残し事
作り上げられた快適感、作り上げられた生活圏、作り上げられた自然。この都市の中は嘘でありふれていた。作り物で溢れ返っていた。膨大な偽物の中でも無視することの出来ない一つの作り物について一つ、ジェードルが口にする。
「俺の名前、登録からジェードルのはずなのになんで罪に問われたんだ」
「恐らくだが、紅の都市に関わった人物の中でも目立った人を消そうって事だろ」
ユークのクルミ色の目はこの状況下でも冷静にものを見ていた。作り上げられた罪。積まれたそれは濡れ衣そのもの。生乾きくらいにはなるだろうかといった期待を抱く事すら許されず、ただ現状を受け入れる事こそがジェードルに出来る事。あまりの無力に絶望を感じる事しか出来ずにいた。
「私だって初めからメリーよ、無実の罪同士、あんな女ほっといて仲良くやりましょう」
「断る」
未だにジェードルを狙っているのだろうか。史実に現せない魔法の歴史書という裏の顔を持つ道具に記された出来事に引っ張られ過ぎているのではないだろうか。そうでなければ今の自分で無い者の本能を引き継いでしまっているのかも知れない。
「本能も感情も人の中で作られたものかも知れないな」
作り上げられた感情。そう呼ぶにはあまりにも彼女に馴染み過ぎているような気がした。
ユークは正面を見つめ、己の罪を睨み付ける。彼らの依頼によって平和を導くために動いた。その結果に苛立ちを覚えているのであろう。当然の感情であり、そこまで思考がたどり着かないのであれば団長という肩書は飾り物だったと証明されてしまう。本物の団長なのだと今ここで証明された、そんな感覚をジェードルは全身で浴びていた。
廊下を歩きながら下りの階段を見つめながらメリーは鞄に分厚く肉感を帯びた右手を突っ込み手紙を取り出した。
「私はこれを届けに行こうと思うの。ジェードルはついてきて」
恐らく紅の都市で受け取った手紙だろう。この二つの都市は小さなペンフレンドによる密かな繋がりが宿っていた。ジェードルは立ち止まって顎に手を当てしばらく黙り込んだのち、一つの答えを一歩の踏み出しと共に差し出す。
「分かった」
メリーは爽やかな晴れ空を思わせる心地よい明るみを笑顔に変えて都市と名付けられた密室には勿体ない美しさをもたらしていた。
「ただし」
言葉を続けると共にメリーの顔は微かなぎこちなさを得る。彼女の反応はジェードルの心に心地よく吹く風のよう。
「そこで愛の告白とかなしだからな」
笑顔の形は取り続けたまま、中身は空っぽ。そんな感情のない笑顔の残滓はやがて消え去り、納得のいかない顔で告げる。
「分かったわ。どうしてもダメなわけね」
「どうしてもだ」
強調した声は彼女にとって厳しい響きになっていないだろうか。心配と軽い反省を抱きながらメリーの歩みに合わせてジェードルもまた、地下へと向けて歩みを刻み始める。
「ジェードル、リニが不満そうな顔をしているだろうから早く戻れよ」
マルクの言葉に親指を立てて同意を示す。それが今のジェードルに出来る事の限界だった。
暗闇の階段、角が青く輝く事でかろうじて見える。闇に閉ざされたメリーの顔は果たしてどのような形をしているのか、ジェードルには想像も付かない。
「そういえばどうしてこの都市が蒼なのか知っているかしら」
「知らないな、構成する物質との反応とかだろう」
思考すら挟むことなく答える。もしかすると彼女の望む回答からは程遠いかも知れない。実際に次に響いた言葉の音には失望が滲んでいた。
「じゃあマルクに訊くからいいわ」
彼女の中に宿る感情はあまりにも分かりやすい。口数の少ないユークや気分屋でころころと貌を変えるリニと比べてあまりにも分かりやすい。しかしながらその分かりやすさの中に物足りなさを感じている自分がいた。
暗い階段の先に明るい長方形が見られた。そこへと向かって駆け下りるジェードルは確実に二人の時間に素早く終止符を打つつもりでいた。
「危ないわ、待って」
メリーも同じように駆ける。きっと彼女には血と共にジェードルと一緒に過ごしたいという欲が流れているのだろう。
明るい口をくぐった先に待つ都市は喧騒で溢れ返っていた。それは紅の都市で起きた出来事を知らない彼らだからこそ上げられる声だろう。日頃なら明るみに乗って心を弾ませるジェードルだったものの、今はそのような気分を抱く事など出来ない。罪人として民間地を歩く事は許されていない。つまり正確な罪を編んでいるというのが現状だ。
「バレたら俺たち確実に首を切り落とされるだろうな」
「人生そのものをクビにされてしまうのかしら」
「そんなユーモアは欲しくなかった」
歩き始める。止まっていても時は進む。何を成しても何も為さなくてもリスクだけは上り続ける。それは明らかに割に合わない頼まれごと。特にジェードルには任務も報酬もなくただ危険な橋を女の頼み一つで渡っているという現状。流石に割に合わない、リニに会えなくなったらこの女の責任、などと既にリニと会う権利の限られた男は思う。
踏み込んだ地の雰囲気が今までとは変わり果てている事を理解する。日頃から民間人の愉快な様には驚かされていたものの、日頃よりも心を大きく揺らしているように感じて。そこにまで至ったジェードルは口にせずにはいられなかった。
「今まで以上に騒がしい気がするがどうなんだ」
辺りを見回し耳を澄ます女の大袈裟な所作は意図してジェードルの気を惹こうとしているのだろうか。しばらく目を閉じ、彼女は視界に宿した暗闇の中で答えを出したようだった。
「そうね、気が付くなんて流石ね」
「褒めたところで」
そこまで言った時点で頬が軽くほころんでいる事に気が付き、彼の中に危機感が顔を出す。気を引き締め治して言葉を交えながら歩みを刻み続ける。
「紅の都市で受け取った手紙、渡すんだろ。早く行こう」
「もう少しゆっくりしてもいいのよ」
しかしながらジェードルはそれを許さずメリーに言葉を差し出し、そのまま駆け出し始めた。
「待って、あなたどれだけあんな女の事が好きなのかしら」
「こんなに落ち着かない俺を見てもそう言うか」
その発言に対してメリーが浮かべた阿呆の面を目にした途端、思わず睨み付けてしまう。ジェードルにとっては真剣な想い、それに対する対応が更に心の距離を開いてしまう。
少し歩くだけでたどり着くはずのあのアパートに中々踏み込む事が出来ない。雑踏は以前と比べて確実に複雑に編み込まれ、所要時間は延びている。
ジェードルは隣で表情を和らげているメリーに疑問を差し込んでみた。
「明らかに人増えてないか」
メリーは辺りを見回してしばらくの間、唇を結んで横に引いて目を細めた仄暗い雰囲気を纏った笑顔を作って艶めかしい声を作って答えてみせる。
「祭りじゃないかしら、一緒にどう」
ジェードルは気が付いていた。祭りなど無い事に。そのようなイベント事が開催されるとなればリニが黙っていないだろう。
――リニならまず俺を誘ってこの手を引いて走るんだろうな
この場に無い明るい笑顔を思うだけで愛しくなってしまう。あの笑顔に何度も救われてきたジェードルがそこにいて、あの笑顔に触れたくてたまらない男がここにいる。
「やっぱり手紙は早く届けよう。混んでるなら公の者が列を整えてるかも」
嘘をついた。一つの嘘はジェードルの本音を隠すために動いている。たかだかこの混雑を解消するために公の者が動くはずもないのだ。その程度の事なら民間の方で解消するよう告げるだけだろう。
ジェードルは、本気でリニを欲していた。
紅の都市へと向かう前と比べてあまりにも混み合った人々に疑問を覚えてしまう。明らかに人口が増えていなければ起こり得ない規模のもので、しかしながら紅の都市からの移住は行なわれていないはず。移住措置は都市が壊滅した時に取られる足掻きだが紅の都市は蒼の都市の戦闘員たちの介入によって小規模破壊に留められた事が報告書に記されていた。
一人の男を捕まえてジェードルは制服につけられた腕章を見せつけ身分を示して疑問をかけてみる。
「公の者だが一つ訊いていいか」
男は気怠さに充ちた目でジェードルを見つめ、やる気の欠片も感じさせない声でだらしなく答える。
「なんだ面倒だな」
男の口の動きは微かに固く、声の芯にはわずかながら棘を感じる。苛立ちだろう。きっと彼は日頃から傲慢な態度を取っているだろうと推測を重ねた。
「この都市の人口、増えていないか」
男は舌打ちをした。更に強烈な舌打ちを二度繰り返してだらしなく首を振って小汚い髪を振り回していた。
「お前らが増やしたんだろ」
「すまない、管轄が違うから連絡が行き渡っていないんだ、教えて欲しい」
男は握り締めた拳を震わせ、焦点の合わない目でジェードルを睨み付けながら口を動かし始める。
「緑の都市の住民移したんだ」
ジェードルは目を見開いた。彼の言葉の意味する事に口は開かれるものの言葉が出て来ない。
「クラゲが侵入して壊滅したんだってな。確か一人の戦闘員が壊したとかなんとか」
驚きを感じずにはいられない。恐らくクラゲが大量に都市に侵入して来たがために都市の最終プログラムを起動したのだろう。例の金属を全て溶かす薬剤の散布により都市諸共クラゲを葬ったといったところだろう。薬剤は蒼の都市はおろか紅の都市ですら開発の進んでいない貴重な研究成果だった。
「んでだ、男は捕まった。許可なく起動したからだとさ」
自己判断、その状況ではその言葉ほど危険なものは無かったかも知れない。戦闘員の男で勝手な行動を取る。ジェードルの中で屈強且つ凶暴な獣の如き印象が与えられた。
「なるほど、ありがとう」
男は手を差し出しジェードルに対して見下すような目つきを向ける。
「報酬くれ」
「くれてやる」
手持ちの金の半分をその手に落とし、メリーを引っ張り歩き出す。メリーは信じ難いといった様子をその目に宿すもジェードルはただ一つ伝えるだけ。
「どうせ地球を出るかこの世を出るかだ。あの金は使えないだろう」
残りの半分は恐らくリニのための残し物なのだろう。メリーの残し事を運ぶために歩き出し、やがてアパートの整列に出くわしメリーは満足感を得た。
「ようやくね」
覚えている。どの部屋を訪ねればいいのか、記憶に強く刻まれている。その部屋を訪れ手紙を渡してあの子の笑顔を見届けて。
「くつろいでいってもいいんだよ」
女の子の笑顔を見つめるもメリーは微かに下へと顔を向けながら緩やかに左右に首を振る。
「まだ仕事があるから、ごめんね」
それからすぐさま立ち去り長く暗い階段を先ほどの流れとは逆向きへと進み始める。向かう先に待つ運命、進んだ先に続く道。闇の向こう側は更に深く閉ざされた闇だと思うだけで重々しさを限りなく増やす事が出来た。




