訊ね
ジェードルと軽い会話を挟みながら歩いて行く。壁と床の隙間から零れるように差し込む青い輝きをまぶたが遮って視界をまばらに引き裂いた。
そんな裂かれた視界の影にメリーは己の行動の軌跡を思い描く。
外出調査員たちと別れて孤独の檻の格子を下ろして公の資料が積まれた部屋へと向かう。
ジェードルがマルクの治療を受けてから意識の異変に見舞われている事とジェードルがクラゲの隙間、恐らくはそこに流れている電気信号を見つめている事。更にはマルクの治療を受けている間に起きたきっかけの無いクラゲの討伐とジェードルの斧に増えた打痕。不可思議な現象の数々がメリーの脳裏に渦巻いていた。
怪しさ満点の今日の出来事を解体するために探り始めるべく向かった先、ドアを開いて入り口のロビーに立つ男に身分証を掲げてみせる。
「学生時代フルスコアだった外出調査員がこんなところに何を学びに来た」
メリーは怪しい微笑みを向ける。青い明るみを纏った影の射し込む顔がほりの深さを描き、くっきりとした顔立ちは陰影を見せる事で雰囲気を纏っていた。
「メリーが知っていること以上の学びは眠っていないぞ」
「そんな事言わないで」
髪を掻き上げながら顔を寄せ、ポケットから右手を抜いて拳を緩く握り締めたまま男の制服の胸ポケットに入れる。
「これでお願い、一つ黙ってもらえるだけであなたは快楽を一つ得られるの」
「成績優秀者は扱いが違うな」
男の胸ポケットから手を抜いて、残されたそれを男は取り出して眺める。丸められた赤の包み紙が二つ。この男の好みの菓子はウイスキーボンボン。優秀な成績と管理職という立場を手にしても尚滅多にお目にかかることの出来ない菓子を軽々と差し出すメリーはやはり特別な存在なのだと再認識した。
「戸籍を調べたくて」
男は怪訝そうな顔をしながらメリーの涼しそうな顔と対を成す冷気を抱かずにはいられなかった。
「また出自か、生まれには意味が無いって分かったんじゃなかったのか」
「いいえ、意味のある生まれの情報も眠っているかも知れないわ」
メリーが首を左右に振る度に青と闇のコントラストに色を奪われた金髪が乱れ、男の肌を撫でる。
「俺は何も聞かなかった。メリーは記憶を錆び付かせないように再び学ぶ、指導者となるために情報を整理しに来た」
「分かっているじゃない、それでいいわ」
メリーは男の視界の外へ、資料室の奥へと進んで行く。金属の棚の群衆を潜り抜けて更なる深みに沈んだ領域へと潜る。地下都市の一つの部屋の地下。民間地は更なる地下にあるためにこの場を地下室と呼ぶことに違和感を覚える。存在そのものが地下であるために都市が地下室ともいえる。ならば今踏み出している場所もまた地下室なのだろう。
細く骨ばった左腕から伸びる節を感じさせる細長い指で棚の引き出しを開き、肉感のある短い右の指で資料をつまみ、紙を滑らせてしまう。
「慣れないものね」
左右の腕の違いは骨格単位のもので、二十数年と生きて来たにもかかわらず未だに細かな感覚の相違を損ねる事がある。生まれつきのものだとマルクを初めとした医師たちは口を揃えて告げるものの、不便なあまり否定したくなる気持ちが時たま湧いてしまうものだ。
そうして再びメリーは資料を手にして必要な戸籍を探しては目を通し始めた。
ジェードルの顔は見事に困惑を描いている。感情があまりにも深く根を張り、顔立ちをも歪めようとしていた。
「ジェロード」
「俺はジェードルだ」
メリーはなに故に呼び間違えを起こしてしまうのだろう。しかしながら間違いにどこか心地よさを得てしまう自分がいて、心の動きを確かめる度に足が傾くような動揺を感じていた。
「ごめんなさい、ジェードル話したいことがあるの」
そこは無人の部屋。簡素なベッドと机が置かれ、棚には教材が敷き詰められているのみ。あまりの味気無さにこの都市の掲げる理想への気味の悪さを感じずにはいられなかった。
「ジェードルは国家専属医師のマルクによって育てられた、それでいいかしら」
「ああ、マルクおじは血の繋がりが無くても正真正銘の父だ」
否定する要素など一つも見当たらず、メリーの意図もつかめず、ただ話の流れる方向について行くだけで精一杯。
「実の親の顔は覚えているかしら」
メリーの顔に感情が宿っていない。ジェードルの脳裏に根拠のない不安が巣食って広がり、沈黙を貫いて行く。
「そう、なら質問を変えるわ。マルクに引き取られる前の記憶はあるのかしら」
ジェードルの額に冷や汗が浮かぶ。目は虚空を見つめたまま必死に己の過去を探るべく脳裏を旅行してみるものの、マルクに出会う前の映像も音声もそこには残されていなかった。
目を白黒させるジェードルを見つめてメリーは一枚の紙を取り出した。
「戸籍よ。どうしてマルクが引き取る前の情報が書かれていないのかしら」
ひったくるように受け取り勢いに任せて目を通しながらジェードルはメリーに冷たい目を向ける。
「民間地ならそういう事もあるんじゃないか」
「生活の保障や生存確認、様々な面で登録しない意味が分からないわ」
この世界は合理性だけで動いているわけではない、ジェードルの口から今にも出て来てしまいそうな言葉は閉じ込められる。メリーの鋭い視線はジェードルの意見が溢れる事を許さなかった。
「そもそもあなた出生届すら見当たらなかったのにどうしてマルクが引き取ったと思っているのかしら」
見当たらない。親子同然の暮らしをして来た彼の眼差しは本当の優しさと与えるべき厳しさを持ち合わせていて、ジェードルの記憶の中に住まう彼の顔に損得と言った感情など挟まれていない様がすぐにでも窺えた。
「更にもう一つ言っておくわ」
メリーは思いもよらぬ言葉を装填し、ジェードルの耳へ心へと視線と声の銃口を向ける。
「マルクは魔法使いで同じように戸籍が無いの、突然生えて来たみたいな扱いよ」
見開かれた目はメリーの言葉を受け止めきれないが為だろうか。震える口はいつまでも言葉をつかむことが出来ず、手足は固まり動くことを忘れて石になってしまったよう。
「あなたにも魔法を扱ったような痕跡があったわ。纏わりつくように集まるように広がる磁場があったの」
「どんな魔法を使ったのか、さっぱりだろ」
突発的に口を突いて出て来た言葉が目の前の女の唇を結ぶ。同じ魔法使いには見えてしまうのだろう。しかしながらどのような魔法を使ったのかまでは分からない、メリーの沈黙が青に溶け込んだ二秒間で示してしまう。
「俺には何も分からない、でもこれは分かる」
大きく息を吸い、脳に新鮮な感情を取り入れて回しながら紡ぎ、見せつけるように言ってのけた。
「マルクおじは本当の意味で俺の父だ」
「感情的意見でしかないわ」
メリーは拳銃を取り出し、金の髪を揺らして頭を押さえながらジェードルを睨みつける。
「私と同じハートの無い人間だって証明してあげるわ」
ジェードルは背に手を向けて斧をつかもうとするもののそこにあるのは空気のみ。武器など持ち歩いていなかった事に気が付き脳裏を血が駆け巡る。
「ハートブレイク、コーディネイト、371」
ジェードルは意識を内側に向け、一つの意志を引き絞る。メリーが引き金に絡めた指に力を入れると共にジェードルの力はトリガーを引いた。
引かれたメリーの拳銃は空っぽを叩く音だけを奏でて。メリーは舌打ちと共に更なる言葉を繋ぐ。
「323、385、606」
ジェードルは意識を引き絞り、メリーとは異なる言葉を無言で唱えて力を形に変えていく。
――座標をずらせ
早く、速く、あの女の力よりも速く打ち出そうと世界における己の立つ座標を誤魔化して。
――書き換えろ、もっとだ、追い付かせない程の速度で世界をも騙せ
世界の法則にアクセスし、位置情報を勝手に弄り変えていく。メリーやマルクの力と同じ、世界に存在しないはずの現象を呼び起こす手段、それこそが魔法。
「990、753、511、044」
定める座標、指に力を込める度に射出されていると思しき形無き弾丸がジェードルを襲っているが、ジェードルの座標とは一度たりとも一致していない。
ジェードルはやがて座標をずらしたまま歩き出し、メリーの元へと近付いて拳銃をつかんで引っ張り始めた。
「俺の人生に終わりは許さない」
必死に拳銃を手に収め続けようと絡められた指に力が入っていたものの、遂にジェードルに奪われて。メリーの手を離れた拳銃を握り角度をずらしながら幾度か見つめてそのまま床に捨てる。
拳銃が床を回りながら滑る様を眺めて戦いの終わりを実感したジェードルはメリーに視線を戻すと共に跳ね上がってしまいそうな衝動に襲われた。
メリーは拳銃を構え、静かに唱えた。
「ハートブレイク、コーディネイト、14」
引かれたトリガー、空っぽを示す音が静寂から飛び出して絶望の音を奏でて打たれた三秒間。何も起こらない事を確認してジェードルは自分の手やわき腹、腰を見回しては疑問符を浮かべていた。
「そう、あなたにはハートが無い。あるなら今頃破裂音と共にあの世行きよ」
メリーの言葉を耳にしてようやく理解に至った事を確認するように口にする。
「ハートって」
「ええ、臓器のハートよ」
メリーの言うハートとは心の事ではないのだと、心臓の事なのだと知ると共にジェードルの中に新たな不安が芽生えてそのまま成長を始める。
「だとしても何故俺には心臓が無い」
感情に音を振り回された声にメリーは艶を表情に塗って、感情の馴染んだ艶やかな声を青く薄暗い空間に滲ませる。
「それは私たち、マルクもあなたも同類だからよ」
ジェードルの頭に肉感の象徴の右手を添えてそのまま撫でるように指を這わせて告げる。
「正しくはここに心臓の代わりが収まっているわ」
頭の中、脳の機能の一つに血液を循環させるポンプが収められているのだとメリーは語った。
「私たちは普通の人間じゃないもの」
尋常ならざる力を扱える時点でリニとは別の種なのだと、心臓が別の場所にある時点でどこか異なる人間なのだと自覚して開いた距離に開いた口。どちらにも同じような静寂が蔓延っていた。
「ええ、三人共、鉱物生命体だもの。ヒトの姿をした」
寂しさは拭えず、虚しさは騒ぎ立てる。ジェードルの望んだ事実はそこには無いのだから。




