安全
暗闇の世界に流れる一つの映像は強く明るく。かつて地球に根強い人気を持った娯楽として広がっていた映画というものに近い感覚だろうか。ユークは身動きを取る事も叶わず、目を閉じてみても意識を遠退かせようとしても目の前に張り付いている映像を渋々受け入れる。
太陽の輝きは力強く、しかしながら降り注ぐ熱は見た目ほどの主張を成さない。ユークが日頃見つめている視線より明らかに低い地点を捉えており、登場人物が如何なる存在なのか思考を巡らせる。
――ガキだな
しかし、ユークがガキと呼ぶ人物もユーク本人も今目の前に映し出されている大空の前ではどんぐりの背比べに過ぎない。
画面の中の大空が揺れ始め、雲は緩やかな自身のものとは異なる動きを取り始め、今を見つめている子どもが歩き始めた事を知る。
歩き出した先に立っている男が子どもに気が付いたようで大きく手を振りショートブレッドを差し出す。
「ユーク、元気にしていたか」
元気よく返事をする子どもの目に映る男の顔は太陽の照り付けによって現れた影に塗り潰されてしまっているものの、声はあまりにも鮮明ですぐさま正体を悟らせる。
――父か
だとするとこの光景を見つめているのは子どものユーク、映されているのは過去の実像か脳裏で作り上げられた幻像か。
「ユークは海を知っているか」
「うん、前にもお父さんが言ってたから調べたよ」
地球の中で、紅の都市での仕事の中で思い返していたあの会話は父が度々していた。ユークの中に海への憧れが根付いているのは彼の言葉が未だに絡みついている証拠に他ならない。
「揺らめく青がずっと広がってるんだってね。塩の香りと海の生き物たちが生きた証が鼻を突く場所」
文字と絵、保存されていた映画やドラマだけでどうにか紡いだ景色は確かに生きている。本物を見てみたいと思わせるほどには強く命の脈を打っている。
「そうだな、本物は物凄いんだ。俺が外出調査員にいた時には海に金属が浮いていてな」
破滅の雨が混ざりギラギラと大袈裟な輝きを放っていた海は人間の目に映されることすら歓迎していなかったのだという。
「いつの日か鉱物生命体を狩り尽くして海に浮かぶ金属を除去したら本物を見られるだろうか」
そんな言葉、たった一つの願いがユークの中で揺らめく灯火となって好奇心と衝動となって胸を激しく叩き始める。
「俺も外出調査員になる、そして海を、きれいな海を見るんだ」
「そうか。ただし一つだけ守れ。戦いの中だけでもいい、感情を抑え込むんだ」
余計なものは目的への進行を妨げてしまう。大切なものを守るために全てを隠して演じ続ける事。ユークの頭に手を置いてそんな話を続ける彼の顔は相変わらず陰に隠れていたものの、穏やかな笑みを浮かべている事だけは見て取れた。
「到達の時まで俺たちは泳ぎ続けなければならない。この残酷な海の中を」
父が指した先に揺らめく海は薄青い金属と陽ざしだけで奏でられた偽りのもの。映像で見た海とは異なり水がない一方で色合いの儚さを含むそれは荒野に息づく乾いた海。そこに生きるクラゲたちはいわゆるケイ素生物のような印象を抱かせるものの、地球、現在の技術では科学的考証による分解が出来ない存在だという。
「宇宙から降って来た金属だ、空の向こうにも不明は広がっているようだな、海にはもっと広大な不明が閉じ込められてるそうだ」
そんなやり取りが流れている中で画面は遠ざかっていく。手を伸ばそうとするものの身体は動くことなく、目を凝らして父の姿を少しでも長く見つめておこうと必死になるものの画面は容赦なく遠くへと流れて。小さくなっていく映像はやがて目前から失われ果てしない暗闇が訪れた。
勢いよく見開かれた目は果てしなく深い深淵を覗いていた。そこへと吸い込まれるように体を起こしたユークが次に目にしたのは金属質の輝きを放つ壁。ユークの腕に絡みついている毛の柔らかな感触にくすぐったさと優しさを見て隣へと目を向ける。獣の赤みのかかったクリーム色の尻尾が絡みついており、穏やかな表情を浮かべたまま静かな寝息を立てる獣が体を微かに膨らませては萎ませる姿を見つめる。
「助けてくれたんだったな」
この獣が森まで来なければユークの命は確実にこの地に散っていた事だろう。毛に覆われた細い脚を見つめたまま一息ついて、決して届かない言葉を静かに告げる。
「ありがとう」
和みながらもうひと眠りしておこうと寝転がったその時、薄く大きな影が視界を覆う。ユークは体を起こし、影の方へと目を向ける。
「起きたようだ。ガルミシアが匂いを嗅いで追いかけていたようだな」
「もっといい名前はなかったのか」
脳に直接焼き付けるように語る影の言葉に頭を押さえつつ話すユークの歪んだ表情は彼には見えていないのだろうか。調子を変えることなく言葉を送り続ける。
「治療と共に一つの実験を仕込ませてもらった」
「安全な実験だろうな」
「さあどうだろうか」
相手に黙って異様な施術を行なう彼らの倫理観に呆れを覚えつつも心を耳のごとく傾ける他なかった。
「ガルミシアに想いを伝えてみるがいい、口を使わずに」
彼らの日頃の会話と同様の強さのテレパシーを扱えるようになるか、といった実験だそう。人間という種族にも同じような伝達方法が宿るか確かめなければ気が済まなかったのだろう。
ユークは毛むくじゃらの獣の耳に意識を向ける。やがて体全体へと視線を移しながらやがては顔へと流してみせる。
――元気してるか
ユークの思念は獣にいかなる形で伝わったのだろうか。赤みのかかったクリーム色の体毛をふわりと膨らませながら何度か飛び跳ねてユークの手に頭を擦り付ける。
「元気してるよ」
男の子の声が響く。ユークは目を疑いながら獣の方を見つめると再び獣の声が、先ほどよりもはっきりと届けられた。
「この会話の方法って自分は出来なくても片方が出来たらその相手とだけ出来るんだよね」
――ここまで意図的に伝達を絞って的確に出来るのか
「コツは必要だけど」
恐らく彼は常に周囲に居座る影のような者どもと幾度となく会話を続けてきたのだろう。獣は回転するように素早く体を振り、高く穏やかな鳴き声をユークの耳に染み渡らせて言葉を続ける。
――楽だから頼りそうだけど口が退化するからちゃんと喋るんだよ
獣の言葉を脳裏に刻み込み、数秒の沈黙を置いたのちにユークの首は素早く縦に振られて口を動かす。
「そうだな、だが今も口で喋っているか分からない、実感が湧かないな」
「実験は成功だ」
彼らの会話に割って入った影は声と共に心まで忘れ去ってしまったのだろうか。獣があまり寄り付かない理由が何となくという曖昧な言葉を添える程度の深度とはいえ理解できたような気がした。
「俺は仲間に色々と報告ともう少し調査を続ける」
ユークが手にした斧。何度鋼鉄の蜂を叩いても破片の一つさえ零さない強靭な凶器、人類の狂気と希望への渇望の狭間で生まれたそんな武器の表面へと目を流し、斧の腹が微かに欠けている事を知って影の方へと振り向き訊ねる。
「この武器が欠けているが、お前らの仕業か」
「ああそうだ」
影は目を細めて答えるだけ。そこに人間の持つ感情とは別のものを感じてしまう。つまるところ一言の確認や許可といった常識は通じないのだろう。意思の伝達すら口で行なう事の限界を乗り越えて無遠慮に心の中へと入り込むのだから。
「それ、お前らの動きを解析したところ別の星のものだと想定できる」
ユークは頷きながら心から声を振り絞り、口を動かすことなく淡々と会話を作り上げてみせる。
――俺の住む星では隕石とか落ちて来るものだ
「それを超えて別の法則を感じるがそれは気のせいか」
獣の方へと視線を落とすも、獣は何も知らないかのように可愛らしく短い鳴き声を何度も口にしながらユークの周りを歩き回り、何度も尻尾を脚に当てていた。
「気のせいだろうな」
その言葉を最後にユークは建物を出る。固い塔にも柔らかなベッドなどは用意されているものだと改めて思い返しながら獣の背中を撫でながら歩き続ける。
「ついて来たな。この星の外まで来てくれるか」
ほんの冗談のつもりで告げた言葉でしかなかったものの、獣は安らかな笑顔と共に肯定の返事を見せる。口で伝えた言葉まで通じるのは、人に対する効率的な返しまで習得しているのは影と繋いできたコミュニケーションの賜物だろう。
――あの影、こっちのプライベートとか心地のいい距離感とか知らないしそういうの覚えてないんだ
進化と引き換えに失ってしまったというべきか口と共に心まで退化してしまったというべきか。選ぶ言葉に迷うもののそこで思考を引っ込めてタルスの元へと一旦帰還すると彼は余韻の一つも残さずにユークの報告を催促した。
「調査の結果を聞こうか」
ユークは口を結んだままタルスの脳の中へと言葉を投げ込むように意思を差し込んでみせた。
――改造を受けた、あいつらの会話は基本テレパシーらしく俺も同じ方法を埋め込まれた
恐らく初めての感覚を見事に味わったのだろう。濃厚な経験は彼の表情に彩りを与え、好奇心は電流のように流れる。ユークはそうした感情の変化までが見えてしまう変化を見てかつての不自由を恋しく思ってしまう。
「すごいなその会話方法。俺もやってみたいが」
「実験としてやられたから行っても施してくれるか分からないぞ」
タルスの好奇心は届かないものだろうか。ユークが受けてしまったそれは彼にとっては機会の損失。知識欲は彼の身を動かすに適さず仕事への対応のみが体を馴染ませた。その結果がタルスの欲を充たさずユークに大量に注がれてしまうという事実。
「そうだな、俺は海が見たいだけだ。他の事は仕事に過ぎなかったはずだが」
柔らかな毛並みにくすぐられる手は神による意地の悪い恵みによって様々なものをつかんでいるように思える。
「あと俺が倒れている隙に影が斧の分析を始めやがった」
「敵対勢力で無い事を祈るばかりだ」
タルスには人と友好関係を築くことの出来る獣と謎の影の生体とテレパシーの人為的な発現について記録するよう申して輝きに満ち溢れた星の中を進み始める。メリーが作り上げたと思しき輝きの中でユークは獣と共に眩しさの鬱陶しさを語り、森の中へと足を進めた。




