかな?」



 そこには、明らかな殺意が籠る。

 非日常にも程がある現状に、取り敢えずで構わない。出来るなら、目を背けたい。

 しかしそんな望みが、叶う筈も無い。

 無表情ながらも、形容しがたい漆黒が入り混じって。

 まさに狂人。そう言わしめられそうな、濃淡を見上げつつ。

 半ばやけになりつつも、目の前で二度とあの凄惨に近いものは見たくないというのが本音だ。

 出来る範囲で、誤魔化してみた。



「ご挨拶を、受けていただけです」

「ゴロー? 君が嘘を付く時は、小指を弄る癖があるんだよ。自覚してる?」

「……先程、虫に刺されまして。襲様、どうぞ焼き芋です」

「ふぅん、この寒空に虫…ね。まぁ、今回は大目にみようか」

「ええ、大目に見てください」

「今回限りだからね」



 ホイル焼きにした焼き芋を手渡しつつ、取り敢えず一息。

 そうして振り返れば、うん……何と言っていいものか。

 まさに『驚愕』の二文字を張りつけた二人の姿があった。

 二人とは言うまでも無く、彼女と式神の青年である。

 何をそこまで、と聞いてみたい内心を辛うじて押し込めつつ一礼してその場を去らざるを得なかった。

 それも全て、彼らの命をそこで終わらせない為。

 実際のところ“彼”に彼らを殺す術があるのかは、自分には判断できない。

 しかし、言葉にしなくても物語る事象が世の中には時として存在する。

 それはあの、蒼褪めた表情然り。

 同じく式神である青年の、指先の震え然り。

 知らなければならないことがあると同時に、知らなくてもよいことが同じ数だけあっても自分は驚かない。

 ただ、分かることは。

 確信を持って言える事が、あるとしたなら。

 それは紛れも無く、少年が狂っているという―――ただそれだけのことになるのだろう。



 それから、数えること五日。

 その日は非常に珍しいことに“彼”が邸を外出していた日であった。

 本格的に寒くなって来た外の空気に震えながら、庭から屋内へと戻って来た丁度その時。


 ひらり、と手の中に舞い込んで来た封書。

 非常に良い薫りがする、薄様。柔らかな和紙を開けば―――そこには途切れた筈だった蜘蛛の糸が綴られていた。

 胸の内で感謝を述べつつ、ざっと目を通した後は囲炉裏の火にくべて処分した。


 けして残してはならない。

 だからこそ、鮮明に脳裏に焼き付けたそれは結果として今に至る自分を支える足掛かりとなってくれた。

 封書の中身。

 それは言うまでも無い“野良としての心得”であり。

 心得の最後には、“野良のままで死を迎える為の手掛かり”も添えられていた。



 その日から数えること、約二月。

 その朝を、迎えていた。

 翌日には式の当日を迎える、前日の朝である。

 その日も変わらずに、普段と変わらぬ返答をした自分へ“彼”は苦笑していた。

 そんな彼を見送り、雪が降りしきる空を見上げながら書き上げた書簡。

 それを置いて、邸を出たのが三年前の夕刻だ。





「―――グルゥ、クゥ…ググ(ちょっと待った、ゴロー…どうやって?)」

「……あぁ、邸を出た方法だね? うん、勿論僕だけの力ではどうにもならない。ただ、明らかにすれば“彼ら”の命が危うくなるからね。名前については伏せさせて欲しい」



 そう。まさに、命懸けの脱出劇。

 それを成し遂げられたあの夕刻からずっと、今に至るまで。

 忘れたことはない。


 三年間。

 書簡に区切りを明記したのは、それが“彼”にとっても一つの節目であったから。


 由良家における成人は、十七と定められているのだという。

 齢十四であった彼が、今晩で成人を迎える―――その刻を期日にして。


 最初で最後の、賭けをしようと。

 そう、記して。



「正直なところ、僕には“彼”の考えている事がまるで分からないんだ。連れ戻されていても、けしておかしくは無かったこの三年。これが彼にとってどんな意味を持つ三年間だったのかも―――まして、初めから“賭け”として認識されていたのかも―――分からない」



 そう。“賭けの期日”として提示した今日―――もし、“彼”が現れなければ。

 幾度もそれを考えて、重ねて来た日々のなかで。

 どうしてだろうね。

 それでも、もし―――の方が過ることが多かった。

 忘れられている事も。

 失望され、打ち捨てられている可能性も。

 けして、少ない可能性では無いのにね。

 それを愚かだと、そう思う心の方を――――自分はずっと否定したかったのかもしれない。




 ざわり、ざわりと宵闇に風が通り抜けていく。

 それに紛れるようにして現れた、微かな気配。

 高架下の闇を、ほんの僅かに照らすモノ。

 仄青い灯り―――それは狐火とも称される―――に照らし出されるのは、懐かしい面影。



 変わらない。そして、変わった。

 相反するそれぞれを、同時に抱きながら見上げた先で“彼”は艶然と微笑む。

 それにしても相も変わらず、背筋が寒くなる位の淡麗さである。

 年齢を重ねた分、余計に性質が悪くなったようだ。




「ゴロー? こう見えても、私は怒っているんだよ」

「そうだろうね……そう、見える。僕にもね」




 冷え冷えと、大気を歪めるほどの怒りを身をもって感じるよ。

 でも、それだけでもない。

 そう。入り混じるようにして、伝わるものは――――




「君が……私に向ける、それが答え?」

「この三年、足掻いてみて分かったよ。どうやら僕は――――」




 そう。

 伝える必要も、無かったのかもしれない。

 この三年もの歳月を掛けて、どうしてこんなどうしようもない結論にしか至れなかったのか。


 さても、ヒトというものは儘ならないものである。




 伸ばされる、歪な愛のかたち。

 それがいつしか、温もりを得ると――――そう、信じられたなら。

 きっと自分は“彼”を。

 そう、たとえ偽りであっても――――幸せに、出来たのかもしれない。




 抜き放つ、返答。

 冴え冴えとした刃に、散る、血の色は。

 まるで、出会った頃のよう。

 雪の寒さが、身にしみて。

 酷く震えていた両手。

 それを包み込んだ、冷たい冷たい両手を。

 本当は、分かっていた。

 死の間際に、知っていたから。




「―――クゥ、………(そう、君は選んだ。これしかもう……選べなかったんだね)」




 高架下、主の血に染めた刃を以て――――命を絶つ。

 そうすることでしか、叶わなかった“彼女”の望み。



 三年の月日で、ずっと考えていた事だったのだろう。

 山梨 五良と山無 ゴロー。

 “彼”として、この因果を受け入れられない一方で―――

 “彼女”はいつしか、主から向けられる歪んだ想いに――――応えたい。そう、願うようになった。


 愚か、だったのだろう。

 初めから、歪んでいたものに……叶えられる願いなど僅かしかない。


 ヒトの形を、保てなくなった式神は――――いつしか“獣”の形を取るようになる。

 それは器と心が、相反するからだ。

 理を外れたイキモノが、その形を留め続ける為に払う“代償”。

 それは、記憶。



 それを知った三年前。

 そうして決断したのだろう。



 ずっとずっと、探していた。

 死の気配が濃い―――忌中の紙のその奥に。

 そうして出遭う。

 記憶を喪った“獣”が招く、真実に。

 そうして、知る。

 過去のあらましを、知ればこその“今”だった。




 四年前の、雪の晩。

 どうして“彼”が死を受け入れようとしたのか――――


 式神とは、どのようにして生まれたのか――――


 それを知った上の、“選択”だった。

 全てを語ることは、出来なくとも。

 時として、ヒトの想いはあらゆるものを凌駕する。




「………兄さん、兄さんがゴローに全てを伝えたんだね?」

「―――ググゥ、ルゥ……(ああ、その通りだ。由雅家の因果も、名を伏せて話したんだが……どうやら全て、分かっていたようだ)」



 歩み寄った獣へ、ゴローの遺骸を抱きしめたまま虚ろな目を向けた彼は。

 そのまませきを切った様に、溢れ出る嗚咽にその身を震わせた。

 巡る因果の果てに、彼は再び“最愛”を喪ったのだから。




 月が、雲間に隠れて地上は薄闇に包まれる。

 しん、と静まり返った高架下で嘗ての兄弟は無言のまま、意思を交わした。


 やがて立ち上がった“彼”は振り返ること無く、高架下を去ってゆく。







 月が、“それ”を図った様に再び顔を出した。

 月明かりに照らし出された高架下、少女の顔を仄白く染め上げていく。

 寄り添う様にしてその脇に身を埋めていた灰色の獣が、暫しの沈黙を経て緩々と頭を上げた。

 そして僅かに、少女の骸が身動ぎする。




「―――ゥワン、(おい、行ったぞ)」

「―――そう、か。ありがとう、ケルベルス」

「―――ワフッ(ケルベルスじゃないから。ケルベロスだから)」

「……地獄の門番だね。すまない、今後は気を付けよう」




 さらさらと、艶やかな髪が秋風に靡く。

 上半身を起こした少女は、その場でぐぐっと伸びをした。



「……はぁ、死んだふりというのも中々に骨が折れるものだね。役者も大変だ」

「―――グルゥ、ヮフッ……(全く、あの襲を騙し通したんだから……君は十分役者だよ)」



 そう。少女が下した――――本当の結論。

 それは狂言をし掛けることで、“彼”に己の死を認識させるという甚だ馬鹿げたものだった。

 ここに至るまでには、それなりの苦労があったことを改めて伝えておこう。

 死の気配を誤魔化さんが為、この三年余り弔問し続けた苦労も―――今となっては実を結ぶ。

 元々が死体である為に、死の気配を纏うことはそれほど困難ではない。

 式神の本来の特性でもある低体温も生かし、周到に血のりまで準備したうえで望んだのだ。


 賭けごとには、向かない。

 それを知りながらも、何とか凌ぎ切った似非芝居。

 ひとえに、ケルの助力があって成り立ったのである。



「初めて遭遇した時のことを、覚えている? ケル、君ってば死んだふりをしてたんだよね……今思い返せば、あれが原点だったなぁ」

「―――グ、ググルゥ(躊躇なく黒歴史を抉ってくる辺り、流石は襲の式神だよ)」

「元、と付け足すのを忘れないでくれるかい?」



 やれやれ、と血のり塗れの喪服を眺めつつ立ち上がる。

 今に至る流れは、ほぼ計画していた通り。

 とはいえ、この街を出るまでの合間は気を抜けない。

 そう。何せ彼らの相手は―――




「やれやれ、君は本当に詰めが甘いね……ゴロー?」




 ふわり、と闇が降りてくる。

 闇の正体は、照らし出す月明かりがまざまざと教える。



 息を、呑む間もない。



 抱き寄せられるままに、眇められた双眸に囚われていた。

 咄嗟に身を引くも、より一層距離を詰められて呼気を奪われる。

 その艶かしい接触は、過去に受けたどれよりか性急で、深い。


 息の根を、止める気か―――

 薄らと脳裏に過ったそれを、読み取ってくれたかのように低く唸る声が聞こえた。



「……兄さん、邪魔をするなら遠慮なく殺るけど……?」

「―――グルゥ、グル、グル(やれるものなら、やってみろい。お前は本当に程度を知らん)」

「……ケル、君は僕の命の恩人だ」



 げほげほと、咳き込みながら新鮮な空気を吸い集める。

 変わらずに抱き寄せたままの腕を、ドサクサまぎれに解こうと奮闘してみるものの。

 うん、やはり無理な相談らしい。



「ちょっと、兄さん? いい加減に足に噛み付くの止めてくれないかな……」

「―――クゥ、グゥ(お前が加減と言うモノを学ぶまで、継続するぞ)」

「……はぁ、これは教育的指導(しつけ)が必要な場面らしいね」



 言い終わりと同時に、無駄に華麗な動きでもって左足を振り抜いた彼。

 その遠心力が想定外であったのか―――そのままの勢いで、河川へとダイビングした灰色の塊。



「―――グルギュウウウゥゥ………(しつけって言うな―――!!!)」



 ザブン、と見事な音を立てて着水した。

 それを茫然と見送った後、ややあって我に返るも……要するに、全てが振り出しに戻った現状で。




「さてと―――ゴローはあの書面の内容を勿論覚えているね」

「………襲様、あの………」

「覚えて、いるよね?」

「………はい。一言一句、違わず………」

「宜しい。さて、ではそろそろ邸へ戻ることとしよう。……奥さん、この手を放さないでね」

「………っう、」

「泣いても駄目だよ。ゴロー? 君は、とうの昔から私のものなのだからね」

「………」




 山無ゴローは、三年に渡る賭けの結果――――見事に惨敗した。

 それもこれも、相手が規格外にも程があり。

 由雅家―――それは、古から続く異能の家系。宵を支配し、統べる家としてこれ以上の家格は存在しないとまで謂われる。

 昨年の冬、その先代が急逝した後は“彼”が由雅の現当主である。

 ()() (かさね)―――彼は、出会った当初から狂った少年であった。


 ―――それでは今は、どうか。



 考えるまでも無い。

 仄暖かく、歪んだ愛情を一身に受ける――――“彼”の唯一。


 そう。

 月明かりの下、賭けの顛末。


 山無ゴローは、今日も思考を放棄する。


 *fin*



ここまでお読み頂いた方々へ、感謝の気持ちを込めて。


貴重な時間を頂き、ありがとうございました<(_ _)>


※この流れは、……どうなの? 等々気になる点がありましたら随時コメント頂ければ誠心誠意、対応させていただきます。




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― 新着の感想 ―
[一言]  魅力的なキャラクター魅力的な設定、それらが育てた物語、といった雰囲気で素敵でした。とても良い物語でしたよぅ!  ただ、“短編”という枠に嵌めて育てようとした気配が色濃く出てしまってもいるよ…
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