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それでいいのか

 ゴミの山、ゴミの塔、人々の手によって処理されるべきものの集いの中、黒い煙を吐きながらゴミを押している鉄の塊があった。焼却炉へとゴミを運ぶ役割を担った人物は辺りを見回しながら機械の操作を続けて行く。

 楓はゴミを積み上げ築き上げられた白銀の柱に身を隠しながら覗き込む。ゴミ処理班の男はハンドルを回す度に膨れ上がった立派な腹が擦れ、舌打ちを鳴らしていた。

――日頃の業務と体型を見るからに注意力はそこまでか

 クラゲが街の中を埋め尽くしている間にも仕事を続けている姿を褒めるべきだろうか。楓は無言で視線を送り続け、都市の責任者の怠慢によってその場に残された男へと憐みの視線を送った。

 そんな楓の足元を小刻みな動きでネズミがうろついていた。人工的に作られた都市、監視を強化したそこでも彼らの予定外を自然はもたらしてしまうというのか。

 視界の端に入り込んだり出て行く程度だったネズミが足元へと駆け寄ってきたその瞬間、楓は足を退けて一歩横へと逸れる。その先で起きた事だった。体は安定性の弱いゴミの柱を叩いて多種多様の雑な演奏を瞬時に披露してしまった。楓は思わず耳を塞いでしまうものの、塞ぐべき耳は仕事人のもの。しかし身を隠す立場である以上は実行不可だった。

 男はゴミ処理用の車を止めて振り返り、ゴミの柱の方を見つめる。

「何者だ」

 楓は息を止め、目を見開く。速まった心臓の鼓動に合わせるように震える目は焦点が定まらず、急速に繰り返される浅く短い呼吸は何度行なったという事実を突きつけても息苦しさからの脱却には繋がらなかった。辺りを忙しなく駆け回るネズミは人々の感情や見えない人物に対して互いが見ているものになど目も向けずにただ自由に生きているだけ。

 耳を澄まし、男の様子を窺う。車の音を曲がれ曲がれと念じながら、エンジンの音が小さくなることを祈りながら足を震わせる楓。男は舌打ちをしながら言葉を吐き捨てる。

「どうせ家無しジジイどもだ、仕事の妨害ばかりしやがって」

 車が走り去っていくのを耳で知って楓は安堵の想いを強く抱きしめた。暗くなりゆく夕暮れ空の模倣は夜空の真似事へと移ろうとしている。ゆりかごの暗闇景色のような安らぎが自然と足を踏み出す活力となる。

――ありがとう、ホームレスのみんな

 見えざる景色は現実と同じ色を用いて狭い空間における時間をも操ろうとする人類の支配。日頃であればその現実味を帯びた光景に感心と感謝を捧げるところであろう。しかしながら今この瞬間だけは忌々しく思えて仕方がない。非常事態であれ日常の時間を回す彼らは都市の現状を理解していないのだろうか。

「だとしたら仕事人失格だな」

 ゴミしか見当たらないそこで、果てを目指して歩き続ける。地図に目を通そうと広げてみるものの既に空間は紙が真っ黒に見えてしまう程の暗がりに包まれていた。

 ゴミ処理車と再び顔を合わせないよう耳を澄ませながら歩き続ける。

――向こうは明かりを点けてる。自覚無き巡回者だな

 巡回車の如き役割を自然と果たしてしまう仕事人に報酬無き副業を行なわせるわけにはいかない、そんな言の葉を思い浮かべながら見つからないように進む。本音に蓋を被せてひっそりと歩く。楓の身分は割れている危険性が非常に高い。見つかりたくない、そんな簡単な本音を覆い隠す暗闇に身を包む。視界までもが塞がれている中、目を凝らすことで微かに景色の形が分かるのは完全なる夜を迎えていない証か、これが紅の都市における夜なのか。

――こんな非常時にそんなことを意識するなんてな

 非常時だからこそ必要なことに目を向けた結果なのだと気が付くことなくゴミ山の壁を目にしてしまった。辺り一面を覆うそれはこれ以上の進行を許さない。壁に沿っても端を辿ってもゴミの壁は途切れる気配を見せない。

――非常口が非常口として機能しないのは如何か

 ゴミで作られた密室、そんな言葉を思い浮かべながら壁を辿る。足元を吹き抜ける風はゴミのにおいを巻き上げて楓の顔に皺を寄せる。

 地面を見下ろし、風の吹く方向を見定め、ゴミの壁の下から吹いている事を確かめて都市の造りを推測する。

――もしかして、このゴミの壁が果て

 民間人の目線から自然に見せた世界。作り物の感覚を可能な限り排除したその造りに思わず感心してしまう。

――なら、壁を伝っていけばもしかしたら

 ゴミの壁の中に切れ目がないか、人が入り込むことの出来る大きさを持ったへこみが無いか、壁に手を着き探っていく。ゴミと思っていた壁の感触は全てが金属の質感を持っており楓の手は微かで不規則な鋭さの連続に痛みを訴える。

 更に進み、突然楓の体は壁の方へと引き寄せられるように倒れ込む。

 起き上がり、奥へと向かった果てに滑らかで冷ややかな感触に触れてドアノブの存在を確かめる。

――来た、ついに非常口だ

 ドアを開こうとノブをつかむも、途端にこの都市で世話になった家族の顔が脳裏をよぎる。

――私だけ逃げてもいいのだろうか、紅葉は確かにリニに任せたが

 それでいいのだろうか、本当にいいのだろうか。そんな疑問が巡って口を塞ぐ。一挙一動に必要以上の重みが加わってしまう。楓はそんな思考をどうにか抑え込み、非常口の向こう、弱弱しく照らされた階段を上り始めた。

――どこに繋がっているか、それ次第では危険だけど

 しばらく上り続けた先に紅の輝きを零して作り上げられた長方形を見る。一段、更に一段、踏み込む度に心臓は跳ね上がってしまいそうで仕方がなかった。

 淵からこぼれて描かれる長方形の光を前に、息を大きく吸っては吐いて鼓動を落ち着かせようと試みるもののどうにも上手く行かない。

――私はそうだよな

 楓は自覚していた。映画や小説のように容易く心情を切り替えられる人間ではないという事。未だに紅葉の事が気になって仕方がなく今でも過去と未来の恐怖に挟まれ押しつぶされてしまいそう。

 主役を飾ることの出来る器となり得ない事など一度目の人生の終点で眠りに就く前から分かっていた。

 それでも勇気を振り絞り、頼りなく震える手を伸ばしてドアを開いた。いつもよりも重く感じられるのは情けない自分の示しだろう。少しずつ大きくなっていく光の隙間は紅から白へと色を変え、やがて楓を飲み込み暗闇から解き放つ。

 進んだ先に人々の波があり、震える者や安堵を抱きながらしゃがみ込む者に恐らく仕事によって非常事態の時にも離れ離れになった家族だろうか、歳の離れた彼らが抱き合う姿を見て民間人の非常口と同じ場所に繋がっている事を確かめる。

――もしかして

 辺りを見回しながら人々を見分けて行く。紫色の瞳に映る光景は人々の身長のから髪の色といった違いを流すように見分けて行く。人々の中でも男と並んでも違和感のない身長をしていたもののどこか骨感の少ない形をした顔を見た。

「リニ」

 赤毛の少女のようにも見える顔の方へと駆け寄り楓は声を上げる。リニはふと顔を楓へと向けてひまわり模様の笑顔を咲かせて晴れ渡る青空をそこに作り上げる。

「楓、いたんだ。よかったな紅葉」

 顔を下ろして声をかけた先にいるのだろう。幼さを残したリニの顔は安心感を抱かせてくれる。駆け寄ったところで待っていた少女が楓の胸へと飛びついて震えを残した明るい声を見せる。

「会えた、よかった」

「リニがちゃんと守ってくれたんだな」

 楓の言葉にリニは首を左右に振ってみせる。それから話された経緯によって彼女たちが紡いできた物語を知った。

「つまり父が守ったって言いたいんだな」

「それだけじゃないよ。お母さんもしっかりと守ってたよな」

 この話題の中にリニの名は出て来ない。まるでリニは特に役に立っていないのだと自分を責めているようにも見えた。

「私なんかクラゲを非常口から侵入させたからな」

 リニの手を柔らかな少女の手が包み込む。紅葉の手は瞬く間にリニの表情に和みをもたらした。

「リニおねえちゃんがいなかったら絶対着いてなかったよ」

「非常口周りにもクラゲがいたんだろ。ああ、やっぱり戦闘経験者がいなきゃだった」

 紅葉と楓が口にするそれがリニの心を打つ。澄んだ瞳は薄っすらと茶色のかかった琥珀色を示し、白い輝きの中で煌めく宝石となった。

 そんな中での出来事。突然大きな音を立てて開かれたドアから紅の線の入った黒いブレザーを着た男が入り込んでくる。人々の波を掻き分け力強い足取りで迫り来る。堂々とした佇まいはしかしながら顔に感情となって滲み出る事もなく。淡々と楓の方へと寄って来るのみだった。

「迎えに上がった。こちらへ来い」

「抵抗するなら」

「民間人が死人と名を変えてもいいのならいくらでも足掻け」

 男の目に宿る深淵。虚無を感じ取らせるそれから目を離す事なく見つめ、楓は息をのんで表情を引き締める。

――あの顔、本気だ

 目的を遂行するためならば民間人の犠牲など厭わないのが彼の方針なのだろう。もしかすると人の命に向ける心など持ち合わせていないのかも知れない。それ程までの狂気を無表情の中に見た。

「リニ、お前も来い」

 男に告げられ表情を曲げながらリニもついて歩く事となった。ひまわり色の表情がそこから消え去ったところで男の目には映らないのだろう。

「結局こうなるんだね、私の理想からほど遠いじゃんね」

 リニとしては楓を公の身に渡したくなかったようだ。公の者は依頼を出す集団を間違えていたという事に他ならない。

 ドアの向こうへ、白と薄緑とでも呼べばいいのだろうか、病院を思わせる色合いを持つ空間へと身を運ぶ。ドアを閉め、完全に民間の目から隔絶されたそこで男は身を構えた。

「目的達成のためなら意識は要らないだろう」

「表情乏しい男め、私正体知ってるんだぞ」

 男は勢いよく手刀を放つ。リニはジェードルから受け取っていたあの手紙の事を思い返しながら横へと逸れてみせる。突き出された手による一撃は余計なことを考えていても躱す事が出来る程度の粗末なもの。そのまま肘を巻き込むように腕を回して力を込めた。

「不意を突けば一発だったはずなのにな、楓」

 無言のまま頷く楓に対して男は相変わらず情の宿らない目で捕らえようと捉えるばかり。

「今から不意を突こうとしていたところだ」

 リニは首を傾げ、呆れの表情を作り上げた。その瞬間の事だった。突如リニはみぞおちを押さえ、屈むような姿勢に痛みを訴える表情を作り上げたのは。

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