リニの悩み
時計の針は進んで行く。報告や目の前の現実と向き合い捜査は進んでいない事を改めて確かめてため息をつきながら、リニはペンをつまんで弄ぶ。
「何を遊んでいる」
隣で注意を挟むマルクにも分かっているはず。事態は全くもって好転していない事に。そのような状態がリニの中から泥に塗れた言葉を引きずり出した。
「厳しすぎじゃないか」
「何がだ」
声色から不満を汲み取った事を顔に寄る皺の変化に表してしまっていたマルクではあったものの、リニに同情の姿勢など見せない。否応なく崩れる表情が理解を隠しきれていないようだ。
「なんていうかさ、都市一つ、何人いると思うんだよ」
「資料を見なけりゃ分からないが、沢山って答えが欲しいだけだろう」
図星。リニはマルクの回答に表情を和らげて見せるもののリニと異なり感情を沈めたマルクの顔がそこにあり、動きが見えない。氷に触れたような湿った冷気の心地を纏ってリニを刺しながら同意の頷きを差し出すのみだった。
「噂も流れてなくてどこにいるかも見当付かないのに一人の女を探し出せなんて」
「無理だと思うから無理なのだ」
感情論に信仰でも捧げ始めたのだろうか、マルクが真顔で重々しい口を開きながら見せた言葉に驚きを隠せない。しかしながら続きが述べられるにつれて理解へと至る。
「諦めの感情を抱くや投げやりになることは視界を鈍らせる。聞き込みは続けるぞ」
飽くまでも人々の心情がもたらす認識への悪影響という形で飛び出してきた言葉に明るい顔を見せ、続けて周囲の人々に訊ねてみるものの、しかしながらまるで消えてしまったかのように答えは得られない。
「嘘を付いてるのか、ホントに誰も見てないのか、気になるじゃんね」
リニの疑問にマルクは黙りながら顎に手を当て顔を空へと向ける。偽りの色をした空の中に仮定を引き出し舞わせることとなった。
「嘘だとしてメリットがないな。懸賞金が出ているはずだし何よりこの嘘は公務を阻む犯罪だ」
それでもやる人は紛れているかもしれない。善意が消え去ったわけではあるまい。そんな不満が顔に出てしまっていたのだろう。マルクは言葉を続ける。
「全員があの子のような人なわけないしな。あっても懸賞金山分けのために隠して彼らで探しているか」
もしもそうだとするならば今日中にでも依頼は達せられるだろう。リニたちの努力に関係なく事は終わりを告げるだろう。しかし、マルクの言葉はそれで終わりではなかった。
「ただ、今日の探し始めの時にリニが言った通り、楓が人目を避けていてこの地域の外にいるとしたら」
「情報なんて入ってくるわけないよ、そうだな」
マルクの表情に微かな明るみが宿った。リニの事を試しているようにも見受けられる言葉はまるで教育係か親のよう。リニが好むような仲間としての在り方とは大幅に異なっている。
「では、どこを探すべきか」
「天候は悪くならないみたいだからな、最悪ずっと外でも毛布一枚か分厚い上着があれば凌げる」
「そうだ、冬の気温や水分管理は恐らく場所を選んで機械がこなすだろう」
飽くまでも鉱物を組んで作り上げた都市の内部。気候が自然と変化することのないそこで都合のいい場所を探すのは本来の外よりも容易い事だろう。
「つまり居住集合域の外で温度管理や水やりの対象の外」
人々の目に触れない場所としては自然の中かゴミの山の中か。田畑は人の出入りが激しく山は見つかる可能性が低いとはいえ気温や湿度に水分調整の対象。それらを分かっているならばの話、避けたくなるだろう。特に自然が絡む世界の中で大人になった人物であれば尚更。
「じゃあ、ゴミの山か橋の下とかだな」
建物が並ぶ中では彼女の姿など見られないだろう。日中は自然の中で狩りや作物の盗難を行なっている可能性は否定出来ないものの、無闇に探しては土地勘の無い彼らが捜索対象になる可能性も大いにあるのだ。
「迷ったら命の保証も出来ない。俺たちには監視役が付いていないのだ」
監視役は居場所の把握だけでなく命綱ともなるのだと知って複雑な心境を抱いてしまうものの、瞬く間にそれは消失した。彼らの必要性など即座に焼失した。
「だめだな、見られてたら私たちの目的が果たせない」
居住区を抜け出すべく歩き始める。リニは未来へと足を踏み出す度に言葉を形にするように会話を紡ぎ始めた。
「マルクおじさんはさ、私にジェードルの秘密を打ち明けたわけじゃん」
疑問を向けられた男は顔に刻まれた皺に深みを持たせながら頷く。沈黙の中の反応はあまりにも大きくリニの記憶に焼き付いた。
「あれから色々考えたんだ。ジェードルは私とは別の生物なんだよなとかそういう馬鹿でも分かる事」
「まさか他人に教えたわけじゃあるまいよな」
突如放り込まれた反応に宿る凄みは鋭さと勢いを付けて切りかかるようにのしかかる。それがいかに深刻な罪であるかを物語っていた。
「流石の私でもそこまでバカじゃないって」
「ならいいが」
マルクからの信用を保ち、リニは会話を続ける。
「どれだけ違ってくるんだろうなって」
リニの目はあまりにも遠い世界を見ているよう。青空を見ているようで別のものを見ている事はきっとマルクですら読み取る事が出来ただろう。
「考え方は違うかもしれないし、心臓の鼓動の音も感触も分からないだろうし」
アパートの壁が周囲を塞いでいる。そんな狭い空の下で思い悩む事がそのような事だと、あまりにも小さなことだとマルクは笑う。
「細かいことまで考えるなら俺とリニ、リニと楓、全員違ってくるはずだ」
力も熱も感じさせない落ち着いた声で流した言葉は慰めようと、リニを思っての選択なのかもしれない。しかしながらリニにはその言葉が誰しもの事を誰もが理解できないものではとドアを叩くように問いかけて来る。
マルクの落ち着きがあまりにも痛かった。
「どうすればいいのか分からないんだよな、私の事すら毎日変わってきて何も固まらないんだ」
毎日など気の長い事ではなく、もっと素早く入れ替わってしまう意見に自らが呆れを抱いてしまうほど。
「だからジェードルも困ってるかもな」
「なら、隠し通せばいい」
言う事だけは簡単。事情など見つめることなくただ言葉一つで示すだけでいいのだから。しかしながらリニの心は大きく振り回されては不安と焦燥と不足に悩んでは誰も彼もを遠くに見て意見もまた統一できない。感情の振れ幅が狭く安定した人物には理解の出来ない事だった。
「支えていけるか、すれ違わないか怖いしでも近付きたくて、だけど」
言の葉がリニの脳を充たす思考の沼を広げる中、アパートの姿は消えて車道が大きく広がる通りに出る。スッキリしない彼女の想いと清々しいほどに単純な姿を持った道路の差が今見ている世界に真実と偽りの錯覚を薄い膜という形で目の表面に染み渡って行く。
「考えを切り替えろ。場所が変わったなら楓が見つかるかもしれない」
人がぽつぽつと点在しては流れるように緩やかに歩いていく。大空の上から見下ろせば恐らく点を用いた芸術作品にもなりうるのではないだろうか。近くで見ても感動など生まれない。リニにとっての人間と同じであり、近くでなければ見えない美しさを持つ人々という存在とは異なる点でもある。
「灰色髪なんてよく目立つよな、視線が勝手に追いかけるだろ」
そう告げて口を止めることを放棄して話を切り替えながら口を動かすことはやめない。
「そういや私の勘が感じてるんだ」
今は口を止めることに不安を覚えていた。沈黙を産み落とすことで全てが遠いものに感じられてしまいそうで、未熟な自分を世間から隔ててしまいそうで仕方がなかった。
「ジェードルの事よく見てるから気付いただけなんだけど」
「話すがいいよ」
リニの表情の動きはいつもと異なった。リニ自身でもひまわりの笑顔を浮かべる時のはずだと今の自分に目を見開きつつもか細く高い声を響かせ続ける。
「なんだかさ、人の知らない感覚を使ってクラゲとかを見てるような気がするんだ。目の動きとかが違う感じがして」
日頃の洞察力や観察の視点からは想像も付かない発言にマルクは驚きを覚え、続けて感激を見ていた。そんな表情がリニには優しく見えて目を緩やかに細めて優しさをもたらしてみるものの、マルクが返した表情は口を大きく横に開き目をニヤつかせるといった嫌らしさ全開の物だった。
「好きな人のこと、よく見ているな」
「からかうなって」
様々な意味で顔を赤くするリニの落ち着きのない表情は、マルクに馴染みのものといった印象を与えている事だろう。
一息置いて、マルクは咳払いをしながらリニの目を覗き込み、全てを見通そうとする事経過した二秒間。リニにはもっと長い時間の孤独を感じさせてマルクはどのような感情を抱いているのだろう。
「本気みたいだな、だとしたらよくない」
リニの頭上に疑問符が浮かんでは奇妙な踊りを始める。回るように不明を訴える目はマルクにも伝わっている事だろう。
「ジェードルが怪我をした時に治療ついでに閉じていた魔法を開いたのだ。必要性を感じたものでな」
つまるところ、元凶はマルクであることは間違いない。しかしながら彼もまた予想できていなかったとばかりに目を白黒させていた。
「しかしそこまでしてしまっていたとは。ますます人間から外れてしまっている」
「それって大丈夫なのかよ」
リニの心配は眉を顰めさせ、目尻を下げる。声色も微かに萎んでいるようで所々が音となれていないよう。
「私はどうすればいいんだ、ジェードルと一生会えなくなるのは嫌だ」
あまりにも繊細な本音は砕けたガラスとなってマルクの胸めがけて飛んでいく。リニの中で広げられた印象と妄想は捉え方としては間違いではなかったようだ。
「安心するんだ、対策を取れば間に合う。戦力は落ちるが致し方ない」
それほどまでにジェードルの人間でない側面に期待していたものだろうか。
「ジェードルを不幸にしたらマルクおじさんでも敵だからな」
マルクは言葉に詰まってしまったようで、それ以降は口を開かない。時が流れ去ってからの後、足音だけが街の喧騒に混ざり合って響く中で遂に彼らはゴミの集いの端を踏むこととなった。




