音楽隊
音楽が響く。地下都市の金属質な壁や天井を跳ね返って駆け巡るそれはリニの背に重くのしかかっているようにすら思えてしまう。
「昔やってたよなあれ」
ジェードルに向けた問いかけ、それは楽器の音のように伝わってくれるものだろうか。抱いた心配は大きくなっていくばかりだったものの、ジェードルの口が動き始めた事を確かめて杞憂に終わったのだと安堵する。
「リニはトランペットだったか」
覚えていた。それだけで心の曇りを吹き飛ばすような心地を得る一方でため息をつきたくなる事も付随するということ。思わず拳を握りしめていた。
「リニは下手だったよな、全然音が出ないって弱音が本体みたいだったよな」
流れ込む音楽の中からトランペットの音を見つけては微かに斜めに傾けて顔を下げる。逸らすような仕草を浮かべ、顔を赤くしながらぽつりと言い返した。
「ジェードルだって下手だったくせに」
戦闘員たちの訓練の一つに楽器の演奏行進という項目がある。上手く演奏できないリニは腹いせに理由を聞いて回った事があったものの、正確性に欠ける物言いしか得られなかった思い出を刻み込んだだけの事だった。
「結局やる理由って何だろう、指導員も事務のおじさんも言ってる事バラバラだったじゃんね」
体験の共有によるコミュニケーションの円滑化、息を合わせることによる集中力の増強、そもそも行進とともに楽器を演奏することそのものに膨大な体力が必要なために戦闘員の筋力トレーニングなど様々な理由が挙げられたものの、誰も真実を知らないかのように振舞っている。あまりにも自然な対応をする彼らは本当に知らないだけなのかも知れない。
「民間地区の住民が喜ぶからいいんじゃないか」
ジェードルの投げやり気味な締めに中身を感じる事が出来ずにリニの口から微笑みが零れ落ちる。
「そういうとこ、好きだな」
共に滲んだ言葉がジェードルの脳へと突き刺さっては深く抉るように回り始めた。
「馬鹿にされてるみたいだな」
「まさか、微笑ましいって思ってるだけ。女の子なんだからかわいいもの大好き」
「メリーに同意を求めてみたいな」
乾いた笑いと共に放り込まれた言葉はリニの感性とのすれ違いを如実に表していた。ジェードルに求めることの出来る無駄な会話の質を見誤っていた自分の事が恥ずかしくて仕方がない。
「あっそ、じゃあメリーと仲良くすればいいんじゃないか」
機嫌の塔が傾いてしまう。起源がジェードルだと気が付かないものだろうかと軽い不満を抱いては言葉にできずにいた。
「リニ、なんで急に気を悪くするんだ」
「もう知らない」
それから気まずい沈黙をジェードルに与えること十数分。楽器の音はいまだに耳に入るものの、大きな壁に隔てられているような心地を覚えてしまう。
「ジェードルはさ、好きな事とかないのか」
「勉強くらいしかできないだろ、映像のコレクションとかか」
突然にして小さな疑問は彼の心を動かすには至らないようで返された言葉より感じられる無機質な気配にボロボロの物寂しさが絡みついていた。
「他に無いのかよ、ほらここに女の子が一人」
自分を指すリニの顔をその目に収めてジェードルは感情を綻ばせ、声に多少の柔らかさを乗せる。
「女の子だからじゃない、リニだから、だな」
「もしかして」
リニの頬に迸る熱が恥じらいと歓喜をもたらす。思わず緩んだ表情を上から見つめる二つの目は不意に細められた。
「そうかもな」
「おいおい何よ急に」
リニは声を細めつつも大きさを維持して、上ずって裏返り次には掠れ、動揺が大きな影絵となる。感情のリボンまで掛けられているようだった。
「んじゃ、私の事フリュリニーナって呼ん」
「リニ」
途端にしぼんだ表情、あまりにも分かりやすい変化は間違いなくジェードルにも伝わった事だろう。しかしながらそんな言葉に会話の繋がりを架けることなどなかった。
「楽器の演奏だが多分来週くらいには外を歩くな」
あの日の事を、リニたちが楽器を手にして外に出て響きの良さに心を打たれながら開放感に身を包んでいた時のことを思い出していた。
「あれか」
懐かしさに浸るリニの顔を見つめながら笑顔を曲げて妙な感情を持ち込む。大きな喜びを打ち消して苦虫を嚙み潰したような、そんな顔に瞳が吸い込まれてしまう。
「あの時なんで一体も鉱物生命体が出なかったんだろうな」
想像を巡らせるもリニの頭の中にはジェードルが求める景色など流れていないのだろう。口を閉ざしていると勝手に答えが言葉として耳から入る。
「次の雨が止んだら俺たちの仕事が始まるんだろうな」
「全部倒すのか。忙しいよな」
きっと過去の外出調査員は達成していたのだろう。いくつもの代が成功を修めてきた伝統行事、ユークやメリーも行なってきたに違いない。ここで成功のバトンを落としてしまうわけにはいかなかった。
「俺らなら大丈夫だろ」
そう告げてジェードルは斧を取り出して光沢をなぞるように指を這わせた。その仕草を見つめているだけで肺が温もりでいっぱいになり、溺れてしまいそうな錯覚を得た。
「と言ってもだ。次の雨まで四日はあるだろうし」
外出調査員の持つ四日間の自由がいかに大切なものか、今のリニはよく知っていた。経験によって刷り込まれたそれが脳内で休みを求めている。無意識のうちに休みだと意識へと持ち上げていく思考が怠けという指向への志向を行なっていく。
「それまでしっかり寝たいな、私たちこのままだと指先で使われてばっかじゃんね」
ジェードルの素早い頷きが同意の証。彼の目にうっすらとかかる曖昧な疲れが休むよう訴えかけているようにも感じられた。
「ジェードルはさ、明日とか空いてるか」
リニの訊ねは彼の目を微かに開かせる。瞳孔の開きと飾り付けられた輝きが彼の中の一欠片の希望を純度の高い透き通った感情を示していた。
「音楽でもやるのか」
苦みの滲んだ記憶を叩き起こす発言は軽い嫌がらせのようにも彼なりの冗談のようにも聞こえる。声色一つで判断させないそれはリニの手に意図を絡めることを許さない。
「最悪だな」
嘘。リニにとってそのような発言ですら気分を晴れに変えてしまう。嫌な言葉でも完全に嫌う事が出来なくて。言葉の質ではなく誰が言ったのか。それが大切なことだと今この場で思い知らされた。
「はあ、ジェードルがそんな事言うから明日まで出かける気が起きないな」
この意地悪はいつでもジェードルの表情を曇らせてしまう。分かっていても、彼にそのような心情を抱いて欲しくなくともつい口を突いて出てきてしまうものだった。
「そっか、じゃあ明日な」
早々に背を向け歩き出そうとしたジェードルの腕をつかむ。リニの今の顔は彼の目にどのように映されているのだろう。眉が下がっている事だけは間違いなかった。
「行かないで、頼む」
胸の奥、見通すことも出来ない深みのどこかから不安が噴き出して肺腑を満たしてしまう。いつでも整った心持ちでいられる人物の方が好かれること、今その手に滲む感情は邪魔者以外の何者でもない。分かっていても抑える事が出来ない厄介者。
そんな心情に振り回されるリニの不安に怯える顔を見つめてジェードルは微笑みながら手を取った。
「そうだな、仕方ない」
その言葉が差し込まれた途端の事だった。
二人の目の前に駆け込むように訪れ立ちはだかる人物が日頃の落ち着きを吹き飛ばして声を張り上げる。
「重大な報せだ。一つ、たった一つだからよく聞け」
息を切らして肩を激しく上下させるユークの姿が急ぎの用だと強く訴えかけては注目を集めるには格好の的となっていた。
「この前の紅の都市からの報告書の覗き見で異能力者が逃げたという話は知っただろう」
「ああ」
呟くように答えるジェードルと次の言葉を理解してため息をつくリニの心情は一致しているのだろうか。恐らく雰囲気を台無しにされたという感想は一致しているはず。
「その異能力者を探せという依頼だ」
「音楽隊のためにクラゲを討伐するのは」
女の口から飛び出した挟まれた疑問を解消するための言葉をユークが捻り出すまでに必要とした時間は三秒にも満たなかった。
「最悪中止だ、練習がすべて中止になれば披露会も中止かもな」
民間地区からほんの一握りだけ許された試験組。その宣伝の役目も果たしている催しが中止となってしまうのは手痛いに違いない。
「異能力者の性格や行動パターンは把握出来ておらず攻撃性は不明、現在地も不明だ」
驚きを示して目を見開くリニと呆れに表情を支配されて阿呆な面をさらすジェードル。そこに連ねるように紅の都市から告げられた言葉を付け加える。
「捕獲対象の容姿や能力は紅の都市への案内人かもしくは戦闘員の代表格が話すようだ」
つまるところ何も分かっていないということ。依頼を出すような態度とは思えないと呆れる一方で何かを知る以前の問題であり、よそ者に依頼を出す程の緊急事態なのだと理解させられた。
「俺は即座に受理届を上に提出したからすぐに出発だ。準備を済ませろ」
それだけを残して立ち去ろうとして、再び振り向き不敵な笑みを浮かべながら二人へと言の葉を差し出した。
「初めから覗き見てたがそういう関係なんだな、おめでとう」
そうして彼が立ち去った事を確かめた上でリニはため息とともに悪態をこぼした。
「悪趣味過ぎる」
ジェードルの手をしっかりと握り締めたまま目を覗き込み、困り顔を笑顔に隠して笑い声を微かに滲ませて言葉にする。
「せっかくこれから一緒に出掛けようって思ってたのにな」
「俺もその気になってたのに」
統一された想いはきっと残念だという意見だけ。二人の惹かれ合う想いは互いに異なる色をしていて重ね合わせたところで美しさを奏でる事が出来るとは限らない。
「何言っても無駄だろうし手早く準備済ますしかないじゃんね」
そんな言葉に対して返す言葉は無く。ジェードルが返したものはただ一度の大袈裟な頷きだけだった。
バックパックに非常食の完全栄養ショートブレッドと命綱のブランデーを入れ、しっかりと口を閉じる。
「この前は食料以外減らなかったからこれでいいな」
先ほどのやり取りを忘れようとして言葉で想いを誤魔化してみるものの、気が付けば鮮明に浮かんでしまうあの約束とその続き。もしもの景色が今にも広がってしまいそうでしかし全ては幻に過ぎない。
気が付けばため息をついているリニの姿があった。




