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集いし者たち

 獣は走り出す。この星で生まれた者の中で唯一の生き残りの音を奏でながら走り出していく。柔らかな毛に覆われた背中に乗っているユークは景色の味わいなどをつかむ余裕も無いまま心臓の鼓動に耳を傾けていた。

――ユーク、余裕がないね

 心音はしっかりと伝わってしまったのだろうか。ユークのみに埋め込まれたテレパシー、片方しか持たない通信機構はみーちゃんの心の声をしっかりと拾い上げる。片方が送受信の両立を担っているのであれば余程の疲弊や過度の緊張を持たない限りはユークに向けられた言葉程度は拾い上げるものなのだろう。

――大丈夫だ、みーちゃんがついているからな

 途端に動きの雰囲気に乱れが生じる。風の動きに不規則な感触が混ざり足の動きは速くなったにもかかわらず進みは遅くなったように見受けられる。背中しか見えないものの、表情が蕩けてしまっただろうかと想像していた。

――大丈夫か

――大丈夫、ユークがついてるから

 心の緩みは愉快な心象を形にして森の深緑を少々和らげているものの、出口へと向かう彼らにとっては決して都合が良いとは言えなかった。

 しかしながら生まれ落ちた油断を拭い去ることは出来ず、浸り続ける二人の夢見心地。深みに落ちていたみーちゃんは突然慌てて斜め横へと飛ぶような一歩を刻んでユークに驚きを与えてしまう。ユークの目に遅れて映った一本の銀線は甘い心情を引き裂くように空気の層を幾つも貫き大地へと張られる。通り過ぎ行く着地点に目を向け、続いて体を起こして後ろを振り向き切れ長の細目を、クルミ色の目を見開いた。

――クモが追って来やがった

――狙った獲物は逃がさないつもりかな

 獲物を狙う側だと思っているクモを獲物にすべくポケットからある種の得物を取り出した。黒々とした輝きを放つそれはこれまで使用を控えていた武器。

――こんなところで使い時が来ちまうなんて

 クラゲに立ち向かうのであれば斧で充分であるが故に無為な使用は資源の無駄。クジラに放つには距離が遠すぎ、人型の鉱物生命体の本体に向けて撃つのは有効であったものの尻尾や翼で防がれてしまうため使用する事のなかった拳銃。

――地球が生んだ殺戮の結晶の出番は今の地球にはなかったみたいだな

 激しい揺れの中、震える銃口で狙いを定めるには非常に高度な集中力を要するという事は現場での即興の学び。初めて生まれた状況の中で大きな的へと狙いを定めつつ、放つべき時を探り続ける。

 クモは十本もの足を動かしながら寄って来る。必死にも見える程の忙しない動き、細長い棒状のものが幾つも連なるような様は嫌悪感を呼び起こすのに充分すぎた。ユークの知るクモよりも多い脚の集まりがより強い嫌悪感を呼び込んでしまう事。

 次第に近付いて来る。視界を埋め尽くす幾つもの目玉が異界のような様を、異様な宇宙を描いているようで。

 ユークは引き金に掛けている指に力を込めた。メリーが戦いの度に取っていた行動をなぞるように、己の無駄な感情を乗せないように。まるで自動的に引かれたような装置は定められた作用を施して銃口から耳をも裂くような破裂音と蒼黒い塊を放出し、クモの頭へとめり込み視界から失せてしまった。

 仰け反り脚を止めたクモの様子を窺い効果を実感して。発砲よってにかかる衝撃の強さはみーちゃんにも強い負担をかけてしまうもののみーちゃんはすぐさま態勢を立て直して駆け出す。ユークは再び拳銃を構えてクモを睨み付ける。

「痛みが欲しけりゃもう一度来い」

 言葉は伝わらないだろう。しかしながら言わずにはいられなかった一言がユークに気付きを与える。間違いなく興奮していた。身を震わせるほどの高揚感に浸されていた。感情に脳は侵されていた。

 クモは体を揺らしながら立ち上がり、懲りることなくユークたちに目を向け再び走り出す。一瞬立ち止まったかと思うと跳び上がり、二つの命に鋭い脚を向ける。

――飛びついて来た

――跳躍

 声なき会話は素早い連携を生み出し、みーちゃん脚に力を込めて右へと逸れる。跳び上がったのは虫と獣の二つの体。同時に足を着く二つの命。激しい揺れがみーちゃんのバランスを奪い去り、みーちゃんは踏ん張り動きを止めてしまう。

 その瞬間の事だった。ユークはみーちゃんの体から降りて拳銃を構え、狙いを定めるまでもなく引き金に指を掛けてそのまま銃弾を撃ち、視線は自然と蒼黒い線の描く方へと突き進んでいく。直線を進むそれ、回転しながら進んでいるという弾はユークの目では捉えることも出来ない。ただ進んだ線がクモの真横を通り抜け、その勢いを持て余すだけに留まった。

――外した

 舌打ちを交えながら少々の荒々しさの混ざった手つきで再び構えるものの、クモの脚が勢い任せの突きをユークの身を引き裂こうと接近するのを目にして素早く回避の姿勢を取る。

 斜め後ろに飛び退いた脚は更なる動きを刻み、着地の態勢を整える。地面に着いた足に四方八方から伝う感覚に顔を歪めながら全ての力を流す場を瞬時に探り当てて軽く飛ぶ。この星の物理法則との闘争からの逃走の果てに森林特有の湿った空気を吸い込み、神経を研ぎ澄まし目を見開いた。

――感情に流されるな

 例え世界に流れる力の仕組みや方向性が異なっていようとも人間の意思や感情の形は同じ。脳内を流れる物質の方向性の相違による影響は幸い行動系にしか見られない。

――構えろ

 研ぎ澄ました殺意は銃口に込められている。冷静の言葉を取り戻したユークに宿る感情は火薬と銃弾、本来混ざり合うはずのないそれらと交わり強力な反応を引き起こす。

 己の目はただ現実を映し出すレンズに過ぎない。呼吸は活動を続けるための機能に過ぎない。伸ばした手、引き金に掛けられた指は複雑な機構を持つ文明の単純なる一撃の放出の合図を与える道具に過ぎない。

 クモを凝視して、拳銃を握り締める手に、指に力を込めてただ一つの小さな音を。同時と錯覚してしまう程に素早く響く破裂音に意思も行動も痕跡を掻き消されて。銃弾はクモの頭を見事に貫きユークは即座に構えを取り直す。

――まだだ

 クモは撃ち込まれた蒼黒い異物の打撃に激しい熱を感じながら体を上げ脚を必死に動かしていた。行き場のない感覚に混乱しながら藻掻く生き物の腹に向けて更なる銃弾を放った。

「八本脚でタコの混ざったクモの方が恐ろしかったな、デザインのミスだ」

 勝利の時だからこそ告げることの出来る逃げの如き強がり。十本脚の巨大なクモというだけでも全身を巡る寒気は這いまわる虫のような気味の悪い感情を形にしていた。

――やったね

 みーちゃんの声に一度頷きユークは再び柔らかな背に跨る。やせ細った獣はそれでも強靭な肉体を持っているよう。この体のどこに筋肉を隠し持っているのか気になって仕方がなかった。

 駆け抜ける獣にはいるべき世界というものがある。みーちゃんはユークについて行きたいと述べる事だろう。しかし他の星の法則に従って行動を取る事など可能なものだろうか。確かに先ほどは一緒に行こうと話していたものの、感情を抜いて語るならば紛れもない愚策。

 現実に目を向けるのであればこれがみーちゃんとの最後の調査なのだとユークの中で語られては湿ったエンドロールが流れ始める。

――あいつらほど分かりやすい感情が無くとも芸術を嗜む程度の造りはしている

 音楽や物語を楽しむ時、その最後の展開を、別れを迎える時の寂しさを現実で目の当たりにしてしまったユークの中に流れる感情は画面の向こうの世界とはどこか異なって映る。

「なあ、みーちゃん。この旅が終わったら」

――嫌だ、影の人たちはぼくの事どうにも思ってないんだよ

 幾つかの獣が木々や背の高い雑草の隙間からみーちゃんを睨み付けては声を上げようとするものの、喉は音を奏でる事など出来ないようで。

――あの塔に閉じ込められてから与えられた餌しか食べられないし、その度に喉が苦しくなっていくんだ

 彼らの嫉妬は遺伝していくものだろうか。ユークの理解の範疇に収まらない行動はみーちゃんとの別れが適切ではないと答えを弾き出す。ユークがこれから取るべき行動を導き出す。

「分かった。さっき言った通りみーちゃんは連れて行く」

 空気を吸う音から始まりか弱くありながらも微かな明るみを帯びた鳴き声はユークの決定に対する歓喜の声なのだとすぐさま悟らせる。

「動物を虐める高度知性体と一緒に住ませるわけには行かないからな」

――ユークも嬉しそうだね

 みーちゃんは走りながらユークの言葉を受け取り軽く弾んでいた。そんな体にかかる木陰の姿はいつの間にか消え去り、過度な眩しさが二人を迎え入れる。

――影の奴らに捕まらないように駆け抜けろ

――モチロン

 鋼鉄や石を敷き詰めたように見受けられるそこ、固い地面はみーちゃんにとって苦ではないのだろうか。不安が蔓延って仕方がないが彼の事を信じるしかなかった。

 走り抜けるみーちゃんの目は薄っぺらな影の姿を三つ映す。それぞれが手を軽く広げてみーちゃんを迎え入れようと近寄りながら言葉を流し込む。

――お帰り、おいで、ガルミシア

 しかしながら速度を緩める素振り一つ見せずにみーちゃんは通り抜ける。通り様に影の表面だけの優しさを張り付けた薄っぺらな笑顔を目にして更に速度を上げる。毎日の食事に毒を盛っている人々の表情だと思うだけで湧いて来る激しい吐き気を噛み締めて。空から注がれる輝きの重圧も無視して走った果てにユークの舟へとたどり着いて。

 ユークを降ろして共に舟に乗り込もうとするも踏み込んだ一歩が不可思議な動きを取って外へと弾かれる。

「地球の法則だったな」

 ユークはみーちゃんを中へと引き摺り込み、タルスを手で招いてすぐさま出発を要請した。

「動物に毒を盛る最低な生き物が来る前に出るぞ」

「そういう事か、そこの子は」

 ユークの指導を受けて四本の脚を不規則に動かしつつ、少しずつ動きを整える。そんな微笑ましい出来事が進んでいる間にもタルスは舟を操作して空へと向かって行く。星の影響の届かない暗いはずの場所。宇宙空間はもはや太陽の射し込む地球、否、それ以上の眩しさに充ちていた。

 舟の中にまで伝わるメリーの声がユークとみーちゃんのじゃれ合いを止める。彼女は舟の状況になど構うことなく指示を出す。曰く、ジェードルのいる獣人の星へ行け。言葉に従うしかなくタルスに伝えて再びみーちゃんとのじゃれ合いを再開し、少しずつ動きがぎこちなく、しかし的確になっていく様を見て撫でて。

「ユークとそこの、みーちゃんだったか」

 タルスの言葉を耳にして二つの顔は同じ方向へと定められ、タルスが続けて紡ぐ言葉をしっかりと受け取る。

「そろそろ着く。振動に備えて席に着いてベルトを締めろ」

 ユークは慌ててみーちゃんを抱き締めて席に着き、ベルトに手を掛けそのまま引き延ばす。みーちゃんがユークの手に目を向けている姿に目を緩めながらベルトを締めて口にした。

「ベルト装着完了」

「行くぞ」

 タルスの言葉を合図にしたかのように舟は大きな揺れを起こす。一瞬の停止は同乗者に圧力を掛け、負担が失せると共に画面に映る星々が目にも止まらぬ速さで動き始めた。

 宇宙を突き進み、色すら見えない薄い膜が掛かり、それでも速度を緩める事はない。見えないにもかかわらず存在を認識できる次元の膜を突き破って更に突き進む舟の画面に映し出された景色はこの上なく白い光景。輝き一色の空を通り抜けて目に入った星はメリーの輝きの反射で強い輝きを放ち、宇宙の現象に身を任せているよう。

 やがてたどり着いた星。舟の扉は開き、ユークとみーちゃんは真っ先に外へと出て澄んだ空気を思い思いに吸い込み、続いて眩しさに染められた目を休めて。

 遂に映し出された景色にユークは目を疑う。驚きに振るわされた心は這い上がって来た言葉を喉元で止める余力すら残しておらず、声となって零れる。

「なんだ、これは」

 反射的にみーちゃんへと目を向け反応を窺ってみたものの、みーちゃんもまた同様の反応を示しており、この景色が輝きの残像や幻覚の類ではないのだろうと思い知らされた。

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