見付けた
考えは巡る。その空にはいない鳥の代わりのように、素早く通り過ぎる。楓に出会ったところで如何なる話題で引き付けようか、どのような手段で受けているであろう誤解を解いてみせようか。リニの中に眠っているはずもなくただ思考はこの都市にはない浅瀬を滑るカモメのように。
――はあ、どうやって敵じゃないって伝えよう
信用を得るには大きな苦労が伴う。崩壊に必要な手間など軽く押す程度のものでしかないにもかかわらず。
やがて景色は姿を変えていく。雰囲気、空気感、形そのものが生き物のようにかつての痕跡を消し去って。
「ホントにゴミしかないじゃんね」
「だろうな」
その光景は見覚えがあった。間違いなく初めて、確かにこれまで踏み入れたことのない場所は強い既視感を呼び起こし、記憶は言葉となった。
「やっぱどの都市もゴミの行き場はそうなるか」
「ゴミの排出量と処理に回すエネルギー量とエネルギー生産量の問題は地下都市共通のものだということだ」
片付けが出来る数を超えた部屋の散らかり具合を思い出す。映像の世界ではそういった光景がしばしば見られる事をリニは知っていた。
「国全体が片付け下手みたいで面白いよな」
「そんなものを面白がるな」
マルクによる言葉の仕切りが感情を塞いでリニの瞳の輝きは微かに抑えられたものの、溢れる光はゴミの中に宿る輝きをも取り込み照り付けていた。
「面白いって。国の頭がだらしないなんて、そんな坊ちゃん嬢ちゃんに運営任せてるんだ」
リニの弾けるような調子にマルクは微かに口を横に開いて笑みをこぼす。それから数秒を経て軽く毒づいた。
「国家が完璧ならリニは今頃民間で働いているかこの世にいないだろうな」
「うわっ、こういう時には嘘でも輝いてるって言うべきだって」
「だからマルクおじさんは独り身だってか」
その指摘はリニの口から出るまでもなく本人の脳内にて解析を終えているようだった。リニは先取りされた言葉の一致に驚きを隠せず言葉を形にできない。
そうして瞬く間の感情は口を噤み、次に目に入った光景が驚きの感情を継ぐ。
「あれ、どうやって作られたんだろ」
積み上げられたゴミの山の数々はどれも無造作な中で一つだけ人の手が加えられた痕跡を持つこじんまりしたものがあった。空き缶や金属片を組んで作られたそれは錆びた釘の存在によって固定され、安定を得ている。
「これさ、絶対人が住んでるやつだろう」
リニの推測とお揃いだったのか、マルクは同意を込めてああ、と軽く呟くのみ。目の前の建物と化したゴミたちの中へと足を踏み入れるべく、リニは辺りに散らかっているゴミを踏みながら進んで行く。大きさが不揃いで形も歩行者に配慮していないそれは均衡を奪おうとしては意識を向けさせる。まるで早く手を加えてと主張を繰り広げているよう。
ゴミに塗れた地に悪戦苦闘して消費した時間の多い事。リニのポケットに収まっていた懐中時計は取り出され、時間の経過は不安定な足場への苦労を明確に刻んでいた。
「到着だな」
目の前に迫ったゴミ山の家へと静かに足を踏み入れようとしたその時、リニは空き瓶を踏んで足は地を離れる。
――嘘だろ
身体は滑り込み、挨拶もなしに中へと入り込む。物を巻き込みながら倒れ込む音が挨拶の代わりとなってしまった。
中にいた人物が音に驚いた様で素早く目を向けて来る。そんな仕草を捉えながらそれすら視界から消え去り地面を目いっぱいに映す。
「誰だ」
記憶の片隅に住んでいた声。耳が覚えていた音が見知らぬ反応を聞かせてくれた。それだけでリニはどこか嬉しくもあった。
「安心しろ、私はあなたの味方だ」
立ち上がりながら口にした言葉は格好がつかず、昔読んだ小説のようには行かないのだと思い知らされた。
「信用できないな」
灰色の髪とこびりついた深いくま、リニを睨み付ける紫の瞳は青白い肌に馴染んで薄暗い印象を与えていた。
「私の彼氏よりイケメンなあなたを迎えに来たんだ」
ジェードルがその言葉を耳にすればたちまち表情を曇らせるかふてくされてしまうだろう。内心で謝罪をしつつ口を動かし続ける。
「仲間と方針の違いで揉めたけどさ、やっぱ人は人じゃんね」
「そんな言葉を信じろというのか」
紫色の瞳がリニの顔を窺っている。アメジストを思わせる色彩が麗しく、煌めきは鋭くリニを疑惑の情で刺していた。
「信じてくれたら早く話が進むんだけどな」
ひまわりの輝きを瞳に宿して笑顔を浮かべるリニを見つめる瞳に影がかかり、攻撃的な閃光は収まる。
「アンタは嘘を付く程物を考えてなさそうだ」
「うわ、酷いな」
流れは理想通りであるにもかかわらず不服に感じてしまう。結果は最高にして過程は最悪といって差支えがなかった。
「ただ、そっちの頭の良さそうな老人は信じられないな」
訂正がかけられた。結果すら最高とは言い難い形を作り、人生は上手く行かないものだとリニに教え込んでいた。
「その疑いぶり、嫌いじゃないな」
「マルクおじさんは何感心してるんだよ」
リニは頼りにならない明かりと金属の反射によって優れない視界を見通すべく集中し、辺りに敷き詰められた本を見渡して一冊の本を手に取り開く。
「これかな、一冊の小説に書かれたこの名前見てみなよマルクおじさん」
「作者はイマリセツナ、何故大した名著でもない小説が残されている」
死の運命から滑り落ちて、そう名付けられた書は名著では無いはず。一度でも世に名を轟かせたものあれば歴史や文学の勉強の中で一度はその名に触れるだろう。しかしながらマルクの記憶の中には一度たりとも見受けられない名は疑いようもない。この世の資源を割いてまで残すものではないはずだ。
「あと関係ない話はよせ」
「いやいやそれがあるんだよな」
恐らくある程度の内容の流れは覚えているのだろう。あるページを開き、目を通してはページを一つ捲ってある文字を指す。
「ここにあるフクツカエデの名前、多分彼女の事だね」
「まさかそんなわけ」
マルクは鼻で笑うように意見を流してしまおうとしたものの、楓は強く引き付けられたようで顔を寄せる。
「もしかして、朝倉里香ともう一人の仲間の名前も」
「ああ、載ってる、マサゴエミ。わざと伏せるなんて疑ってるじゃんね」
日本語の表記ではない、保存の際に各都市共通の言語に翻訳されているために楓の目では確認できないものの、リニの言葉が旧日本語と呼ばれる楓の扱う言葉で確実に知っている名の発音をしていた。
「絵海のことまで。セツナという作家は一体何者なんだ」
紫色の瞳を見開きながら疑問を呈する楓に対してリニは他の本を示すべく棚を凝視するものの、十秒程度の時間を以て両手を軽く広げながら緩やかに首を左右に振る。
「ここに本はないけど色々書いてあったな、氷使いの真昼さんとか身長の高い楓っぽい人と男の子の戦いとか」
そのやり取りに仕切りを入れるようにマルクは疑問を差し込んだ。
「小説の登場人物ではないのか、登場人物と同じ名を持つという事は」
会話の流れが美しさを損ない二人の口が沈黙を紡ぐこと数秒間の後にリニが高く細い声で会話を繋ぎ始めた。
「魔法とか異能の歴史だから歴史科目に入れるわけにもいかなかったんだろうな」
セツナと名乗る人物が遺したメモや報告書に魔法に関係する物質といったものを手掛かりに小説という形で綴ったものを今もなお名著の中に紛れ込ませ、歴史の科目と照らし合わせて疑問を抱いた人物がその分野の研究に進む事が出来るといった具合だろう。リニの想像はマルクを唸らせる。
「俺は外出調査員から魔法の事を耳にしたクチだが、そういう進路もあるのかも知れない」
「私は疑問持ったしジェードルにも話したけど周りから声が掛からないのはなんでさ」
マルクは薄っすらとした笑い声をこぼし、淡白な感情を表情に移してリニを見つめている。リニにはマルクの表情が冷たく感じられて仕方がなかった。
楓もまた、微かに目を細めて軽く笑ってみせる。彼の代わりと言わんばかりの明るみを落ち着いた声に乗せてリニの耳へと届けてみせた。
「態度を見ればそれはな」
「お偉いさんは賢いな」
遅れて反応を示したマルクに対してリニは睨み付け、頬に軽く力を込めながら噛み締めるように返す。
「なんだってんだよ、私じゃダメなわけ」
「少なくとも頭を使う研究向けじゃないな。偉いのはテストの結果まで知っているだろうしな」
もはや小馬鹿にすることがマルクの役目と言わんばかりの態度に胸の奥から心の底から揺れながら這い上がって来る想いの黒々とした色合いを見つめて気持ちを切り替える。
「まあいいや、それより私は楓の味方でいたいけど匿う場所無いかな」
「さあな、アパートの空き部屋が幾つあるか、こいつが誰にも見つからずに出られる場所か、それが大事だ」
マルクの意見にリニは黙り込む。頭の中で幾つもの思考の配線を巡らせ取れる手段はないものかと探ってみるものの、ただただこんがらがってしまうだけ。
「誰にもバレないの無理じゃないか」
「今更か」
結局のところ救済する術が見当たらず、楓は辺りを見回しながらテレキネシスで金属を集めて新たな住まいを作ろうと行動を始めた。
「私の事はいい。住む事より抜け出す方法が欲しい」
リニは地下都市の外の事を思い返す。破滅の雨の日には決して外に出てはならない。晴れた日にもクラゲが大量に漂っているため単独行動は危険の極み。
「外も危ないよな」
マルクは無言で二度頷くのみ。リニが外の状況を細かく話している間、楓は黙り込み、紫色の瞳から輝きを消し去り聞き入っていた。
「やっぱ私たちの支援は必要だと思うんだ」
どう足掻いても険悪な関係だけは避けなければという言葉を付け足したリニに楓は口元を緩める。
「そうだな、キミの言う通り」
「リニって呼んで欲しいな、出来ればフリュリニーナって呼んでくれたらサイコーなんだけど」
「じゃあ、リニで」
少しだけ曇った笑顔を見せるリニ。ひまわり色を持たない彼女の肩に手を置きマルクの言葉が事実を見せつけた。
「旧日本語を主に使う人には発音し辛いようだな」
ごめんと響かない声で呟くように謝る楓の事を許す他なく仄かに落ち込んだ気持ちは行き場を失ってしまった。




