大学経営権をめぐる死闘
第1話 東京仏教大学への転籍
【東京仏教大学の体質】
当時この大学は〝百年の歴史と伝統〟という重荷を乗せながら、行先も定められない中をただ目の前にある雨風を避けながらゆっくりと漂うロートル船の様であった。
この歴史と伝統あるロートル船には常に募集定員を上回る生徒・学生の応募があり、百年の歴史に於いて転覆の危機などは一度もなかった。
乗組員達は長年にわたりその上にあぐらをかき、確実に訪れる〝少子高齢化〟というハリケーンから目を背け、転覆に対する備えを怠って来た。
しかし、日本の学校法人船団の総元締めである文部科学省は、一定の教育水準や実績を示せないオンボロ船についてはスクラップする方針を明確にした。
〝補助金〟という、大学にとっての血液を盾に文部科学省が各大学に求めた〝今後大学が目指すべき教育〟の条件は〝若者だけではなく、学び直し(リカレント・リスキリング)を希望する社会人や、外国人が高等教育を受ける場として機能する事〟であった。
各学校法人は、その命題をクリアする為に具体的にどういう改革を行うかについて文科省に示す必要性に迫られたが、それに答えられない大学は、ただ〝やせ細る18歳人口の奪い合い〟のみに躍起になった。
そういう大学の多くは、結果的に文科省が求める〝教育の質の向上〟という条件を満たすことが出来ず、補助金という血液を止められ、徐々に弱体化していった。
18歳人口の奪い合いしか考えない大学の多くが先ず実施したのは、短期大学の廃止とそれに伴う4年制大学の創設または新学部(4年制)への移行であった。
4年制にすれば志願者が集まると当て込み、国内の至る所で短大から4年制への転換が相次いだ。
東京仏教大学も多分に漏れず同じように短大を廃止し、新学部を設立した。
ところが、新学部「環境社会学部」の新設初年度は170名の募集定員に対し70名の学生しか集まらなかった。
大幅な定員割れの結果、短大募集停止による150名分の学費減および新学部での見込み違いによる学費減がそのまま収入減となり、当学校法人始まって以来、初めての赤字決算となった。それまで赤字などとは縁がなかった教職員の脳裏に初めて〝危機〟が過ぎった。
それにも関わらず、教職員の大半は〝口先〟で危機を叫ぶだけで何ひとつ行動を起こさなかった。それどころか、全ての責任を理事長ひとりに押しつけた挙げ句、理事長に退任を迫るという、前代未聞の騒動が勃発する。
【理事長・笠井の決断】
私立学校に於いては〝理事長〟が一般企業の〝社長〟、〝理事会〟が〝取締役会〟に相当する。〝理事会〟は最高意思決定機関となり、その構成は〝内部理事〟〝外部理事〟を合わせおおよそ10数名というのが一般的だ。
当時の当学校法人理事長は笠井であったが、既に着任から8年が過ぎた笠井には大きな悩みがあった。
平成26年12月。笠井は取引銀行の東京中央銀行丸の内支店長を訪ねた。
「支店長に折り入って相談がございます。」
「理事長、どういう相談でしょうか?」
「貴行から人を頂けないでしょうか?」
「人ですか? 急にどうされたのですか?」
「ご存知のとおり、少子化は年々深刻化を増しており、既に学校経営は弱肉強食の時代に突入しています。今年生まれた0歳児に至っては100万人を切っている状況です。このまま何もしない学校は間違いなく淘汰されるでしょう。」
「確かに、生徒・学生の獲得競争は今後一層、熾烈さを増すでしょうね。これからの時代は、過去の栄光だけで生徒や学生を集める事は難しいでしょう。」
「学生や保護者の皆さんの期待や信頼に応える為に何をすべきか。その為に資金をどう投資するのか。それらによりもたらされる顧客にとっての価値を最大限に高めていく事がブランディング戦略であり、我々の最大の責務なのです。」
「その通りですね。貴校のライバル校は皆、それを実行して来ました。例えば大手町学院は男子校を共学にして学納金収入を大幅に増やし、経営を安定化させました。」
「歴史と伝統を持つ男子校が共学化する場合は成功する例が多いのです。学力(偏差値)の足切りを高目に設定して入学試験を実施しても、女子を追加募集する分だけ応募者が増えているので、結果的に偏差値をボトムアップする形で定員確保が出来るのです。」
「その上、男子校が共学になれば、男子生徒も張り切って勉強に励むから、もしかすると相乗効果も期待出来ますかな?」
「中には勉学そっちのけで校内恋愛といった色恋に走る生徒もいるでしょうが、データ的には成功例が多い様です。しかし、本学の場合は既に共学化しておりますので、共学化以外の方法によるブランディングが必要なのです。」
「それは難題ですね。具体的な戦略はあるのですか?」
「そこが問題です。校舎の修繕・改装などの小手先では投資費用がかかる割にさほど効果はありません。」
「もっとセンセーショナルかつアトラクティブな改革が必要なのですね?」
「そうです。私は理事長就任後、3つの改革案を提示して来ました。ひとつはフィールドスタディ・グローバル教育・ICT教育といった多目的な学習や研修を行う新キャンパスを持つ構想。ひとつは新学部を設立し新たな学生を確保する構想。ひとつは小学校を設立する構想。それらが悉く立案の段階で潰されて来たのです。」
「理事長の改革構想を潰す勢力が学内に存在するという事ですか?」
「表立っては潰さず、理事会で賛成出来ない様な議案に仕上げて潰すのです。それを事務局のトップ(事務局長)にやられると、私のような非常勤の理事長としてはどうしようもない。諦めるしかありません。」
「その潰されてきた改革を成し遂げられる人材を銀行に求めておられるという事ですか?」
「その通りです。」
「銀行と学校とはカルチャーが大きく違います。また、銀行から派遣する人材というのは齢50を過ぎて定年退職・出向転籍を前提とした人間です。お眼鏡に叶う人材・改革を成せる人材がいるかと言うと相当ハードルが高いかも知れませんね。」
「今は藁にもすがる思いです。私の在任期間中に大学に一つでも財産を遺したい。探して頂けますか?」
「了解しました。人事部に掛け合ってみましょう。しかし過度な期待はしないで下さい。」
【銀行からの助人】
平成27年2月。
「理事長。一人おりました。銀行の支店長を2場所経験しておりマネージメント能力は問題ないと思いますが、理事長の期待される〝改革〟を成せるか、期待に応えられるかは何とも言えません。先ずは1年間、〝出向〟という形で受け入れられて〝不可〟という判断をされたら銀行に差し戻すという事でいかがでしょうか?」
「もし、ミッション遂行能力に乏しいと判断した場合、銀行に差し戻しても宜しいのですか?」
「そう判断された場合は、遠慮無く銀行に戻して頂いた方が、本人にとっても幸せでしょう。その場合、本人には別の企業を紹介します。お見合い結婚と同じですよ。片思いではお互いが不幸です。」
「そう言って頂けると気が楽です。何しろ学校法人には〝学校の法律〟に当たる〝寄附行為〟というものがあり、理事以外の教職員の権利はこれによって護られています。オーナー企業であれば社長が〝君は首だ〟と言えばその従業員は首になりますが、学校法人の場合は、懲戒免職以外には首や降格が無く、どういう働き振りであろうとも60歳までは保障されているのです。60歳以降も肩書こそ無くなり年収も相応に落ちますが、本人が辞める意思を示さない限り、65歳までは雇用するという規定なのです。」
「それは従業員にとっては大変恵まれた環境ですね。降格が無いという事は昇格も無いのですか?」
「定年や自己都合退職でポストが空かない限り、昇格はありません。」
「そういう出世の可能性が閉ざされたルールの中で人は育つのですか?」
「学校という組織は、ルーティンワークである〝事務〟をいかに無難にこなして1年間を乗り切るかが全てと思い仕事をしている職員が過半を占めています。スタンドプレーも要らないし、必要以上の能力も要らないのです。ただただ無難に。これが最大価値なのですよ。しかもうちの場合、〝管理職になると残業代が付かなくなるからお断りだ〟という職員も少なくない。困ったものです。笑」
「一般企業はそうはいきません。常に世の中の変化に対応しながら利益を追求しないと、いつ何時淘汰されるか分かりません。だからこそライバル社に負けない有能な人材を一人でも多く確保し、出世競争をさせながら人を育て、その中から経営職階に相応しい人物を選出し、経営陣を強化していきます。それが学校法人には不要というわけですか。」
「不要という訳ではありませんが、有能な人材であればある程、うちの様な実質的に人事評価制度がない学校組織に於いては浮かばれないでしょうね。」
「今、多くの学校法人が改革の実現をアウトソーシングしているのは、結局、教職員の中にそれを企画・推進・実現させるだけの人材が少ないという事なのですね。」
「恐らくそうでしょう。改革にはどうしても痛みを伴います。血を流す必要があります。それを嫌がる人間・既得権益を守りたがる人間があの手この手で邪魔をして来ます。縁故や恩といった〝しがらみ〟がある教職員に改革を託しても、結局はこういった抵抗勢力に負けてしまうのです。」
「教職員評価制度さえしっかりと整備されれば行動も考え方もかなり変わってくると思いますよ?」
「一度は検討をしました。しかし抵抗勢力によって潰されました。」
「うちの銀行から送り出す人間に果たしてその抵抗勢力に打ち克つだけの力がありましょうか。もし難しい場合はどうか早目にお戻し下さい。銀行を退職・転籍をしてしまってからでは銀行に本人を救ってやる手立てがなくなります。」
「分かりました。それでは早速、面接の日程を決めましょう。」
【事務局長の不安】
平成27年2月26日午前11時 東京仏教大学理事長室。
「おはようございます。東京中央銀行 堂本龍平と申します。よろしくお願いします。」
自己紹介から質疑応答まで一通りの儀式が終わった。
「堂本さんにはうちの大学の改革をお願いしようと思っています。」
「理事長、堂本さんの事は神田事務局長には伝えてありますか?」
常務理事の京極が切り出した。
私立の学校法人によっては理事長の下に常務理事のポストを置く事がある。言わば軍師・アドバイザーと言った役割だ。
常設ポストではないが、当大学の様にオーナー系ではなく、理事長の任期が決まっている学校にはご意見役として学校実務経験が豊富な人材を据える事が多い。
その下に法人事務局長が学校運営全般の実務統括責任者として置かれ、理事長の思いを具現化し、理事会に諮り、理事会で承認された案件を学校全体に命令・指揮するミッションを担う。言わば学校の〝要〟とも言えるポストだ。
「いや、神田局長には伝えていません。」
「神田局長にも知らせておいた方がいいでしょう。呼びましょう。」
事務局長の神田が理事長室に呼ばれた。
「神田さん、実は銀行から転籍を前提に本学に出向して頂く事になりました。紹介します。」
「堂本です。よろしくお願いします。」
「えぇ?何も聞かされていませんでしたが。来て頂いて何をお任せするのでしょうか?」神田は怪訝そうな顔で尋ねた。
「そうですね。差し当たっては法人事務局次長という肩書きで良いでしょう。銀行出身なので総務・経理を担当して頂いたらどうでしょうか?」
「はぁ。分かりました。何とかします。堂本さん、後で私の所へ来て下さい。今後の事を決めましょう。」
神田は最後まで合点がいかない顔をしながら理事長室を退出した。
こうして堂本龍平の東京仏教大学への出向が正式に決まった。
平成27年4月1日。堂本は辞令式を終え大学内各課への挨拶回りを済ませた。
「神田局長、彼は何をしに来たのですか?」古株の太宰総務課長が神田に尋ねた。
「良く分からんが、理事長が銀行から引っ張って来たらしい。」
「そうですか。まさか私達のリストラが目的で銀行から派遣された刺客じゃないでしょうね?」「それは分からん。そうかも知れないな。」
「もしそうだったら私達は断固結束しますからね。局長も味方をして下さいよ?」
「分かった。分かった。」
学内には大きな反体制勢力があり、水面下で現理事長の転覆を狙う動きがある事を、この時点で堂本が知る術もなかった。
堂本の出現が大学内に蔓延る癌細胞を活性化させ、その反乱の〝悪性腫瘍〟は学内で徐々に大きくなっていった。
【無為無策の大罪】
平成27年5月15日。堂本は神田から事務局長室に呼ばれた。
「堂本さん、君は笠井理事長が連れて来たという位置付けなのだよ。私だけでなく学内は皆そう見ている。今、君は政治的な意味で非常に警戒されているし、何かと誤解を受け易い立場にある事を自覚しておいた方が良い。」
神田はいきなり脅す様に堂本を牽制した。
「局長のおっしゃる意味が良く理解出来ないのですが。」
「君にたった数ヶ月でこれからの5年間を本学で良いのか判断しろというのは難しいだろうが、絶対にウチが良いと安易に考えない方がいいだろうと言う事だよ。」
神田は誇らしげな顔をしながら話を続けた。
「うちの大学の田上前理事長に世話になった人間が学内に大勢居てねぇ。仲人が前理事長だとか、就職で前理事長に面倒を見て貰っただとか。私もその一人なのだよ。17年前に前理事長に拾って貰いこの大学に来た。前理事長に恩がある教職員は今も学内に大勢居るからねぇ。」
「局長、その事が私にどの様な影響を及ぼし、どう気をつけたら宜しいのでしょうか?」
「うちの大学は、今の理事長に代わってから、特に私が局長に就任してからは敢えて何もしなかった。動かなかったからこそリスクも避けられたのだよ。他大学は色々と動いて来たが失敗もある。ライバル校のミッション大学は何かを取り組むというのは我々よりも明らかに早い。早いが失敗も多い。体力を消耗して、財政的な犠牲も多く払って来ている。大学を八王子市に移転したが直ぐに元の地に戻って来た。移転は失敗だったと判断したのだろう。うちはこれまで無駄な体力や金を使っていないが失敗もない。結果的にはそれで良かったのだよ。」
何もしなかったから成功と言えるかと言えばそうではない。堂本は言葉を選びながら質問をした。
「しかし何もしないで生き残れるのですか?」
「大学が生き残る形は何でも良いだろう。格好は悪かろうが大学が存続すれば良いのだよ。場合によっては何処かの学校と組むとかね。単独で生き残れなくとも仏教系グループ母体の仏教総合学園に助けを求める必要があれば、私はそれを躊躇しないよ。経営母体が変わっても東京仏教大学の名前と学校が残れば良いのだから。大学の形態がどうなろうとも学校が残る事が大切なのだよ。そういう例はいくつもある。もっとも仏教総合学園がうちの様な〝腐りかけた鯛〟を助けてくれるかどうかは分からんがね。」
「私は吸収合併された企業(銀行)にいましたから、その辛さを良く解っています。最後まで単独で生き残る努力をすべきだと思いますが。」「ふん。」
神田は堂本の意見を聞き終わると、眉間に皺を寄せ、鼻で笑いながら続けた。
「単独で生き残れる可能性について、ライバル校を順番に並べれば、うちは確実に生き残らない部類に入る。バラ色の絵を描くのは勝手だが、それを実行する為に教職員全員を動かさなければならない。その舵取りが一番難しいんだよ。」
この時、堂本は神田に対してある種、軽蔑に似た感情を覚えたが、直ぐにその〝舵取り〟の難しさを知る事になる。
【東京仏教大学への転籍】
堂本は自分一人では何が正しいのかの判断が出来なかったので、神田とのやり取りの一部始終を笠井(理事長)に報告した。
「神田局長はそんな事を言っていましたか。残念ですねぇ。これは事を急いだ方が良さそうですねぇ。」少し考えた後、笠井は真剣な眼差しで堂本に伝えた。
「堂本さん、貴方の出向期間はまだ10ヶ月残っていますが、一日も早く転籍出来ないかを銀行と相談してもらえませんか?」
「それは銀行に聞いてみないと分かりませんが、どういう理由で転籍を急がれるのですか?」
「もし転籍が叶えば、先日申し上げました3つのプロジェクトの一つを早速お願いしようと思います。」
「それは転籍を待たずともやりますが?」
「プロジェクトは3つ共、過去に潰された案件です。それをもう一度、事業案件として生き返らせようとする訳ですから、反対勢力が黙ってはいないでしょう。」
「私は出向・転籍に関わらず、与えられたミッションを粛々とこなすだけです。」
「貴方が出向という〝お試し期間〟の間に、何とか銀行に押し戻そうと姑息な手を使って来る可能性もあります。堂本さんさえ嫌で無ければ、何とか銀行と交渉してもらえませんか?」
「こちらこそ光栄なお話を頂き恐縮です。了解しました。銀行に話をしてみます。」
こうして堂本は予定よりも早く転籍をする事になった。
理事長が銀行から呼び寄せた〝ヨソ者〟が転籍するという事実は、大学内の反体制派勢力を大きく動揺させた。
職員の現場におけるトップは事務局長であり、事務局長には理事〈一般企業でいう取締役〉としての経営権が与えられ、その権力は絶大であった。職員の人事権も実質的に事務局長が握っており、基本的に職員は神田(事務局長)に逆らう事はなかった。
この大学の職員にとって重要な事は〝いかに安泰のまま65歳まで給料を貰い続けるか。〟〝いかにストレスなく日々のルーティンワークをこなすか。〟だけと言っても過言ではなかった。
その点、教職員に優しく、改革や変革を望まない神田(事務局長)は教職員にとってはまさに理想の上司であった。
そこに、教職員のリストラをはじめとした大学の改革を目的として堂本が銀行から呼ばれ、事務局長に次ぐポストに着任したとの噂はみるみるうちに広がり、教職員を震え上がらせた。それまでは法人事務局次長というポストが無かっただけに、リストラの特命感が一層強く漂った。
いよいよ平成27年7月1日付で堂本の転籍が正式に決まった。
神田は7月1日から2週間の休暇を取り堂本の就任式を欠席した。名目は検査入院であった。総務課長の太宰は故意に転籍の事務手続きを遅らせた。
「太宰さん、健康保険証の発行はいつ頃になりますか? 銀行の保険が失効したので新しい保険証が届くまで家族には現金で払う様に伝えますが、どの位の期間が必要か教えて頂けますか?」
「ちょっと待って下さいよ。こっちも忙しいんですから。」
堂本には太宰から嫌がらせを受ける理由が全く理解出来なかったが、特に気にとめる事もなくやり過ごしていた。ただ、総務課内の職員の殆どが事務局トップの神田と総務課長の太宰に気を遣い、次第に堂本を無視する様になった事は堂本の心を深く傷付けた。
【第1のミッション】
転籍後間もない8月のある日、堂本は理事長室に呼ばれた。
「堂本さん。早速一つ目のミッションに取り掛かって貰います。そのミッションというのは新キャンパス用地の買収です。今から私が現地を案内します。」
堂本は理事長に連れられ、東京都大田区にある埋立地にやって来た。
「ここが買収を考えている場所です。」
「理事長がこの場所に興味を持たれた理由を教えて下さい。」
「現在、うちのキャンパスは(東京都)立川市にありますが、これからは東京23区内にキャンパスを保有する大学こそが生き残り競争に大きなアドバンテージを持つ時代が必ず到来します。東京23区内での新キャンパス確保は本学の将来にとって必須課題なのです。新しいキャンパスではフィールドスタディ・グローバル教育・ICT教育といった多目的な学習や研修を行う施設を整え、これからの時代にマッチした新しい教育を施し、大学を卒業して30年後にも社会の第一線で活躍ができる学生を育成したいのです。これは文科省が唱える次世代教育にも適っているのです。」
「30年後にも第一線で活躍できる学生ですか?」
「はい。仏教系の大学でも一流大学に負けない〝価値〟を身につけた、社会で淘汰されることのない学生の育成です。」
「理事長、偏差値や大学名が優先される中で一流大学に負けない学生を育成するといっても簡単なことではないですよね。」
「今、企業が真に求めている人材(学生)とは、記憶力や学力も然ることながら、課題発掘能力・課題解決能力、統率力、協調性といった、記憶力や学力では計れない行動特性を備えた人材なのです。〝知性(専門的知識・技術)〟×〝行動特性〟の総合評価が高い人材こそ、組織のリーダーとして長く活躍出来る人材との見方が主流になりつつあります。これからはその傾向がより一層強まるでしょう。」
「確かに理事長がおっしゃる〝知性(専門的知識・技術)〟×〝行動特性〟を兼ね備えた人材こそが企業のリーダーとして必要とされていますし、言い換えれば、それが欠けていれば高学歴であっても企業の経営職階まで辿り着くのは難しいでしょうね。」
「生まれながらにそういう能力を備えた人もいますが、多くは人生経験の中で、ポテンシャル(潜在能力)を開花させながら成長するものです。我々の重要なミッションは、その生徒や学生のポテンシャルをいかに引き出してあげられるかなのです。」
「本学で学ぶ生徒や学生が在学中にいかにコンピテンシー能力を養うかが、大学を卒業して30年後にもリーダーであり続けるための重要なカギになる訳ですね。」
「その通りです。大学で新たに創る学部は、そういった将来構想を考えた上で立案しなければなりません。うちが新設して失敗した〝環境社会学部〟は、そもそも短大廃止に伴い行き場を失った短大の教授たちを失業させない為の〝受け皿〟という甘い考えが〝第一の目的〟でした。その上、肝心の新学部のカリキュラムポリシー(学生に対して具体的にどのような教育を施すかという学部としての教育方針)は中身のない軽薄なものでした。私は〝絶対に失敗する〟と反対しましたが、教授会や大学系理事に押し切られました。結果は見てのとおりです。」
笠井は口惜しそうな顔をしながら話を続けた。
「もうひとつの大きな目的があります。うちは幼稚園・中学・高校・大学・大学院が有りながら、小学校だけがないでしょう。」
「それは私も気になっており、理事長に質問したいと思っていました。」
「学びの基礎は小学校時代に養われます。この時期こそが個性(才能)の伸長や忍耐力、思考力、決断力、表現力を育成する時期なのです。正しく判断し、正しく行動する為の基礎的能力を培い、それを社会発展に活かす力の基本をしっかりと養う必要があるのです。だからこそ何としても附属小学校を設置したいのです。」
堂本には笠井の将来構想・教育者としての夢をすぐに理解する事が出来た。
「理事長が仰るように、附属小学校を設置すれば、幼小連携・小中連携の可能性も生まれ、学校法人としての総合力をより強固なものにし、教育改革を強力に推進する事が出来ますね。」
「学びの連続性は子どもたちの発達と学習内容の連続性に繋がりますから、その意義は大きいと思います。ところが、レベルの低い教職員は何かと言えば〝小学校を創設してもどうせ赤字だ〟とネガティヴな事ばかりを並べ立て反対します。」
「確かに、将来構想を描き、それを実現しようという意識の高い方、行動力に長けた方はあまりおられない様ですね。」
「これまで悉く反対派に潰され、結局は何も出来ませんでした。もう改革派で推進していくしかないのです。」
「小学校は新キャンパスに創るのですか?」
「いえ、小学校は幼稚園・中学・高校に隣接する場所に建てて、幼小連携や小中連携が敷地内で出来る様にしたいのです。ただ、今の立川キャンパスだけではとても用地が足りません。だから新たな用地を取得し、新キャンパスを開校し、そこに立川キャンパスから既存の情報科学学部や国際総合学部を移転し、(立川キャンパスの)空いた土地に小学校を創設します。それが叶えば、幼稚園から大学院に至る全ての学校の設置が完成し、情操教育に重点を置きつつ、あらゆるライフステージに対応した働きかけも可能になるという訳です。」
「現キャンパスと新キャンパスのコンセプトは変えるのですか?」
「情報科学学部や国際総合学部の他にこれから新設する学部は全て新キャンパスに置き、〝将来を担う人財の発掘キャンパス〟としてのメッセージを、新キャンパスから発信するのです。ただ闇雲に土地を買うのではなく、移動し易い立地・将来構想が描ける土地である必要があります。私はこれまで幾つも物件を見てきましたが、良い物件は高く、安い物件は悪いと、悉く条件を満たしませんでした。そうしてようやく、東京都の紹介でこの場所(大田区湾岸エリア)にご縁を頂いたのです。」
「それだけの明確な理由がありながら何故、これまでの理事会で承認されなかったのですか?」
「過去の理事会の議題に使われた資料を見て頂ければ分かりますよ。私の想いが全く無視された内容になっています。」
堂本は事務室に戻り過去の理事会資料「新キャンパス用地取得の件」に目を通した。
そこには用地所在地・地積の後に建築代金40億円・土地代金35億円と書かれているだけで、地価の妥当性・所在地の将来価値・設置基準充足をはじめとした土地取得理由や取得後の活用策は一切書かれていなかった。
「これでは稟議書とは言えない。この様なお粗末な内容では理事会で承認されるはずがない。」
銀行で様々な重要案件の稟議書を書き、動かぬ山を動かして来た堂本には、その資料が〝通さない為の資料〟である事が直ぐに理解出来た。
そしてこの時、神田(事務局長)が言っていた〝動かなかった事でリスクも損失も避けられた。〟と言う意味を初めて理解した。
【理事会と評議員会】
笠井は9月の理事会でこの〝新キャンパス用地〟購入の承認を取りたいと堂本に指示した。土地の専売契約期限が9月末に迫っていた事と、他に2社が購入意欲を示していた事がその理由だった。
理事会当日。堂本は理事会に諮る為の稟議書を何とか間に合わせた。
資料の内容には自信があった。しかし一つだけ不安が残った。
それは教職員の合意を得られていない事だった。用地取得については教職員の合意は必要ないが、新キャンパスの具体的活用方法等については、本来ならば事前に教職員の意見も採り容れて、皆が納得した上で新キャンパス構想を展開するのが理想的な姿であった。
しかし旧態依然を是とする教員、反対の為の反対をする教員の抵抗に遭う事は必至で、それらの勢力を納得させた上での理事会通過を試みておればとても間に合わなかった。
幸いにも理事会は理事15名中、13名の賛成多数で承認された。
賛成の手を挙げなかったのは大学副学長の若山と中高校長の猫柳の2人だった。
彼等は〝学内の教職員の説得が出来ていない段階での用地取得に対しては、立場上賛成の手を挙げられない。〟とした。
しかし、その議案がボトムアップによるものか、トップダウンによるものかに関わらず、経営判断として理事会で決定した議案については、副学長として、校長として学内の教員に周知徹底し、教員のベクトルを統一する事こそが、〝理事(役員)〟としての彼等の義務と責任である。
それにも関わらず、彼等2人は理事会で承認されて以降も教職員側を説得するどころか、逆に教職員側に付いて理事長を批判した挙げ句、のちに「理事長解任請求」という〝謀反〟を起こす事になる。
理事会が終わると評議員会が開催される。
評議員会は学内外の学校関係者から選出された38名以上45名以下の評議員で構成され、学校法人の業務・財産の状況・役員の業務執行状況について役員に意見具申をする、報告を求めるなどの、いわば〝けん制機能〟の役割を担う。
しかし理事会での決定事項を覆す、又は無効にするといった権限は有していない。それにも関わらず今回の評議員会は簡単には収まらず紛糾した。
その中の切込み隊長は、大学教授で組合委員長を務めている別府であった。
「今回購入しようとしている土地は埋立地で、そもそもゴミの島と呼ばれていた場所です。どんな産業廃棄物が埋められているかも分からない。大学キャンパスとしては決して適さない場所だと思います。以前に一度否認され死んだ案件を何故ここで再度テーブルに乗せ、挙げ句の果てに承認するのか意味が判らない。」
「ここは都による地盤・廃棄物等の調査が済んでおり、都の認可証もあります。別府先生は実際に現地を観て確証を得た上で仰ってますか?」
堂本が尋ねると、すかさず別府がまくし立てた。
「私はまだ現地は観ていないが、インターネットで調べればおおよそは想像がつく。理事・評議員の皆さん、騙されてはいけません。こんな土地を買っても使い道が無く直ぐに荒地になるだけです。」
別府は30有余年もこの大学に在籍しながら何の功績も無く、ただ漫然と高い給料と休暇だけを大学から享受して来た〝寄生虫〟教授の一人だった。
評議員の中でも中学・高校・大学の教職員は矢継ぎ早に入れ替わり立ち替わりに質問をした。建設的な質問は一つも無く、全てが〝土地取得反対〟のシュプレヒコールだった。
こうして〝土地取得〟については理事会の承認を得られたものの、その〝運用方法〟については、教職員の反対多数の中、前途多難な航路が待ち構える〝船出〟となった。
【反体制派の密談】
それから数日後、理事会の決定に不服の意を唱える教職員の代表格が、事務局長室に一同に会し不穏な相談をしていた。
「神田事務局長、あの決定には副学長・校長共に賛成の手を挙げなかった。それにも関わらず局長は賛成されたそうですねぇ。どういうおつもりですか?」
評議員会で強く反対を訴えた別府が神田に詰め寄った。
「別府先生、あの議案の発議者は事務局長である私になっているのです。不本意ながら私の立場としては賛成するしかないでしょう?」
「そもそも何故あの様な議案を出されたのですか?」企画広報課長兼入試課長の黒川が質問した。
黒川は田上前理事長派閥の〝斬込み隊長〟であり、局長の神田にとっては頼もしい片腕であった。
九州大学を卒業した黒川は、人一倍プライドが高く、論調は常に攻撃的で、目をかけた部下に対してはエコ贔屓が激しく、他の課員に対しては徹底して厳しく当たる性質であった。
職員が応戦しようものなら〝糾弾〟に近い攻撃をしてくるので誰も反論が出来なかった。その為、離職者が少ない本学において、彼が課長を務める企画広報課・入試課だけは例外的に離職者が多かった。
「堂本が理事長に頼まれて資料を作ったのだよ。そして私と京極常務に伺いを立てて来た。私は案件を潰す為にあらゆる課題を出したのだが、堂本は全て解決して持って来た。課題がクリアになるうちに常務が賛成に回ってしまった。そうなると法人事務局で私だけが反対する訳にはいかないだろう。」
神田が顔を顰めながら黒川の質問に答えた。
「京極常務は我々の味方ですか?敵ですか?」
「京極常務もあの土地の購入には当初は反対だったが、最終的には反対する理由が無くなったので賛成に回られた。しかし決して積極的な賛成ではない。今後の土地の使い方次第との考えだ。」
「では、土地の運用が上手くいかなければ今回の土地取得は失敗だったという事になる訳ですね?徹底的に妨害するしかないな。」
別府が薄気味の悪い笑みを浮かべながら口を開いた。
別府は老体でありながら血気盛んな男で、学内では〝組合の街宣車〟と呼ばれていた。何かあれば直ぐにSNSを通して内外に大学の内部情報を垂れ流す、経営側からすれば単なる〝高給取りの害染車〟であった。
「神田局長。私達は最後まで局長について行きます。何とか堂本を大学から追い出す事は出来ないのですか?」黒川が神田に尋ねた。
「彼は既に転籍してうちの職員になってしまった。自主的に辞めない限りはこちらから辞めさす事は出来ない。」
「では、自主的に辞める様に仕掛けていけば良い訳ですね?」
「そんな事が出来るのか?」
「堂本のあらゆる言動に注意を払いながらちょっとした失言も見逃さない様にしますよ。そこを突いて追い込みます。徹底したネガティヴチェックで挙げ足を取り、誰も彼に協力をしない様に周知します。協力者が居なければ彼が白旗を揚げるのは時間の問題ですよ。」
「証拠が残らない様に上手くやらないと返り討ちに遭うぞ。」
「分かりました。任せて下さい。必ず尻尾を掴んで追い込みます。周りの職員にも睨みを効かせています。彼が学内で孤立するのは時間の問題です。」
こうして神田(事務局長)を総大将とした大学・中高・組合の連合軍による笠井(理事長)と堂本をターゲットにした総攻撃が始まった。
【労働組合団体交渉】
平成27年10月。労働組合との団体交渉が始まった。
組合委員長である別府はそれまでにSNSを通して世間一般に対しあらゆる毒を撒き散らした。
「東京仏教大学に於いてここ5年程の間に、笠井理事長が大学を私物化し、大学は次々と異常な事態に陥った。自ら建学の精神を踏み躙る理事長の数々の暴挙に我々教職員は幾度も苦しめられて来た。」
「大学が期末手当1カ月分を削減する程に経営が逼迫しておきながら、多額の初期費用をかけて新キャンパス用地を取得しようとしている。このままでは将来、大学120周年を迎える事なく大学は潰れる。」
一教授とは言え、内部の人間からの〝告発〟に対し、来年に入試を控えた受験生やその保護者達は敏感に反応した。その後、予備校の模擬試験に於ける東京仏教大学の志望者数が大幅に減った。
学校法人東京仏教大学には中高・大学共に優れた教育者は多く存在した。しかし、後先を考えず目先の利益や感情論で行動を起こす一部の無能な教職員が大学の発展を妨げ、大学を更なる危機へと陥れた。
「神田局長、我々の期末手当を1カ月分削減する位ならば、新キャンパス用地購入資金を手当てに回して下さいよ。」団体交渉の席上で別府(組合委員長)が神田(事務局長)に嘆願した。
「今回、学生の入学者数が定員を大幅に割れ収入が激減しました。それに対して支出は逆に増えている事から、学校法人創設以来初めて決算赤字を計上する事になりました。教職員の手当てと決算内容をリンクさせるつもりはありませんが、うちは人件費比率が70%と他大学に比べて異常に高い。そんな状況下で赤字となれば、先ずは人件費比率を他大学並みに抑える努力をしなければ世間は納得しないでしょう。一方、用地購入資金は流動資産から捻出します。勘定科目で言えば流動資産が固定資産に変わる形を取るだけで、現時点での資産の目減りや損益への影響はないのですよ。」神田(事務局長)が丁寧に説明をした。
「結局は同じ財布から支払うと言う事でしょう?そんな無駄金を使う位ならば、収入を増やす為にも学生を集める事に金を使ったらどうですか?」
「学生を集める事に使えと言われますが、具体的な代案を持っておられるならば是非お伺いしたい。」神田が珍しく〝理事者〟としての一面を覗かせた。
「代案?それは経営が考える事でしょう? とにかく、新キャンパス用地購入を断念しない限り、手当の削減には応じられません。」
政治の世界でも低レベルの政党・政治家ほど代案を出さずに〝反対の為の反対〟をするのが常套手段だが、本学に於いてもそれは変わらなかった。
〝集団の暴力〟の中で最も醜いのが〝説教者集団〟という昔からの定説がある。
説教者集団は大きく〝教育者集団〟と〝宗教者集団〟とに分かれる。
彼らは人の言うことを聞く習慣がないので、「節度」が分からない。
東京仏教大学は宗教系の学校なので、関係者の大半がこの両者〝教育者と宗教者〟で占められていた。平時には隠れていた顔が、有事になると変貌して〝説教者集団〟としての顔に変わり暴徒化する。
今の本学の状況がまさにそれであった。そして〝説教者集団による暴力〟はこれ以降、ますます激しさを増していった。
第2話 四面楚歌
【四面楚歌】
初の「新キャンパス構想委員会」が開かれた。
そもそも教職員の多くは、〝自分達に相談もなく経営が独断で購入した土地の使い道など自分らで勝手に考えろ〟というスタンスであった為、はなから議論にならなかった。
学校法人東京仏教大学の附属中学・高校は中高一貫教育の進学校として都内でも随一の偏差値・有名大学進学率を誇っていた。
それに対して大学の合格ライン偏差値は中高の偏差値を大きく下回っていた。
大学側にも〝偏差値は低くとも就職率は高い。しかも法人の財政を支えているのは大学だ。〟という自負があった。
実際に中高の事業収支はトントンから赤字である中、大学だけは恒常的に黒字を確保して来た。確かにこの学校法人の財政は大学部門の収支で成り立っていた。
中高は中高で〝法人のブランドは中高の100年にも及ぶ歴史と伝統、そして高い進学率・偏差値の上に築かれたもので、東京仏教大学附属中学校・高等学校のブランドがあるからこそ大学は学生を集められるのだ〟と対抗し、決して譲らなかった。
そこにこの法人の大学教員対中高教員の相容れない深い溝があり、同一の学校法人にありながら、これまで大学と中高が連携・協力する事は一切無かった。
高校教諭の中には「お前らはもっと頑張らないと、うちの大学しか行く所が無くなるぞ」を受験生への脅し文句にする者さえ居る程に大学と中高の関係性は悪かった。
そういう大学に通ってくれる学生のお陰で自分達が生活できているという〝感謝〟の気持ちを持つ教員は数少なかった。
新キャンパス構想委員会ではそういった高飛車な性質の中高教員と、クセ者大学教授の別府が強力なタッグを組み、堂本に対して徹底した集中口撃を浴びせた。
〝笠井理事長が銀行から連れて来た疫病神〟というレッテルを貼られた堂本が反論をしても味方もなく、会議の場がまるで裁判所での原告と被告による押し問答の様な雰囲気になってしまった。
これでは建設的な意見交換は無理だと判断した笠井が「閉会」を宣言し、会議は思わぬ形で幕を閉じた。
堂本は〝今は自分がもがけばもがく程、糸が絡まり、かえって余計な敵を増やす〟事をあらためて認識した。
いつしか堂本の言動には常に〝尾ひれ〟が着き、〝伝言ゲーム〟が〝偽伝言ゲーム〟として、〝善意〟が〝悪意〟として伝えられるようになっていた。
その結果、堂本を知らない者までもが彼を〝リストラ請負人=厄病神〟の様に忌み嫌う様になっていった。
堂本が窮地に追い込まれる事こそが反体制派の思うツボであった。堂本はまさに〝四面楚歌〟の最中に置かれていたが、そんな中で〝唯一の味方〟の存在が挫けそうになる彼を支えた。
それは、堂本と同じくこの4月から当大学に一般企業からの出向人事でやって来た鍋島だった。
学校法人は非課税法人である事から、基本的に節税の心配は要らず、財務的には楽であった。又、これまで黙っていても学生が集まり、苦も無く数億円単位での黒字の収支決算を繰り返していた為、外部業者に対する価格交渉などは一切なく、2千万円を超える案件の場合は規定に則り入札をするが、2千万円未満の案件は全て業者の言い値で約定をしていた。
職員には〝出来るだけコストを低く抑える為に値切る〟という意識は全く無く、複数業者を価格競争させる事など面倒なだけであった。
業者にとってもこのような〝ザル体質の学校〟は実に有り難い客であった。
そういうぬるま湯の学校カルチャーは少子化の到来により一変する事になる。
各学校法人が出費を見直す動きをし始めた。これまで業者選別もなく言い値で垂れ流されていた〝外への利益〟を最小限に抑える事で学校法人の財政上の出費を抑え〝内への利益〟にする為の対策を考え始めたのだ。
学校法人が100%出資する事業法人を設立し〝学校法人の効率化〟を専業とする部隊を組成する方法が最も一般的となった。
東京仏教大学も平成27年2月に「東京仏教大学ビジネスサポート(TBUBS)」という事業法人を設立した。
その開設委員長として一般企業から採用されたのが鍋島だった。
鍋島のミッションは簡単な事ではなかった。無駄が多いという事は、言い換えれば甘い蜜を享受し続けて来た人間がいるという事だ。そこにメスを入れ、甘い蜜を大学に返して貰おうというのだからその反発・抵抗は想像以上に激しかった。
この大学には、改革やそれに伴う緊縮財政・倹約・リストラに対しての免疫が無く、それを実行しようとする勢力に対しては集団で刃向かい阻止しようとする教職員が過半を占めていた。
職員にとって重要な事は、1年間の学校行事の中で自分が与えられた役割を事故無く無難にこなし、安定した給料を貰うことであった。ポストが空かない限り昇格も無いが降格や減給もなく毎年一定額が自動昇給される。
一般企業の様に出世の為に仕事の鬼になる事もなく、部下をこき使う上司もいない、まさに大学は働き易い楽園であった。
東京仏教大学は〝改革を行わない居心地の良い楽園〟でここまで通して来た為、自己都合退職をする職員は殆ど居なかった。
その結果、なかなか新規採用枠が空かず、何年も〝新卒者採用無し〟が続いた。
職員の平均年齢は年々上昇し、職員の人口ピラミッドは「つぼ型」となり、50代以上の職員比率が異常に高くなっていた。
社会人として〝純粋無垢〟な新卒者を多く採用し、若いうちから知識と経験を身に着けさせることで職員の新陳代謝を促進させることが学校法人にとっていかに重要であるかということなど神田(事務局長)の考えが及ぶところではなかった。
法人執行部(人事部)はいびつな人口ピラミッドを解消する為に、課長・係長クラスの中間管理職に30代、40代の男性を何人も中途採用したが、残念ながら秀でた人材には恵まれなかった。
その中で、神田や黒川の様な〝やや難あり〟な管理職職員が幅を利かせ、パワハラで職員を黙らせながら大学を牛耳ってきた。
笠井(理事長)は大学に改革を成す為に人材を探したが、学内にそれを任せられる人材はいなかった。その結果、呼ばれたのが堂本と鍋島だった。
彼らは同じミッションを担う者同士として、又、年齢が近い事もあり、早い段階で意気投合した。
ある夜、鍋島は堂本を酒に誘った。2人が居酒屋に入ってから間も無く、その後を付けて来た人物が居た。その人物は襖越しの隣席を選び、2人に悟られない様に腰を下ろした。
「堂本さん、前理事長の田上さんは用地買収や新学部創設、小学校設立等の新たな投資にかなり消極的だったそうですね。その一方で多額の借金をして中学高校校舎を建て替えたのは田上前理事長という話ですが。」
「中学高校校舎の建て替えは中学高校の教職員や後援会が強く要望していた事なんです。それを実現させた時、前理事長は(中学高校の教職員や後援会から)神の如く崇め讃えられたそうです。そうやって教職員の支持を集めて来られたのでしょう。しかし中高の校舎建て替えにより学校法人は莫大な負債を抱えました。それが今、大きな足枷になっているのです。校舎の建て替えは利益を生まない投資ですから、借金ではなく、基本金という積立金から捻出するのが本来あるべき姿なのです。」
「堂本さん。ということは、前理事長はその基本金(積立金)が十分に積み上がっていない中で、教職員や後援会からの人気取りの為に、借金(負債)をして前倒しで校舎の建て替えを行ったのですか?」
「そういうことです。今は本学のブランディングに寄与する〝改革〟に投資すべき時なんです。校舎は然程、老朽化していませんでした。(借金をしてまで)校舎を前倒しで建て替えて喜んだのは中高の教職員と後援会だけです。」
「神田事務局長は笠井現理事長が望まれた3つの改革に敢えて従わなかった事が美徳であったかの如く(堂本さんに)話をされたというのは本当ですか?」
「(鍋島さんには)以前にお話ししましたが、笠井理事長に対して表立っては反対出来ないので、従った振りをしながら上手く命令に背いて来られた様です。」
「笠井理事長はそれに気付いておられないのですか?」
「理事長は多分、薄々気付いておられたでしょう。」
「何故、それを分かりながら理事長は神田さんを事務局長として重用し続けたのですか?」
「恐らく、他に事務局長職を任せられる人材が学内外に居なかったのでしょう。ただ、このままでは何も成し遂げられないまま任期を終えてしまう。それだけはならないとの思いで銀行と損保に人材を求められ、東京中央銀行から私が、三友海上火災から鍋島さんが当大学に改革請負人として招かれたという事でしょうね。」
「大変なミッションを背負ったものです。ミッションを遂行するだけならまだしも、それを妨害しようとする輩がやたら多く、何よりそれが厄介ですね。」
「そうなんです。しかも教職員実務部隊のトップである事務局長が反改革派のリーダーとして我々の前に立ちはだかり邪魔をされる。困ったものです。」
「堂本さんが次の事務局長候補ではないのですか?」
「とんでもない。事務局長職というポジションは、法人の中で最も重要な〝扇の要〟です。年間のルーティンに於ける多種多様な課題を無難に解決する事に加え、学校法人が発展する為の新たな課題にも挑まなければなりません。金融機関からひょっこり現れて出来る様な簡単なポストではないですよ。」
「確かにそうですね。経験と実績に加え、教職員の信頼や協力が無いと難しいでしょうね。」
「鍋島さんが担う効率化・スリム化は、ルーティンワークで満足している教職員や、既得権益を護りたがる業者からは煙たがられます。私が担う学校法人の将来に資する先行投資に対しては、保守的な教職員や己の私利私欲しか考えない人達が邪魔をして来るでしょうね。」
「でも教職員の中には我々に理解を示し協力してくれる人も居ると思うんですよ。私は教職員の一人一人と話をしながら同志を増やしていきたいと考えています。」
「改革を成すには先ずは人心から。鍋島さんが仰るとおり、遠回りの様に見えて実はそれが一番の近道かも知れませんね。」
【第2の人生の悲哀】
適度に酒も回り、2人の話題は〝金融マンの第2の人生の悲哀〟へと移った。
「我々大手銀行に勤める者は、まだ働き盛りの50歳過ぎに、半ば強制的に出向・転籍させられますが、その大半の人間は、それまでの仕事・生活が一変する様な環境に追いやられています。損保業界はどうですか?」
「我々も自分で行き先を決められません。人事部が持って来た取引先に行くしかありません。」
「企業に比べて銀行の立場が強い時代は〝メイン銀行から人を受け容れる事=銀行から護られる事〟だと歓迎されました。また、事実、銀行転籍者が居る企業からの融資依頼を銀行が断る事は皆無でした。ところが、国民の税金である公的資金を受け容れた辺りから銀行の立場が危うくなりました。」
「銀行員は銀行の取引企業という行き先があるだけまだ恵まれていますよ。我々、損保業界は大幅に年収をカットされて関連会社に転籍するか、自分で行き先を見つけてくるしかありません。損保業界は企業に対する(優越的)地位が低く、職員の転籍先としてのマーケットやキャパが銀行ほど多くはありません。」
「我々も先ず、関連会社希望か一般会社希望かを聞かれます。関連会社の代表や役員はほぼ100%銀行からの天下りです。職員も元銀行員がかなりのシェアを占めますから、関連会社に行けば精神的にも肉体的にもかなり楽ですね。」
「一般企業を選択する人のアドバンテージはあるんですか?」
「一般企業を選択すれば退職一時金という大きなボーナスポイントが付きます。また、年収も関連会社に比べ相当額高くなります。言わば〝撒き餌〟ですよ。関連会社の受け容れ枠には限りがありますから、狭い漁場(関連会社枠)から魚達(転籍予備軍)を広い外海に放つ為の〝餌〟です。」
「なるほど。一般企業にも色々ありますよね。幾つか選択肢はあるんですか?」
「いいえ。銀行が紹介して来る企業はピンポイントです。予め希望する業種や労働条件を行員に聞いてはくれます。あまり理想的な条件を書き過ぎると中々紹介企業が見つからず待たされます。程々でオファーしておけば、そのうちにまぁ表面上は問題ない企業を紹介してくれます。」
「表面上は?ブラック企業を紹介される事もあるんですか?」
「ブラック企業と分かりながら紹介される事はありません。しかし銀行に対して自分の恥部を自ら曝け出す企業などありません。外面は真面目に振る舞い、その実は真っ黒という企業は数え切れない程あります。従業員が満足して働けている企業なんて全企業の2割にも満たないでしょう。」
「うちの場合は一般企業に出向する期間は1年間で、そのお試し期間中にお互いを見極め、場合によっては転籍せずに会社に戻る事もあります。」
「銀行も同じです。特に銀行業務は非常に特殊かつ閉鎖的で、他業種へのキャリアチェンジが難しく、いわゆる〝つぶしが効かない業種〟なのです。殆どの銀行員が転籍先では相当な苦労をしています。ただ、銀行員は基本的にプライドが高いので、銀行に出戻る事は自分自身の〝失格の烙印〟の様な受け止め方をする人が多いのです。だから殆どの人間はその会社と相性が悪いと感じても、実質的にブラック企業であっても、大概の場合は目を瞑り転籍をしてしまいます。そして命を縮める人間や辞めてしまう人間も少なくありません。」
「ノイローゼや自殺ですか?」
「私の親友が半年前に自殺を図りました。幸いにも一命を取り留め、今は銀行の関連会社に移りリハビリをしながら心の傷を癒しています。」
「その方はどんな企業に行かれ、どの様な仕打ちを受けたのですか?」
「大阪に本社を構えビルメンテナンス業を営む2部上場企業ですが、ワンマンオーナーが牛耳っており、役員の半数は一族、半数はメイン銀行であるりそう銀行からの転籍組でした。そこにメイン銀行よりも格上であるトップバンクのうちから初めて人を出したのです。」
「それは間違いなく虐められますよね? よくそんな所に人を出しましたね?」
「その会社のオーナーが準メイン銀行である東京中央銀行からも人が欲しいと頼んで来たのですよ。」
「私だったら行きませんね。潰されるのは目に見えています。」
「私の親友は基本的に性善説を信じる人間で、また銀行が紹介する企業なのだからと人事部からのオファーに疑う事なく了承してしまいました。」
「善良な人間ほど潰され易いのが世の習いです。ましてやそんな伏魔殿の様な企業ならば出向期間中に戻れたでしょう? 何故転籍したのですか?」
「彼は出向期間中に執行役員・営業部長の肩書を与えられました。任務も無難にこなし、順風満帆に1年間を過ごしました。周囲の心配も杞憂であったと誰もが胸を撫で下ろしました。ところが転籍した途端に風向きが変わってしまいました。」
鍋島は次の展開を自分なりに推理しつつ、真剣な眼差しで堂本の話に耳を傾けた。
「彼の転籍後間も無く、りそう銀行から出向者がやって来ました。りそう銀行出身の役員が母行に頼んで招き入れた〝刺客〟です。仮に私の親友をA、刺客をBとしましょう。Bも直ぐに執行役員になり肩書は管理部長でした。Aは突然、営業部長の肩書を外され、1ヶ月間の業務研修という名目で競馬場の清掃に回されました。競馬場はこの会社の主要取引先の一つでしたが、まさか銀行で支店長まで務めた50歳過ぎの人間が、転籍先で厩舎の馬糞掃除をさせられるとは思いも寄らないですよ。しかも1厩舎の清掃に20分間×20ヶ所、7時間休み無く働かされたそうです。それが1ヶ月間続き、とうとう足腰が立たなくなってしまいました。鍼灸治療院・競馬場・自宅を往復するだけの生活が続き、優しく声をかける人間など一人も居ませんでした。」
「奥様やご家族が傍で支えられなかったのですか?」
「彼は家族を東京に置き大阪に単身で赴任していたので、彼を癒してくれるものが何も無く、孤独の中でとうとう鬱病を患いました。そして睡眠薬の過剰摂取による自殺未遂という所まで追い詰められてしまったそうです。後から思えば、追い出す事を目的に過酷労働を強いたのでしょうね。」
「それでは、りそう銀行派閥の思惑通りに事が運んだ訳ですか。」
「ところが、りそう銀行から刺客として送り込まれたBもまた最近、銀行に戻ったそうです。その理由は、公的には社内セクハラという事だったそうです。」
「セクハラ? 50歳を過ぎた銀行員が出向先でセクハラですか?」
「普通はあり得ません。噂によると、どうもでっち上げの様です。銀行から来た人間が2人続けて銀行に戻るという噂が流れたら、株価や採用に影響します。そこで、Aは持病の悪化、Bはセクハラという様にでっちあげて対外的な退職理由にしたそうです。」
「卑怯な会社ですね。銀行はそんな会社でも取引を続けるのですか?」
「さすがに今は要注意先に挙げて人を送り出す対象企業から外し、融資も絞っているそうです。それでも天下の上場企業です。銀行が無くとも必要資金は証券市場から潤沢に確保出来るのですよ。」
「Bが戻った真の理由は何でしょうね?」
「噂によると、2代目社長との折り合いが悪かったとのことです。今から5年前に初代社長が会長になり、長男が社長になりましたが、この2代目が出来損ないで、どうしようもない人間らしく、セクハラ・パワハラ・モラハラをやらせたら右に出る者は居ないそうです。」
「オーナー企業の2代目はどこも出来損ないが多い様ですね。笑」
「甘やかされて育ち、不自由もしないから、結果的に苦労知らず・世間知らずに育ち易いのでしょう。Bはその2代目と衝突して銀行に戻ったそうです。彼にとっての幸運は、戻った時期が〝転籍前の出向期間中〟であった事です。出向期間中であれば、戻る理由がどうであれ、銀行は再び他の企業を紹介してくれますから。」
「良い企業に出逢える確率の方が少ないですよね。皆、色々あっても我慢をして、自分を誤魔化しながら働いています。それこそ宝くじにでも当たれば会社に辞表を叩きつけて辞められるのでしょうが、50歳を過ぎた壮年のおじさんを雇ってくれる様な奇特な企業は中々ありませんからね。ところで東京仏教大学についてはどう思いますか?」
「私は本学への出向を打診された時に二つ返事で応諾しました。しかし入って見ると課題は山積でした。まぁそれだけやり甲斐もありますよ。」
「確かに、今お聞きした様な企業に行かされた人達の事を思えば、我々は幸運でしたね。この学校の輝かしい歴史と伝統を未来に引き継ぐという非常に大切なミッションを任された訳ですから。有難い事です。」
「そのミッションをクリアする事は簡単ではないでしょう。それを妨害しようとする輩が待ち構えています。それでも我々は第一の人生に於いて目標を成し遂げ、子供達も立派に育て上げた上で此処に来ています。失うものは何もありません。保守的にならず思い切り働けますよ。」
「我々の第2の人生の定年退職は今から5年後。たった5年です。のんびり過ごしている暇はありませんよ。」「頑張りましょう!」「あらためて乾杯!」
2人は絆を深めて別れた。
【スパイからの讒言】
2人が店を出るのを確認してから隣室の男性も店を出た。
翌日、黒川が局長室を訪れた。
「神田局長、面白いものが手に入りました。」
黒川はボイスレコーダーに録音された、昨日の会話の内容の一部始終を神田に聴かせた。それを境に堂本包囲網は一層強化され、鍋島までもが反体制派勢力から敵視される様になってしまった。
ほぼ全ての打ち合わせが神田と、神田の息のかかった課長以下で行われ、次長の堂本は呼ばれなかった。
元々〝事務局次長〟というポストは無く、堂本の為に作られた特命ポストなので、堂本が引き継ぐ業務もルーティンワークも無い中でのスタートであった。
神田としてもこれまで局次長無しで業務を回して来ただけに、堂本の存在は邪魔なだけで業務上は特に必要ではなかった。
神田は東京大学に合格する程の抜群の記憶力をベースに、学校法人の〝総事務長〟としては比類ない能力を発揮していたが、改革を遂行するだけの企画力や実行力はなかった。いわゆる〝コンピテンシー能力〟の欠如を〝抜群の記憶力〟で補いながら生き繋いできた管理職の典型であった。
本人は敢えて動かなかったと主張しているが、実の所は日々の業務遂行で手一杯であった上に、改革を成し遂げるだけのキャパシティが無かったが為に〝動けなかった〟というのが真実であった。
常務の京極が〝事務全般〟を神田に、〝政策全般〟を堂本にミッションを分けたら如何かと提案した事があった。
その提案を聞いた途端に神田の顔色が変わり「気分が悪くなったので失礼します。」と突然、部屋を退出してしまった。
ミッションを神田と堂本で振り分けるという京極の案は、神田が簡単に一蹴した。神田のプライドがそれを許さなかった。
堂本に日常の仕事を任せる事は自分の立場を危うくするのではないかという危機意識が、堂本を排他する行動へと神田をかき立てた。
日常業務が一切回されなくなり堂本は一気に暇になったが、彼自身は元々、第2の人生に対して出世欲や金銭欲は全く無かったので、仕事が回されず暇になる事に対しては何の焦りも無かった。
ただ、神田が独りで業務を仕切る限り、この大学に発展が無い事はこれまでの実績から明らかであった為、この学校法人の未来に対する不安は日々募っていった。
【東京仏教大学ブランドビジョン】
大学は2013年に〝TBUブランドビジョン2017〟という5ヶ年プランを立てた。今後の学校法人の方向性を明確にして、それを成し遂げる為に学校の教職員が一丸となって目標を必達しようというものだ。
堂本は着任後直ぐにこの5ヶ年プランに目を通した。1項目毎に内容を吟味したが、改革と言える項目が一つも無かった。殆どが日々のルーティンワークの延長線上といった内容で、かつ具体的な目標値や施策が一切無かった。
学長・校長をヘッドに大学教員・中高教諭や企画広報課の職員が会議を重ねてこのプランを作ったのだが、彼らは面倒な改革には手を付けず、又、敢えて数値目標を盛り込まず抽象的な表現で目標を設定した。
その結果、教職員の仕事は楽になったが、プランが始まって4年が過ぎても学校法人東京仏教大学のクオリティに何の変化もなかった。
京極(常務理事)もこのプランが出来あがった時にその欠陥には気付いていたが、敢えて苦言を呈することはしなかった。この大学の教職員に改革案を練らせても、たかが知れていると半ば諦めていたからだ。
しかし、堂本はこのプランの問題点を敢えていくつか指摘した。
堂本が勤めてきた銀行での中長期計画は〝根拠に基づいた数字〟がベースであった。人は嘘をついても数字は嘘をつかない。数字の根拠さえしっかりしていれば、その数字は人の行動を変える。人の行動が変われば組織が変わる。
堂本は銀行でその事を嫌という程思い知らされていた。だからこそ〝数字〟にこだわった。勿論、数値目標を立て難い施策もある。しかしそこは臨機応変に対応すれば良い。あくまで目標は〝根拠に基づいた具体的な数値〟を掲げるべきだというのが堂本の信念であった。
しかし、既に走り終わろうとしているプランを今更否定しても仕方が無い。
肝心な事は、次の5ヶ年間計画で同じ轍を踏まない事であるとの思いから敢えて苦言を呈した。
「これまでのプランの問題点をいくつか申し上げます。先ず1点目は、総花的に実行テーマだけが多過ぎて、重要課題とそれ以外の課題のプライオリティ(優先順位)が不明確です。2点目は、目標数値の根拠がいい加減です。(学長等)偉い方々の理想が目標数値になっているのか、実態とあまりにかけ離れており、教職員が(口には出しませんが)最初から諦めています。3点目は、施策内容が貧弱で具体性に欠け、とても数字を上げられる様な施策ではないものが過半を占めます。4点目は、それらをやり遂げる最終責任者と推進・実行する部隊が不明確です。責任の所在がはっきりしないので、目標達成に向けての必死さを感じられません。その結果、毎年度、庶務方が事務的に結果報告をして(反省もなく)終えている様に思われます。そして最も問題なのが、改革等の重要課題に対してリソース(人・時間・予算)の確保が出来ていない事です。次期中期計画ではこの点を改善する事が肝要です。」
しかし、企画広報課長の黒川がこれに猛反発をした。彼にとっては全く面白くない話であった。そもそもこの愚作を創り上げた委員会の責任者が神田(事務局長)であり、副責任者が黒川(企画広報課長)であったからだ。
黒川は直ぐに神田の元に行き、堂本がTBUブランドビジョン2017にケチをつけている事を報告した。人一倍プライドが高い神田は机を叩き付けて怒りを露わにした。
その事があってから黒川は堂本を完全に無視する様になり、堂本への口撃は更に激しさを増した。
ある日、次の5ヶ年計画の責任者を決める話し合いが秘密裏で行われた。
「神田局長、次の5ヶ年計画立案ですが、偉そうな事を言っている堂本にやらせたらどうですか? 給料は変えずに2人分の仕事をやらせるのです。銀行から来たばかりの人間に事務局次長と企画広報課長を兼務でやれる訳がない。今は私が入試課長と企画広報課長を兼務して課員総数10名をやりくりしながら回しているので何とかやれていますが、今後は、私が入試課長を、そして企画広報課長を堂本にやらせ、企画広報課には部下を配備せず堂本一人にやらせるのです。彼には経験もないし、協力者もいなければギブアップするのは時間の問題でしょう。」
悪知恵を働かせたら右に出る者がいないと言われる黒川が神田に提案を投げかけた。神田も黒川の提案に賛同した。
「なかなか面白い案だね。よし、企画広報課長職は堂本に兼務させる人事案をあげよう。業務に支障をきたさないギリギリまで放置して、手遅れになる直前で我々が対処すれば、学校を救ったのは我々で、窮地に追い込んだ責任は企画広報課長の堂本ということになる。」
神田は、リスクを負わずに堂本を蹴落とせるという黒川の案を、迷うことなく承諾した。
こうして堂本が企画広報課長の職責を兼務する事になった。詳しい引継ぎは一切無く、黒川からは企画広報課の年間スケジュール表たった1枚を手渡されるだけであった。堂本が引き継ぐ企画広報課は部下もなく、彼ひとりで担う事になった。堂本にかかる業務の負担は、部下が一人でも居るか居ないかで大きく違った。
これまでは、事務局次長という、課長よりも上の立場にあった為、課長クラスからの攻撃を直接受けることは少なかったが、企画広報課長を兼務してからは〝課長対課長〟という対等の立場につけ込んだ黒川からの容赦ない攻撃が、あらゆる局面で炸裂し、堂本の気力は徐々に奪われていった。
【学生進路支援策】
人生の一大イベントの一つが就職である。両親にとっても我が子が何処に就職し社会人として一人前になるかは大きな関心事である。
東京仏教大学の就職率は常に95%を超えていた。しかし重要なのは就職までのプロセスと、その結果としての就職の内容だ。
この大学では学生の就職に対して全て受身で対応し、就職説明会は定期的に開催するものの業者任せで、就職課が積極的に学生個々の就職活動に対応することは殆どなかった。その結果、学生は就職活動に対してどういった準備や対応をしてよいかも分からないまま、いたずらに時間だけが経過した。
他大学の学生が企業から内定を獲得し終わった頃に慌てて就職活動を始めるが、第1・第2志望の企業の採用選考には間に合わず、その結果、吹けば飛ぶような企業や、離職率が高いブラック企業にしか内定が取れないという悪循環が何年も続いていた。
特に問題なのは、そういった〝にわか就職〟をした学生の多くが3年以内に離職をしてしまい、負のスパイラルに陥り再就職を繰り返しているという現実だ。
学生が就職後の3年以内に離職をしてしまう〝3年離職率〟をリサーチし、その数値を低く抑える為に何をやるべきかを考える事こそ、就職課の最も重要なミッションのひとつなのだ。
多くの学生は、卒業後の生活の為にどこかに就職をしなければならないという焦りから、最後はどこでも良いから何としても就職だけはしようとする。
それが〝にわか就職〟だが、就職課が集計する就職率95%には〝にわか就職〟が多く含まれていた。
真に重要なことは、その就職が学生にとって〝最良の選択〟であったか否かということなのだ。
東京仏教大学に限らず、多くの大学では就職内定者数を就職希望者数で割った就職率の数値だけを開示して〝就職率が高い〟と誤魔化しているが、真にリサーチすべき数値は、就職を希望する学生の何割が第1志望または第2志望の企業から内定を獲得したかなのである。
そして卒業生たちが就職後も〝3年離職率〟の(割り算の)分子にカウントされることなく働き続けているかをフォローアップした上で、離職した卒業生については再就職の支援をしてやることこそが就職課のミッションとして重要なことなのだ。
勿論、本人にとってキャリアアップにつながる転職、現状よりも好条件である転職もなくはないが、本人が真に望まない企業に〝にわか就職〟をしたのちに、3年以内に離職をする場合は決して幸せな離職・転職ではない場合が多い。
堂本は、学生が第1志望(または第2志望)とする企業への内定率を上げる事こそが重要だと考えた。
入社後に〝こんなはずではなかった〟ということもあるだろうが、まずは〝働きたい業種・働きたい企業〟に学生が入社出来る様に、大学が教職員一体となって全力でアシストをする事こそ大切であると考えていた。
ある日、入試課長と就職課長を兼務することになった黒川に相談を持ち掛けた。
「黒川課長、実は東京中央銀行に取引先企業を紹介して貰い、インターンシップ(学生が、興味がある企業などで実際に働いたり訪問したりする職業体験)協定を締結出来ないか交渉してみようと思うのですがいかがでしょう?」
「インターンシップ協定は慎重に話を進める必要があるんです。こちらも計画的にやっています。他所から突然現れて勝手に動こうとしないで頂きたい。」
「いや、だから相談をしているんですよ。学生が第1志望に挙げる企業と1社でも多くインターンシップ協定を結べば学生から企業への道筋が出来るし、本学が多くの一流企業とインターンシップ協定を結んでいるとなれば対外的にも良い宣伝になると思うのですが?」
「インターンシップ協定を結んだから即、就職率アップに繋がるかと言えばそう簡単な事ではない。一流企業と言われるが、そもそも一流企業の定義を伺いたい。何を根拠に一流企業と二流企業の線引きをされるのか?」
黒川は一般企業をパワハラによるトラブルで解雇となった挙句、本学に採用された。眉間には縦にクッキリと表情ジワが残る程の気性の激しい性格で、入試課・就職課内では常に怒号を飛ばしていた。
怒号の大半は自らのストレスから来るもので、部下への教育の為のものではなかった為、彼の配下の職員は一様に疲弊していた。当然、課内の退職者数は他課を圧倒していたが、黒川の報復を恐れて誰もが口を噤んだ。
黒川は通常であれば不採用になる人材であったが、彼もまた神田と同じく、田上前理事長のコネに拠る採用であった。
常日頃から〝前理事長や神田局長の為ならばどんな事でもやる。〟と豪語している輩なので、堂本の刺客に回るには然程の時間は必要なかった。
そういった伏線があった為、黒川は堂本に対して最初から攻撃的な態度で臨んだ。
「分かりました。貴方とは考え方が違う様です。もうやめましょう。」
黒川に対して言い争う程の意欲も気力も、今の堂本には無かった。
微妙な言葉尻を捕らえては挙げ足を取り、糾弾に近い口撃を繰り返しては敵対する相手を弱らすという汚い手口は、黒川の得意とするところだったので、話をすればする程に相手の術中にはまることは目に見えていた。
堂本はインターンシップへの働きかけは断念しようと思い席を立とうとした。
黒川の仕掛けに逆上する事も無くあっさりと引き下がろうとする堂本に対し、拍子抜けした黒川の方が譲歩して提案をして来た。
「分かりました。それでは学生にアンケートした〝第1志望企業一覧表〟がありますから、それをお渡しします。そのリスト先であれば、銀行の紹介であろうが、堂本さんが勝手にアプローチされようが好きにして下さい。」
堂本は直ちに銀行と連携して、リストにある〝学生が志望する企業〟を紹介して貰い、数多くの企業との人的・組織的パイプ作りのために東奔西走した。
その結果、多数の有名企業との間でインターンシップ協定を結ぶに至った。
黒川にとって、堂本がそれ程の結果を出すとは思いも寄らなかった為、結果的に〝敵に塩を送る〟事になった悔しさから、その後の堂本に対する嫌がらせは一層の拍車がかかることになった。
【第2のミッション】
10月に入って直ぐ、堂本は理事長室に呼ばれた。
「堂本さん。新キャンパス用地取得については貴方が説得力のある資料を作ってくれたお陰で、理事の大半を納得させ、理事会の承認を取り付ける事が出来ました。感謝します。」
「恐縮です。然しながら大変なのはこれからです。あの土地を活かすも殺すも具体的な活用策とその運用次第です。現場の協力が不可欠です。」
「その通りです。そこは局長や学長、校長の皆さんが教職員と協力しながら考えてくれるでしょう。さて、今日貴方をお呼びしたのは、次のミッションをお願いする為です。」笠井(理事長)は真剣な顔で話を続けた。
「環境社会学部の開設は出鼻を挫かれましたが、それを挽回する意味に於いても是非、うちのブランディングに寄与する様な新しい学部を検討して貰いたいのです。そしてそれを新キャンパスの起爆剤のひとつにしたいと思っています。」
「分かりました。少しマーケットリサーチを行う時間を下さい。」
銀行員的な発想が身に付いてしまった堂本にとって、新たな投資を行う場合、そこでどういう付加価値やキャッシュフローを生み出すのかが最も重要であった。
新たに生み出されるキャッシュフローで投資元本を回収するには何年必要なのか、初期投資赤字は何年で解消するのか、キャッシュフロー以外に新たな価値は生まれるのか等の検証が出来ない場合は、そもそも投資を見合わせるべきだという考えがベースにあった。
ある日、堂本はミッション看護大学のオープンキャンパスを視察に行った。
この大学は今から7年前に、東京医療センターがミッション大学(母体)に居抜きの建物を提供し、看護実習支援を担保に招致するという恵まれた条件を提示し、同大学が快諾して設立された。
病院の実習支援が保証され、4年間で立派な看護師に育てあげるカリキュラムが組まれ、就職もほぼ間違いないというフレコミから応募が殺到し、年間の学費が150万円と高額であるにもかかわらず、初年度から募集定員を上回る入学者数確保となった。創業赤字はたった2年で解消し、3年目からは黒字を計上した。就職率も最初の卒業生からずっと100%を堅持した。
今では学校法人ミッション大学の収益の柱の一つとなっている。この事がミッション大学のブランディングを高めた事は言うまでもない。
神田が言っていた〝動かないことによるリスク回避〟よりも、しっかりとした事前調査や検証を行った上で新しい事業に挑戦する姿勢こそが新時代の学校運営にとって重要なのだ。
動いたことによる〝失敗も成功の素〟と考えて挑戦し続ける姿勢を世に示すことは、教職員の働き甲斐や学生・生徒の希望にも繋がる。
堂本はミッション看護大学という成功事例があり、この物真似をすれば良いではないかと考えたが、神田を含む本学の教職員にはミッション大学に対する強烈なライバル心があり〝その物真似をするなどもっての外だ〟と考える者が多く、最初から議論にもならなかった。
銀行出身の堂本には〝成功例の真似〟に対して何の抵抗も無かった。
勿論、〝二番煎じが出枯し〟である可能性もある。それは事前にしっかりと検証をして判断すれば良いことなのだ。堂本は早速、笠井に伺いを立てた。
「理事長、私は新キャンパスには看護大学の設立もしくは、新学部として看護学部を創部する事が、最も成功する確率が高い方法ではないかと考えます。」
「看護学部や看護大学を創設して失敗している例が数多ありますが、うちは大丈夫ですか?」
「うちが成功する為には幾つか条件があります。その条件をクリア出来るのであれば積極的に進めるべきです。」
「その条件とは何ですか?」笠井(理事長)が目を輝かせながら身を乗り出してきた。
「先ず、東京中央大学附属病院からの実習支援を取り付ける事です。」
「それは簡単にはいかないでしょう?」
「我々と東京中央大学とは、学・学連携協定を締結し兄弟校の様な関係性を築いています。勿論、国立大学トップ3の一角である東京中央大学を我々がライバルというには烏滸がましく、これまで常に〝弟分〟としてリスペクトしてきたことが、東京中央大学との関係性をここまで親密化するに至った大きな理由のひとつでもあります。東京中央大学附属病院への実習について、東京中央大学に仲介をお願いした場合に、応諾して頂く可能性は高いと思います。」
「しかし、東京中央大学にも看護学部があります。バッティングしませんか?」
「それも調べました。東京中央大学附属病院の実習生受け容れキャパは、東京中央大学の看護学部の実習学生数を大きく上回り、病院側は他大学にも実習生受け容れのオファーをしている程だそうです。」
「そうですか。ならば、我々が東京中央大学附属病院の実習支援を得られる可能性はありますね。他に条件はありますか?」
「実習と併行してクリアすべき高いハードルがあります。そちらの方が難しいかも知れません。それは、看護大学学長又は看護学部長には東京中央大学附属病院若しくは東京中央大学から、相応の実績・人脈・人望のある方をお招きする必要があるというハードルです。これが叶えば、看護実習のコネクションに留まらず、優秀な教授・准教授の調達にもコネクションが出来るはずです。」
「確かに今は教える側の先生方の奪い合いで、生徒よりも先生が足りない状況ですから、人的コネクションの有無は非常に重要なファクターの一つですね。」
「失敗している看護大学・看護学部の共通点は、十分なマーケットリサーチを行わず、施設設備や設置条件等のハード面からスタートしているという点です。重要なのはソフト面なのです。看護大学長や看護学部長には、傘下の教授から〝真にリスペクトされる人物〟を据える事が肝要です。」
「堂本さんがおっしゃる通り、確かにそれを疎かにして教授の頭数だけ揃えた看護大学・看護学部は、統率力もなく、人的繋がりも希薄な中、優秀な教授を簡単に他の大学からヘッドハンティングされていますね。」
「即席でその穴埋めをしても、当然のことながら教育の質はどんどん低下し、負のスパイラルが止まらず、結果的には淘汰されています。今私が申し上げました2つの条件が整えば、成功する確率は非常に高いと思います。その上で、現実的な募集定員数や年間の授業料、創設の為に最低限必要な土地面積、取得費用等をシミュレーションします。」
「それは堂本さんが検証するのですか?」
「私でもやれなくはないのですが、シンクタンク等の第三者にやらせた方が、より一層の説得力があります。何年で黒字化出来るのか、何年で債務が無くなるか等を検証させ、その資料をベースに理事会の議案書を作るのです。」
「早速、進めて下さい。」
第3話 クーデター勃発
【 田上派閥 】
前理事長の田上は、昭和59年から平成6年まで11年間もの長きに渡り、学校法人東京仏教大学附属中学・高等学校の校長を兼務し、その間に田上政権の地盤を築き上げた。そして平成7年からは有無を言わさず当学校法人の理事長の座に登り詰め、いよいよトップとして長期政権の地盤固めを進めた。平成11年には当時の中学・高等学校長のポストまで奪い獲り、その後2年間の法人運営を完全に手中に収めた。
理事長職4期目(1期3年)の任期も残り1年となった平成18年、いよいよ理事長としての最後の仕事である〝次の理事会構成メンバーの推挙〟を以て自分は退任するという間際になって〝自分は顧問として学校法人の経営に関わる〟と言い出した。
勿論、前例がない事であったが、昭和59年から23年間もの長きに渡りトップに君臨し、強力な人脈を形成し、盤石で強大な〝田上派閥〟を創り上げた今、彼に楯を突く者は学内外に一人もいなかった。
こうして彼が〝顧問〟として引き続き〝院政〟を布く事が決まった。
次は自分の操り人形として言いなりになる〝次期理事長〟の人選さえ上手くやれば、その後の東京仏教大学グループは実質的に自分の物になると考えた。
そうして次の理事長に選ばれたのが笠井であった。笠井はそれまで当学校法人の僧侶理事(外部理事)を務めていたが、田上には従順で、かつ〝毒にも薬にもならない昼あんどんタイプ〟との評価が主流であった。
田上は〝こいつならば自分の言いなりになるだろう〟と考えて次期理事長に笠井を推挙した。その結果、笠井は満場一致で理事長に選ばれた。
案の定、笠井の理事長1期目の3年間は何もやらせてもらえなかった。
全ては〝顧問〟である田上の意向通りに学校法人の重要事項が決められた。
笠井は完全にお飾り理事長であり、発言権は実質的に何も無かった。
全てを田上にお伺いして決めるという歪んだ組織体制が3年間続いた。
2期目に入り、笠井は〝このままでは自分がやりたい改革は何もやれない。自分は理事長なのだ。自分の夢を叶えたい〟と思い始めた。
そして3つの改革を提案して進めようとしたが悉く妨害された。笠井の改革の手伝いをしようとする人間は、田上顧問の手下達からあらゆる汚い手段を使われて辞任に追い込まれ、学校を追われた。
田上の学内に於ける人脈は凄まじく強力であった。彼を大将に、学長・校長がその両脇を固め、その下に法人事務局長の神田が要として〝全体の見張り役〟と〝改革のブレーキ役〟を担った。更に神田の片腕として黒川が〝鉄砲玉〟の役割を果たした。
笠井はこうした雁字搦めの包囲網の中で、無駄に数年間を過ごす事を余儀なくされた。23年間の長きに渡り築き上げられた〝田上派閥〟を崩す事は容易な事ではなかった。
それでも笠井は理事長として東京仏教大学グループの改革を進めるべく、平成22年10月、当時の常務理事を室長に据え、〝将来構想企画推進室〟を立ち上げた。
そうして平成23年4月、「東京仏教大学グループの将来像と各学校における今後の方向性に関する報告書」が推進室から理事長宛提出された。
堂本も後にその報告書に目を通したが、非常に素晴らしい内容で、まさにグループにとって必要不可欠な改革が具体的に書かれてあった。
しかし、その報告書の内容は、TBUブランドビジョン(中期事業計画)に反映される事もなく、結果的に反対勢力から潰される事になった。
報告書の作成者であり、改革推進派のひとりでもあった常務理事(将来構想企画推進室長)もそれから間もなく職を解かれ学校を追われた。
笠井に賛同して改革を推進しようとする教職員は〝田上派閥〟の教職員から村八分の憂き目に遭わされ、挙げ句は追い出されるという構図が何年も続いた。
また、学外から笠井が助っ人として招致した京極(後任の常務理事)や若山(副学長)までも〝田上派閥ゾンビ集団〟の餌食となり、自らも〝ゾンビ〟と化して笠井に襲いかかった。
こうして、笠井を護る人間はいよいよ学内に一人もいなくなっていた。
田上派閥からすれば笠井の存在が邪魔で仕方がなかったが、理事長職を解任するだけの大義名分が見つからず、ただ悪戯に時を重ねて来たのだった。
田上の手下達はひたすら笠井(理事長)解任の引き金を引くタイミングを待ち続けた。
【天の時・地の利・人の和】
平成27年11月、教職員組合との2回目の団体交渉が行われたが、その内容は前回にも増して悪質下品なものであった。
「局長もご存知の通り、我々は先週の大学教授会で理事長不信任を決議するに至りました。大学学部改組の失敗、計画性のない新キャンパス用地の取得、大学学長の選任等、現理事長の独善的な振る舞いに対して教職員の大半が不信感を抱いているという事です。理事長にはそれらの責任を取って潔く職を辞して貰いたい。」
委員長の別府が神田(事務局長)には気を遣いながら話したが、神田はじっと目を瞑りただ黙って聞いていた。
「理事長は理事を自分の息のかかった人間で揃え、本学を私物化しようとしています。学長にしても本来ならば教授会の推薦で決めるべきものを、理事長が勝手に学外から招致し、今回は法人事務局に銀行から余計な人材を受け入れました。」
そう言うと別府は堂本に目を向けた。
そもそも〝学長に相応しい資質〟を備えた教授が学内に一人も存在しないから、笠井(理事長)は止む無く学外から新学長を招致したのであって、彼等の言い分は全くの言い掛かりであった。堂本や鍋島が学外から呼ばれたのも、職員に〝改革推進の適材〟が居なかったからである。
団体交渉とは組合員の雇用や労働条件(賃金・労働時間等)に関して使用者代表と労働者代表が交渉をするものであって、このような議論を団体交渉の席上に持ち込むことは本来あってはならない事であったが、この大学グループ教職員の辞書には「ガバナンス」「コンプライアンス」という単語が存在しない為、力のある教職員による言いたい放題・やりたい放題が当然の如くまかり通り、またそれを牽制する規則も未整備であった。
神田(事務局長)は別府ら組合側の暴言に対して反論することもせず、組合側の要求内容も大筋応諾する形で交渉を終わらせた。
「局長、我々はまだ理事長や理事会の決定に納得してはいませんが、賞与については局長がほぼ全面的に我々の要求をのんで頂いたので一旦は妥結と致しましょう。ありがとうございました。」
経営側の完敗だった。経営の決定に牙を剥き、自らは何もせず、理事長に責任の全てを擦り付けるような輩に対しては、越年をしてでも最後まで闘うべきところを、神田は簡単に妥協した。団体交渉が終わり、組合幹部が別室に集まった。
「別府委員長、完勝でしたね。」黒川が別府の御髭の塵を払う様に媚びた。
「神田局長は我々の味方だが、堂本は理事長が銀行から呼び寄せた〝犬〟だ。当面は奴には気を付けた方がいい。」「分かりました。」
「まぁ、奴にはまだうちでの経験も実績も人脈もない。理事長だけが味方だ。その理事長さえ降ろせば、奴も同時に消えるだろうよ。」
「我々は、引き続き神田局長を取り込み、護り続ける事が大切ですね。」
「そうだ。局長をおだて上げて、神輿に乗せて我々が運べば良いのだよ。彼ならば頭を下げて頼み込めば、最後は何とかしてくれる。しかし堂本はそう簡単にはいかないだろう。」
「堂本にはシガラミも失う物もないですからね。間違っても局長職に就けない様に画策しないと、厄介な事になりますよ。いっそ、新キャンパス用地の件も、東京中央銀行が自分の銀行の不良債権を本学に押し付ける為に、堂本を本学に差し向けて買わせたと言う事にしたらどうでしょうか?」黒川がとんでもない提案をした。
「それは良いねぇ。しかも30億の価値しか無いものを35億で買わせて、尚且つその結果、銀行内での堂本の評価が上がったというシナリオにして吹聴すれば、今の学内の雰囲気ならば教職員の誰もが信じるだろ?」
「了解です。なら早速、水面下で噂を流しますよ。堂本追い出し作戦ですね。」
別府組合委員長をボスに、腹黒い教職員達による陰謀が着々と進められようとしていた。
中国の孟子が「事を為し成功するには〝天・地・人〟の3つの条件が必要」と説いているが、今の堂本には、この何れも欠けていた。
その中でも最も重要である〝人の和〟が決定的に欠けていた。〝人の和〟どころか〝四面楚歌〟〝八面楚歌〟状態であった。
自分の乗る船が沈みつつあるというのに、その穴を塞ごうともせず、のんびりとぬるま湯に浸かり何もしない〝仲良し倶楽部の味方〟などは一人も必要なかった。
堂本には一人でも多くの〝同じ目標に向け全力を尽くして行動する同志〟が必要とされる中で、今のところ、同志と言える人間は鍋島ただ一人であった。
この大学に着任して間も無い今は、知識も経験も無く、戦う環境にも慣れていない為〝地の利〟も無い。何もかもが揃わない今は〝天の時〟ではない。
言い換えれば行動を起こすべき時期・タイミングではないという事だ。
堂本は〝堂本包囲網〟の中、大学事務のルーティンワークからは外され、完全に大型プロジェクト専任の特命次長としての役割だけを担う様になっていた。
大型プロジェクトというものは事が成れば果も大きいが、日々は持て余す事が多かった為、堂本は自分で仕事を作った。
近い将来〝3つの利〟を得た時に、即座に役に立つ様な資料作りや外部人脈の拡大に努めた。次の5カ年計画も早めに作っておこうと思い、前企画広報課長の黒川に現5カ年計画策定時のデータを見せて欲しいと頼んだが、梨の礫で返答はなかった。
堂本は独自で次期5カ年計画を作成して、近い将来の来るべき〝時〟に備えた。
【風説の流布】
師走に入って間もない頃、堂本は理事長室に呼ばれた。
「堂本さん、今、大学グループ内で貴方がどの様に噂をされているかご存知ですか?」
「いえ、何も聞いておりません。」
「堂本さんは銀行の不良債権を大学に買わせる為に銀行から派遣され、時価30億円の土地を35億円で大学に引き取らせた。その結果、銀行内での堂本さんの評価が上がったと。そんなデマが流れている様です。」
「理事長。放っておきましょう。真実は一つです。あの土地の債権にうちの銀行が全く関わっていない事は、謄本が証明しています。銀行が法律を犯す様な不動産取引を行っていない事は、売買契約書を見れば明らかです。額面通りで取引を実行しています。また、学校法人に転籍した元行員である私に対する銀行の評価制度なども存在しません。」
「そうですね。それにしても下劣な人間がいるものです。仏教の御教えを礎とする本学において教鞭をとる者がそういう根も葉もないデマを流して邪魔者を排他しようとする。情けない事です。」
「株式用語に〝風説の流布〟というのがございます。虚偽の情報を流し拡散させる事で相場を自分の期待する方向に導こうとする行為です。虚偽の情報でも市場は敏感に反応します。しかし虚偽の情報は長続きしません。いずれは元の水準に戻ります。一番悪いのはそういう情報に踊らされる事です。改革を成そうとする時には必ず反対勢力が存在します。これからもある事ない事を吹聴して来るでしょう。それは私の宿命として受け容れます。でもいつかは潮目が変わる時が来ます。地道な信用の積み上げこそがその為の一番重要なファクターだと信じてコツコツと頑張るしかありません。」
「ご苦労をお掛けしますがよろしくお願いします。」
堂本は此処に来てから幾多もの辛酸を嘗めさせられたが、今回は根も葉もない虚言を以って自分自身だけでなく、出身銀行の名誉まで傷付け陥れようとする輩の存在が許せなかった。
だからといって今は真面に喧嘩をする訳にもいかない。経験も実績も人脈もない中で、敵の挑発に乗って戦場に撃って出れば、憤死・犬死する事は必死だ。
今はただ黙って〝その時〟を待つ。彼にはそれが良く理解出来ていた。
堂本はこの〝沈みかけたロートル船の立て直し〟に第2の人生を賭けるつもりで転籍したものの、これ程に多くの障壁が行く手に立ちはだかるとは全く予想をしていなかった。何よりも職場で執拗に繰り返されるトラップや虐めが最も彼の心身を蝕んだ。
今後この大学でどの様な展開が待ち構えているのか、堂本には予想もつかなかった。自分は果たして反対勢力に打ち負かされて志半ばでリタイアするのか、それとも見事に改革を成し遂げるのか。
どういう結果が待ち受けているにせよ、これだけの材料が揃っていながら料理をせずに腐らす事はない。堂本はこのドラマチックな展開を記録し、後世に遺したいと考えた。それからは、就寝前に日々の出来事を小説の原案として積み上げて行く事が堂本の日課となった。そしてそれが、彼にとって何よりの楽しみとなった。
いつの日か〝学校法人に勤める教職員のバイブル的な小説〟として出版するという新たな夢を持てた事と、その夢に向けて全てを記録していく事が、皮肉にも彼にとっては最高のストレス解消法となっていった。
【票集め】
大学教授会は平成27年11月の教授会に於いて、理事長に対する不信任案を可決し、その翌週、理事長宛に不信任決議文を提出した。そして11月末日の教職員組合ニュースの紙面で理事長を激しく糾弾した。
その内容は稚拙で根拠に乏しいものであったが、結果的にはこの不信任決議が、学校法人創設以来100年の歴史の中で最悪の泥仕合のトリガー(引き金)となった。
この不信任決議を機に、それまで腹心として笠井を支えて来た外部理事の一人である朝倉が態度を豹変させた。こともあろうか〝笠井理事長解任決議の票集め〟を始めたのだ。
理事長の解任は、理事会に議案として挙げ、理事総数の過半数の賛成があれば承認される。朝倉は先ず、事務局長の神田を訪ねた。
「神田局長、私は笠井理事長を解任する為の票集めをしようと思う。理事の過半数が賛成してくれれば解任出来る。ついてはこの理事長解任を付議事項とする『理事会招集請求書』に同意し、署名・捺印をして頂けないか?」
神田は耳を疑った。参謀として長く笠井に仕えて来た朝倉の言葉をにわかに信じる訳にはいかなかった。
「朝倉理事、あなたは長年、笠井理事長に仕えて来られた。そのあなたの今の提案を素直に信じて良いものか。疑念の方が強いというのが正直なところです。あなたを信じられるだけの根拠を示して下さい。」
「信じられないのも無理はない。ただ、正直、笠井さんにはほとほと愛想が尽きた。それに教職員の9割以上が不信任案を出している今、これ以上彼が理事長を続けるのは無理だろう?」
「それはその通りですが、理事長の解任要求を理事の署名捺印入りの公的文書として出すとなると、言わばクーデターです。後戻りは出来ません。勝算はあるのですか?」
「実を言うと、私は以前から笠井理事長解任に賛成する理事の票読みをしていたのだよ。解任には過半数の理事の同意が必要だ。しかも不退転の決意で同意してくれる確実な頭数でなければ意味がない。曖昧な約束だけで事を起こせば、関ヶ原の合戦で小早川秀秋に裏切られた石田三成の二の舞いに成りかねないからね。」
「朝倉理事、私も票読みは何度か試みました。しかしどう計算しても確実な頭数が揃いませんでした。京極常務は常にスタンスはスクエアですから騒動を起こす事に賛同されるとは思えませんし、猫柳校長は優柔不断で煮え切らない人格なので、約束を取り付けてもいつなんどき手のひらを返されるか分かりません。大学同窓会・中高同窓会の両会長は田上シンパとは言え、専業主婦なので、事を起こす事に賛同してくれなどと話を持ち掛けて、万が一にもそれが漏れれば私の立場が危うくなります。」
神田は朝倉の真意を探りながら慎重に自分の考えを伝えた。
「一方、確実に票が読める理事ですが、まず本学創業者のご子孫の香月理事。彼は一貫して笠井理事長を毛嫌いしているので間違いなく賛同されます。それに若山副学長。この方も大丈夫です。若山副学長はそもそも笠井理事長に学長候補として招かれた方ですが、本学に来られてから笠井理事長を見切られ、我々の方に心を寄せておられます。それに私を合わせて3票。とてもとても過半数の票集めなど夢のまた夢でした。それが叶うと言うのですか?」
「まさか笠井さんの側近中の側近であった私(朝倉)が理事長降ろしの票集めをするなどとは思いもよらない事だろうね。それだけに効果は抜群だったよ。若山副学長、猫柳校長、香月理事は私の旗揚げに対して直ぐに賛同してくれた。神田事務局長、私で5名。」「他には?」ここで神田の目の色が変わって来た。
「大学同窓会・中高同窓会の両会長に対しては、お二人同時に交渉をしなければ意味がない。彼女たちはお互いに同じ方向に動きたいという意志があるから、お互いの顔色を見る。別々に交渉すれば失敗する確率が高まる。2票獲れるか、もしくはゼロか。〝貴女方お二人が賛同してくれれば過半数の8名が揃うので、東京仏教大学を救うと思って何とかお願いしたい〟と卓上に頭を付けて頼み込んだよ。その結果、2票が獲れたという訳だ。」
「大学同窓会・中高同窓会の両会長理事は熱烈な前理事長派なので、一度賛同されたからには裏切りはないでしょう。しかし、そこまでで7名です。過半数の8名が揃うというのはハッタリですか?それとももうひとりの目星は既についているのですか?」
「それが固まったので最後の砦である神田事務局長のところに相談に来たのだよ。先般、前学長が急逝された際に、大至急、新学長を捜すということになったよね。私は笠井(理事長)からその役割を頼まれているのだよ。そこで私はこの新学長の1票を取り込もうと考えた。」
「確かに、前学長が急逝されて今は学長ポストが空席になっています。新学長探しを笠井理事長が朝倉理事に託されたという話も伝え聞いていました。しかし、事前にコミットでもしない限り、新学長に就任して早々、その様な大それた署名をする人はいないでしょう?」
「ひとり、昔から縁のある方がいる。その人に教職員から出された不信任案や笠井理事長の独善的な振る舞いを説明し、このままでは大学は潰されるので、何とか東京仏教大学を救って欲しいと泣いて頼み込んだ。」
「応じてくれたということですか?」
「なかなか首を縦に振って貰えなかったが、最後は腹を括ると言ってくれたよ。これで念願の過半数票(8票/15票)が揃ったわけだ。彼を新学長として迎える事に関しては、既に笠井理事長の了解は取ってある。勿論、そういう裏取引があるなどとは夢にも思わないだろうがね。新学長は年明け早々にも着任されるよ。」
「間違いないのですか?」神田はこの時点ではまだ朝倉を信じ切れていなかった。
「間違いない。先ずは年明けにその人が学長に就任されるので、それから暫くしてから事を起こすつもりだ。その時はよろしく頼む。」
「分かりました。ただ、私の場合は皆さんの様に〝本職が寺の住職で、学校法人の理事職は無報酬のボランティア〟でやっている方々とは立場が全く違い、ここを離れると行き場所がなくなります。そこのところをよろしくお願いします。」
「万が一、失敗した場合には君のここでの居場所がなくなる事は十分承知の上での事だ。これを謀反と考えると腰が引けるだろうが、我々はあくまで教職員を代表して笠井理事長に辞任を要求するという、言わば正義の為に挙兵するのだから臆することはない。教職員全員が味方だ。教職員の願いを叶えるには君の1票が不可欠なのだよ。分かるよね?」
「私にはまだ高校生の息子もいるので無職になる訳にはいきません。慎重に判断しますので、最後まで私のことは〝1票〟には加えないで下さい。」
「分かった。ただし、我々の背後には田上(前)理事長がいることを忘れないように。8名の署名・捺印が取れ次第、8名以外の理事にも賛同を呼びかける予定だ。だが過半数の確保さえ出来ていれば、これ以上の同意がなくとも事は成せる。」
「いつまでに返事をすれば良いですか?」
「血判書への捺印を年内には集めるので、7名の捺印の最後に8人目として署名捺印を貰いたい。それさえ整えば、年明け早々にも事を起こすつもりだ。」
「分かりました。少し考える時間を下さい。」
【クーデター勃発】
年が明けて平成28年1月18日、今度は中学・高等学校の教職員有志の名で第1次不信任表明文が笠井(理事長)宛提出された。
笠井は慌てて神田(事務局長)を呼び事情を聞いた。
「神田局長、これはいったいどうなっているのかね?」
「いや、私にも詳しい事情は分かりかねます。」
「あなたは事務局長でしょう? どう対処すべきか、どうすれば事態を収拾出来るか、良い提案はありませんか?」
「申し訳ありません。私にはどうしようもありません。」
神田は神妙な面持ちのまま、黙って理事長室をあとにした。
翌日、今度は堂本が理事長室に呼ばれた。
「堂本さん、私は神田さんを信頼して事務局長に任命しました。しかし、事務局長に就任してからの彼の言動はまさに面従腹背で、私の言う事を聞かないばかりでなく、私に全ての責任を負わせて、私を追い込む方向へと教職員を扇動しています。私は彼を解任しようと思うのですが、どう思われますか?」
「私は本学に着任してまだ1年も経っていませんので、良く分かりません。京極常務に相談されたらいかがですか?」
「京極常務には既に相談したのですが、どうも煮え切らないのです。代わりの局長を誰にするのかと問われて、思わず貴方の名前を出しました。」
「理事長、今の私には法人事務局長はとても務まりません。知識も経験もない上に、不徳な私にはそれを助けてくれるに十分な人脈もありません。今、私が事務局長を引き受ければ大学にご迷惑をお掛けする事になると思います。」
「そうですか・・・。ご存じの通り、残念ながら学内には事務局長を任せられる人材は居りません。またしても外から迎える事になりますね。もし、一時的に事務局長不在という事態になった場合には、堂本さんに事務局長代行をお願いする事になりますが、それは大丈夫ですか?」
「それは事務局次長としての責務ですから、万が一そうなった場合には何としてもやり遂げるしかないですね。」
神田事務局長解任の動きは時をおかず京極(常務)から神田の耳に入った。
神田は慌てた。それまでは自分の地位を脅かす人間など何処を見渡しても居ないと高を括っていた。堂本の出現によって、事務局長という地位に黄色信号が点ったと警戒をしていたが、それが今まさに現実になろうとしている。そう考えると居ても立っても居られなくなり、神田は早速、前理事長の田上に相談を持ちかけた。
「(田上)理事長、いよいよ私の解任が現実味を帯びてきました。私はどうしたら良いのでしょう?」
「笠井はいよいよ独自路線を走り出したな。実は、前々から朝倉君より笠井理事長解任請求の相談を受けていてね。君のところにも相談に来ただろう?」
「はい、おいでになりました。私は現時点では態度保留ということにしていますが・・・」
「長い間、笠井の側近であった彼までも笠井に愛想を尽かしたのだからねぇ。いよいよ末期症状だね。まぁ、朝倉君の場合は次の理事長ポストという狙いがあって笠井にすり寄っていた訳だから、真の側近とは言い難いがね。」
「朝倉理事はこれまで何年も笠井理事長に寄り添い、彼を盛り立てて来ました。周囲も彼を次の理事長最有力候補として認知し始めたところでした。それなのに何故、反旗を翻したのでしょうか?」
「理事長任期となる今年5月で笠井が辞めると見込んでいたのだろうね。ところが、自分への打診がいっこうに無く、どうも辞めそうな気配にない。このままでは更に3年待たなければならない。もしも笠井が周囲に支持されていれば、3年だろうが6年だろうが待つしかないが、ここに来て笠井に対する大多数の教職員からの不信任案が出された。」
「明智光秀ではないですが〝時は今〟と思われた訳ですか。」
「そうだろうな。理事の中にも笠井に不満を持つ者がかなり居るからねぇ。」
「解任要求は本気なのですね?」
「その様だね。君の1票で過半数になるのであれば協力してあげてくれよ。その方が君にとっても有益だと思うがね。」
神田はその後直ぐに朝倉に連絡を取り、理事長解任要求書の8人目の欄にサインをした。
平成28年2月6日、東京仏教大学にとって衝撃的な事件が勃発した。
この日は土曜日で大学も休日であったが、笠井(理事長)の自宅を3人の現役理事が訪れた。そして、理事総数の過半数にあたる8名の理事が署名捺印をした【理事長解任要求書】を笠井に突き付けたのだ。
それは笠井にとってはまさに青天の霹靂であった。しかも訪れた代表3人のうちの1人は、笠井が理事長になる以前から15年間もの長きに渡り彼を外から支え続けて来た、笠井が最も信頼している人物であった。
「朝倉さん、どうしてあなたがこんな事を?」
笠井は驚愕の余り、暫くは絶句していたが、声にならない声を絞り出して朝倉に問うた。
「貴方は、本学学長として今年着任された下山先生に対して大変失礼な態度を取られた。あの方を私がどれだけ苦労をして連れて来たか理解しておられますか?」
「私は失礼な事をした覚えはありませんが?」
それは完全な言いがかりであった。朝倉が笠井解任の為に新学長として呼び寄せた下山が、着任間もないにも関わらず、理事長解任要求書に署名する事に対する〝苦し紛れの理由付け〟であった。
「貴方が人の心を掴む努力をされないから教職員の人心が離れ、挙げ句の果てに大学・中学高校の教員から不信任案を出される様な事態に発展したのです。貴方には理事長としての資質が無いと判断し、ここに過半数の理事が署名捺印をした解任要求書をお持ちしました。」
そこには朝倉の他に、神田(事務局長)・下山(新学長)・若山(副学長)・猫柳(中学高校校長)の名前と、外部理事3名(創業家理事・大学同窓会・中高同窓会の両会長理事)の合計8名の署名捺印があった。
「我々は理事長の自発的辞任を希望します。そうすれば、事は外部に出る事も無く穏便に済みます。また理事長の退職金も用意出来ます。然し、もし理事長が納得されず、臨時理事会での決議となれば、議事録を残さざるを得なくなり、内部だけでは済まない可能性も出て参ります。」
「それはどういう意味ですか?」
「マスコミ等の外部にスキャンダルが流れ、本学にとっても、理事長にとっても大きなダメージになるでしょう。しかも辞任では無く解任となれば懲戒免職と同じ扱いになりますから退職金も用意出来なくなります。」
神田は淡々と話をしたが、その内容は笠井への脅しであった。
「我々8名の意志は固く、ひっくり返す事は不可能です。潔く辞任された方がご自身の名誉の為にも懸命だと思いますが?」
神田が反旗を翻す機を狙っていた事は笠井の想定内であったが、朝倉の裏切りは全くの予想外であった。
もうひとりは副学長の若山であった。若山も笠井から〝学長候補〟として招かれ着任したものの、笠井の信頼を得るに至らず、結果的に副学長に留まったまま大学に残ったが、反笠井派の誘いに乗る形で今回のクーデターに賛同した。
学校の規約である寄附行為に拠れば、理事の過半数が賛成すれば臨時の理事会を招集する事が出来るとある。
そして、3分の2以上の理事が出席(委任状による委任を含む)する事で理事会を成立させる事が出来た。
今回は過半数の理事による「理事長解任要求」を出し、臨時理事会を開催し、理事長を辞めさせる準備は整っているという脅迫をかける事で、笠井の〝自発的辞任〟を促そうとしたのだ。
翌日、笠井(理事長)から堂本宛メールが届いた。
「困った事が起こりました。ご相談したいのですが、明日夕刻4時に、帝国ホテルのロビーで如何でしょうか?」「了解しました。お伺いします。」
堂本は笠井からこれまでの経緯と今後の善後策についての相談を受けた。
学内に不穏な動きがあることは、以前から笠井に警告していたので、笠井からの緊急連絡が〝クーデター〟であることを堂本は直感で察していた。
翌月曜日の朝、堂本は出勤早々に神田(事務局長)から個室に呼び出された。
「堂本さん。これから重大な話をしますので確りと聞いて下さい。私を含む理事8名が笠井理事長解任要求書に署名し、一昨日、理事長の退任を要求しました。貴方や事務長などの主要メンバーには事実関係を伝えますが、本日から暫くの間は、軽率な行動は厳に慎む様にお願いします。」
やはり堂本が恐れていた通り〝反乱〟が起きていた。
堂本は「理事長解任要求書」の内容と、そこに署名捺印した理事の名前を繰り返し読み返したが、どうしても違和感を拭えなかった。
先ず、理事長「解任」の理由だが、〝理事長が暴走をしている〟〝現理事長には理事長としての資質がない〟などと書かれているが、全て抽象的な文言で終始しており、具体的な根拠を記していない。
それに、堂本が観る限り、笠井(理事長)は決して独裁者でも無ければ、非人格者でもない。ただただ、良い参謀に恵まれなかっただけなのだ。
極端な言い方をすれば、笠井の様な穏和で口下手な殿様には、黙って神輿に乗って貰い、担ぎ手である常務理事や事務局長、学長や校長等が、神輿に乗った理事長の指示の下に勢い良くゴールに向けて走り、時に理事長が間違った判断をした際には神輿の担ぎ手全員でブレーキをかければ良いのだ。
彼等は担いで走るどころか、殿様の首に縄を付けて神輿から引きずり降ろそうとしている。
署名捺印した理事にも疑問が残った。筆頭の朝倉(理事)はこれまで長く笠井(理事長)を陰で支えた功労者であり、次の理事長ポストを約束されている人物だった。何故、反旗を翻して笠井を裏切ったのか。
次にこの1月から学長に就任した下山だ。就任して1ヶ月しか経たない人間が理事長を退任させる署名捺印をした。
どの様な理由があったとしても、理事長に請われて〝学長〟という要職を任された人間が、着任早々に「理事長解任要求」をするなど常識的にあり得ない。それが学長として理事長から迎えられた人間の最低限の仁義・道理というものだ。
そして新キャンパス用地取得決議の際に、理事15名中、13名が賛成した中で、〝学内を納得させられていない〟と言う理由で賛成の手を挙げなかった若山(副学長)と猫柳(校長)である。この2人は副学長・校長として自分達が率先して学内を束ね、理事会での決議事項を真摯に執行する義務があるにも関わらず、全ての責任を笠井に押し付け、挙句の果てには今回の謀反に加担した。
外部理事の3人は実情を知らされず、ただ理事長の専制君主的な暴走を止めないと大学が潰れると洗脳され署名捺印したのだろう。
神田については〝いつかやるだろう〟と思っていただけに意外感は全く無かった。
【戦略会議】
堂本が笠井(理事長)との待ち合わせ場所に到着すると、其処には笠井以外に2人の人物が顔を揃えていた。
その一人は、笠井が京極(常務)の後任として迎え入れる事を決めている人物で、過去には東京都知事から東京都立女子大学の改革を任され、教育カリキュラムを含む抜本的な改革に取り組み、結果の一つとして、同大学の偏差値を50から70まで引き上げた実績を持つ、改革派リーダーとしては申し分のない人物だった。
「初めまして。天知です。よろしく。」
来年度から天知が大学の改革派リーダーとして陣頭指揮を執る手筈であったが、今回の〝謀反〟が成れば、全てが水泡に帰す。
もう一人は長年に渡り東京仏教大学グループの顧問弁護士を務めている春海であった。
「堂本さんとは初めてですね。私は当大学グループの顧問弁護士をさせて頂いております春海です。よろしくお願いします。」
「堂本さん、今回の事は既にお聞きになりましたか?」
「はい。今朝、局長に呼ばれ話を聞きました。私も以前から反体制派理事の票読みをしておりました。きな臭い理事が5名(京極・神田・猫柳・香月・若山)に至った頃から、理事長には十分に用心される様に申しておりました。」
「私は当時、堂本さんのアドバイスを軽く受け流しておりました。そんな大それた事をやるとは考えもしませんでした。その結果がこれです。もう少し真剣に受け止めておけば良かった。すみませんでした。」 笠井が申し訳なさそうに謝った。
「学内において、反体制派による笠井理事長降ろしの布石が徐々に積み上がり、今や理事長の味方は私(堂本)だけだとまで言われています。私は味方も敵もなく、ただグループの将来の為に自分のミッションを遂行するだけなのですが。」
堂本の話を聞き終わると春海が静かに話を始めた。
「笠井理事長は今年の5月末で任期満了を迎えられます。あと4ヶ月半です。笠井理事長では難しいと判断するのであれば、先ずは理事長に任期満了での円満退任を勧め、万が一、理事長がそれに応じなければ、複数の理事で再度、理事長への交渉に当たり、それでも駄目な場合には、理事懇談会等を開いて、グループの実情を説明した上で、笠井理事長退任の決を採る。それが、理事として行動すべき順序であり、責任の在り方だと思います。」 天知が続いて発言した。
「理事会で円満かつ穏便に次の体制を考えることこそ、役員としてあるべき姿です。そういうプロセスを飛び越えて、いきなり解任要求をするなどとは常軌を逸しています。それも学校にとって年間で最も多忙かつ重要なこの時期に。」
「私は今回、署名捺印をした理事の中で、朝倉理事と下山学長だけがどうしても納得がいきません。朝倉理事は今まで長く理事長を支えてこられ、理事長も朝倉理事を次期理事長として約束されていました。私ならば政変などを起こさず、笠井理事長から笑顔でポストを譲られる時を待ちますが。」堂本が疑問を投げかけた。
「私(笠井)も朝倉理事には大変ショックを受けています。待ち切れなかったのでしょうか?」
「今回の事件は、勝っても負けても、世間から見れば大変なスキャンダルです。理事長職とは、待ち切れずに〝謀反〟を起こす程の〝魅力〟があるポストなのですか?」堂本が笠井に質問を投げかけた。
「堂本さん、学校法人の理事長には絶対的な権限を与えられていますから、それを欲する人は多いかも知れません。朝倉さんは、1月に着任された下山学長に対して私が無礼な振る舞いをした事が今回のクーデターの直接的な原因だと本人は言っています。」
「その下山学長ですが、仏教の世界に長く身を置かれ、年齢も80を超えられる様なお方が、学長という名誉職として理事長から招かれ、恩こそあれ、着任されてまだひと月という時に、理事長に対する解任決議案に署名捺印をするものでしょうか?」
「常識では考えられません。しかしながら下山学長は朝倉理事が連れて来られた方です。予め今回のクーデターを言い含めてあったのかも知れませんね。」
「そうだとしたら余計に悲しい事ですね。さて、これからの事ですが。」
春海が話を本題に戻した。
「今回開催する臨時理事会は通常の理事会とはその内容において大学グループに及ぼす影響等、重大性が異なります。性急に決議するのでは無く、出来得る限り多くの理事の参集を優先したい旨を記した文書を内容証明付で投函して下さい。要は、理事会までに過半数の理事を説得する事です。」
「分かりました。」堂本が答えた。
「私(春海)は、大義は理事長にあると考えています。理事長は説明が不得手でいらっしゃるから何かと誤解を受け易い様です。本来ならば事務局の常務理事や事務局長が理事長を補佐し、理事長の誤解も解き、理事長の手足となって業務を執行すべきなのです。それをやりもせず、全ての責任を理事長になすりつけて退任を迫るなどとはもっての外です。しかもその空いた理事長ポストに自分が座るつもりでいる。どう考えても人の道を外しています。堂本さん。理事長が外部理事を説得に回られる際に随行して頂く事は可能ですか?」
「それは出来ません。先ず私は今回の件の当事者では無く、ただの一職員であるという事です。更に私は大変不本意な事に、学内の多くの教職員から誤解や偏見を持たれています。今回、私が理事長に随行すれば、それを認める事になります。大変心苦しいのですが、今の私の立場をご理解下さい。」
「そうですか。堂本さんのお立場も良く理解出来ます。分かりました。それではこの件はご放念下さい。」
「私(天知)は堂本さんの判断は全く間違っていないと思います。如何なる立場であろうと、事務局職員が関わる事案ではありませんし、職員は単に与えられた業務に専念するのが本来的な使命であると考えます。時も人も不変ではありません。その時々の与えられた業務に最善を尽くすのみです。余り気にせず、今は成り行きを客観的に見守ることで良いでしょう。現理事長から受けた業務上の使命は、この騒動の中では当然動けないでしょうから、今の時間は楽に過ごせてラッキーくらいの構えで良いかと思います。」
天知が堂本を励ました。天知のこの言葉は堂本にとって何より励みになった。この人ならばこの大学を改革出来るかも知れない。堂本はそう確信した。
【朝倉理事との面談】
こうして堂本は笠井からひとまず距離を置く事にした。その翌日、堂本は朝倉に連絡を取った。
「朝倉理事。ご無沙汰をしております。堂本です。」
「あぁ。君か。どうしたの?」
「今日か明日、お会いする事は出来ますか?」
「そうだなぁ。・・・では、今日の2時に大手町で逢おうか?」
午後2時。パレスホテルラウンジ。
「本日はお時間を頂きありがとうございます。」
「理事長派の君からの着信を見て〝拒否〟する事も考えたが、まぁ、一度逢って話を聞こうと思ってね。君が聞きたいのは今回の件についてだろう?」
「そうです。どうしても解らない事がありますので。」
堂本は落ち着いた口調で話を続けた。
「朝倉理事は、懐刀として長く笠井理事長を支えて来られました。次の理事長ポストも確約されていました。最後まで笠井理事長を支えるだろうと誰もが信じて疑わなかった貴方が、何故ここに来て解任要求など出されたのですか?」
「直接的には下山学長への笠井理事長の無礼な振る舞いだよ。」
朝倉は、笠井の許せない振る舞いについて堂本に懇々と説明をしたが、やはり理事長解任要求の原因と言える程の内容ではなかった。
「教職員の人心が理事長から離れてしまっていて、このままでは大学が崩壊すると思われて立ち上がられたのではないのですか?」
「それもあるが、やはり学長への無礼が許せなかった。」
銀行員として粉飾決算や融資詐欺といった犯罪を見抜き、事故を未然に防いで来た〝勘〟が騒いだ。「これは恐らく最初から仕組まれた出来レースだな。」
堂本の推理はこうだった。朝倉が下山を迎え入れる段階で、理事長解任決議の話が出来ていて、然るべきタイミングで下山が〝理事長から無礼を働かれた〟と騒ぐ。そこで朝倉が立ち上がる。最初から神田(局長)・若山(副学長)・猫柳(校長)は理事長解任に賛同しており、簡単に洗脳した外部理事3人を合わせれば過半数の8名に達する。そこで蜂起する。その筋書きが出来上がっていたのだ。それしか考えられない。そう考えれば、着任間も無い新学長が理事長解任決議に署名捺印をするといった非常識な行動も説明が付く。堂本は朝倉に質問を投げかけた。
「私はこれから先、どういう立ち振る舞いをすればよろしいでしょうか?」
「今、笠井理事長の味方は、学内に君独りだけだと皆が言っているよ。」
「私は笠井理事長個人に雇われて本学に来たのではなく、東京仏教大学と銀行との雇用契約の元で、一職員として採用されました。理事長が誰であろうともその事は今後も変わる事はありません。」
「君の立場は良く分かる。しかし教職員はそうは見ていないよ。」
「大変心外ですがその様ですね。」
「今、君が、〝笠井理事長の回し者・スパイ〟という見られ方をしたまま、笠井理事長が退任をしたら、君に対する教職員達の反感は、間違いなく倍増するだろうね。決着が着いた後に、のこのことやって来ても、誰も君を受け容れないよ。しかし今回、決着が着く前に、君が私に会ったのは、君にとっては幸運だったよ。」
堂本は黙って朝倉の話を聞いた。
「先ず、教職員に対して自分が笠井理事長から離れたというスタンスを明確にする事だな。今日以降、理事長からの電話には一切出ない様にする事だ。我々は事が終わった後に〝報復人事〟は行わない事にしている。君の能力は高く買っているから、もしこちらに寝返るのであれば私の元でも使ってやるよ。その為には神田事務局長と上手くやらなければいけない。彼は君の上司なのだから、先ずは明日にでも彼に対してこれまでの非礼を謝りなさい。」
〝この反逆者達に大義はない。大義は理事長にある。〟というのが堂本の結論だった。それまでは当事者ではない教職員のひとりとして中立を保とうと考えていたが、この日を境に堂本は〝東京仏教大学の坂本龍馬〟になる覚悟を決めた。
それは〝日本を今一度洗濯いたし申し候(坂本龍馬)〟ならぬ〝東京仏教大学を洗濯いたし申し候〟という覚悟であった。
大学の法律(寄附行為)に従えば、新しい理事の構成メンバーのノミネートは、退任する理事長が行い、それに対して旧理事会の賛否を問い、過半数の賛成を得られれば承認可決となる。しかし理事長が解任または辞任した場合は、一時的に次席の常務理事が理事長代行を務め、新しい理事会の構成メンバーをノミネートすることになる。彼らの狙いはそこにあった。
現時点では常務理事の京極は態度を明確にはしていないが、常日頃から京極は笠井に非協力的で、常に神田(事務局長)と行動を共にしている事から、彼が反体制派につく事は時間の問題であった。
そして案の定、京極はのちに反体制派の総大将として指揮を執ることになる。
堂本はあるシミュレーションをした。
反体制派が勝った場合、朝倉がそのまま念願の理事長の椅子を手に入れるのか。それとも人望では朝倉をはるかに凌ぐ京極(常務)が理事長になり、神田(事務局長)が常務理事に昇格するのか。人道に反する行いを平然とやってのける下山(学長)ははなから自分は1年で学長を辞めると言っている。そもそも〝理事長解任請求の為の1票〟として呼ばれた齢80を超える老人だ。学長ポストに未練はない。だとすれば後任の学長には、かねてから学長ポストに執着があった若山(副学長)がスライド昇格するのか。中学高校校長の猫柳はそのまま残留するだろう。
いずれにしても、この陣容が経営を行えば改革など到底出来る筈がない。
彼らは新キャンパス用地取得を白紙に戻す事さえやりかねない。
誰が理事長になるにしても、教職員の大半が反対している新キャンパス用地取得を白紙に戻せば、新理事長に対する教職員からの支持は一気に上がる事は間違いない。今ならば契約の破棄は保証金5千万円を放棄する事で可能なのだ。
しかし、新キャンパス用地取得が無くなれば新学部や小学校を含む大学の将来構想が頓挫してしまう。
反笠井派から選ばれた新理事長が着任早々に教職員の身を切る改革をやるとは到底思えない。先ずは人心を掌握する事に専念し改革を先送りするだろう。そうすれば堂本の居場所も無くなる。
一方、笠井が勝った場合、今回の謀反人は総入れ替えになるのが自然だろう。
改革派リーダー(常務理事)として天知が入閣し、神田(事務局長)の代わりは外部から経験者を招致するだろう。今まで改革を抑圧していた神田が居なくなり、その上から常務理事として天知が号令をかければ、改革は一気に進む。
大学にとってどちらの選択が望ましいか。堂本の中では迷う事もなく答えは出ていた。