38話 茂みに潜む者
「リーシアちゃん、俺の後ろに隠れて!」
何だ、何が起こったんだ? そう思いつつも、兵士さんの後ろに隠れて様子を見ていると、傍にある茂みがガサガサと音を立てていた。さっきまでの事を考えながら歩いていたので、茂みが立てている物音を聞き逃していたらしい。
横を歩いていた兵士さんはいつの間にか、茂みの方に向かって剣を構えている。どうやら俺よりも早く物音に気付いたらしく、その対応を既にしているようだ。
今更こっそりと動いても意味は無いかもしれないが、物音を立てないように兵士さんの後ろから茂みを覗き込んでみた。何が出てくるにしても、俺に対応が出来るとは思えないから隠れるのが一番だ。
息を殺して茂みを眺めてみても、そこにいる何かが出てくる様子はない。もし俺が気付く前にあの先の何かが襲いかかってきたら、かなり危なかったんじゃないだろうか? 心のどこかで、護衛されているから大丈夫という油断があったのかもしれない。過ぎたことを気にするんじゃなく、まずは今のことをしっかりと考えなきゃいけないな。
しかし、こんな近くに来るまで誰も気付かなかったのだから、この先にいる何かは潜んで動くのが得意な生物なのだろう。いっそ、そのまま潜んで出てこなければ良かったのに。
最初に物音が聞こえてから1分くらい経っただろうか、茂みの中にいる何かが突然飛び出してきた。その姿はどう見ても、「猫……?」と言わざるを得なかった。
目の前にいるのは、猫によく似た生物だった。フォル君のような獣人ではなく、四足歩行のそれである。模様は、山猫がこんな感じだったと思う。
しかし普通の猫との最大の違いは体躯で、大型犬くらいの大きさをしている。多分、立ち上がれば大人の身長に達するんじゃないだろうか。また前足も体の割に太いので、猫と言うよりはライオンや虎の子供と言った方が妥当──顔が猫っぽいので、猫と呼ぶが──かもしれない。
この猫の察知能力は人間よりも遙かに高いのだろうから、今ここにいるということは隠れる気が無くなったのだろうか? 俺達が気付くよりも前から近くに潜んで、こちらを伺っていたのだろうが……何がしたいのだろうか?
猫は襲いかかってくる事もなく、茂みから出てきた姿勢のままで俺達の方を見ている。
「何もしてきませんねぇ……」
「いつ動き出すか分からないから、隠れてて」
猫が全く動かないので後ろから身を乗り出して覗いていたら、怒られた。しばらくそうやって猫の様子を見ていると、敵意はないと言わんばかりにその場に座り込む。剣を向けられているというのに余裕があるというべきか、本当に何がしたいんだろうか。
「座り込んじゃいましたよ」
「今の内に、ゆっくり離れて」
猫の方から視線を逸らさず、促されるまま少しずつ後ろに下がっていると、突如聞き慣れない声が聞こえてきた。
『待テ』
何だこの声、どこから聞こえるんだろうか? 辺りを見回すと、再び声が聞こえてきた。
『襲ウツモリハナイ』
聞き慣れてはいないけど、どこかで聞いたことがあるような気がする。しかし、今の問題はそれじゃない。
「猫が……喋った?」
目の前の猫から声が聞こえていたのだ。
兵士さんが、猫から目を離さないまま怪訝な顔をしている。
『オ前以外ニハ、聞コエナイノダロウ』
これだけはっきりと聞こえているのに、そんな事ってあるのだろうか。
「この猫が喋っているの、聞こえますよね?」
前にいる兵士さんに確認してみたが、何も聞こえないとのことだ。
俺にだけ聞こえる声っていうと、精霊様に話しているのと同じだろうか? いつもの感じで試してみよう。
『あー、あー、聞こえますかー?』
『突然ナンダ、聞コエテイルゾ』
あぁ、やっぱりこれでいいのか。それなら皆に説明してから、少しこの猫と話をしてみよう。余計な争いはしたくないし、話し合いで解決できるならそれに越したことはない。
「この猫と、話せるみたいなので少し時間を下さい」
「いや、そう言われても……隊長、どうします?」
いつの間にか、俺の傍で剣を構えていた隊長に相談をしている。
「まぁ、話せるというのだから任せようじゃないか」
俺達が油断しなければいいだけのことだと付け加えている辺り、完全にこの猫を信用した訳じゃないのだろう。
説明を終えると、目の前にいる猫は退屈そうに体を舐めていた。この仕草だけを見ても、大きい猫としか思えない。
『さて、何とか話しが出来る状態になりましたけど……何の御用でしょうか?』
出来れば早く先に進みたいところだが、俺の何に興味を持ったのかはちょっと気になる。
『魔力カラハ正体ガ分カランノデ、確認ヲシニ来タ』
『それで、確認してみてどうでした?』
『少シ他ノ者トハ違ウガ、見タ目ハ人ノヨウダナ』
そんな分かりきったことを、わざわざ確認しに来たのだろうか。
『オ前ノ周囲ヲ漂ウ魔力ヤ、サッキノアレハ、人ノソレデハ無イトイウノニ』
『この周囲のは風精霊様、さっきのは地精霊様によるものです』
『フム……オ前ハ本当ニ人ナノカ?』
確かに、精霊様が見える人はいないのだから特殊なのは分かっている。しかしそれだけの違いしか無く、それ以外は普通の人だ。
『見た通り、普通の人ですよ。期待外れでしたか?』
『イヤ、興味深イナ』
『ただ、先を急ぎたいので、あまりのんびりとお話しする訳にはいかないのですが……』
『ソレナラバ、シバシ同行スルコトニシヨウ』
今もまだ警戒を解いていないのに、これを皆は承諾してくれるだろうか。
「ナゼム様、この猫が同行したいというのですが、良いでしょうか?」
今の話を隊長に伝えると、苦笑いの表情をしつつも、いいんじゃないか?と適当な返事をしてくれた。
猫と話をしながら目的地に向かって歩いている。声が聞こえない兵士さん達には、俺が独り言を喋っているように見えているのかもしれない。
『見テイルト、危ナッカシイ』
俺の横を歩く猫が、突然そんな事を言ってきた。昨日よりも安全に歩けるようになってきたのに、随分と失礼な話だ。
『これでも、多少は慣れてきた方ですよ?』
今日も行軍に遅れないようにするので精一杯だけど、それでも昨日よりは早く歩けている。草に足を取られる頻度も減ったし、杖を使って一歩ずつ確実に歩けば危ないことはない。
『乗レ、横デ見テイルホウガ気ニナル』
俺の横を悠々と歩きながら、そう言ってきた。馬にも自力で乗れないのだから、簡単に乗れるとは思えないのだが……どうしたものか。
『うーん、お気遣いはありがたいですが、うまく乗れる気がしません』
『振リ落トサレナイヨウニ、スルダケデイイ』
そう言うと、その場に座り込んでしまった。
じゃあ折角だから少しだけ……ダメだったらすぐに降りればいいだけのことだ。
『では、失礼します』
おや、これはなかなか……野良だから、もっとゴワゴワとした触り心地かと思っていたのに。ほうほう……ほほぅ、毛並みの手入れが行き届いた飼い猫のような感触で、これは良いではないか。
『何ヲシテイル?』
背中に跨るためには、背中に手を添えて支えを得なければいけないから、決して触り心地を楽しんでいるわけじゃない。慣れないからもたついてるだけだよ?
『イツマデソウシテイルツモリダ、早ク乗レ』
こんなに素敵な触り心地をしているのに、それを堪能できないのは酷だが仕方がない。
背中の上は思ったよりも安定感があるようだ。首筋の毛を掴んでいるとはいえ、手綱も無いのに安定しているのは不思議な感じがする。
移動している速度の割に振動が少なく、たまにバランスを崩しても、何かが俺を支えるようで落下せずに済んでいる。
『この、押さえられている感じは何ですか?』
『落チナイヨウニ、我ガソウシテイル』
へー……どうやってやっているのか分からないけれど、落ちないで済んでいるのはありがたい。
これは魔術の一種なのだろうかと思い訪ねてみると、『ソウダ』とあっさりと返してくれた。
野生の動物が魔術を使えるなんて話は聞いたことがない。魔物の中には魔術を使う者もいると書いてある本はあったが、どうなのだろうか。
『もしかして猫さんは、魔物なんですか?』
『マモノ……ソウ呼ブ者モイル』
やっぱりそうなのか。これだけ話をしてから襲いかかってくることもなさそうだから、今更魔物だと言われても怖いとは思わない。
人を襲わない魔物もいるなんて、以前読んだ本の内容から考えると信じ難い。あれを信じるのなら、見敵必殺と言わんばかりに襲ってきそうなものだ。
そもそも会話をする知識もあるのだから、本の方が間違っているような気がする。普通の人は魔物と会話が出来ないのだから、きっと推測で書かれた部分もあるのだろう。




