中編
とまあそんなわけで、相変わらず元気に平常暴走運転中です。こんにちはユイノマナミです。
さて、ハースさんの件でひとつ分かったことがあります。
それは、わたしの《魅了》(あ、だめだ笑う)が誰にも彼にも無制限にかかるものじゃないってこと。
じゃあそこには何かの法則性があるんだろうなーとあちこち首を突っ込んでうろちょろしてみたところ、さらに三つほど判明しました。
一つ目。既婚者はほぼアウト。
二つ目。ぞっこん惚れ込んだ相手がいる場合もアウト。
三つ目。ただし老いも若きも年齢制限なし。
この二つ目がけっこうクセモノで、ただお付き合いしてる相手がいるってだけなら除外されないようです。何だその愛情バロメーター。
倫理観があるんだかないんだか、なんつーか微妙な……。
あ、それから、やっぱり同性は対象外になっているようです。
こっちきてから身の回りのお世話をしてくれているメイドさんは、能面ってこーゆーのを言うんだよね!って感じの人ですが、微塵も変化なく絶好調にブリザード背負ってらっしゃいます。ものっそ嫌われてていっそ安心します。
意地悪されてるわけでもないし、お仕事はちゃんとしてくれるのでオールオッケーです。
……ふっ、慣れてるもんさ、女子に嫌われるの。
まあ、それがわかったから何だって話なのではありますが。
とりあえずハースさんは女性でもないし独身貴族らしいので、ぞっこんらぶな意中の女の人がいるということなのでしょう。
……モテるようには見えませんし、もしかしたら片思いかもしれません。だとしたら楽しいです。主にわたしが。
現在も壁と一体化しそうな静かさで見張っているハースさんの視線を受けつつ、わたしは暇そうに見えないようニコニコしながら騎士団長の武勇談(要はグロ交えた自慢話)を左から右へと聞き流していました。
「うんうんそれで?」
「そこでだな、私はその曲者たちに剣を向け、こう言ったのだ。『何人たりともここを通すわけにはいかん!』と」
「わあ、団長かっこいー」
誠意のない拍手に、騎士団長様は気をよくしてくださったようでした。
というか、わたしが何を言おうが彼らにはおそらく関係ないのです。ぶっちゃけ三十分くらい「へーほーふーん」でも押し通せそうです。なぜならしばしば会話が成り立っていないからです。
ほら、よっぱらいって人の話聞いてないじゃないですか。あんな感じです。
テキトーに相槌うって、テキトーに持ち上げるだけでいいわけです。なんてお手軽なんでしょう。
しかし笑顔固定の表情筋がそろそろ限界です。疲れました。お腹減ったなあと上の空になりながら時計を見上げていると、キラキラしい効果音の幻覚を伴って王子様がおいでになりました。
自然、わたしの隣はスライド式に王子様のものとなります。
すごいね身分制って! 骨の髄まで染みついてるね!
内心のめんどくせーなーという気持ちなどおくびにも出さず、わたしはにっこり笑顔で王子様を歓迎しました。
「こんにちは、殿下」
「ご機嫌麗しく。俺の天使」
その発言の寒さに風邪を引きそうです。
当たり前のように手の甲にキスとかするんだからすごいですよね。さすが王子様。
それ以上何かやられたらたまったもんじゃないので、恥ずかしがるふりして頬を押さえて大嘘こきますけれども。
「も、もうっ! わたしの国では、嫁入り前の娘にそういうことしちゃだめって言ったのに……!」
「すまん。お前があまりに愛らしいので、つい、な」
ついじゃねぇよこのロリコン。
爽やかに笑ってますがこの王子、多分そのうちついうっかりとかいって押し倒してきかねません。貞操の危機です。
そうなるとマジでヤバイです。このガッチガチの階級社会じゃ誰も助けてくれそうにありません。げに恐ろしきは権力者なのであります。
いや、誰も助けてくれないなんてことはないですか。
でもまあ流血沙汰は間違いないですね。特にそこの騎士団長様辺りは頭に血が上りやすそうです。
……ハースさん、穏便に助けてくれないでしょうか。まあ無理ですか。「おおっとうっかり!」で殺されるシーンなら思い浮かび……ませんね。あれ?
おかしいです。何と言いますか、あの人のイメージが人畜無害すぎて変です。
「それはそうと、お前が言っていた『ライチ』らしいものを手に入れたぞ。食べるか?」
「わあ、ほんと? 嬉しい!」
たしかそれ、中国産じゃなかったですっけ。欧州では栽培されてなかった気がするんですけど。まあエセ欧州にエセ中世ですからね。つーかあれでしょうか、舶来品とかいうやつになるんでしょうか。
一体いくら使ったのでしょう。あ、なんだか傾国っぽいことしてる気がしてきました。いい感じです。この感じでじゃんじゃんお金を使ってもらいたいものです。
器に上品に盛られた赤茶色の球体は、確かにライチに似た果実に見えます。
王子様が上機嫌にライチ(仮)を手にしたところに、神官様が待ったをかけました。
「では殿下、私が剥いて巫女に供しましょう」
「……何だと。余計な手を出すな」
「いえいえ王子のお手をわずらわせるなどとんでもない。巫女のお世話をいたしますのは、我々神官の役目ですから」
いや、わたしのお世話をしてくれてるのはメイドさんですけどね。二人ともまとめてごめん被りたいんですけどね。
一触即発の険悪な雰囲気は、まあいつものことです。
この二人、特に仲が悪いのです。思えばこっちに連れてこられて以来、この二人が顔をつきあわせて、笑顔を維持できていたためしがない気がします。
ほうっておけばハースさんが止めに入るだろうし、もう勝手に食べ始めてようかなあなんて思っていた時でした。
規則正しい、高らかな足音に気付いたのは。
その足音は扉の前でぴたりと止まり、一呼吸置いて、大きな音とともに扉が開け放たれました。
そこに立っていたのは、クールビューティという言葉がぴったり来るお姉さんでした。
灰色のかっちりしたロングスカートスーツにハイヒール。いかにもできる秘書といった出で立ちです。
眼鏡の奥の目が、涼やかに部屋の中から目的を見つけだし、きっと眦を吊り上げました。
「殿下、仕事が溜まっております。速やかに業務にお戻りください」
彼女が放った声は、思わず背筋が伸びるくらい凛としていました。
これ以上ない注目を浴びているのに、それをまったく気にしていないかのようです。
王子様は席を立とうとせず、いやそうな顔をしてお姉さんを見上げました。
「見て分からないか、フェア。休憩中だ」
「何度目です? すでに十分すぎるほどの休憩をお取りでしょう」
「……今まで働きづめだったんだ、少しくらいまとめて休んだところで何が悪い」
「殿下。王家と国政は民の血税で維持されているのです。殿下がこの国の王子であらせられる限り、果たすべき義務がございます」
言ってることはお説教なのに、怒っていると言うより、どうか分かって欲しいという切実な思いを感じました。
ただ真面目なだけの人ではないのでしょう。
うだうだ言うことを聞かない王子様が子供っぽく見えてしまったので、多分、間違っていないはずです。
――でも、フェアお姉さん。
それって今のわたしには、すっごく邪魔になっちゃうんですよ。
「わぁ、こわーい。迫力ぅ」
そんなわけで、精一杯の媚びを込めた声を上げてみました。
案の定、王子様はあっさりこちらの思惑に乗って、意地の悪い笑みを見せます。
「マナミの言うとおりだな。お前も少し、こいつの愛らしさを学んでみたらどうだ」
完璧です。なんて駄目人間な発言でしょう。
部屋のそこかしこから忍び笑いが漏れます。やなかんじ、と諸悪の根元のくせに思っていたわたしは、ふと、ハースさんの苦々しい顔に気付きました。
その顔に、なんだか違和感を覚えました。
不愉快さとかそれだけではなくて、苛立ちというか、怒りのようなものを感じたからです。
――あれ。
あれれ、ハースさんのぞっこんらぶな相手って、もしかして――この人?
四面楚歌の中、お姉さんはわずかに睫を伏せただけで、すぐに王子様を見据えました。
「……今はそのようなお話をしているのではありません。重ねて申し上げます、殿下。公務にお戻りください」
「しつこい。雑務程度はお前が片づければいいだろう、俺の手を煩わせるな」
「殿下!」
――これはだめだ、と思いました。
思った瞬間、わたしは二人の口論に口を挟んでいました。
「だめだよ殿下、おねえさんの言う通りじゃない。お仕事はちゃんとやらなきゃ。ね?」
彼らは揃って、驚いたような顔でわたしを見ました。
ですが、これはやむをえないのです。
このままだと、ハースさんが牧羊犬ではなくなってしまいます。そうなったら確実にわたしの破滅が早まってしまうわけですから。
このお姉さんを直接巻き込むのはアウト。よし覚えました。
……難しそうですよね。王子様の秘書っぽいもん。
はなっから行き当たりばったりの、適当きわまりない一人陰謀ごっこだったわけですが、いよいよ行き詰まってきた気がします。
どうしたものかと内心頭を抱えながら、半分八つ当たりでハースさんを呼びつけました。
「ハース! ねえ、こっちに座って? いっつも壁ばっかりじゃない」
「……いえ、王子がお掛けになっていた席に座るわけには」
「もう、こっちの世界のひとってみんなそーゆーの細かいんだから!」
馴れ馴れしい強引さはわざとです。扉を閉めるお姉さんにもきっと聞こえていることでしょう。
このまま破局だか失恋だかしてくれないかとか、そうしたらやりやすいかもとか、そんなことはちょっとくらいしか思っていません。
ましてや。
何を言われてもまっすぐに背中を伸ばしているお姉さんの姿に、ちょっと見とれただなんて、まさかそんなこと。
基本的に好き勝手していいと言われているわたしですが、一日に一度、早朝におつとめがあります。
《雨呼びの巫女》とかいうご大層なんだかショボいんだかわからない役職名どおりのこと。
つまりはお祈りです。
まあ祭壇の前で跪いて何考えてるかっていったら、神様神様さっさとわたしのこと帰してくれないとこの国すっごいことにしちゃいますからねっていうか聞こえてますか聞いてんだろコラ返事どうしたこんちくしょーなんて喧嘩ふっかけてるだけなのですが。
まあ返事あってもビビりますけど。
時間にして三十分ほどでしょうか。悪口を言い続けるには結構疲れる時間です。
お祈りポーズをやめて立ち上がると、神官様が恭しく手を取ってくださいました。むしろ足しびれてるので触ってくれるなと言いたいです。
「お疲れ様です、巫女」
神官様は上機嫌です。この礼拝堂は神殿関係者しか入れないそうなので、必然的に王子様とか騎士団長様とかその辺がついてこないからでしょう。
いつもなら「散策でも」とか強引に誘われてそのまま庭を連れ回されるのですが、今日はちょっと展開が違いました。
礼拝堂を出たところで、女性の神官に出くわしたからです。
「……サチ? あなたがこんなところにいるとは、どういった風の吹き回しですか」
「さあね。ありがたい巫女姫どのの御利益にあやかろうとかじゃない?」
サチと呼ばれた女の人は、飄々と答えました。
口振りがいかにも適当です。
すらりと背の高い女性でした。別に猫背でもないのにどこか眠たげで、ひたすら気怠そうです。
彼女は項に手をやって、敵意も好意もない目でわたしを見下ろしました。
「携帯の充電、大丈夫?」
「……え?」
その質問はあまりにも日常的すぎて、最初、何を言われたのか分かりませんでした。
それがありえない質問だと気付いて、悲鳴を上げそうになりました。
「リチウムイオン電池なら多分壊さないで充電できるよ。原理単純だから。して欲しかったらそのうちおいで」
言いたいことだけを告げると、サチさんはあっさり踵を返しました。
ありえない。
だって目の前にいるのは、明らかに日本人ではないのです。髪の色も目の色も、どこからどうみても「こちら側」の人です。
こちらに携帯電話なんてものが、電池なんてものがないことは、神官様の怪訝そうな顔を見ればわかります。
それなのにどうして、そんなことを知っているのか。
心臓が早鐘を打って、息苦しさに喉が詰まりました。
期待と、不安と、恐れに。
「ちょ……ちょっと待って! ねえ、どうして……!」
「巫女?」
追いかけて引っ張って問いつめたい衝動に駆られましたが、神官様に肩を掴まれて、はっとしました。
いけない、落ち着かなくては。
あの人が味方かどうかは分からないのです。今のわたしは、まさに餌を投げられた魚の状態でした。
うっかり食いついてその先に釣り針がついていたら、その後は捌かれるだけです。
自覚しないと、冗談抜きで命が危ない。
今のわたしは、本当に敵だらけなのです。
「あの人……誰?」
震える声での問いかけに、神官様は苦い顔で答えました。
「サチエスベティ・フォルシュノク――《智恵の託宣官》と呼ばれる変わり者です」
「智恵の……」
「巫女。彼女には気を許さないようにしてください。彼女は……かつて、王子妃候補に名を挙げられた女性です」
苦い表情の意味を知ってしまえば、頷くほかありません。
それでも――初めて目の当たりにした、希望のような可能性に、気持ちは強く揺らいでいました。