取り調べ
リニは天井を見上げる。現在から過去を見下ろすように覗き込む。
ジェードルが疲れを溜め込み寝込んでいる間に流れた会話が静寂を貫き一つの塊へと化けていく。
タルスが口を開いたのは本来の機能を果たす事無き食卓。囲んでいる仲間たちに言葉の釘を打ち付ける。
「ジェードルは確実に魔法を使っているよな」
「ああ、怪我した時に私が開いた」
マルクの口が開かれてジェードルの魔法が開かれたのだという事実が人々の前に開かれた。彼がジェードルに変革をもたらしてしまった。ジェードルの力を引き出してしまった。リニが目に影を当てている間にも会話は進められていく。
「だとしたら公に知られれば被検体候補だな」
ユークの言葉がリニの目に震えを与えてしまう。押し広げられた目に宿る感情を悟らない者などこの場にはいないだろう。
「クジラは俺たちが頑張って倒した。特にメリーは座標を定めて撃った、よくやった。それでいいな」
無言で頷くメリーとマルク。二人の反応の揃いにリニは疑問を抱くものの口に出す事もままならない。ユークはクルミ色の目をリニに直接向けて言葉を注ぎ込む。
「魔法とはどのような現象を指すか分かるか」
教科書にすら載っていない事、しかし彼らの会話の中に入っていたはず。記憶を探りそれに当たるものを見つけ出したものの内容の復元にまでは至らなかった。
ユークが眉を顰めながら待った数秒間。それは無という形で流れ出してしまい舌打ちを響かせてしまう。
「人が扱う現象の内、現在の科学で解明されていないものだ」
途端に脳内に広がり渦巻く情報たち。蘇り記憶の空を舞い落ちる羽根となってリニの心を照らして行った。
「そんな得体の知れないサンプルがすぐ傍に転がっていた、後は当然分るよな」
リニの背筋を撫でる悪寒が悪趣味な後味を残してしまう。もしも感情の赴くままにジェードルの事を話してしまったら。口を堅く結ぶと共に拳を握る力が増して行った。
「ジェードルには既に話してある。クジラの事は倒れている間に見たようだから恐らく偶然分かった口だ」
ユークが言葉を紡ぐたびにマルクの顔に皴が寄せられて行く。外出調査員の中で最年長な彼の皴はますます深くなるばかりだった。
「どうした」
「ユーク、推測で進めるのは良くないぞ」
そこから呼吸の一つを置いて加えられたしわがれた声は経年劣化をありのままの形にしていた。
「お前の部屋に飾られていたのは何か忘れたのか」
ユークに大きな衝動が走る。テーブルを殴りつける音は感情任せ。公の方針を反対向きに進んで行く行動に誰もが注視していた。
「あの事は言うな」
怒鳴り付けるような声は今までのユークの姿からは想像も付かないものでリニは身体を震わせていた。
「とにかくだ、ジェードルの魔法の事だけは黙っておけ」
そんなやり取りを追憶の中で再生し終えて地下都市の廊下を再び歩き出す。
そうしてリニが踏み入れた部屋に立つ男がスタンディングデスクにノートを置き、万年筆を構える。
「質問を始めよう」
リニは固唾を飲んで次の言葉を待つ。
「クジラを倒したのは本当か」
言葉と言葉の微かな時間の隙間はあまりにも広く感じられた。心の中でジェードルの魔法の事だけは喋らないようにと幾度となく唱えても絶え間が出来上がってしまうまでに長く感じられた。
「大砲でクジラを墜とした」
リニの答えはあまりにも淡々としていて彼らには成績優秀者にでも見えたのだろうか、それとも考える力すらないと思われたものだろうか。
「よろしい、次だ。その時にメリー以外に不可思議な現象を起こした者はいなかったか」
止める術など口に見えざる重りを提げる他ない。ジェードルが魔法使いだと知られれば研究の対象となる事間違い無しだと容易に想像がついてしまう。
「不可思議な現象を、魔法を使ったのはメリーだけだった」
「よろしい」
リニに嘘など吐く事など出来ないだろうという慢心は見事に彼らに宿っていた。彼らの見誤りはあまりにも大きく愚か。大切な人と過ごす日常を守る為なら嘘や秘密の一つや二つ背負える身を持っているということ。
「では、最後に。メリーは魔法で人を傷つけなかったか」
それに対して素直な表情を咲かせ輝かせながら口で結んで行く。彼女の動きに無駄など見られない。それを見て取って男は紙の上で万年筆を滑らせながらリニに出て行くよう告げた。
廊下へと出てリニは大きく息を吸って勢いよく叫ぶ。
「偉そうにしやがって」
それから踏み出した一歩が音となり、空間に響いては跳ね返って頭を悩ませる。何度も繰り返され、気が付けばストレスとなって体の内側に溜め込まれる。
「他の奴らもちゃんと黙ったんだろうな」
マルクとジェードルの部屋に立ち寄りジェードルの取り調べが終わった事を確認してマルクに確認を取る。
「確かこれから以前できなかった民間地区の見回りを行なうよう指示が出ていたはず」
口ぶりからジェードルの事を言わなかったのだと読み解く。誰一人として一切触れないのはうっかり口を滑らせないようにだとリニの中で纏められた。
クジラが接近してきたが為に中止となってしまった民間地区の見回り。あの区域に以前立ち寄った時にはほぼこき使われただけで疲れを溜めるだけ。日頃の仕事に対する想像は見て見ぬふりという有り様だった。
――民間も大変だろうしな
そう頭に入れて納得をもたらしリニは歩き出す。味気ない廊下は青の明かりに満たされていて、しかしながら落ち着きを与えてくれるような色合いではない事に思わず肩を落としてしまう。
「まるで気持ちがブルーみたいだぜ」
「遂に仕事へのやる気をなくしたのか」
タルスの問いに身振り手振り否定の意を示すものの彼は笑いながらリニの肩に手を置き答えを挟み込むだけ。
「いいんだ、気にするな、誰にでもそういう日もあるし向き不向きある。何よりこの前の扱いだ」
完全にやる気が無いという方向で取り扱われる事に不満を抱かずにはいられない。リニの中に宿る気持ちの色など誰も見てくれないのだろう。
「知らない、私にだって心はあるんだ」
目は背けられ、自然とジェードルの方へと目が向いてしまう。今この時ジェードルには何が見えているのだろう、何を基準に物を考えているのだろう。彼の心は種族を超えたブラックボックスのように思えるものの、リニに返した仄かな笑顔が人の心のようにしか思えない。
「リニは多分今日の晩ごはんの事とか考えてるな、この顔」
「そうそう、私ってそれだけしか見てない考えなしだからな」
ジェードルの言葉に乗っかって告げる嘘。途端に鋭い痛みが胸を刺して思わず下を向いてしまう。ジェードルにそのように思われているのがいけないのかジェードルに嘘を吐いてしまった事が災いか。今のままでは誤解は深まるだけだろう。抜け出せない息苦しさの深みを掘っているのは、負の感情に奥行きをもたらしているのは、紛れもないリニ自身だった。
「なんでもいいや、ごはんの時間が楽しみだな。民間ってどんなもの食べてるんだろうな」
それでもやめられない装い。言葉が増える度に細い針を刺されているような心地を覚えてしまう。この程度の女としか思われていないのだろうか。やはりジェードルとは、ジェードルとすら理解し合えないのだろうか。
「なあ、リニ」
ジェードルの言葉がリニをつかみ、遅れてリニの手を繋ぐ。突然の行動に頭は熱に浮かされ妙な焦りと昂る鼓動をみせる。
「ちょっと表情が硬かったな」
そのまま立ち止まり、純粋な瞳を覗き込む。頬にはヒマワリの季節を思わせつつもどこか柔らかな熱が色付いて、リニの目を離さない。
「さっきは俺の事黙っててくれてありがとうな」
「当然だろ。仲間なんだし」
声が上ずってしまう。抑えられない興奮がそこに色付いて、綺麗な自分だけを見ていて欲しいという願望の破片が見事に溶かされてしまう。
「下手に取り繕わなくていいからな。でなきゃ結ばれた後に苦労する」
「もうそこまで考えてるのかよ」
派手な声が廊下を先行き響き渡る。ジェードルの想いはリニと同じなのだと嬉しくなる一方で今までの取り繕いで受けてしまった誤解に薄暗い想いを抱いてしまう。
「ジェードルってバカじゃんね」
「なんで急に」
考えもしていない言葉、理由などなく、ただどこかから湧いてしまう言葉は本音の一つなのだろうか。何をしたいのか、どのように生きたいのか。
他の生き物と知ったジェードルはおろか、自分の事さえ分かっていないのだと実感しては頭を抱え込んでしまう。
「もう充分だろ、行くぞ」
ユークのいつになく冷静な声と冷たい表情。軽く引き攣った唇以外に動きを見せない事を考えるとユークは恋愛沙汰を眺める事は苦手なのだろうか。
「いつまでも仕事が終わらない」
機嫌が斜め十五度程度の傾きを見せている。ここで仕事に向き合わなければ次は怒鳴り声が飛んで来てしまうかも知れない。
マルクは笑いながらユークの肩を何度も叩いて軽い口を叩く。
「ユークは相変わらず恋の話は苦手だな」
「他人の恋には意味が無い」
クルミ色の目の鋭さには特大な感情が込められていた。隠すつもりもないのかそれ程大きなものなのか分かりやすさを極めている。
「感情をむき出しにし過ぎたら仕事で失敗するぞ」
「クソが」
マルクの言葉に毒づくユークは明らかに感情に振り回されているように見受けられる。階段を降りながらリニはマルクに訊ねてみた。
「感情むき出しで失敗した事でもあるのか」
日頃から進んで敵を狩るユークの表情は金属の無機質と鋭さを併せ持つ。休憩所にいても必要以上に自分の事を話さない彼がここまで感情的になるのも珍しい。
「あいつは人の感情が見える出来事が苦手なのだ」
下へと続く道が向きを変え、やがて天井は視界から消える。民間地区へと足を踏み入れた時、ユークは辺りを見回しクラゲの侵入がない事を確かめながらリニとジェードルの方へと言葉を投げる。
「後で俺の部屋に来い」
見合わせる二人の姿はクルミ色の瞳にはどのように映っているのだろう。リニの理解の範囲など大きく飛び越えてしまっていた。
「感情が悪だと分かるだろう」
そんな不穏の塊の存在を仄めかすユークの顔はやはり無の色彩に染め上げられていた。




