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安らぎ

 階段を上っていく。段数を刻むも未だに不安は付き纏い強く刻まれる。ここで見つかってしまえば怪しまれることは確実で場合によっては処刑が即時に執行されることもあり得るだろう。冤罪が失効する事はあり得ないにもかかわらず。

――頼む、俺はリニに会いたくて仕方がないんだ

 足は早まり音は闇の中で乱雑な余韻を残す。階段を上り終える事で辺りを見回す事でようやく安心感が確かなものになったのだと実感して。それと共に大きなため息が零れ落ちた。

「じゃあ、俺はリニに会いに行くから」

 メリーは呆れのあまり目を伏して、ゆっくりと首を左右に振りながらぽつりと言葉を地面に落とす。

「どうしてもその女の方ばかり見るのね」

 顔を上げ、ジェードルを真っ直ぐ見つめる黄金の瞳。そこに宿っていたはずの自信は見る影もなく、弱々しさが表で騒いでいるよう。

「私の事、考えてくれないのね」

「ごめん、考えられない」

 即答、ジェードルの想像よりも大幅に型が明確な言葉に自身までもが驚き目を見開くもすぐさま真顔を作り、流れた沈黙を拾い上げて重々しい口を開く。

「俺の本音を知ってて言って、俺だけじゃなくて彼女の事も考えない」

 リニの顔が脳裏に浮かぶ。ひまわりを思わせる輝かしい笑顔に太陽にも負けない元気、時として機嫌を損ねてジェードルを責める姿勢。その全てが愛おしい。

「メリーのそういうところ、ズルいよな」

 メリーが告げる言葉は彼女との関係を思い出に変えようとしている事だけに留まってはくれない。リニと話す度にメリーの悲しみがチラついてしまうかも知れない。美貌に似合わぬ弱々しい顔がこれから作り上げられる思い出の片隅に入り込んでしまうかも知れない。

「今度こそ行くから」

 そうして足音を響かせながら進む。背後の影はより深く感じられてしまう。メリーを癒すのは時間か人間か。

 女の部屋、そのドアを何度か叩いて待つ事三秒程度だろうか。勢いよくドアが開きいつもの笑顔が飛び込んで来た。

「お疲れジェードル」

「リニ、会いたかった」

 彼女は手招きをしながらジェードルを部屋へと案内する。手の動き一つが愛おしく、つい頬が綻んでしまう。

「裁判の結果はどうだった、って訊くまでも無いか。無実だし」

「いや」

 実の無いそれは罰という徒花を咲かせてしまった。裁かれてしまうという事は次の実も生らない花という事。リニとのこれからの生活を妄想の世界に収めなくてはならないという実感はジェードルの顔に影を落とす。

「有罪だ。公にとって俺は都合の悪い存在だと判断されたんだろう」

「それってさ、自分たちのためなら平気で人の一生を台無しに出来る制度って事だよな」

 リニは眉をひそめ、しばらくジェードルを見つめていた。彼女の笑顔は曇り空に覆われてしまう。悲しげな顔が優しさを語っていた。

「最悪。人間の事なんだと思ってんだって話」

 怒りを言葉だけで露わにしつつ、それ以上の苦しみを許さないジェードルの行動にリニは目を見開いた。柔らかな感触が唇を結び、僅かに上を向いて赤毛の女を見つめるジェードルの顔はあまりにも近い。鼻同士が触れ合い、リニの身を甘い感情の帯で緩やかに縛り始める。

 やがて口を離し、ジェードルは数日後に執行される刑について口にした。

「俺は旅に出る。地球に代わる星を見つける事、それが俺に課せられる罰」

 リニの手を握り締める。柔らかでひんやりとしたその手は明らかに女の子のもので。骨っぽさをあまり感じさせない額も優しい唇も瞳も、見間違うことない女の子のもの。

「せめて、リニと少しでも長く一緒にいたいんだ」

 リニは眉を垂れ下げジェードルをしばらく見つめた後、浮かんだ疑問をはっきりとした声で捧げる。

「私でよかったのか、私は嬉しいんだけど、もっと美人と遊びたいとか男の子なら色々と」

 想いは本物だろう。ただジェードルはあまりにも女という生き物を知らな過ぎた。戦場や戦闘員、男の多い生活の中で触れ合った女など精々仕事の中で民間人と軽く話した程度。メリーの顔に惚れなかった責任の一端はリニという女への慣れがあるのでは、そう思わずにはいられなかった。

「ジェードルは私以外の女の子と殆ど話したことないだろ。もっとかわいい子がこの世に溢れてるから」

「リニはもっと顔に自信持てよ、地球の外から来た男にも通じる美貌なんだって」

 きっと彼はどのような美人を目の前にしようとも揺れる事はないだろう。優しさという餌にかかってしまうのではないか、といった疑問は残るものの、一旦仕舞っておくこととした。

「地球の外でしか通じない顔の間違いだって」

 そんな言葉も通じない。外の星からの訪問者は確実にリニの事しか見ていなかった。

「俺はただリニと一緒にいたい。最後の思い出になるかも知れないのに他の女となんて」

「どんだけ私の事好きなんだよ。視界が狭まってるじゃんね」

 どのような言葉をかけたところで意味を成さないだろう。リニは彼が最後の時という気分で選んでくれたという事を実感して明るい笑顔を咲かせる。

「ありがと」



 ジェードルを椅子に座らせてリニは紅茶を淹れる。湯気が昇り始め、頬にかかると共にリニの心情は大きく暴かれる。湿った頬は熱を受けて固く締まった肌をほぐして優しさを与える。

 自分の分としてコーヒーを淹れてミルクを注ぐ。無糖のラテ。リニの今の気分は甘さを極めてコーヒーに自然と美味をもたらしてくれることだろう。二つのカップとエッグタルトを立派な銀の輝きを放つトレーに乗せてジェードルの傍へと寄って差し出す。平常心の剥がれ落ちた笑顔は果たしてどのような姿をしているのだろう。もしかするとジェードルですら軽い嫌悪感を覚えてしまう程に崩れているかも知れない。

 紅茶とタルトを受け取ったジェードルはリニの顔を見つめながら目に緩やかな笑みを、頬に熱を蓄えながら口を開き始める。

「凄い顔してるな」

「女の子にそんなこと言うなって」

 リニの顔を見つめながら彼は紅茶を啜る。湯気は白く、しかしながら二人の感情を隠すための役に立ちそうもない。

「隠さずにそういう顔してくれるリニが好きだ」

「こんな酷い顔してるのがいいのか」

 素っ頓狂な声は部屋中に響き渡り、恐らく跳ね返って外には出ていないだろう。リニの感情でいっぱいになった部屋は果たしていつ膨れてしまうか、どれ程の情を閉じ込めどれ程で弾けてしまう事か。

「そう思ってくれるのはありがたいんだけど、気持ち悪くないのか」

 しばらくの沈黙と暑い真っ直ぐな視線がリニを射る。余計なものを何一つ表さない純白の表情が本来の強さをも超えてはっきりと届いてしまう。

「別に。他に誰もいないんだしちょっとくらい本心晒してくれる方が嬉しいってところだ」

 リニの口から声にならない笑いを引き出してしまう。吐き出される空気は衝動的に湧いた感情を自覚させ、更に頬を赤く色付ける。

「ちょっと塞ごうかその口」

 このままではリニの身が持たない。それ程までに甘い時間。一方でジェードルは目を白黒させながら言葉にする。

「なんで急に」

 理由は告げない。敢えて黙っているリニの想いは既に会話の中で出ている。歓喜と羞恥の波の挟み撃ちは確実にリニの身を削ってしまうものだ。

「ジェードルはさ、ユークとタルスにマルクおじさんが今何やってるか知ってんのか」

 リニには分からない。彼らの心はおろか、日頃の生活や好みすら見抜く事が出来ない。今も尚、人の心を見抜くことの難しさに頭を抱えつつ生きていた。

「急に話逸らして。照れ隠しか」

 ジェードルは彼らの事を推測でしか見る事が出来ない。個人の動きまで追う事は出来ない事など当然でしかなかった。

「みんなこの階層に籠るよう言われてたしな。マルクのおじいは多分一人の落ち着きに浸ってると思う」

「ああ、確かにそうかもな」

 飽くまでも推測。しかしながらリニにはそれが正解に見えて仕方がなかった。他の人物はジェードルにも分からないと言う辺り、人と関わる時間や質の重要性は本物だと思い知らされてしまう。

 途端に二人の心を打ち破るアラートが鳴り響く。誰かが取り決めたような心理の動きは二人ともに耳を傾けさせ、音声に集中の力を注いだ。

「クラゲが地下都市入り口周辺に集っている。破滅の雨が注いでいるためプロジェクトメリーを始動する、繰り返す」

 揃った動きは解きほぐされてジェードルはくつろぎリニは未だ緊張の余韻を残している。ぬるいコーヒーと共に想いを口へと注いで平気な顔を取り繕ってみせた。

「破滅の雨が降ってるからリニが出る事は無いぞ」

「分かってるしメリーは好きじゃないけどかわいそうじゃんね」

「確かに。ゲートを閉じるだけで充分なのにな。リニは優しいんだな」

 ジェードルの中に一つの想像が巡った事。表情に妙な色が混ざっている事は分かったものの、その中身にリニは気が付かなかった。



 一つの足音が響いて廊下は音を真似るように反響を繰り返す。金髪と黄金の目を持つ女は左右で姿の異なる腕を見つめ、拳銃を握り締める。

――骨格から考えるに右腕はルウと同じもの

 鉱物生命体。どこから訪れたのか分からない金属の星から地球を破滅へともたらす雨と共に降り立った生物は地球に住まう者から見れば異星人といったところだろうか。

――元々の姿はやはり本に書かれてたマリーという竜の少女かしら

 足の長さや太さもメリーのものと考えるには細すぎる。そのバランスに更なる違和感を覚えつつも同時に愛おしさを感じていた。

――あの子、腕は肉感あってセクシーで脚は細いのね。恩恵はいっぱい受けているわ

 駆け出して、ゲートをくぐると共に引き金に掛けた指に力を込める。座標を定める言葉を述べて力んだ指でトリガーを引くも、全ての音は雨音に掻き消されてしまう。

 心地の良い音に交じって立てられた金属が砕ける音でクラゲが破壊されたことを確かめつつ周囲への目を張り巡らせる。

 蒼黒い金属が液状化して注がれるその雨は地球で作り上げられる自然現象のものよりも視界を阻めてしまう。しかしながら彼女にできる事など我慢して戦う事。今のメリーの扱いを見る限り、処刑という言葉をちらつかせる上官の姿が容易く浮かび上がってしまうのだから。

 メリーは幾度となく弾が入っていない銃を撃ち、幾つものクラゲを葬りながら世闇と雨に包まれた戦場を踊るように駆け巡る幻想的な早乙女に成り切った。

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