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新たなる出会い

 森林の中で数多のきつねの鳴き声が響いている。混ざり合う高い声は可愛らしくはあったものの、それが幾つも重ねられても心地よい音となるかと訊ねられるとキリンの耳を持った彼はこう答えるだろう。

――会話の内容が分からない

 きつねたちは艶のかかった筆を咥えて紙を用意しては文字を綴って差し出すものの、この星を訪れて間もないノースにも腕に巻いている機械にも読み解く事が出来ない。

「達筆すぎて読めないな」

 それでも彼の口からはそれなりの冗談が出て来るものだと本人が驚きに充ちていた。これから読む事が出来るようになるのだろうか。読み解く資格を得る事が出来るのであれば是非とも。そんな心情で腕に巻かれた端末を操作して文字を映し込む。解析にどれ程の時間を費やしてしまう事だろう。同じ耳を持つ生き物であれば口一つで意思のやり取りができる事だろう。

「まさかこの歳になっても外国語を学ばなければならないとは」

 ノースの中で蓄積された不満は役に立つ事など無い。必要な事は何か、考えて即座に文字を見つめる。

――記号の形を見ろ。どこにどのような配置で

 そのような読み解き方が出来る人物は、記号の集いのパズルとして認識できるのはほんの一握りの人間だけだろう。ノースにそのような能力が宿っているはずもなかった。

「分からない、どうしてだ、俺の脳は便利なものではないみたいだ」

 きっと当然の事。しかしながら当然を嫌うのは今この場で素早く調査を進めたいからだろう。調査がはかどらない以上は冒険も進まない、状況の停滞はノースが非常に嫌悪するものだった。

 機械が少しずつ解析を進めていく。ノースは急かしているものの機械には人の気持ちなど理解できない。そもそもどのような存在であれ未知の言語に対する苦労など大きなものとなるだろう。

 ノースがため息を吐く中で機械が突然データベースを開いたという表示を出して言語の表を引っ張り出す。これほど早く解析が終わるものだろうか。確かに早く紐解く事が出来るのであれば未来は明るいが現実的に考えてそうではないだろう。ましてやデータベース、情報の倉庫に手を入れた時点でノースの中に一つの答えが宿る。

――まさか、調査済みか

 どのグループだろうか。少なくとも他の二隻の舟のどちらかがこの地を訪れて存分に調査を進めた後なのだと分かってしまった。

「誰のどの耳かな」

 気になって仕方がない。出来れば女の多いグループで可愛らしい耳を飾っていて欲しい。願望は彼の下心に充ちては止まる事を知らない。

 妄想に掛かる手を止めて端末から立体映像を出力して表を出す。文字を読む事でノースに一つの悩みを植え付けた。

「待てよ、これ」

 毛の少ない人物よ、キリンは眠り続けている。そのような意味合いの事が綴られていた。つまるところノースは眠り続ける生き物を起こそうという人物。好き好んで寝ているのであれば迷惑な事この上ない話だった。

 ノースは文字を見つめながら彼らへと伝えたい事を書いて差し出す。きつねたちはそれを読んでは集まり声を奏でるものの、全員動きを揃えて否定を示した。

「そうか、キリンの行方は分からないか」

 誰も見たことがないという話まで目にしてはもはやキリンの存在が幻獣の麒麟のようにすら思えてしまう。

――厄介にも程がある

 ノースが望むものは即座に調査を終えてすぐさま次の星を回る事。しかしながらこのままでは終えることも出来ない。

――いや、キリンなんて知らないの一言で終わるじゃないか

 恐らく多少の不明を不明のままとして調査を終えても移住する者たちには不便はかからない。調査隊が解き明かすのに苦労するようなものならば揺り起こすのは肩書の重みに頭を抱えるような人種くらいだろう。

 しばらくデータベースを見つめ、その中にこの星のキリンに関する資料が見受けられない事を確かめて大きなあくびを交えながら後ろを振り向いた。

「帰るか」

 調査を終えようとしたその時、きつねたちの可愛らしい鳴き声に緊張が宿る。急いで文字を記してノースに差し出す彼らの雰囲気は妙に緊迫していた。

「龍が現れたからきりんを目覚めさせて立ち向かって欲しい、だと」

 ノースは額に手を当てて大きなため息を吐く。面倒事を押し付けられて喜ぶ人物など余程この星が好きな者か度が過ぎた変態くらいだろう。

 きつねたちに導かれ、ただ従うだけ。ノースの目に映る木々に覆われた道は方向も距離もつかめず進んでいるのかも分からない。きつねたちの迷いなき歩みを見る限り彼らとノースの見ている景色は別物というに他ならなかった。

「よく迷わずに行けるな」

 文字にして差し出した途端、きつねはそれを読んでは彼らもまた文字を書き留めてノースとの会話を繋いだ。

「三又の濃い緑の葉が茂る木が三本連なるところ、茶色の木の実が成る木が幾つも生えてるところなど目印はある」

 つまるところ、特徴。森を形作る木々の種類や数を把握して、時として看板を立てるなどと言った対策を取ることで迷わないで目的地までたどり着く事が出来るという。

――俺らの世界でいう区画とか番地だな

 地下都市の中では建物や数字を刻んだ看板を元に居場所を把握することがしばしばあり、人にとってのそうした目印ときつねたちにとっての木々や草の品種や密集具合といった導。考える程にノースの中では腑に落ちた。

――共に行くしかないか

 今、ノースにとっての北は彼らの向かう場所。雑草の群れを押しのけ進むきつねたちの澄んだ鳴き声が耳を叩くような心地で響いて。

――鼓膜を揺らされる感覚とはこのようなものなのか

 日頃の戦いの中では耳にすることのない音の質感で、日頃と比べて少しだけ耳に寂しい音の数の中で、きつねの鳴き声だけが目立っていた。

 歩き続け、脚は自然豊かな大地を踏む事にようやく慣れて来た。緑の地下都市は名前とは裏腹に見渡す限りの無機質に溢れていたのだから。

 今まで自然というものと触れ合った事など無い。もしかすると蒼の都市の外出調査員にして連絡員のユークに関しても同じ状態かも知れない、などと彼の歩んできた道を知らないまま想像を膨らませる。

――あの勉強量だ、あいつは少なくとも養殖に使われている区画すら行ったことないだろう

 人工的に生き物を育てて資源を回収するために設けられた区画で、食用品は当然の事、ユークが日頃耳にしているレコード盤の原料であるシェラックと呼ばれる天然樹脂を作り出すカイガラムシもそこで育てられている。

 想像を膨らませてユークを思う存分見下す事で緑の都市は凄いのだと悦に浸っているその間にもきつねたちは立ち止まり、石の板を囲んで手を掛けて。必死の形相で持ち上げようと力を込めるもそう簡単に持ち上がる代物ではないようだ。彼らの動きを目で追いながら何も為す事なくただ腕を組んでいるだけ。そのような態度を貫こうとしていた始まりの二分間。無駄を知り、きつねたちに加わり石の板を動かすべく協力を始めて僅か十秒未満だろうか。板は無事に浮いては動き、地下へと続く階段を目にした。

 ノースの目に入るものは深く見苦しい暗闇。先を見通す事すら許されない暗黒の空間は彼の心を震わせて。零れ落ちる情けない声は言葉すら作り上げる事が出来ずにいた。

――大丈夫だろうか、閉じ込められないだろうか

 訊ねようにも歯がかちかちとぶつかり合う音を立てて、喉の震える感触はますます強くなっていくのみ。このままでは何も為すことは出来ない。脚は震えて恐怖という水に浸かって幾らでも重みを増し続けて行った。

――俺に行けと言うのか

 きつねたちを見つめても返されるのは頷きやゴーサインのみ。リュックからカンテラとマッチを取り出し灯りを点けて階段に足を乗せて下降の調べを刻み始める。外気に零れていた音はやがて辺りで響き始め、ノースに触れるようにきつねたちが囲んでみせる。頼りない視覚が捉えた限られた世界は聴覚と触覚を強調して、仲間がいるのだと示し、恐怖感をゆっくりと崩してしまう。ノースが目を凝らした先には鉄の扉。カンテラを置いて両手で取っ手の輪をつかんで引き始める。

――どの程度錆び付いているだろうな

 ノースの暗い想像を裏切るようにスムーズな開き様を見せてノースは呆気に取られながら再び足音を立て始める。

 カンテラで照らす事で壁に刻まれた文字たちが踊っているよう。機械が読み取り翻訳を画面に映し出すも今のノースにはそれを読む余裕すら残されていない。

 進み続ける事で手掛かりは得られるものだろうか。ただ進んだところでキリンを目覚めさせる手段など知識の中にはない。働く知恵もこの頭には宿っていない。

 カンテラが灯りを保ったまま、先の床を映す事をやめてしまった。目を凝らすとそこには大きな虚無、大きく広がる穴があり、ノースはそれを目にするだけで失神してしまいそうな眩みを覚える。きっとこのまま下りたらその先にノースの命など保証されないだろう。

「なんて大きな穴だ」

 その一言を合図にきつねたちはそれぞれに用意を始める。置かれた机と上に撒かれるように塗り付けられた黒い円。丸みを帯びた葉っぱが大量についた細い枝を振りながら彼らは踊り始める。それは如何なる儀式なのだろう。きつねたちは枝を手に、大きく手を振り葉が擦れ合う音を立て始めた。

「まさか餌の音で起こす儀式とか言わないよな」

 言語は通じない。しかしながら彼らに問いかけた事の意味は理解しているようできつねの内の一頭が大きく頷き、草を必死に揺らす。餌を用意する役割を背負ったきつね以外にも動く小さな影があり、それは壁の文字を写しているように見受けられる。

 次にノースが小さな影を意識した途端、文字を写していたきつねはカンテラの明かりで紙を照らす。そこに書かれた文字を読んだ機械はノースに龍の弱点を告げる。

 そうしている間にも微かな明かりを遮る影が一つの大きな生き物の行動の破片を映し出し、ノースの中に驚愕の情を植え付ける。

「キリンってまさか。これが」

 影しか見えないものの、そこに映された長い首をノースはこの人生で初めて目にしたものでただただ驚きに支配されるだけ。

 やがてきつねたちが葉のついた枝を投げ入れることで穴から微かに顔を覗かせたそれは大きな揺れを巻き起こした。

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