銀の懐中時計
その日、フェイは親から店番を任されていた。
植物加工屋という曖昧な名前を使っているが、業務内容は客が持ってきた草花を香水とか調味料とかに加工したり、ちょっと"アレ"なハーブの計り売りなどだ。特に"アレ"なハーブはリピーター(中毒者)が多く、フェイも顔なじみになった客が数名いる。儲けが出るのは良いことだが、夜中に一階のドアをガチャガチャして「頼む!売ってくれぇっ!!」と叫ぶのは本当に勘弁して欲しかった。
違法なハーブというなんともアングラな商売に何故手を出したのか、それを何度尋ねても親ははぐらかすのみだった。だからもう気にしないことにした。12歳の少女にそんな物の計り売りをさせる親も、借金をしてまで買いに来る客も、どちらも頭がおかしいのだ。
「今日お客さん少ないなぁ」とか考えながら、ぼんやりと向かいのパン屋を眺めていた。パン屋も両親と娘の三人家族で、娘が時々店番をやらされていた。家も年も近いし境遇も似ている。普通、こういう場合は幼馴染みとか言って仲良くするものなんだろうが、私たちの間には一切そういうものは無かった。店番の日が被った時も、お互い目も合わせないし、別のことを考えている。まあそんな具合に、私も向かいの娘も黙々と仕事をこなしていた。
さすがに退屈すぎて、おもわずカウンターを出る。石畳の通りは太陽に照らされてキラキラしている。なんだか外に出て思い切り走り回りたい気分だ。親たちは隣町で仕事の取り引きをしてくると言っていたが、どうせ二人で遊んでいるだけに違いない。仕事の内容といい、色々といい加減過ぎる人達だ。
仕事を投げ捨てて外に出ようか迷い始めた時、向かいのパン屋に男が一人入って行くのが見えた。「今日は休みの筈だし、パン屋の親父さんてあんなに痩せてたっけ?」とか思いながら、ただその光景をぼーっと見ていた。約十分後、男が何かをパンパンに入れた袋を持ち、周囲をキョロキョロ見回しながら店から出てきたのを見て、初めてそれが空巣だということに気づいた。男は全身黒ずくめて幅の広い帽子を被っていた。こんな怪しい格好なら店に入る時に気づくべきだった。
空巣野郎はとんでもない速さで通りを駆け抜けていった。私がなんとも間抜けなせいで逃がしてしまった…。でも、こんな時のためのとっておきの切り札が私にはある。6歳の誕生日に祖母から譲り受けた銀の懐中時計だ。この時計は特別で、私が目で見た物ならなんでもダウジングのように場所を教えてくれる。この能力に気づいたのは10歳の時で祖母はすでに他界していたから、どうしてこんなことが出来るのかという説明は一切なされなかった。でもまあ便利だし、悪用しない限りで使っちゃおうとしか思ってないから、おばあちゃんは安心していい。
通りまで出ると、懐中時計を手に持ち、黒ずくめの空巣野郎を思い浮かべた。するとそれまで普通に時を刻んでいた秒針がぐるぐると高速で回転し、やがて一つの方向を指し示した。これは空巣のいる位置を示している。時計を地面と平行にすることで目的の方角を示し、垂直にすることで高さを示してくれる。この二つの能力を駆使し、今までいろんな物探しに協力してきた。
「こっちか…」
空巣野郎は大胆にも大通りを使って逃亡したらしい。「あんな見た目してたら普通怪しまれるでしょ…」と思ったが、案外人々は周りを見ていなかったりする。既に捕まっているとは言い切れない。私は一度家に戻って革のブーツに履き替えた。本気で捜索する時はこれがないとだめだ。
時計に従い街の中を進んでいく。空巣は広場の噴水の前を通り、橋を渡って公園で休憩していた。全速力は最初だけで、あとは余裕をぶっこいて逃走している。思ったよりも早く見つけられるかもしれない。
***
汚い路地裏を通り、猫たちの集会所にお邪魔したりしながら、ようやく空巣野郎が休憩している場所に辿り着いた。奴は欄干にもたれかかって煙草を吸っていた。
「おいクソ空巣野郎!その荷物の中身を返せ!」
空巣は動揺して煙草を落とすと、大慌てで荷物を手に取り走り出した。私は腰のナイフを抜くと、空巣目掛けて思いきり投げた。(幼い頃からボール投げばかりやってきたので、投擲は得意分野だ)ナイフは空巣に一直線に飛んでいき、その脹脛にブスリと刺さった。空巣は「ひぎゃぁっ!」と間抜けな声を上げながら、体勢を崩して川に落ちていった。
「あ、やっちゃった…」
すぐに川を覗くと、空巣がかなりの速さで荷物ごと流されていくとこだった。川にダイブする訳にはいかないので、遠回りして追いかける。ダウジングも遠すぎると機能しなくなるので足早に進む。懐中時計の針をよく見ながら建物の間を縫うように駆け抜けた。
しばらく追いかけたとこで、懐中時計は空巣が川から脱したことを示した。捜索は難航するかと思われたが、すぐ近くの井戸に向かって血が続いている。ダウジングも井戸の底に向かっており、空巣野郎がここにいるのは間違いなさそうだ。
「おーい!いい加減観念しろ!出てこないとヤバい薬撒くぞ!」
一応投降のチャンスをやったが返答は無かった。本当に気が進まなかったが、仕方なく井戸の底へ降りることにした。親切にハシゴが設置されていたので難なく降下していく。井戸の中はかび臭くてひんやりしていた。地上から届く僅かな光に照らされて、おぞましい虫達の姿も見えた。こんな所からは一秒でも早く脱出したい。
「"ガサガサガサガサガサガサッ――"」
「ん?」
どうやら、上の方で固まっていた虫たちの集団が振動で落ちてきてしまったらしい…。
「ぎぃゃああああああああああああああっ!!!!」
そこからの記憶は無い。
***
左足首の激しい痛みで目が覚めた。骨は折れていた。どうやら私は虫の気持ち悪さに気を失い、井戸の底まで落ちてしまったらしい。暗すぎてほとんど何も見えない。痛みと寒さと気持ち悪さで最悪の気分だった。最初から空巣なんて無視しとけばよかったんだと思った。
「おい"クソ娘"、これで片足が動かねえのはお揃いだなぁ?もう"ヤバい薬"は撒けねえぞ?」
暗闇の中から鼻息を荒くした空巣野郎が出てきた。奴は片足を刺されながらも無事に井戸の底に着いたみたいだ。なかなか大した奴だ…。
「オメェにはすごく腹が立ってるんでな、ゆっくりと、俺好みのやり方で嬲らせてもらうぜ?」
空巣野郎の強烈な膝蹴りが腹にヒットし、胃の内容物がせり上がるのを感じた。その後奴は私の荷物を物色し、薬品が入った瓶を全て取り上げた。
「よぉし、これで危険は取り除けたな。こっからは楽しませてもら――んぉ?オメェ、よく見たら結構顔可愛いじゃんか。栗色の髪もなかなか綺麗だしな。これなら、闇市に売りさばくってのも、アリだな…」
もはや空巣野郎が何を言っているのか聞き取れなかった。さっきの蹴りが余程まずかったらしい、身体からどんどん血の気が引いていくのを感じる。
「このまま売りさばくのは勿体ないしな、まあ一回くらい遊ばせろや」
空巣野郎は強引にブラウスを破くと、まず首筋に舌を這わせてきた。
「あぁ……若え女のイイ匂いがするぞ……!」
その口からはドブのような臭いがして、その強烈さが再び意識を揺り戻した。
「もう…やめて…許して…」
「おほ♡残念だったな、そんなこと言われたら余計興奮するだけだぞ?」
身体を弄られている間、私は抵抗することなく頭上のぼんやりとした小さな光を眺めていた。それ以外にすることなんて無かったし、殺されないだけマシだと思ったからだ。空巣野郎の鼻息はどんどん荒くなっていき、そろそろスカートを破いてきそうだった。
「むほぉ……。ひゃばいッ、お前…可愛すぎるッ!闇市に売りさばくのはやめだ!こいつぁ俺の奴隷にするッ!!」
興奮してそこら辺を転げ回る空巣野郎を横目に、私は一人絶望していた。こんな汚いおっさんに一生手籠めにされることを想像してしまったからだ。その光景は考え得る限り最悪で、もはや死んだほうがマシと思わせるほどだった。
「おい!寝るのはナシだぞ!寝たら可愛さが半減しちまう。必要だったら『温水』ぶっかけてやろうか?」
「……勝手にすれば…」
「そうこなくちゃな!なんせ、お前はこれから俺の妻となる――――――」
興奮で早口になっていた空巣野郎の声が突然プツリと止んで、もはや諦めかけていた私も目を開いた。ぼやける視界の中、奴は手足をピンと伸ばして全身を痙攣させていた。どうやら暴れまわる途中、私から取り上げた"ヤバい薬"の瓶を割ってしまい、中身が脹脛の傷口に流入したようだった。
「お、おい…なんだよ、コレ……!?」
「さあ?舐めて確かめてみたら」
「てめえ、ふざけんなよ…ぶっ殺すぞ…!」
「なぁに?全然聞こえなーい」
空巣野郎の顔色はみるみる悪くなっていき、もはや痙攣すらしなくなってきていた。私は突然舞い込んだ勝利に困惑していた。
「……わかったよ…俺ぁもう死ぬんだろ?だったら…最後に頼みを聞いてくれてないか?」
「ん?なぁに?」
「キスだ…キスをしてくれ。実はよ、俺はこの顔だから女とキスしたことが無いんだ。だからよ、死ぬ前に一回でいいからよ…キス、してくれねぇか?」
「絶対嫌、だってめっちゃドブ臭いもん」
「!?……あ、あぁぁ……」
空巣野郎はまるで干からびた昆虫のように死んでいた。私は重たい身体を引きずり、取り上げられた瓶の中から痛み止めを取り出した。これで上まではなんとかなるだろう。そして、この汚い井戸はクソ野郎の墓場には持ってこいだと思ったので、この出来事は誰にも話さないことに決めた。




