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つながり

 ラジオから流れる音声は電波のノイズに乱され濁り歪められ、更にはラジオのスピーカーの質の限界に阻まれて元の声が潰れてしまっていた。耳を傾け余計なものを意識から追い出すことでようやく言葉の形が耳を伝って理解を及ぼした。

 各マンションやアパートの非常階段の一階、その踊り場に設置された金属の蓋を開くことで非常口へとつながるのだという。近くに建物がない場合は紅のマンホールを開き、そこから続く地下通路をたどって四角の抜け穴から入るよう指示が出ている。

「なるほどな」

 リニは床を見つめ、下へと向かうよう呟く。壁をすり抜けて響く音は恐らく家に避難していた住民たちが動き出した証だろう。非常階段へと続くドアは開けたら必ず閉めるようにと告げられているものの彼らがそこまで耳にしているか怪しい様子。

「みんな、気を付けて行こうな」

 リニの言葉は部屋中に響き渡って紅葉の家族一同に元気の色を塗り付ける。リニとしては少々頼りない細さの残る声に頭を抱えてしまいそうだった。

「大丈夫」

 紅葉が返事をする中で男は紅い光沢を放つ棒を取り出し首を曲げ、手首を捻り様々な角度から棒を眺めて一度軽く振る。

「なんだそれ」

 リニの素っ頓狂な声は見事なまでに天井や壁に吸い込まれていく。あまり通りの良くない声質は響きを記憶にあまり残さないようだ。

「非常用の棒。俺、これで娘守る」

 ぎこちない言葉と声は彼が言語を操ることが苦手なためか。その代わりに身に付いた力は頼りになるものか日頃の素行と合わせて警戒すべきものとなるか。男はラジオを手にして再びぎこちない声で言葉を紡ぎ始めた。

「俺から出る」

「戦い慣れてる私から出るよ、レディーファーストだろ」

 戦闘員としての意地が男気を着飾った彼を許さない。言い訳に使った時代錯誤も甚だしい言葉の真の意味は伝わるのだろうかと首を傾げるものの、今はその場合ではない。

 斧を構えてドアを開き、辺りを見回しながらクラゲの姿がないことを確認して左手でついて来るように合図を送る。

 廊下を渡って非常口のドアを開いて紅葉たちを通したのちに締め、再びリニを先頭に進み始める。階段を下りるごとに希望が湧いて来るような錯覚を帯びた視界。実際には絶望に対して見て見ぬふりを決め込むだけの事に過ぎないにも拘わらず現れる感情はなに故のものだろう。脳内で描かれる錯覚の不思議につい頭を抱えてしまいそうになる。

 階段を下り続けて一階にたどり着こうかと言ったその時、リニの目はそこにあってはならない存在を認めて見開かれた。

「なんでそこにいるんだ」

 硬質な傘。薄青い体の向こうに映る景色はその形に沿って湾曲している。

 リニの思考の中で渦巻く苛立ちは熱となり、表情を大きくゆがめる。体は瞬く間の激しい身震いに襲われ、気が付いた時にはその手に握られた蒼黒い武器は豪快な扇を描いていた。

 クラゲの頭に当たると共に広がることをやめた残像の扇は手応えを残し、ヒビの生えた頭はそのまま階段の障害物となる。

 リニは斧の刃を視線でなぞり、ほんの一部が潰れている事に気が付き顔を顰めてしまう。

「やらかしちったよ」

 クラゲの体に乗っかり滑るように通り抜けて階段を一段ずつ慎重に下りて行く。リニの胸を渦巻く嫌な予感が禍々しい様を描いていた。現実で描かれた光景、非常口を囲むように佇むクラゲと開いた非常階段のドアを目にしてリニの内に苛立ちが募る。

――誰だ開けっ放しで逃げ込んだの

 日頃からクラゲの脅威に晒されていない民間人には余裕など残されていない事は容易に想像が付きそうなものだが、今のリニは頭に血が上っていた。

「後の事考えて動けよ」

 斧を掲げて階段から勢いよく飛び降り斧を振り下ろす。クラゲの傘一つに白い濁りを広げて次のクラゲに一撃を与える。

 残すは二体。

 視線を回し、続くように斧は動いて次のクラゲに生命の終焉を与える。その間に紅葉の父は非常口の蓋を開いて家族の方へと目を向ける。

 母と紅葉は手をつなぎ、滑らないように意識を向けながらクラゲの傘を乗り越えて非常口を目指していたのだろう。父に遅れて現れて同時に非常口へと入り、父も同じように身を放り込み蓋は閉じられた。

 リニは辺りを見回しクラゲの討伐の数と存在、自身の戦いの流れを思い返して青ざめた。

「あと一体、いったいどこに行ったんだ」

 最悪の想像が激しい電流となって脳裏を流れ始める。蓋を開こうと手を伸ばすも視界の外に重たい気配を感じて目を向ける。

 新たなクラゲが入り込み、触手を持ち上げて非常口の蓋の方へと向けているのを目にしてリニは思い返す。鉱物生命体には電気信号がより強い方へと引き寄せられる習性があるという事。感知のズレかリニたちの動きを察知したのか一体別の動きを取っていたクラゲがいたものの、大半が蓋を中心に集まっていたという事実に。

「みんな、無事でいてくれよな」

 リニは非常階段のドアを閉めた上で斧を振り、クラゲを倒して非常口の蓋を開いて中へと身を滑り込ませる。それから蓋を閉じるためにかけた時間は数えるのも忌々しいほどの長さだと肌が感じていた。

 クラゲが入り込んだタイミングを思うだけでリニの腕に鳥肌が立つ。紛れもないリニの失敗。それがリニを責め立ててはよからぬ妄想を掻き立て焦りをもたらす。

――またやってしまったんだ

 蒼黒く輝く斧を頼りない明りに変えて壁や地面に目を凝らす。赤黒い液体は付着していないだろうか。戦闘による悲劇は転がっていないだろうか。息を詰まらせ心臓の鼓動を速め。

 何度も動かす視点の中に紅く輝く棒が付き立っている姿と付け根にガラス質のヒビを見つけ、リニは安堵のため息をつきながら歩き出した。



 リニが非常階段の踊り場で扇状の攻撃を描いていた時、男は非常口の蓋の淵に指を掛けて精一杯の力を込め、引き上げていた。そうして蓋が開かれた途端、透き通る薄青い体が一つ視界をすり抜け暗闇に吸い込まれたような気がしたものの、男は気のせいだと断定して家族に手招きをする。

 階段を下りて来た二人の女がぽっかりと開いた穴の中に素早く入り込み、男は最後に紅い棒を手に内側から蓋を閉じた。

 辺りを覆う闇はまさに非常時にしか使わないという事実を態度によって突き付けた節電体制。紅葉の震える声は頼りなく、見えない通路に怯えている様が見え取れた。

 男が見通した正面に一つの脅威が映され顔に皺を寄せる。

「やはり入っていた、侵入者」

 弱弱しい輝きは暗闇の中でよく目立つ。男の手元で光を放つ紅は暗闇に滲んで力強い色を放つ。そんな様が更によく目立っていた。

「何が目的だ」

 相手は当然のように沈黙を貫く。透明な傘に口が備わっているようには見受けられないものの男は再び訊ねる。

「なぜ人襲う」

 しかしながらクラゲは水中のような心地で宙を漂いながら澄んだ体を奥へと向かわせようと進むのみ。

「待て」

 しかしながら言葉すら受け取っていないように進み続ける。ゆったりとした動きは男の中に苛立ちを産み落とし、棒を握り締める手には力が籠り始める。

 わなわなと手を震わせながら棒を掲げて男はクラゲの方へと飛び掛かる。後ろですすり泣く子ども、大切な娘の声など既に耳に入っていなかった。

 暗闇の中、豪快な残像を描きながら迫る棒はクラゲの体を打って金属同士がぶつかり合う音を響かせるものの傷一つ付けることなく耳に痛い残響を幾重にも重ねて靡かせた。

「クソ」

 攻撃によって電気信号の動きを、男の存在を、激しい敵意をつかみ取ったようでクラゲは触手を持ち上げ男へと狙いを定める。澄んだ触手は脅威とは無縁にも見えるものの、得体のしれない無機質な動きは充分に危険性の象徴へと成り果てた。

 手に痺れを伴う激しい衝撃を感じたその時には紅い棒は手を離れて宙を滑り落ちて行く。カランコロンと小気味のいい音を立てながら落ちたそれに目を向け、クラゲの方へと視線を移すと共に体を撫でる風の気配を感じて身をかがめる。先ほどの一撃の感覚と風が連れて来た予感は先ほどまで男の体があった場所に無感情の殺気が伸びている様を視界に映す事を許した。

 咄嗟に躱していなければおしまいだった、その事実を突きつけられて男は冷や汗を垂らす。気が付けばクラゲは触手を寄せて再び構えを取っていた。

 強い電気信号や磁場といったものに引き寄せられる性質。それは男の手による敵対行為によって上書きされている。襲ってくる物体の把握をする程度の知能は持ち合わせている。そのため戦闘員たちは別の物質で気を引いてもなお一撃で仕留めなければならないのだと気を引き締めているという事をこの男は知らない。

「どう倒す」

 少なくとも相手は棒で叩いたところで活動を停止するような存在ではない。硬い体を持つものの透き通っているという事は不安定な物質で構成されている、つまりは脆いと推測される。鋭い一撃を与えることで殻を突き破り討ち果たす事が出来るかも知れない。

 考えている内にも迫る予感に従い床へ飛び込み体を転がし即座に体勢を整え再び相手を睨み付ける。

 棒を突き刺すにはどのように動けばいいのだろう。床に転がる紅い棒を取ろうにもその際に生じた隙を突かれてしまえば終わりを迎えてしまうだろう。ポケットには小さな携帯ラジオ。

――これだ

 男はラジオの電源を入れ、ノイズが静寂を破って響き渡ると共にクラゲに向けて放り投げた。ラジオの運命の行く末など確かめる間もなく床に輝く紅い棒を拾うべく飛び込み手に取る。余った勢いで一回転したのちに相手の方へと目を向け触手がラジオを貫いている様を目にしてすぐさま飛び込む。敵が投げた物体が電波を受信している。そんな条件に反応せずにはいられなかったのだろう。

 男は棒をしっかりと構えてクラゲの硬い体めがけて勢い良く突き出した。硬質で透明度の高い体に加えられた衝撃はものの見事に美しさに濁りを入れる。棒の突き刺さった傘にはヒビが入り、クラゲの体はそのまま宙を下り、金属を打ち合う音を立てながら床へと落ちて動きを止めた。

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