終止符
歪んだ表情は動揺を隠すことの出来ない型のよう。顔を歪めた原因は大地の大いなる揺れ、木々が葉を鳴らして震え鳴いていた。倒すべき相手を討つための場所は分かっている。現状を支配するほどに強力な現象は自然の姿をも変えているかもしれない。そのような環境の中で目的地を目指すには視覚こそが必要だろうと判断を下して感覚をヒトのものへと戻した。
大地の揺れ、自然までもが泣き崩れてしまいそうな中でも獣たちは平和を取り戻すために奮闘し続ける。その姿勢を目にしてジェードルの顔は自然と引き締められる。
「そうだよな、俺たちが進まなきゃ終わりは訪れないよな」
揺れる地と伏している大木の微かな崩れに乱れが足元を掬ってみせようと襲い掛かりその度に彼らは立ち止まるもののすぐさま進行を再開する。
「なんで揺れてるんだ」
「これも龍の仕業とでもいうのか」
「強すぎるぞ」
多種多様な声色から浮上している言葉は思いの他感情の統一感を生み出しており、本音は隠しきれていない。困惑や目の前の敵に対する恐怖がもたらすおぞましさで塗り潰された勢力は頼りなく映ってしまう。
暗い心情に満たされながらも進み続ける彼らの足元で不規則な草の揺れが巻き起こる。これまでの揺れとは異なる見映えは明らかに生き物の手によるもの。それに気が付かない程にまで取り乱している彼らではなかった。
「なんだ」
一頭のタヌキが声を上げる。恐らく他の動物たちも同じように疑問を口にしていた事だろう。しかしながらそういった声はジェードルにはただの鳴き声としてしか伝わらない。
足元の揺れは勢いを増し、ますます周囲の自然の動きから離れて行ってしまう。
オオカミがしゃがみ、目を凝らしながら顔を近付けたその瞬間の事だった。突然草の塊が飛びつき、オオカミが仰け反る。その動きに草はついて行くこともなくオオカミを襲った命の正体は今ここで晒された。細かな毛に覆い尽くされて灰色に塗られた小さな体に遠目では見逃してしまいそうな小さな足に身体とは不釣り合いな長さを持ち、微かに揺れながら伸びる尻尾。ジェードルはその正体を口にせずにはいられなかった。
「ネズミ、まだ敵がいたのか」
ジェードルに木の実を飛ばしたネズミとのやり取りをもって敵対勢力は龍だけに絞られたかのように思えたものの実態は異なるのだと気付かされた。
――厄介だ
顔を上げ叫びをあげるオオカミに救いの一手を加えるべく蒼黒い扇の如き残像が描かれ小さな身体を飛ばした。そのままネズミは地に叩き付けられて攻撃の主の方へとその目は向けられる。
「刃の方じゃないから安心しろよな」
戦場に不釣り合いな声はリニのものだと気が付いた時にはリニは大きく息を吸い込み続きの言葉を放ち始めていた。
「なんで仲良しこよし出来ないんだか気になるな」
リニの言葉に思わず吹き出してしまいそうになるものの必死にこらえたその時、ジェードルにも対応が必至となった。飛んで来るネズミをつかみ取り、掌に収めたまま目を向ける。リニは更なるネズミの猛攻を袖で払い除けていく。楓もまた、木を浮かせて壁を張る事でそれなりの対応を向けていた。
リニに襲い掛かるネズミたちは数と激しさを増し、遂に防ぎ切れないかと焦りを覚えたその時、大量の灰色の体が直線を描いてネズミの体を払い除ける。同じ種族同士での争いにリニは感謝を示すと同時に思わずため息混じりの言葉を零してしまう。
「みんな可愛いんだし可愛く過ごして欲しいんだ」
恐らく現在ネズミは二つの勢力に別れている。或いは中立を決め込み静観している集団を想定して三つか。いずれにせよ戦いに加わる軍勢は大きく二つに隔てられていた。
ネズミたちの戦いは大地の揺れに足を取られることなく続けられ、犬の一部も加わろうとするも後ろから首に巻き付く黒い影を目にし、そのまま苦しみ藻掻きながら引き摺られて行った。次から次へと伸びて来る蛇たちの多い事。纏まって襲い来る蛇たちの見映えは巨人の細い指を思わせる。揺れの原因は蛇の指の本体が存在するためではないだろうか、などと言った血迷った思考を一瞬だけ浮かべてすぐさま拭い去る。
揺れは起こっては収まり、再び巻き起こる。そうして繰り返される毎にジェードルは揺れの変化に気が付いてしまった。
――まさか
揺れは収まってから幾ほどかの時を置いて起こされていた。しかしながら次第に感覚は狭まっており、その事実がジェードルに大きな焦りをもたらし叫びを呼び起こす。
「急ぐぞ」
仮に揺れの正体が敵の活動による副作用だとするならいかがなものだろう。龍が派手に暴れる事で地面にヒビを入れているとしたら。龍が神木から受けているエネルギー。その流出によって大地がやせて崩壊を起こしているとすれば。不安が的中するなら確実に世界の危機。たかだか安心して住むことの出来る場所を探して入っただけの事。それが引き金となって世にも恐ろしい状況を招いてしまったとすればどれ程の責任が伴うだろう。
――償いなんて出来ない
最低限の罪滅ぼしとして今のジェードルに出来る事など限られていた。果たすべく駆け出すような大きな一歩を踏み出し、足が葉と土によって築き上げられた心地をつかむ度に次の一歩を踏み出して。
神木はその姿を現した。ジェードルは前進を続けようとしたものの、突如自然が見切れて視界の下辺に現れた暗黒を目にして慌てて立ち止まる。
「崖か」
「なんだって」
素っ頓狂な声を上げるリニを他所にジェードルは一歩引き下がる。大きな揺れがジェードルを崖の底へと誘ってしまわないだろうか、崖そのものを深淵へと引き摺り込んで黒一色に染めてしまわないだろうか。不安は更に一歩、ジェードルの身体を後ろへと引き下げる。そうしている間にも大きな揺れは何度も余韻を残し、消えないうちに次の揺れを弱まる揺れの波長を乱すように巻き起こす。
ジェードルは手頃な木へと背中を預け、神木の座標を捉えて視界を切り替える。表現しようもない色に包まれたそこで無理に色を捉えようとすると辺りが暗闇に変貌する。意識から視覚を完全に外して斧を構える。木々の感触が固く細かな凹凸を以て存在感を示している。
歯を食いしばり、ジェードルは座標の方向性を定めて動き始めた。体は木に預けられたまま、しかしながら走っている感覚。崖が訪れようとも構わず走るジェードルを叩き落とす者など誰一人としてそこにはいない。この世界、この感覚の中へとアクセスする事が出来るのはジェードルただ一人。
深淵の氷上を駆け抜け足は再び大地をつかんだ。どの方向からゆれが訪れようとも構うことなどない。祠と共に祀られている木はすぐ傍にあり、ジェードルは斧を振り上げて一度叩くのみ。
勢いよく振り下ろされた斧は祠を砕き、そのまま突き進む。空気を裂く瞬間ですら長く感じられる一撃に想いの全てを込めて。やがて大木へとたどり着き、斧が触れたその刹那の事だった。斧は弾かれ、神木が放つ磁場の揺れが荒々しさを増してジェードルの身体を勢いよく押し下げてしまう。
ジェードルが次に取った行動と言えば目を開くという事。この星の住民を希望へと導く魔法はいとも簡単に解けてしまったのだ。
――なんだと
驚きに目を見開く。魔法が破れてしまう程にしっかりと根付いた神木を睨み付け、しかしながら納得も得ていた。
――確かに、メリーが昔来たのに神木は倒せていない
もしかすると同じように原因を突き止めて同じように魔法を使って同じように敗北を味わってしまったのかも知れない。つまり、ただ同じように折れるだけの道をなぞっていただけの事。空しさは膝を折り、視線は地へと落とされた。
そんなジェードルを嘲笑うかのように忙しない揺れが辺りを支配する。ジェードルの腕をつかみ、体を無理やり起こす者がいた事に気が付くまでに少しの遅れを要してしまった。ジェードルを擁している人物の顔がすぐ傍に、その女は驚きを声にしていた。
「あれを見ろよ」
指を上げるリニ、動きについて行くジェードル。そこでこれまでの驚きを上回るものを目にした。大きな灰色の身体はゆっくりと進み、その度に大きな揺れが巻き起こる。天空を突き抜けるのではないかと思わせる程に長く伸びた首は地面を捉え、爬虫類か或いは怪獣映画の世界の者か、どう猛な顔面はジェードルから一つの言葉を引き出した。
「ここには恐竜が生き残っているのか」
しかしながらリニは首を横に振り指を巨大な頭の上へと動かし、口を震わせながら予想を告げる。
「いや、多分こいつは」
リニの指の示す方へと目を向けて、ジェードルは理解の外側を目にした。頭の上についているものは見覚えのある形の耳。これは恐らく。
「キリンだ」
ジェードルが口にし終えない内に恐竜にしか見えないキリンは天を仰ぎ、周囲をざわめかせる咆哮を上げた。
「お前らの働きは何一つだったな、所詮は凡人か」
後ろから飛んできたノースの声に二人揃って顔を顰めてしまうものの、後ろの彼に見せる事はなく、ただ仕舞い込むのみ。
キリンは大きく口を開き、神木へと首を伸ばす。その様子を見てしまったのか龍がキリンに向けて鬼の形相を浮かべ、そのまま飛びつき牙の並んだ口を大きく開くもののキリンは龍の攻撃を躱して首を咥え、そのまま力を込めて神木へと放り込んでしまう。
叩き付けられた龍は痛みに顔を顰めながらキリンを目にして希望の色を失ってしまった。
キリンは大きく口を開き、一度の咆哮を上げた後、大きく息を吸い込む。共に口の中に青白い輝きが宿り、次第に激しさを増していく。輝きは歯に遮られつつも隙間から零れ、遂には口に収まらない大きさへと達してそのまま光線となって龍の方へと放たれた。
目をも焼く強大な輝きは空よりも輝かしく、どこまでも真っ直ぐだった。龍を飲み込み神木を焼き払うそれは大地にこれまでとは異なる揺れを刻み、崖がボロボロと崩れ始める。
人々は崖から離れ、森の内側へと駆けて行く。ジェードルは一瞬、森の外の異物が、彼らを乗せてここまで来た舟が傾いたような気がしたもののカマッテなどいられない。
やがて青白い輝きは神木の痕跡を中心に空間へと広がり、大きな爆風を生む。地に伏せ顔を伏せるだけの民衆の視界の暗黒をも青白い輝きで染め上げ、耳がおかしくなりそうな爆音がひときわ大きな揺れと共に辺りを包み込んだ。




