33話 揺れる車上
俺は以前、父にどんな仕事をしているか聞いたことがあった。あまり詳しく聞いたわけではないが、街の中央にある役場があり、そこで働いているという話だった。
そのことを思い出しつつ地図を確認すると、街の中央に役場があった。父はきっと、ここで働いているのだろう。勤め先を聞いた事はあっても、実際にこうして訪れるのは初めてだ。役場に行くような用事は今までなかったのだから、当然といえば当然なのだろうけれど。
以前、孤児院から図書館に行く時でも徒歩で片道3目(約30分)くらい掛かったが、今回はそれよりも更に中央に向かうことになる。地図を見る限りでは、孤児院から図書館までの距離と、図書館から役場までの距離では後者の方が離れている。そしてこの両者は、ほぼ一直線上に存在しているおり、地図の縮尺が正しいとすると、単純計算でも6目以上の時間が掛かるだろう。空を飛んで向かうのが一番早いだろうが、それは目立ちすぎるから出来れば避けたいところだ。
携帯電話さえあれば急いで向かう必要もないのに……と、つい愚痴を言いたくなってしまう。無いのが当たり前の世界なので不便に思う人はいないのだろうけれど、特定の対象に音声を送る魔具や魔術はないのだろうか。魔術じゃ無理で、魔法で再現できるならそれでも構わないのだが、巧いやり方は思いつかない。いつか実現出来ないかだけは、考えてみることにしよう。
無い物ねだりをしても解決するものではないので、少しでも早く着ける方法を考えると、大通りで乗り合い馬車を見つけるくらいしか案が浮かばない。手持ちは半金貨が1枚と銀貨が4枚、それと他の小銭が少し……数えてみたら1,031Eだった。乗り合い馬車の相場は分からないが、お金の足りる範囲で乗せて貰うことにしよう。
余談だが、冷蔵庫についてお爺さんと話し合った結果、7:3で俺が3の売り上げを貰える話になっている。一般に普及さえすれば十分なので、売上は要らないと言ったが聞き入れては貰えず、妥協点がこの配分だった。
だからと言って普段から大金を持ち歩くのも邪魔になる上に怖いので、手持ちに関しては両親から貰った小遣い分だけにしている。今回のように乗り合い馬車を使おうと思わなければ、ちょっとした買い物には困らない金額は貰っているのだから。
大通りに出て街の中央に向けて歩いていると、さほどの時間も経たずに後ろから馬車の音が聞こえてきた。そちらに向けて手を挙げると、目の前に馬車が停まった。
「やぁ、小さなお客さんだね。どこまでだい?」
「この馬車は、役場まで行きますか?」
「あぁ、役場を経由して北の通りまで抜けるよ。ここからなら、1,200Eってとこだね」
俺の手持ちでは若干足りないが、1,000Eなら近くまではいけるだろう。
「それでは、1,000E分お願いします」
馬車は料金先払いなので、目的地を告げて料金を支払う。大量の小銭で運賃を支払うと、俺を客席の方に引き上げてくれた。これで歩くよりは大幅な時間短縮になるだろう。
御者台の後ろには左右に大人が3人ずつ座れそうな場所が設けてあり、そこには先客が2名乗っていた。右と左に1人ずつ座っているので、俺は自分に近い左側の席に座った。
馬車も捕まえることが出来たので、現状と調べることについて整理しておこう。しかし……馬車という物は、あまり乗り心地の良いものではない。座れるようになっているとは言え、座席の材質が木なので揺れる度にその振動が直接響いてくる。これがもっと上等な馬車ならば乗り心地も違うのだろうか?と思わなくもないが、残念ながらそんな機会は今のところ無い。今度時間のある時にでも、図書館で調べてみることにしよう。
調べたい物があったら、パソコンや携帯ですぐに調べられる文明って、本当に便利だったんだなぁと今更ながらに実感させられる。今は調べたい物があってもすぐに調べられないので、思い付いた物があればメモ帳に──横罫が引かれているわけでもなく真っ白だが、決して安いものではない──書き留めておいて、後でまとめて図書館で調べることにしている。だからこそ、俺の鞄にはメモ帳と筆記具として使う炭が常備してあるし、図書館の証明書はいつでも持ち歩いている。そして今も、考えをまとめる為にそれらを取り出している。
まずは上流の場所と距離を調べなくては。場所は水精霊様に案内して貰えるだろうけれど、川沿いにずっと行けるものでもないだろうし、地図で確認しておいた方が良いだろう。必要ならば、地図を購入することも考えておく。
次に、その付近に出没する魔物についてだ。俺が対処できるとも思えないが、知っておいて困るものでもないはずだ。どうやって現地に向かうかは、これから相談してから決めるので今は考えなくていい。
そうやって、俺がメモ帳を片手に頭を悩ませていると、2人いる乗客の内1人が俺に声を掛けてきた。俺の隣に座っているお婆さんだ。
「珍しいわねぇ、あなたみたいな小さい子が1人で馬車に乗るなんて」
「普段は子供を見かけないんですか?」
「そうねぇ……あたしが見た事あるのは、両親のどちらかが常に一緒ね」
料金は決して安くないので、子供が1人で利用することはないのだろう。現状にもっと余裕があるのなら、俺も使わなかっただろうし。
「ちょっと役場に急ぎの用事がありまして、少しでも早く行きたいんです」
「あら、あたしも役場に行くから一緒ね」
「そうですね、私は途中で降りますので、それまではご一緒ですね」
お婆さんは話し相手が欲しかったようで、日常の様々なことを俺に話してくれた。その中で先週の祭の話が出てきて、色々と聞いている内に冷蔵庫の事についても少し話題に上る。魔具細工屋の帳面ではなく、直に反応が見られるのは嬉しいものだ。
「あらあら、あたしばかり話しちゃって、ごめんなさいね」
考えることは大体まとまっていたので問題はないし、むしろ祭での反響を見る事が出来たので、些細な収穫さえあったほどだ。
「ところで、さっき帳面を見ながら何か考えていたみたいだけど、あたしも何か力になれるかしら?」
折角の申し出だし、街に流れている川について尋ねてみよう。何か知っているかもしれないし。
「えっと、それでしたら北西にある川なんですけど、最近何か変わった事はありませんでしたか?」
「変わったことねぇ、知らないわ。もし何かあったら辺りに影響があるでしょうし、今頃大騒ぎになっているはずだもの」
北西は農業区域で、川の水を引いて農耕生活をする家が密集している。北東は冒険者ギルドに関連した区域、東から南東辺りは商業区域、南西辺りは居住区域となっている。
この地形から、もし川に何かあった場合には農業区域に住む人達が真っ先に被害を被ることになる。街の食生活を支えている区域なので、その辺りだけの被害で済むものではないだろうけれど。今のところは騒ぎが起きていないのだから、まだ問題は発生していないようだ。
「お客さん、この辺りで大体1,000E分ってとこだよ」
お婆さんと取り留めのないことを話していたら馬車が停まり、御者さんが俺の方に声を掛けてきた。俺が降りる準備をしていたら、お婆さんが御者台の方に行き、話をしている。
「ねぇ御者さん? 差額はあたしが払うから、この子も役場まで良いかしら」
「代金さえ頂ければ、もちろん構いませんよ」
と、俺が口を挟むまでもなくお婆さんが差額の支払いをしてしまった。
「役場まで急いでたんでしょ」
席の方に戻ってくると、そうお婆さんがそう言った。役場までこのまま行けるのは時間短縮になるので助かるが、理由が分からない。
「確かに急いでますけど……なぜですか?」
「こんな年寄りを相手にしてくれたお礼よ、だから気にしないでね」
その代わり、もう少し話し相手になってねとお婆さんは付け加える。
「えぇ、もちろん喜んで!」
それから残りの距離もお婆さんと雑談をしながら進み、予定よりも早く役場まで着くことが出来た。




