戦士
瞳に映された光景にジェードルは目を見開いた。自然や街として作り込まれた精巧な民間地区は一つ二つと数える間に姿を変えてしまう。瞬く間に駆け抜けてしまった稲妻と新たに通り過ぎていく稲妻。どれもが薄青く、ジェードルにとっては見慣れた光景の一つ。
「なんでだ。こんなところで沢山の稲妻が」
クラゲは辺りに住み着いているものか、街の中にクラゲが隠されているのだろうか。分からないままに探っていく。
「この異常性の中で異能力者を探せとでもいうのか」
それ以前の問題。標的以前に宿敵が潜んでいるのかも知れないという事実がジェードルの動きを止めてしまう。
「紅の都市の戦闘員は何をやってるんだ」
鉱物生命体が潜入している可能性を潰す事も都市の治安を維持するための活動の一つであるはず。しかしながら彼らが今やっている事といえば蒼の都市より訪れた戦闘員の見張りと異能力者の捜索といったところだろうか。
「これは明らかな職務怠慢だ」
斜め後ろに固まった大きな気配に目をやりながら進んでいく。強く大きく濃くくっきりとしたそれに心は引き寄せられてしまうものの、相手にしないように進み、人々の命の鼓動を灯火のような稲妻として認識しながら進む。
「前からこうだったか」
湧いてきた疑問を微かにこぼしながら進みゆく。今までとの違いはあまりにも大きく感じられ、違和感が頭を支配する。
人類とは異なる感覚で世界を見つめる事は一度や二度と言わずに行なってきた事ではあるものの、少なくとも蒼の都市で感じた人の気配は命の灯火に絡みつく蔦のような稲妻。電気信号は軽く渦巻いている程度のものだったが今の気配はあまりにも強い。
「気になるな」
現状の地だけ、今の知だけでは体が満足を覚えてくれない。今までと異なる現象への、既知の外側へと歩み出したくてたまらない。好奇心の拡張が始まっていた。
好奇心による感情の侵略が進んでも対策の手段を見出すも出来ずただ探っていく。一つの命とはそこまで弱いものなのだろうか。
それから程なくしてジェードルはその目に更なる不思議を捉えることとなる。
これまでとはすっかり色を変えてしまった気配の中に、薄青い動きで満たされた視界の中に見たことのない色彩が混ざっているのを認めて思わず足を止める。
黒の背景の中にて地に留まり、ものによっては自由に漂い、時として絡み合う稲妻の姿が見受けられるそこに一つの灯火が異彩を放つ。紫色の稲妻が線香花火を思わせる火花となって何度も散るそれはどの都市に於いても見たことのないものだ。
「違いは何だ、いったい何者か」
人々の気配の位置を探り、金属の如き質感の仕切りに閉じ込められているのを確認し、目の前の気配が自由なのだと知る。
紫色の気配へと足を踏み出して近付いて、その手を伸ばして触れようとしたその時、異様な気配は立ち去ろうとする。
「待ってくれ」
「目を使え」
後ろから流れて来る感情の宿らない声にジェードルは背筋を勢いよく震わせて意識を目へと移して。
切り替えた感覚で見つめたそれは遠ざかっていく灰色。細かく揺れるそれが髪で風に流れてはためいているものがパーカーだと気が付いたその時、あの気配の持ち主が楓なのだと気が付いた。
「その気配、いったいどうなってるんだ」
叫びながら追いかけようと勢いよく一歩を踏み出したものの、肩をつかむ手が現れて追いかけることを許さない。
「今はいい、ルウ隊長からあらかじめ達しがあった、気配を使いこなせるようにしなければとな」
「楓を捕まえる事よりも大切なのかそれ」
標的を追いかけようとするジェードルを止めてまで伝えた人物が感情を宿さない男であるという事はそういう事なのだろう。男は相も変わらず色彩を持たない声で告げる。
「すぐにでも使いこなせれば回り回って標的を捕まえる役に立つと言っていた」
彼にとっては上のいう事が全て、状況の判断すら出来ていないのか。今はひとまず楓を追いかけることが優先で失敗すれば伝えるだけでよかっただろう。
ジェードルはこの男に大きな違和感を覚え、冷たい視線で見つめては反応を確かめるものの男は態度一つ変えることなくただ言ってのけるだけ。
「来い、練習のためにルウに会いに行くのだ」
ただ言われるままに動くのみ。恐らく極端な表情の変化すら見る事が出来ないのだろう。ジェードルの中にある考えが一つ思い浮かんではリニの笑顔が同時に脳裏をよぎった。
――リニと同レベルだよな
ジェードルは笑いながら目の前の男へと声を響かせる。
「なあ、名前はあるのか」
後ろを向いた背は正面を向くことなくただ歩みを刻み続けるべく踏み出した一歩、そこに乗せるようにジェードルは言葉を繋いだ。
「紅の都市の戦闘員、俺の監視員のお前、そうだお前の事だ」
男は立ち止まって二秒間の沈黙を刻んだのちに素早く振り返り、表情一つ変えずにジェードルと向かい合う。
「名はソリエル、新たな天使としてルウの親からいただいたものだ」
「つまり本当の親は、その時つけられた名前は知らないわけか」
ソリエルは頷く。無言で行なわれたその行動は仕草と呼べるほどの個性もなく、ジェードルには機械のように感じられてしまう。
相変わらずの無言を貫き通しながら、ただ歩き始めることでジェードルもついて来るようにと省略された指示を動きの催促と共に突き出した。
民間地区を早々に抜け、階段を上り始める。一つ一つの段はあまり大きなものではなく、目的の階層にたどり着くまでに要する歩数は幾つだろうか。途方もなく感じられる歩みと闇に閉ざされた向こう側という存在にジェードルは肩を落とす。脚が悲鳴を上げ始めている様を見つめることしか出来ないもので、ジェードルの口からは疲れと呆れを交えたため息が零れ落ちる。
「民間地区で特訓とはいかないのか」
ジェードルの疑問は効率性を重視したもので、恐らくはソリエルの納得も獲得するに至ったのだろう。彼の口は相変わらず感情を吐くことなく言葉を続けて見せるのみだった。
「ルウは降りてこないからどうしようもない。確かにそちらの方が効率がいいとはいえるな」
民間地区の住民の暮らしなど一切知らない人生を送っている事だろう。生まれてこのかたこの長い階段を渡るという苦しみの経験をしたことのない人間に一つの都市を収めて平和を守るという使命は達成できるものだろうか。クラゲが侵入してきた途端に地図を眺めなければ行動を取ることの出来ない人間の誕生ではないだろうか。
「ルウって一応戦闘員なんだったっけ」
訊ねる形で確認を取ってみたジェードルに返された言葉は一旦ゼロ。痛みを伴う沈黙を挟み、呆れた目で見下ろしながら言葉を見せ始めた。
「それも分からないようなら話にならないな、紅の都市に何をしに来た」
突然大きくなった態度に苛立ちを覚えつつも返す言葉を見つけられずにいた。
「戦闘員の上層部であり尚且つ研究員としての顔も併せ持つ」
それから引き続き語られた情報はジェードルの求める範囲の内側ではあったもののどこか釈然としないものだった。
「ルウは外出戦闘員として好成績を残して上層に素早く上り詰め、研究にまで手を出した」
説明に魂が込められていない。声に言葉に命を吹き込まない説明は流れるように耳へと入っては通り過ぎ、感情による歪な記憶の残留を許さない。
「特に鉱物生命体の能力の制御と拡張に没頭していたのは周知の事実」
長かった階段はようやく廊下という空間を切り開き、二人の男はそのまま歩き続ける。靴と床が一定のリズムで刻む小気味いい音の響きが彼の声の速度と合わせられる。
「制御の方は何度も各種の能力の開閉と感覚の記憶によって可能となるが拡張は不明」
「そのために楓を使おうとしていたのか」
「魔法と異なる開閉法を持つ能力が鉱物生命体の力に如何なる影響を及ぼすか、ルウの観点は今そこにある」
やがて大きな扉は開かれて、新旧織り交ぜられた書籍が納められた本棚に光が当てられ微かに雰囲気が変わる様子や光沢を放つペンが置かれた机と向かい合う黒い髪の若い女の姿を目にしてジェードルは睨み付けた。
「楓を追いかけようとしたら止められてまでここに連れられたんだが」
ルウは顔を上げ、下から上る紅の輝きが深く紅い瞳の端の白までを紅く色付ける様は残照のよう。そこに宿る感情は無でありながらも柔らかな瞳の形を作っては向き合うことの心地よさを感じさせる。
「それは、私の命令の過失ね」
命令にない行動は取らないのだろうか。記憶に残されていない過去に理由があるのだろうか、思考を巡らせるも答えには到底行きつきそうもない。
「彼には行動の流れを幾つかセットで教え込めば選ぶ力はあるものの、生み出すことはないの」
ソリエルはおおよそ機械のような存在として捉えられているのだろう。しかしながら彼に対するルウの眼差しはどこか優しく包み込むようで気に入りなのだと知らされた。
「大丈夫、あなたは戦士だもの。私の大切な戦士」
紅い瞳はジェードルに移される。ジェードルの目に映るその瞳はソリエルに向けられていたものと同様の優しさを見せていた。
「あなたも大切な戦士に仕立て上げるべく、魔法の制御を得ていただくわ」
不完全なことは既に知らされており、断る権利は残されていない。言葉の端を手に取りルウに従うように別室へと向かう。
「こうしている間にも特訓は出来る。まず意識を切り替えて。電気信号を見つめて」
言われるままに切り替えて目に映らないはずのものをその目に映していく。人の形は失われ、電気信号が辺りを流れ始める。
「それがクラゲの視点」
ジェードルはここまで来てようやく理解した。人はおろか物の判別すらつかないようでは確かに電気信号の強い方へと引き寄せられてしまうだろう。現にジェードルの意識は今、一つの強い塊へと向いており、その隣には微かに強い信号が宿っているのみ。
「人の感覚に戻して」
従って見つめた景色、そこに立つ二人の姿はどこか懐かしく感じられた。
「無線機を飛ばしたらきっとそちらに引き寄せられてしまう事ね」
「ああ、こいつは間違いないな」
先ほど受け取っていた世界の姿はあまりにも味気なく扱う事に恐怖を覚えてしまう。しかしながら人の知らないものとして見つめ続けたい、そんな好奇心に満ち溢れている自分もいることに気付かされた。




