確実な苦味
金木犀が散った。今年は夏が異様に長かったせいか、十月も半ばを過ぎて咲きだしたかと思えば、ちょうど一週間であの甘い匂いはしなくなった。教室の真下にある生垣に植えられた木々の足元には水分を抜かれたみたいにシワだらけのオレンジ色の花弁の群れが横たわっている。あれだけ落ちていれば、
「掃除する人も大変だろうなあ、あんだけ花弁落ちてたら。って思ってたっしょ」
「いや、花弁って落ちたら結構色変わんだなって思ってた」
教室横のベランダから下を覗き込む姿勢のまま、考えを当ててこようとしたクラスメイトに嘘を吐く。隣からは残念がるような、抗議するような声が聞こえた。
「当たると思ったんだけどなー」
そう言いながらクラスメイトは俺の隣に立って、俺と同じようにベランダの柵に寄りかかる。彼の方に目をやらぬまま質問を投げる。
「お前帰んねえの、今日部活休みだろ」
南向きのベランダから微かに見える太陽は既に沈みかけ、その金色を控えめにアピールしているようだった。
「あー、あかり待ち。なんかクラス委員だっけ?の仕事あんだって」
「はいはい、また彼女ね。放課後デートってやつだ」
顔の向きを変えぬままの俺の返事が気に食わなかったのか、背中を軽い衝撃が襲った。
「いて」
「ちゃんと答えたのに冷てえ態度だからだ、自業自得」
惚気話をする方が悪いだろ、という言葉はギリギリで飲み込み、もはや言語として成り立っているかすら危うい相槌だけを返す。ここまでワンセット、取るに足らない日常会話。
「そーいやさ、日本のキンモクセイって全部オスらしいね」
今日は少しだけラリーが伸びるようだ。俺は再び地面に横たわるオレンジ色に目をやる。
「ああ、らしいね」
自分でもそっけないと思うような返事をした。だが、隣にいる男は構わず話す。
「だから自分じゃ増えらんないからさ、キンモクセイが生えてるとこは人間がいるってことらしいんだよな。しかもキンモクセイ好きの人が」
俺はまた曖昧な相槌を打つ。
「でさ、この性質ってヒガンバナもおんなじなんだって。なんかさ、よくね?」
「語彙力どこ行った?」
いきなりの具体性を欠く発言に、俺は思わずクラスメイトの方を向きながらそう聞く。俺のリアクションが面白かったのか、笑いながらソイツは続ける。
「いやさ、なんか秋の風物詩みたいな花の二種類が人の居たとこにしか咲かないってなんかいいなあって思ってさー。オレ、どっちも好きだし」
ベランダの柵を押し出すようにしてそこから離れたソイツは、今度は数歩下がって窓の縁に座るように寄りかかった。
「まあ、言いたいことはわかるよ」
「お、流石。伊達に長年友達やってねーな」
ニカリと笑うソイツの後方数メートル先、教室の扉が開いて一人の女子生徒が顔を覗かせた。
「ほら、あかりちゃん来たぞ。彼女待たせんなよ」
「るせー、わーってるよ。じゃな」
少し不機嫌そうな顔をして、ソイツは窓から跳ねるようにして離れ、教室の中に戻り、当然のように俺の机に置いてあった自分のバッグを取って教室から出て行った。彼女に向けた笑顔は俺には半分しか見えなかったが、それでもうれしそうなことは伝わった。静かになった教室に背を向け、俺は再びベランダの柵に寄りかかる。今度は背中から持たれるように。誰も居ない教室を見渡すように。
「どっちも好きねえ。ホントに趣味合わねえな。俺はどっちも嫌いだよ」
見上げた空は少しだけ暗い青色で、もうじき夜になることを感じさせる。日が出ている時間もずいぶん短くなった。もう冬がすぐそこまでやってきているのだろう。金木犀も彼岸花も咲いていない。
「お前は知らないんだろうな。花言葉とかもさあ」
ため息と共に、曖昧に吐いた言葉なのだから。誰にも聞かれないでくれと、そう思った。