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非常口

 リニはゴミの山を抜けるべく駆け抜ける。視界の揺れが大きく景色が曖昧になってしまう荒っぽい振動はリニの心情を見事に物語っていた。

――絶対にあの子たちを逃がすんだ

 楓を匿っていたあの少女とその両親は優しさを持ち続けた。それを崩してしまったのは他でもないリニたちだったのだと己を責め立てるように歯を食いしばり、大袈裟な身振りで走り続ける。

――あの時私たちがあそこに行かなかったらさ、もっと幸せになれたかも知れないのに

 気が付けば足は覚えのある固い心地を得ていた。跳ねるように進み続ける身はそれに気が付くまでに遅れを取る。

――ああ、クラゲが近くなってきたんだよな

 確かめるように己に告げて遠くへと視線を移す。ごみ溜め場にいた時には夕暮れの空に溶けるように煌めいていたそれらが大地を漂っているのだと認識できる。

 やがてたどり着いた戦場、すぐ目の前を漂うクラゲに立ち向かうべく斧を手に取り大きな動きで振り下ろす。

 頭にヒビが入り濁りながら動きを止めたクラゲ、頭を下げながら崩れるように落ちる動作は許しを請うているように見えた。

「私は絶対許さないからな」

 すぐ近くを音もなく進むクラゲに向けて横薙ぎの一閃を浴びせ、駆けていく。周りにひしめく鉱物のクラゲを避けながら進むことなど出来ずに方向転換を行ない路地裏に入っていく。

 暗闇に包まれたそこに入り込もうとする透き通った金属の頭がリニの心に強い苦みを広げてしまう。

「進めねえよ」

 クラゲは細い路地裏に頭を通す事が出来ず、リニは大通りをひしめくクラゲの隙間に身を通す事が出来ない。互いに進めない場所もあるという事を斧による衝撃と共にクラゲの頭に叩き込む。

 それから広場にて斧を交差し続けるユークとすぐ傍で懸命に戦うタルスの姿を目にしながら道を横切り再び狭い路地へと身を滑り込ませる。

――もうすぐそこだ

 日中は薄暗いだけのそこ。しかしながら夕暮れに包まれた空の下では暗闇の住処と化してしまっている。

――ここを抜けたらすぐだ

 心臓の鼓動は急ぎ踏み出す足よりも激しく唸り、脳裏に滲むように広がる焦燥感は水の中に放り込まれたインクのような心地をしていた。

 暗闇に閉ざされた路地の先に光が滲む。出口まで来て焦りに充ちた足は急に動きを止めた。茜色に染められた地に幾つもの泡を思わせる透き通った傘があり、それらが重なっては離れることで波打つ水中の街のよう。

「嘘だろ」

 何度も進もうと意思を固めるものの躊躇してしまう。電気信号を見つめる彼らはこの暗闇から抜け出せばすぐさま襲い掛かって来るだろう。抜け出すまでもなくいつかは気が付き触手を伸ばして体を死という現象で蝕む事だろう。

――つまりすぐさま進むしかない

 リニが今襲われていないのは建物の中を巡る電気を感知し敵はいないと判断しているからだろうか。だとすると彼らには壁などを感知する知性が宿っているという事となる。

「行くぞ、一、二の、一、二」

 声に出す数字は逆戻りを幾度か繰り返す。声にしてリニは覚悟が足りないのだと自覚を得て大きく息を吸ってはすぐ近くの建物が途方もない距離を取っているように感じられて仕方がなかった。

「くっ、ダメだ」

 このままでは進む事が出来ない。進もうとしても留まり引き戻ってしまう臆病な己に鞭を打って再び数字を告げる。

「ワンツー、ワンツー、ワンツースリー」

 掛け声と共に身は大きな道路の横切りを始め、クラゲたちは瞬く間の静止と共にリニの方へと触手を向けて構える。

 左側の一体を蒼黒い刃で叩き、右前に漂う一体にも同じようにヒビを入れる。命を奪われたそれは安定した浮遊感を失い勢いのままにクラゲたちの方へと倒れ、リニの狙いの通りにクラゲの妨げとなり、リニの通りを作り上げる。

 勢いのままに駆けて一つのアパートの階段に足を乗せ、上がっていく。途中に浮いたクラゲに疾走の勢いを乗せた一撃を見舞いして二階へ。廊下を渡って一つの部屋のドアを素早く叩き、微かに開いたドアの向こうへと滑り込むように入ってすぐさまドアを閉じる。

「紅葉だったか」

「うん」

 リニは乾電池式のラジオを手に取り局を公のものに合わせる。雑音が音の大多数を占めていたそれはやがて劣悪ながらに言葉の姿を認識できる程度の音へと変わり、機材の調子や気温に湿度、本日の陽ざしの強さに夜の長さを伝えていた。リニは放送の内容を耳でつかんでは苛立ちを募らせる。

「避難勧告出さないのかよ」

 電波を受信することそのものがクラゲを引き寄せてしまうため外で聴くことも出来ずに戦闘員の誰もが情報不足に立たされていた。そんな中で微かな希望となれるだろうかとラジオに頼った己の愚かさを恨むばかりであった。

「もしかして上はこの状況知らないのか」

 誰もが無線の扱いを躊躇ってしまう状況であることは間違いない。身を危険に晒すよりも最低限度の戦闘を行ないながら隠れることを選ぶ者が大半だろう。日頃から戦っていないのであれば尚更。

「じゃあどうしろってんだ」

 静かなる嘆きを己に投げかけながらダイヤル付きの黒電話をその目に捉え、冷静な貌を作って紅葉の親に一つ訊ねる。

「公の人たちの電話番号、知ってたら教えて欲しい」

 リニは想像を巡らせる。平和を前提として全ての住民がルールに従うという理想論を掲げているのであれば恐らく連絡先を知らない事だろう。しかしながら紅の都市に秩序をもたらす彼らがそれほどまでに間の抜けた思想を持っているとは考えられない。各家庭に配布されている情報であるはず。そう踏んでいた。

 二人の大人は引き出しを幾つか開き、様々な資料の中からラミネート加工がなされた一枚の紙を取り出しリニに手渡す。

 リニは紙に連ねられた文字の群衆に目を凝らし、治安維持部隊の番号を確かめ電話機のダイヤルを回そうとしてその手を止める。

――待て、出来ればもっと別の

 文字列とのにらめっこは再開され、統治部隊の文字を見つけてその下に記された数字たちを見つめて口を横に広げた。

 ダイヤルを回してある番号の位置で止めて放す。再びダイヤルを止めて次の位置へと回して放す。治安維持部隊は恐らく警察と戦闘員を兼任している部隊、統治部隊はそれこそ重要な機密を知っている集団でルウに近しい存在のはず。

――届け

 最後の番号までダイヤルによる指定が終わり、一瞬の間だけを置いて受話器から気怠そうな男の声が届いた。

「もしもし」

「おうおう、蒼の都市の戦闘員だ」

 受話器の向こう側で椅子が回転する音が微かに鳴った。恐らく力の抜けた姿勢で座っていたのだろう。長年そこにいる事を主な業務内容としてきたと思しき彼に適切な対応など出来るものだろうか。

「蒼の都市、訪問者か。何の用だめんどくせ」

 その言葉にリニの目の色が変わる。喉の奥に熱を感じ、苛立ちに歯を食いしばってしまう。

「ルウを呼べ、お前じゃ話にならない」

 声の響きにリニ本人が驚きを感じていた。思いの他強く響いた言葉は受話器の向こう側の男にどのような作用を与えたものだろうか。足が必要以上に壁に当たる動きや突発的な椅子の転倒の音から推測するに非常に大きな動揺、といったところか。

「確認してくる」

 覚束ない足音が情けなく響き、男の動揺は丸分かり。もしかするとルウとの会話も要領を得ないかも知れない、リニとの会話にまで繋がらないかも知れないといった懸念があった。

 リニは振り返り、紅葉の両親の顔を見つめながら一つの問いかけをふわりと投げ込んだ。

「公の者との通話は無料なのかな、金は払わなくてよかったのか」

 初めに確かめるべきことだったと後悔するももう遅い。選んで進んでしまった道を引き返す事など神に土下座をしてみても許されることではない。

「大丈夫、料金が掛からないことをいい事に公に仕える夫と毎日通話する女もいる程よ」

 紅の都市ほど技術力や法の整備が進んでいてもそのような事がまかり通るのだと思い知らされてついついため息をつきつつそんな彼らへの微笑ましさに笑顔をもらっていた。

 気分を変えて数秒かもう少しか。その程度の時間を置いて先ほどの気怠さに満ちた声が不満の感情を音に混ぜながら帰ってきた。

「ルウは忙しい、俺に聞かせろ」

 リニは思わず大きなため息をついてしまう。先ほどとは異なる感情から来るため息は彼の尊厳に拘わらず出てきてしまう。屈辱だの苛立ちだのといった相手の感情になど関心などない。

「民間地区にクラゲが出た、それも大規模の発生な」

 椅子は床に強く打ち付けられて悲鳴を上げたようだ。男は言葉にならない声を零し続け、動揺や焦りといった感情を見せ続ける。

「戦闘員による討伐要請の受理と避難勧告の放送を早急に」

 それ以上の言葉は与えることも受け取ることもなく、代わりに受話器を置いて通話の終了を示すことで彼の行動を指定した。

 ラジオを点け、テーブルの上に置いてしばらく紅葉と目を合わせて笑顔を浮かべながら待ち続ける。相変わらず感情を排した声で機械に映された数字や文字列といったデータを通した民間地区内部の環境を語るだけだったものの、やがてそこに変化が訪れた。

「緊急避難宣言、緊急避難宣言。民間地区内にクラゲが大量発生、直ちに家の中に避難せよ繰り返す」

 そうして同じ内容の情報伝達が声に乗せられる中で街中ではサイレンが響き、同じように建物の中に籠るよう指示を伝えていた。

「戦闘員を地下都市内に回す、民間人は指示が出るまで待機すること、繰り返す」

「これで一安心か」

 リニは床に座り込み、紅葉と肩を寄せ合って顔を傾ける。髪同士が触れ合ってくすぐり合っているようだ。

「おねえさん、名前は」

「フリュリニーナ。リニって呼んで欲しいな」

 呼んで欲しい名を告げないあの口を、愛しい彼の事が脳裏をよぎって胸をチクリと刺す。痛みは誰にも見せないまま仕舞い込んでそのまま笑顔を作り続ける。

――昔いたアイドルとかって仕事してる人はこんな感じだったのかな

 誰かの希望であり続けるという事がそれほどまでに難しい事かとすぐ隣の少女に向ける笑顔の重みで思い知らされた。





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