可能性の光
いつも以上に快調な足取りで進んでいく。見上げた先に息づく大きな輝きは強くありながら目には焼き付かない。建造物に入るまで存在を認めなかったそれは確実といってもいい程に正確に影の如き異星人の言葉の正体を表していた。
「あいつら、この事だったのか、近くの宇宙の異変」
近くの宇宙で何かがあった、彼らの言葉を報せるべく視線を落とす。見下ろした先にあるものは自分を受け入れてくれる場所。拠点としてこの上なく相応しい舟の存在があった。
この星での行動に悪戦苦闘していたはずの老人の姿はなく、ユークは鼻で笑いながら舟の中へと戻っていく。
「あの老いぼれ諦めたのか」
声はただ一つの音として響き、タルスの感情とはかみ合わない。彼は今、恐ろしいまでの慌てようを見開いた眼と珍しいまでの大袈裟な手ぶりで表している。
「あの老いぼれ医者がいない事と関係あるのか」
ユークの言葉を受けて今まで声に出す相手もいなかったタルスが驚きをおもむろに現し始める。
「大変なのだ、マルク医師が突然消えた」
「はっ、遂に寿命を迎えたか」
容赦のない冗談が力強く叩きつけられる。その声に、不謹慎な発言にタルスは顔を顰めずにはいられない。
「目の前で突然消えた。寿命でそれはないだろう」
しかしながらユークは一歩も譲るつもりがないらしく、正面からタルスを見つめたまま言葉を放つ。
「この星の法則の可能性があるな、考慮するべきだ」
それから一息を置いて話題を変えてユークはこの世界に迫っている危機であるかもしれないあの事を口にした。
「鋼鉄の塔の中の薄っぺらな影が近くの宇宙で何かが起こったとか言ってたな」
タルスはどれ程の驚きを抱えた事だろう。異星人が存在したことから言葉が通じる事、近くの宇宙で起きた異変。理解は追い付くだろうか、情報を頭の中に落とし込むことは可能だろうか容易だろうか。
「一つずつ訊こう、異星人はどのような存在だった」
「薄っぺらな影で言葉ではなく脳内に直接語り掛けて来やがった」
それ一つでタルスが知りたかった情報は三つ手に入った。彼らの姿とユークがコミュニケーションを取る事が出来た理由に付随して生態の一つ。
タルスはキーボードに文字を打ち込む。ユークは次の言葉を待ったものの打ち込みが終わるまでは動きそうにもない。やがてユークの方へと向き直り更に訊ねる。
「では、異星人は食事を必要としたのか」
「食の話は今のところ出ていないが未確認だ。緊急で戻ってきた理由は異変の件だからな」
嘘は何一つ入れない。タルスとの会話では余計な装飾は不要、それがこの伝達に小さな滞りをもたらしていく。大量に集えば無限の時間の無駄、際限なく要らない瞬間を収集する相手ではない。大きな信頼を持っている同乗者の存在はありがたい。
「異変とは、あの輝きの事か」
「かも知れないな」
タルスも気が付いていたのだという事を確認する。マルクが突然姿を消したことと関係があるのは明白。認めないのは愚者たる証を受け取る行為だった。
「ところで話を戻すが、他に生物。特に食用になりそうな生き物はいたか」
彼の中ではマルクを消した輝きなど調査の対象ではないのだろう。来るべき時が訪れた瞬間に注視するだろうという推定される。
「食用にはなりそうもないが赤っぽいクリーム色の毛に覆われた大きめの獣ならいた」
タルスの目に輝きが差し込まれた。彼の瞳の中で小さな宇宙が活発に輝きを灯し、希望の示しを見出す。
「そうか、なら他にも生き物がいるという事だ」
例の獣を食べるべきだとは告げなかったことに感謝を込めつつ、あの獣の気怠さに充ちた顔を思い出しながら頬を微かに緩める。誰にも気付かない感情の動き。タルスからすれば無表情に疲れて軽く動いた程度にしか捉えられないだろう。
「食用の生物を見つけて規模さえ分かればあとは大規模の引っ越しだ」
マルクが突然消えたという事に関して懸念は残るものの、それはあまりにも特殊過ぎる事例。今回の場合は無視することとした。
「再び行くのだ、ユーク」
タルスの言葉に従い一度首を縦に振り、舟を飛び出す。輝きが黒い空にぽっかりと大きな穴を空けている現状を睨みながら進んで行く。これ以上広がるようであれば手始めに対処すべきことの候補に入ってしまうかも知れない。影が告げた事から推測するに調査の中断から別の宇宙に行っての対処と戻ってきて調査再開と言ったところだろう。あまりにも面倒な手間など掛けたくない。それが本音。
先ほど歩んだ道は今日だけで何度踏まれた事だろう。鋼鉄の塔を通りかかる際に一旦中へと入り鉱物性のグローブを外して獣を撫で、再び調査へと戻る。
歩いて行く中で気になった言葉を思い返す。彼らはこの星の中で発生が可能な種はあの獣だけだと言っていたではないだろうか。
森を見つけて流れるように身を放り込む。中を歩き続け、色とりどりの木の実が目にうるさくありつつもありがたい。
恵みだ、そう感じた瞬間にユークは崩れるような形の不安定な動きを取る。
先ほどまでいた位置へと向けて引かれた白銀の一線を目にしてユークは固唾を飲み、背中の斧へと手をやる。
――地球の法則での動きなら終わっていたな
背中に括りつけられていた斧は背を離れて自由を得る。構えてそのまま白銀の線を描いた方向へと視線を定め、耳は別の方向から気配を見つけて繰り返すように不安定な動きを取る。白銀の線はユークの背をかすり、地面へと。突き立てられた針状の物、その正体は如何なるものだろうか、ユークにはまるで分らない。
――これは戦う以外にないな
恐らく平和的解決は望めない。鋼鉄の塔に住まう者によれば発声の出来る種族などあの獣のみ。コミュニケーションの手段は種により様々であるものの、ユークに対しては敵対というコミュニケーションを選んでしまったという事。
――後悔させてやろう
振り向いて一線の根源に向けて勢いよく飛びつき斧を振るう。何かを叩く音と共に銀色の蜂が地へと落ち、重々しい音を立てた。
「こいつ」
ユークは脅威の正体に驚異する。金属製の虫、ユークが生んだ亀裂からは薄緑のオイルの如き液体が溢れて地を濡らす。
ユークの背に向けて吹き込む風と安定した動きによる回避。しかしながら白銀の一線はユークの頬の表皮を抉り出血を許してしまう。
途端の事だった。身体中に熱が回り始め、ユークの脳は危険の報せをけたたましく鳴らし始めた。踏ん張ろうにも足はふら付き簡単な移動ですら関節が悲鳴を上げてしまう。
咄嗟しゃがんで更に飛んで来た針を、寸の時も置き去りにして空間に加えられた白銀の線を躱し、正面へと突撃を決める。
目に入った三匹の蜂、その存在を認めた途端ユークが取る行動など過去から引き出される一つのもののみ。
勢いを付けて過去から引き摺る一撃を、顔を顰めながら斧にかかったいつも以上の重みを振り回して蜂を二匹叩いて。そこで跳ね上がった斧を微かに傾け再び落として残りの蜂を仕留める一撃がユークの意を超えて咆哮を上げる。無機質で鋭い金属音の咆哮、ユークのどこか遠く感じられる意識の中ではそう判断するのが精一杯の音を耳にしながら蜂の落下と戦いの幕が落ちる様をその目に捉えてはため息をつく。
――帰ろう
これ以上の外出調査は望めない、この体調では臨めない。判断はすぐさま帰還の行動を取るものの、余裕はもはやどこにも残されておらず一歩を踏み出す事すら苦難の悲鳴を呼び起こしてしまう。踏み出した先の地が常に痛みの中心地。
このままではたどり着くまでに命を落としてしまう。大切な想いも守るべきものも全てその手から落としてしまう。ユークに刻まれた想いは心臓に刻まれた焼き印。
――生きろ、ただ、生きろ
ユークは己の心にそう打ち込みながら動き続ける。それだけで、その想い一つでかろうじて動くことの出来る体がそこにはあった。
森を抜け出せるだろう、確信を得て微かな希望が思いの崖の底を照らそうとしたその時の事だった。
ユークの視界へと飛び込む三本の爪、襲い掛かって来るハクビシンを思わせる姿をした緑の顔。
――気が付かなかった
保護色の優秀な働きを今この目にしてユークは慌てを覚える。斧を振り回そうにも既に腕に力など入る事無く斧はただ地を引き摺りユークの動きを邪魔するだけに留まっている。
獣が空中からの襲来を成功させようと、爪による一撃を浴びせようとしている。猶予時間はどれ程だろう。もはやユークに生存の時間を選ぶ余裕など、生き延びる時を引き延ばす事など出来るはずもない。
獣の爪が先ほどよりも迫って来ただろうか。視界は何度も相手の動きが停まったという錯覚を挟みながら終わりの時を迎え入れる姿勢を取り始めていた。
少しずつ、確実に近づき、爪はユークとの隙間を埋めて。もう少し、もう危うい、あまりにも冷静に己の終わりを分析しているユークを支配する感情など諦めに他ならなかった。
遂に目と鼻の先まで迫り、無念と別れを心の中で告げようとした時、緑の体は横薙ぎの方向転換を描いた。
ついて行くように赤い毛を靡かせるそれはユークの心に余裕を産むにはあまりにも遅すぎた。
「来てくれたのか」
赤みを帯びたクリーム色の毛に覆われた獣はユークの頬をなめながら服の襟を加えて背中へと放り込むように載せる。
そのまま駆け出して向かう先など思考を痛みと熱に支配され気怠さに充ちた感情の水溜まりに顔を映すユークにも分かった。
鋼鉄の塔、それこそが彼が運ばれる先。蜂の持つ毒を完治させる薬を持っているのだろうか。果たしてあの影のような生き物が人間の体の扱いを理解しているだろうか。
塔の中に運ばれてきたユークの姿を見るや否や影の薄っぺらさを持った生命体は驚きの言葉を流し込む。
「ああ、猛毒の蜂にやられたな」
そう言って影の者は薬をユークに飲ませ、柔らかな布のような白い袋を頭に乗せる。冷たい感触と固く細かな角を感じて恐らく氷水だろうと想像する。その間、獣は行儀よく座りユークの手を欲するように見つめていた。




