A:危険地帯①
午前8時、〈クラッシュ・ワールド〉の気温は18度。ミルコによると、今日の最高気温は25度前後になるという。
「だから、熱中症を防ぐ意味でも、帽子と水分,ミネラル補給は欠かさないでね。湿気がなくてカラッとしているから、元の世界の猛暑より過ごしやすいと思うわよ」
「毒蛇や毒虫がいるから、肌を露出させるな」と、レンが言った。
シーナが着ているのは、レンたちと同じ〈境界守〉の制服だった。パンツスタイルでカーキ色の上下、頭部には大き目のベースボールキャップをかぶり、両足には重いトレッキングシューズを履いている。
「何か、ボーイスカウトみたいですね」
まったく色気のない格好だけど、身を守るためには仕方がない。
マンションを出発する時になって、突然、ミルコが別行動をとることを知らされた。
「えっ、ミルコさんは一緒じゃないんですか?」
「言ってなかったっけ。シーナ、レンくんと仲良くね。あの子って口と態度はよくないけど、性根まで悪いわけじゃないからさ」
そう言い残すと、マンションの屋上からオートジャイロで飛び立っていった。
オートジャイロとは、端的に言えば一人用のヘリコプターだ。全長が3mしかなく、離着陸は自由自在である。ヘリコプターのように空中で停止するホバリングはできないが、小回りはきくし、最高時速120kmと機動性は高い。
レンとシーナの移動手段はSUVである。地下駐車場には、無骨なデザインのSUVが発車準備を整えていた。車高が高く、見るからに頑丈そうな作りだ。ちょっとした装甲車のようにも見える。
おまけに荷台は広く、すべての荷物を詰め込んでも余裕があり、二人が仮眠をとることもできる。つい、その状況をリアルに思い描いてしまい、シーナは内心ドギマギしてしまった。
「出発する前に言っておく」レンは硬い声で言った。「今後は俺の指示に必ず従ってくれ。できるだけ危険を避けて移動するが、〈クラッシュ・ワールド〉では何が起こるか、まったく予測がつかない。というか、当たり前のように想定外のことが起こる。毎日のように、新種の動植物が発見されているし、その意味では世界一の希少生物の宝庫だ。〈クラッシュ・ワールド〉で、ツアーガイドを開業したら一儲けできるかもな」
「一儲けはともかく、レンくんの指示には従うことにする」
素っ気なく言うと、レンは無言でキーをシリンダーに差し込んだ。アイドリングをしている最中も、車内は沈黙に支配されていた。空気が重い、とシーナは思った。
レンが話題を提供するとは思えないので、シーナの方から話を切り出した。
「ねぇ、レンくんはどんな音楽を聴くの? 誰のファン?」
「何だよ、その質問は」
「せっかくのドライブなのに、音楽なしじゃ楽しくないでしょ」
シーナはカーラジオのチューナーを操作したが、聴こえてくるのは雑音ばかりだ。
「ああ、ラジオ局も死んでるんだ」
残念そうに呟くと、レンが吐き捨てるように言った。
「CDプレーヤーは壊れたので取り外した。年代物のラジカセで構わないなら後部座席に転がっているはずだ」
シーナが探してみると、すぐにそれは見つかった。正式名称はラジオカセットテープレコーダー。ラジオチューナーを内蔵したカセットテープレコーダーである。砂まみれだったが、電源を入れるとしぶとく生きていた。
「そのあたりにある緑色のケースを開けてみろ。BGM用のカセットテープがあるはずだ」
カセットテープとは70年代,80年代に一世を風靡した音楽媒体である。数年前にリバイバルで流行ったことがあるので、シーナは知っていた。
「おっ、バンプがあるじゃない。ユニゾンもある。レンくん、アニソンが好きなの?」
「アニソン? いや、俺のカセットじゃない。〈境界守〉の誰かが持ち込んだんだろ」
「へぇ、そうなんだ。私、その人と気が合いそう」
「……ああ、アニソンってアニメソングのことか」
「そうだよ。何だと思ったの?」と、シーナはクスクス笑う。「ねぇ、レンくん、バンプとユニゾン、どっちが聴きたい?」
「……どっちも知らん。おまえの好きにしろ」
「何よ、せっかく、訊いてあげているのにさ」
シーナは迷った末に、バンプにした。四人組のバンド,バンプ・オブ・チキンは、シーナの大好きなアニメの主題歌をいくつも担当していた。実はユニゾンこと、ユニゾン・スクエア・ガーデンもそうであり、シーナの好きな音楽はアニメをきっかけにしていることが多い。
「シートベルトは締めたな。そろそろ出発するぞ」
「うん、いつでもどうぞ」そう言って、シーナはラジカセの再生ボタンを押した。
バンプ・オブ・チキンの「ハロー・ワールド!」。リズミカルなオープニングは、アニメ『血界戦線』の第一期主題歌である。
レンがアクセルを踏み込み、坂道を駆け上ると、SUVは地下から外にとびだした。裏通りを抜けて大通りに出ると、レンはアクセルを踏み込んだ。スピードが上がる。
レンは運転がうまかった。心地よいスピード感がアニソンのそれとピタリと重なる。陽気なリズムに合わせるように、廃墟を化したビル街の中を駆け抜けていく。
灰色の建物が次々と後方へと流れていく、無機質な情景なのは残念だが、ドライブとしては最高の気分。シーナは笑顔を浮かべて、アニソンを口ずさんでいた。
だが、残念ながら、楽しいドライブは10分も続かなかった。
「シーナ、ラジカセを止めてくれ」
「えーっ、どうして?」
「そろそろ危険地帯に入るんだ」
レンはスピードを落とし始め、交差点の手前で停止した。シーナが素直に停止ボタンを押すと、双眼鏡を渡された。
「ほら、言ってるそばから、厄介な連中をいる」
双眼鏡を覗いてみると、なるほど、100mほど先に複数のウロビトが確認できた。何かを取り囲んで騒いでいるように見える。
「何をしているのかしら。犬をいじめているの?」
「いや、あれは犬じゃない。たぶん、剣竜の子供だ」
資料の恐竜目撃例に、その名は載っていた。剣竜,ステゴサウルスである。
ステゴサウルスは専門家の間では、牛のような草食性で、おとなしい性格だと推測されている。
特徴として挙げられるのは、背中に並んだ二列の骨板だ。捕食者に対する防具だという説や、放熱板だという説、異性にアピールするためという説がある。また、身体の大きさに対し、脳が小さいのも特徴である。梅干しほどしかないらしい。
それはともかく、今、目の前にいるのは体長1mほどの小さな剣竜である。背中の骨板も小さく、まちがっても戦闘的には見えない。
ウロビトたちは奇声を発しながら、小剣竜を弄んでいる。どうやら、小剣竜は好奇心にかられて単独行動をしていたところ、ウロビトたちに見つかり捕まったようだ。首にロープをひっかけられて、乱暴に引きずられたりもしていた。
そんな情景をシーナは見ていられなかった。レンを見やると、ステアリングの中央にあるキーパッドを操作していた。
「どうするの?」
「インビジブル・モードで連中をやりすごす」
「インビジ? 何それ?」
レンの説明を要約すると、SUVの外装とフロントガラスに背後の情景を映し出し、車体を周囲に溶け込ませるらしい。これによって、車体は完全に見えなくなる。別名「カクレミノ」といい、ウロビトたちが近くにいても、彼らの眼に止まることはない。
何のことはない。アニメ『攻殻機動隊』で、草薙素子が使っていた「光学迷彩」である。
レンはゆるゆるとSUVを進ませていた。ウロビトたちに次第に近づいていく。50mほどの距離まで来た。
「ねぇ、今、話していいかな?」シーナは思いきって、レンに話しかけた。
「ああっ? 今、必要なことか?」
「あの恐竜の子供だけど、助けられないかな」
「はあっ⁉ 何を言ってんだよ」
「あの、やっぱり、ダメかな?」
レンはこれ見よがしに溜め息を吐く。
「不要な戦闘はしない。基本中の基本だ」
「でもさ、あの子、かわいそうだよ」
「ウロビトは目の前の連中だけじゃない。近くに大勢いるんだ。戦闘になれば、そいつらを引き寄せてしまう。多勢に無勢では勝ち目が薄い。俺たちの生存率は急激に低くなる」
「……そうなんだ」
「海辺でいじめられているウミガメなら、浦島太郎でなくても助けてやりたい。だが、ここで浦島太郎を気取るなら、圧倒的に相手を凌駕する強さが不可欠だ」
いささか強い語調で、レンは言った。これまでの経験から、そう判断したのだろう。
シーナはそこまでは考えていなかった。目の前の状況を見て、感情に突き動かされただけだ。レンにしてみれば、浅はかな考えだったのだろう。素人のシーナが口を挟むことではなかった。
「……わかった。ごめん」
ウロビトたちまで20mの距離に近づいた。双眼鏡を使わなくても、小剣竜のずんぐりした身体が出血しているのがわかる。シーナは眼をそらして、やりすごそうとする。
その時、一体のウロビトがSUVの方を振り向いた。「カクレミノ」を使った車体は見えないはずだが、注意深く走っていても走行音までは隠せない。
「もし連中に気づかれたら、一気に速度を上げるからな」レンが小声で言った。
「は、はいっ」
幸い、ウロビトの関心は小剣竜にもどった。さらに、連中との距離を詰めていく。
SUVはできるだけ道路の端を通り、ウロビトたちとの距離をとろうとする。それでも真横を過ぎる時は5,6mまで近づくことになってしまう。
「まちがっても音を出すなよ」レンが小声で命じる。
しかし、こんな時にかぎって、くしゃみが出そうになるものだ。シーナは両手で鼻と口を覆って、慌ただしく頷いた。