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帰還

 部屋を出ても薄暗い世界は変わらない。外に出ても変わることはないだろう。深い蒼に輝く世界はその明るみに反して絶望の暗黒を運び込んで来るに違いない。

「食事って言っても大したもの出ないだろ」

 テーブルを囲む各々とそれを包み込む音楽。最も騒いでいるのはレコードプレーヤーの針によって音を鳴らされている円盤だろうか。

 ジェードルの方を一瞬だけ見つめては顔を赤くして顔を背けるリニの姿はあまりにも乙女でジェードルの知らない一面が垣間見えた様な気がした。

「ずっとこの調子なの。食べ物を入れるか騒ぐための唇を愛で塞いで触れ合うためのものに変えてごらん」

 メリーの言葉にシーケスは大きく腕を上げてテーブルを叩く。仰々しい仕草の結末に相応しい迷惑な音と豪快な揺れが彼の本音を語る。彼もまた語る。

「愛なんか、愛なんかで満たされない欲望も、あるんだ」

 情けない声で音楽の邪魔にしかならない言葉を、若い二人の関係の進展の壁にしかならない圧をかけていた。

「どう、どうして、どうして酒がないんだ」

「この前お前が飲み干したからだ」

 ユークによってジェードルは理解してしまった。シーケスは飽くまでも己の欲を充たせないが為に他者の幸福の妨げをしなければ気が済まないのだと。

「用意してくれてもよかったのに」

 そんな哀れな男の言葉に対して笑いながら首を左右に振るタルスの姿があった。

「なんだタルス、欲しいもの無いならずっと満足だよなクソが」

 シーケスによる圧に、言葉と呼ばれる刃物による斬り付けに物怖じすることなくタルスは言葉を返す。

「俺は楽しみなど失ったからな、仲間との関りが残された楽しみだ」

 外出調査を行なってきた回数は恐らく両手の指では数えることが出来ない程だろう。しかしながらそれだけの回数を重ねても知らない事が多くあるのだとこのやり取りを以て思い知らされた。

「贅沢しなくても幸せになれるなんてめでたいな」

 突然、テーブルを叩く音が響く。人々の視線が集う先には立ち上がったリニの姿があり、彼女が歩き出す事で視線もまた追いかけるように動き出す。

 それからシーケスの隣に立ち、勢いよく頬をはたく。シーケスの言葉はものの見事に薙ぎ払われたのだった。

「人の事ロクに考えられねえんだな……最悪」

 リニの心情がつかめないままジェードルは立ち尽くしていた。リニは振り返り、そんな彼の手を引いて隣に座らせテーブルに乗せられた食事に目を通した。

「外出調査に出ても食は酷くなるだけなんだな」

 蒸した豚肉の缶詰は蓋を開けただけ、二つのロールパンに上にかけられている薄茶色のドロドロとした質感の液体は恐らく完全栄養ペーストだろう。

「噛まなきゃ衰えるからってちゃんと携行品にパンと肉が入ってる事だけ感謝か」

 リニの言葉に従い感謝の想いを込めつつパンを手に取る。ペースト状のソースはゆっくりと流れ落ちようとパンに雫の軌跡を描き始める。

 パンを口に含み噛み締める。乾いた食感に味わいや香りが飛んで行ってしまったパンはまるで廃棄寸前の物のよう。そこに軽い苦味ととろりとした舌触りに絡みつくエグみ。感想などただ一言で充分だった。

「マズいよなこれ」

 リニも共感を態度で示す。ユークに至っては鼻をつまみながらパンを口へと運んでいる様が見受けられ、待遇が最悪なのだと思い知らされた。

「こんなものより外地で食べる完全栄養ショートブレッドの方がまだマシだ」

 タルスに至っては二人の見慣れぬ人物を迎え入れた事により初心に帰ってしまったのか、それとも二人に教え込むつもりの発言なのか、きっぱりと告げていた。

「野菜だのパンだのでもクソだってのに。酒が無きゃ食ってられるかっての」

 恐らく好き嫌いの激しさがシーケスの酒への付き合い方の酷さを生み出した原因なのだろう。仮に好き嫌いの少ない人物であったならば外出調査に出る事も無かったのかも知れない。

 メリーはただ沈黙を貫いて食べ進める。まるで高名な芸術家が掘った彫刻のようだと思わせる程に綺麗な佇まい、上品にパンを口に運ぶ様は本当にハートが無いのではと想像を掻き立てる。

「メリー、お前は感想一つ言わねえよな」

 シーケスの荒々しい言葉はメリーの顔に微動すら与えることが出来ない。音楽の一つだと認識しているようでもあった。

「美味いのか不味いのかはっきりしろ、クソ女」

 アルコールを欲する者、魂が酒に置き換えられてしまった彼の行き場のない感情によって誰も彼もが責め立てられる。理不尽な言葉の雨は平穏の破滅の象徴。

「何か言えよ」

 情けない声はガラガラとした音に変わり、不愉快を作り上げる天才へと化けている。メリーは遅れながらにそんな男の言葉の為の口の動きを取り始める。

「美味しくなんてないのはそうね、しかも不快な空気付きなんて」

 明らかにシーケスの事を示していると悟った瞬間、ジェードルの口から盛大な笑い声が、続いて気が付いたリニもまた笑い声を上げ始める。

「何がおかしい」

「いや、メリーの言う通りだって」

 タルスの笑顔に真実が宿る。今と言う時間をただ楽しんでいるだけの笑顔が目の奥から揺らめきながら上がって。

「タルスまで」

 続いてユークの冷たい視線と目を合わせ、遂にシーケスは下を向いて食べ物を口に詰め込んでは乱暴な様子で立ち上がって就寝室へと向かって行く。荒々しい足音が音楽と揃わないビートを刻んでは不満をぶちまけている。

「刻一刻と酷くなっていくものね」

 メリーの言葉にユークは微かな頷きを、同意の動きを見せて静かに口にする。

「あいつはもう終わりかも知れないな」

 彼らの外出調査員としての生活の始まりの時点でアルコール依存症の気配を隠すことが出来ずにいたシーケスが自由を得る事で酒に溺れて誰一人として手を差し伸べることの出来ない程の酒臭さを人格に宿すまでに要した時間は多くは無いという。

「人柄が荒れてきてやがる。調査に出しても足手纏いだ」

 ユークの言葉の推進力を上げるようにタルスの低くしっかりとした声が言葉を加える。

「民間に返すよりも戦場で殺した方が身のためかも知れないな」

「そんな事許されるわけねえだろ」

 リニの綺麗な言葉は激しい響きを持っていて、人として大切な事が色濃く根強い音となって周囲へと響いては跳ね返りを見せる。

「冗談よ、彼らったら趣味が悪いんだから」

 メリーによる助け舟に乗っかって無傷のまま時間を渡る事が叶った彼らに安寧の薄青い輝きが降り注ぐ。一方でメリーは言葉を続けた。

「どちらにせよシーケスは民間行きで間違いないわ」

 民間行き、つまりは国の仕事から永久に追放されるという事。贅沢な生活を覚えてしまったシーケスに民間の生活を送る事など出来るものだろうか。湧いてきた疑問は永遠に解消される兆しも見えずに延々とこの場を駆け回る。

 この閉ざされた地下施設と言う休憩所の壁に隔てられ、外に注がれる破滅など耳にも届かない、実感すら湧かないまま。



 世界は変わる。時は巡ってどれだけの変化をもたらしただろう。個人が故人となるまでの時間の中では緩やかに見えるものの、原子や粒子、それどころか原始の生き様を歩む生き物からすれば毎日のように変わり果てているかも知れない。

 運ばれて来る日付の変更。ただ寝たり軽い運動をすることでしか潰すことの出来ない時間はあまりにも退屈で。

 そんな生活の元、壁が作り上げた限界、狭くて長い廊下の中でリニが木の棒を振り下ろす。勢いが付いた棒は微かな照明を受けて残像を濃い蒼に色付けていた。

 そんな一撃を素早く受け止めては流し、リニの懐を目指す男の姿があった。

「ここだ」

 迫り来る男、ジェードルの姿を見る事も無くリニの手はしっかりと棒を操り勢いの付いた頭を力強く叩いた。

「痛いっつーの」

「一本取ったり。痛いのが嫌ならもっと緩やかな動きを取れよ」

 リニの言葉は尤も、しかしながらジェードルの目指す修行から遠ざかってしまう事は避けたかった。

「戦闘訓練は楽しいよな」

 右手に持っている木の棒を投げる。宙で回るそれが濃い蒼の円盤を幾つも生み出しながら落ちて行き、再びリニの手に収まる。

 もう一度、投げたその時ジェードルが突撃を始める。

 突き出された棒を右手でつかみ取り、引っ張ってはジェードルを引き寄せ先程投げた棒を左手で掴んでジェードルの鼻先へと向けた。

「ほら、私の五勝目だな」

 そんな余裕の言葉、対するジェードルの余裕の笑みがリニの目を思いきり見開いていく。

「なんだよその余裕」

 続いて言葉を差し出そうと大きく息を吸った途端の事。リニの頭を優しく叩く木の棒の感触が舞い降りた。

「ん、なんだ」

 振り向いたリニの大きな目を迎え入れた光景は薄っすら蒼に輝く木の棒とそれを持った大きな男の笑み。

「タルス」

 名を呼ばれると共に口を笑みの形に開いて言葉を壁にぶつけては跳ね返す。

「周囲の観察は苦手みたいだな」

 何度も響いては耳に現在進行形の音と残響が同時に入り込んでは幾重にも重なってリニの弱点を告げる。リニは対人戦での立ち回りは充分。鉱物生命体との戦いに必要とされる攻撃の正確な入射角と言った繊細な部分には苦手意識を示すものの、恐らく個との戦いであればそうそう敗北を抜き取る事も無いだろう。

 しかしながら周囲の観察は苦手。それは空から魚が降ってきた時にも森の中での周りの動き方からも曖昧ながらに把握していた。

「大丈夫だ、外出調査員になる事は可能だ」

「本当か」

 目を輝かせ、青と彼女の色の輝きを混ぜた瞳の天の川を作り上げる。

「ユークが二人を推薦するそうだ」

 それからいつも通りの泥のような栄養ペーストのかかった味気ないパンを、半端なエグみを持った食事を済ませて廊下を渡って階段を上がって行く。

 扉は開かれ、差し込んだ細い光の束はカーテンを思わせる。

 青空の色は快晴の模様で踏み出した地は破滅の痕跡を感じさせない。

「雨が纏まってクラゲになるようだ」

 タルスの説明を受けながら歩み続け、やがて大きな扉と両端に立つ斧を構えた男たちの姿を見た。

「外出調査員の帰還だ」

 地下都市の扉は開かれ、階段を下りて行く。濃い蒼の輝きが繋ぎ目から零れる階段の視認性は最低限保たれており、それでもつまずくシーケスはやはり民間送りにするべきだと総員一致で結論が下る。

 やがて一つの扉を勢い良く開きユークが身を進める。そんな彼を迎え入れたのは大きな拍手と地下都市に似合わぬ明るさを誇る歓迎の歓声だった。

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