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報告書

 美しい青を見た。壁の隅や縁をなぞるように薄明るく輝く頼りない輝きは怪しく色付いているはず。色の捉え方は何一つ変わっていないはずの目から入って来る情報が様変わりしてしまっていた。

 ジェードルは身体を起こそうとして、胸に柔らかな質感を持つ帯状のものが乗せられている事に気が付いた。手に取ると共にしなるような独特な重力を感じさせながらジェードルにしっとりとしていて微かに冷たい、そんな優しい感触を手を通して伝えてくれる。

「リニ」

 腕をなぞるように動かした視線の先にはすやすやと眠るリニの姿があり、心配の破片を感じさせてくれる。

「一緒にいてくれたんだな」

 静かに抜け出し、床に足を着いて何度か叩いてみては筋肉が悲鳴を上げるように鈍い痛みを発している事に意識を向けて腕を回す。痺れるような痛みが脈を描くように伝わり行き渡り、ジェードルは筋肉痛を抱えながら歩き始める。わき腹に残る痛みは強烈で、ジェードルの中に意識が朦朧としていた時の事が蘇る。

「確かクラゲに刺されたんだ」

 服を捲ってみるものの傷跡は一切残っていない。戦場医療士の立場を得ているマルクが治療を行った事は明白。今まで最もジェードルと近しい父としての彼はよく知っている。しかしながらこの現象については説明する事など不可能に思えた。

「痛みが酷いが明日には出発するんだろうな」

 全身に噛み付くような心地で吠える痛みが未だ生きているという信号であり、疑わなければならないはずのわき腹の現状をただ信じるだけの根拠として訴えている。

「ずっといてくれてありがとうな、リニ」

 すぐにまた戻るにもかかわらず言い残してしまう。寝ているリニに届くことのない言葉だったがつい放ってしまっていた。

 部屋を出て見回す。外出調査員専用の休憩室だろう。幾つあるのかも分からないそれだが部屋に置かれた物を見るに先日訪れた場所とは明らかに異なる。

 見回して早速目に入った完全栄養ショートブレッドと水の缶詰を手に取りショートブレッドの封を切る。

 空腹に身を任せるように一つ口へと運んでいた。目に映すだけの余裕も残しておらず、思考そのものが食欲に乗っ取られていた。原初の欲望に則って動いている自分がみっともなく思える一方で生きるための本能が正常に動いている事に感謝を込めながら缶のプルタブを起こしてショートブレッドに奪われた潤いを取り戻すべく半分ほど飲んでいく。

 平静を取り戻し、感情の檻の中で昼の戦場で突如現れた異常性を思い返しては身を震わせていた。

――あの時俺は何をしてたんだ

 身体は動いていなかったはず、倒れていたはずのジェードルが意識だけで動いていたと思い込んで、クラゲに駆け寄った。ジェードルの意思、ただの願望のはずが振り下ろせば実際に倒していて横薙ぎにしたクラゲも同様に命を失っていた。

――あれは一体

 疑問を浮かべている最中に金髪の揺らめきが脳裏を掠め、煌めいた。艶のあるうねりが思考の流れを誘導していく。

――実際にやってないのは確か

 座標を定めて言葉にしながら引き金に掛けた指に力を込めるあの仕草。弾など入っていないにもかかわらず、敵を当然のように倒していくあの女の姿が思い起こされた。

――メリーもそうだ

 鋭く引き絞った瞳から放つ殺意の射線は形を得て対象を死へと至らしめる。そんな想像の果てにあの女が形の良い唇を動かし、日頃から呟いている言葉を、音も無いまま声の音を耳に残す。

 私はハートがないから。

 その言葉の底知れぬ意味に頭を沈めて項垂れてしまう。

――もしもハートが無いっていうのが容赦を知らないって事なら

 もしかするとジェードルも同じようにメリーの言うハートというものが無いのかも知れない。

 ただ冷酷に相手を狩るだけの魔法使い。背筋をなぞる不快感が身震いを引き起こしてしまう。ジェードルの身は少なくともメリーの方に近い事は確実。魔法を扱う己の事が分からない、これ以上知る事に恐怖を覚えてしまう。

――俺もハートが無かったのかそれともこれから失うのか

 普通だと思っていた存在から遠ざかっていく事に、みんなと揃えていた足並みが乱れてしまう事に不安が募って仕方がない。リニと全く異なる存在だという事が恐ろしい。

 実際メリーは魔法使いである自覚のない頃からジェードルに惹かれていた。もしも魔法を扱い続けた果てにリニの事を想えなくなる日が来てしまうとすれば。

――あの子と笑っていたい、あの子には笑っていて欲しい

 気が付けば机の上に空き缶が三つも転がっていた。不安が手を伸ばしてしまっていたのだろう。

――リニ

 隣で笑いかけてくれたあの太陽のような彼女、ヒマワリを思わせる可愛らしさは振る舞い一つで作られていた。

 再び救護室に戻り、ベッドにもぐりこむ。相も変わらず隣ですやすやと眠るリニの手を優しく握り、目を閉じる。この柔らかさに救われて来た事を実感しながら感謝の熱で包み込み、寄り添っている希望が少しだけズレて傍に寄って来る様を見つめつつ、ジェードルの太ももに小さな膝が付いた事に気が付くと共に想いが身体中を奔走し始め落ち着かない夜を過ごす事となった。



 斧を振り、いつもと変わらない青空に音速にして一時的な変革をもたらす。クラゲの頭を弾いては傷を入れ、幾つもの脚をもつエビの青く透き通る殻を砕いては中にまで刃を通して崩壊をもたらす。

 奥へと進むにつれてクラゲ以外の生き物を象った鉱物生命体の姿を目にする事が多くなり行く。

「俺たちの事でも避けてるのか」

「女の子の魅力は海の生き物の真似事してる子たちには伝わらないみたいだな」

 二人の新入りの発言に苦笑を返しながらタルスは辺りを見回し星を思わせる柔らかな青いものへと目を向けた。

「警戒心が強いようだと研究者が発表している」

「それよりそこの女が言ってる女の子ってのどうにかならないかしら」

 空気の流れを真剣なものへと変えようとするタルスの努力もむなしくメリーはリニに人差し指を向けて口を尖らせていた。

「同じに見られたくないわ」

「メリーこそ、ジェードルに向けてだけ色っぽい声なんか出して、気持ち悪いんだ」

 見事な仲間割れ、騒がしさが鉱物生命体への影響を殆どもたらさない事は不幸中の幸いといったところだろうか。

「あらあら、あなたの好きな言葉を借りるわ、女の子として良く見られたいだけよ」

「よかった、私の敵じゃないわ」

 リニの脳内に住んでいるジェードルに対する印象という一つの形の一端を垣間見たジェードルは思わず口の端に明るい感情を浮かべてしまう。

――流石ずっと一緒にいただけに俺への理解度はピカイチだな

 心が暖かな気に包まれていく。日光の雨とは別の方向から吹くように差し込んで来る薄青い光、横薙ぎのものや地面から形無く昇って来るものといった様々な輝きが心に明るみをもたらしてくれる。

 それは何処かリニの笑顔に似ているように思えて愛おしい。

 ジェードルの心など読むことのない者もいた。目の前で繰り広げられる会話を切り裂いてユークは漂うクラゲを斧で砕き、振り回しては三つの傘を地に落として額を袖で拭って新入りの二人にクルミ色の目を向けた。

「本能のままに振る舞うのはある意味クラゲたちと変わりない」

 低く冷たい声に心を締め付けられ、息が苦しくなってしまう。地面を踏んでいる足が正しい道を進んでいるのか曖昧になって、歩いている実感すらこの男に奪われてしまっていた。

「みっともないな」

 ユークは鞄を下ろして開きながらジェードルの方へと声色一つ変えないままに問いを投げ付けた。

「まだ痛むか」

「どちらかと言うと筋肉痛が来る」

 立ち止まり、右足を繰り返し上げては地に着いて、全身の痛みがじわじわと身を蝕む様を確認してはユークの動きにも目を向けて。自然と口から疑問が現れ出た。

「急に荷物下ろしてどうしたんだ」

 鞄から紙の束を取り出してジェードルに向けて揺らしながら静かな声で告げる。

「俺たちが守るからお前が交換人を務めろ」

 しばらく立ち尽くし、言葉の意味を噛み砕いて理解に落とし込みながら目の前の多大な重みを感じさせる軽い紙の束を見つめ続ける。

 そうして時間を無為に無へと変えている内にも金属を打ち合う音は響き、活発な彼らの姿が視界の外で揺らめいていた。

「早くしろ、誰もが頑張っている中に怠け者は要らない」

 身体を震わせながら紙の束を受け取って頷き、鞄へと仕舞う。ユークの顔は色を変えることなく、しかしながら満足の破片を明るみの中に捻り出しているように見えた。

「いいか、これから交換を行なう都市は紅を基調としている」

 合金の素材によって変わる色を象徴としているのだろう。決して敵ではないものの無条件によそ者を受け入れるわけでもない。或いは色の違いによって住まいの都市を見分けるための仕組か。

 ユークは駆け出し、斧を派手に振るう。素早く交差する残像がクラゲを三体沈黙させる。二度の斬撃が三の命を奪うという彼の技術は理解に落とし込むことが出来なかった。しかしながら心強い事には変わりない、信じる事で彼の動きに合わせる事が出来た。

「ついて来い」

 マルクまでもが斧を構えている中、ジェードルだけが武器を取り出さないままユークというリーダーが執り行うべき事に手を染めていた。

 ジェードルの視界を過るような青の残像が残り、それが迫り来る。近寄ってくるそれをユークは睨み付け、斧を振り下ろす。

 地面に転がった鉱物生命体の姿を目にしたジェードルの記憶の中から初めて彼らに出会った日の事が引きずり出された。

「魚だな」

 ジェードルの目を見て思い返したのだろう。ユークもまた同じように呟く。

 走り抜け、ようやく青の中に異なる色を見てジェードルは目を見開きその姿の元を目指してペースを上げる。

「あれが」

「そうだ、あれが俺たちよりも武器に金を掛けられる都市の者」

 ユークの声色は相変わらずだったものの、愚痴である事が容易に読み取れた。遠回しに自分の住む都市では武器に金が掛けられていないと語っている事は今年の予算をマルクから教わったジェードルには理解できる。

 先ほどよりも近付いた彼ら、黒の本体に塗り付けられたような紅は背負っている斧のマグマを思わせる色合いとは大きく異なり、人を構成する血と心を象徴しているように見えた。

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