支配する人
女を殺した。俺を馬鹿にしたような笑いを見せた女。夜中に呼び出して気の済むまで殴り、首を絞めた。
人間っていうのは、悪いことをすると必要以上にビクビクしてしまう。殺人なんて犯した奴は、よほど手慣れた奴じゃない限り、必ずボロが出るはずだ。
しかし、俺は大丈夫だ。殺しは初めてだが、不思議と気分は落ち着いている。これがドラマなら、慌てて捕まるような奴らばっかりだが。
――さて、これからどうしよう。まさか部屋に死体と二人で生活するわけにも行かない。しかし棄てに行くにも、近所に不審がられてしまうだろうか。ドラマじゃあ大抵は夜中に山に棄てに行ったりするのだが、それで結局は捕まってしまうのだ。俺は捕まらない。そこらの凡人とはわけが違うんだ。
ほとぼりが冷めてから棄てに行こう。あいつは一人暮らしだ。そう早くは捜索願いなんかは出ないだろう。
この死体はどうしよう。湯船に水を貯めて沈めておけば、腐らないだろうか。臭いはごまかせるかも知れない。
棄てに行くなら海がいいな。何となくだが。山は穴を掘らなければいけない。海なら、崖から棄てればすぐだ。
* *
三日ほど待って、俺は死体と共に海に出かけた。湯船に隠していたため、三日間俺はシャワーだけで我慢した。少し遠出して、県外の海に棄てることにしようと決めた。
夜の海は怖い。しかし、俺の車にはもっと怖いものが乗っている。さっさと棄ててしまおう。トランクから出した塊を、海の近くまで引きずっていき、崖下めがけて蹴り落とした。
ああ、すっきりした。ざまあみろ。
早く帰ろう。さすがに寒い。車のエンジンをかけ、俺は静かに走らせた。
* *
ガチャリと耳障りな音を立て、玄関が閉まった。
まだ少し鉄の匂いが残っている。しばらくは窓を開けっ放しにしといた方がいいかも知れない。
「死んでも迷惑な女だな……」
小さく呟いて、俺はキッチンへ向かう。腹が減った。帰りにコンビニに寄って買ってきた弁当をレンジに突っ込んだ。
――おい。
「――ッ!?」
いきなり後ろからの声に全身がすくんだ。なんか、ちょっと遠いところから聞こえたような気がする。俺は一人暮らしだ。もちろんこの深夜に人なんかあげてない。
ああ、窓を開けたんだ。外から聞こえたのだろう。
――おいって。
何だかさっきより近くから聞こえる気がした。レンジから温まった弁当を出し、それを手に部屋のドアに手を掛ける。
瞬間、手のひらの力が抜け、弁当が滑り落ちた。
手のひらだけでなく体全体の動きが止まった。俺の尻は硬いフローリングの床めがけて勢い良くぶつかった。尻餅をついたのだ。
目の前に、さっき海に棄ててきたばかりの女の顔だけが、ぬるりと現れたからだ。ちなみに、ドアはまだ開けていない。
――お前さあ、誰を、何処に、棄ててんの?
元は綺麗な形だったろう顔の輪郭はボコボコに歪み(俺がやったからだ)、至る所から血が流れている。
まさしく、海に棄ててきた、俺がこの手で殺した女だった。
「あ……あ……な、」
――どもんな。何でよりによってあんたに殺されたわけ? 訳わかんない。死んで詫びろ。今すぐ。
生前からこの女は強引だった。強引で傲慢で、見た目だけは女のなりをしていたが、逆ドメスティックバイオレンスのようなこともしばしばあったんだ。
せっかく、解放されると思ったのに。何で、この女は俺を苦しめるんだ。
「……い、生きて、たのか」
――生きてるわけねえだろ! お前がその薄汚い手でやっただろうが!
「ひいッ!」
瞬間移動のような速さで俺に詰め寄ってきた女の顔を、出来るだけ見えないように精いっぱい首を背けた。
――何が"ひいッ"だよ! あたしを殺したからにはそれ相応の覚悟はあったんだろうが! あたしが、そのまま、死んでくれるなんて思ってた訳じゃないよな?
そう。この首の言うとおり、俺は心の奥底でびびっていた。捕まることが、じゃない。この女はいつか、復讐に来るかも知れないと。有り得ないと考えながらも、俺は心底この女が怖かったのだ。
「……俺を、殺すのかよ」
――………。
目の前を見ないようにずっと顔を背けていたから、気づくのが遅れた。女は、ふと切なげな顔を見せていた。
それは一瞬で、長く付き合っていた俺だからわかるくらいの僅かな表情の変化だったのだが、見過ごすことが出来なかった。
「遥……?」
――お前は、
言いかけて、押し黙ってしまった。珍しく歯切れが悪い。
確実にこの世のものではないのに、俺は、今ならこの女と話し合うことができるんじゃないだろうか、と思ってしまった。
――お前が、あたしを殺さなかったら、あたしが殺してたよ。
何で、とは、怖くて聞けなかった。なのにこいつは、続けて口を開く。
――あたしの中で、愛とは心中することだった。
「……イカレてる」
素直に思ったことを口にした。慌てて失態と気づき口を塞ぐが、女は笑っていた。
それがあまりにも恐ろしくて、俺はこの時心底この女を殺したことを後悔した。
――そんなに愛されてるんだって、嬉しかったのよ。なのに、あんたってば……。
あたしを、あんなに鬱陶しそうに扱って……。そう呟く女から、俺は目を離すことが出来なかった。余所見をした隙にやられるんじゃないかと、気が気ではなかったのだ。
「愛なんかじゃ……」
――そうね。確かにあんたのは愛じゃないかも。
「お前だって、暴力で」
――あたしのは、愛故の支配欲よ。
「俺のこと、嫌いだったろう」
最後の一言を放った時、こいつは酷く驚いた様子だった。それがあまりにも幼くて、この女もこんな表情をするのか、と今更ながら感じた。
――あんた、浮気してただろ。
「!?」
――気づいてないわけないだろ。だから、お仕置きだったんだよ。
優しく笑って女が言う。その笑顔にすら、俺は悪寒を感じた。
――愛してるからさあ。あたしだけのものであって欲しいのよ。わかるでしょ? 相思相愛だもんね。
「――ッ、違っ、俺はお前のことなんか」
――うん、わかってる。ちゃんと伝わってるから。
「間違ってるから!」
駄目だ。今までで最高に命の危機を感じている。ヤバい。
殺される。
――どうして欲しい……?
殺さないで。
そう呟く前に、片手で頬を掴まれた。女とは思えない凄まじい握力だった。それだけで死ぬかと思えるほどに。
今まで付き合ってきた中で、今この瞬間の笑顔ほど嬉しそうな、輝く笑顔を見たことがなかった。そこまで俺を殺すのが嬉しいのか。
俺だって、お前を殺した時は、快感にも似た感情に支配されていた。
――二人で、さまよい続けよう……。
今更、逃げられない。
もう、いいよ。仕方ないから、付き合ってやるよ……。
* *
――これで、あたしは天国に行けるのね?
「まあ、天国とは多少違いますが。似たような所です」
――よし! こいつはもう天国にも地獄にも行けないのよね?
「そうですね。あなたが行ってしまうので、独りさまよい続けることになるかと」
――ざまあみろ! あーでも、殺されたのは納得行かないけど、海でよかったー。海の神様いたし!
「神様ではないんですけど……まあいいです。じゃ、ちゃんと上に行ってくださいよ」
――りょうかーい! こいつに見つかる前に成仏するわ! たまに見守っててやるから、ちゃんと悲しーい妖怪とかになっとくのよ!
「妖怪にはならないと思いますが……ああ、いくら憎んでるからって死体を蹴らないように」
――だってムカつくのよ。なんでこんな奴に……。せいぜい苦しめ!
――じゃあね!
END.