D:エムの務め
世界創造。
シーナにとっては、明らかに重すぎる責任だった。
その責任の大きさは、国家元首の比ではない。人類の総人口、地球全体の生物〔大型哺乳類から微生物まで〕、植物、自然環境にいたるまで、すべての裁量を委ねられているのだ。
完璧にこなそうとするなら、膨大な知識と才覚が必要とされる作業になる。
だからこそ、神と思われる青年〔元は老人だが〕でさえ、悩みに悩みぬいたのだ。己が創造した〈クラッシュ・ワールド〉のことを〈できそこない〉と呼ぶほど、嫌悪したのだ。
一体なにから手を付ければいいのか、シーナには想像もつかない。
「あの、ダメ元で訊くんですが、マニュアル的なものってあるんですか?」
青年は苦笑で応えた。
「そんなものがあるのなら、僕だって苦しまなかったよ。創造というものは、実に厄介だからね。何でも思うがままなのだから、思いつくまま作ってしまえばいい、と思うじゃないか」
シーナは、そうは思わなかったが、とりあえず、何も言わなかった。
「人間界のクリエーターもそうだと思うのだが、『あなたの好きにしていい』『すべて、お任せで』という依頼ほど難しい。可否の判断基準はあいまいだし、自由度が高いということは、それだけ選択肢が多くなる。細部にこだわればこだわるほど、選択肢は増えていくからね。さらに、最も悩ましいのは……」
その点に関しては、よほど不満がたまっていたのか、青年の話は延々と続いた。
シーナは右から左に聞き流しながら、元の世界に思いをはせてみる。
〈クラッシュ・ワールド〉とは正反対の世界。家族や友達とともに心穏やかに過ごしてきた日常。それなりに悩みや問題はあったのだが、それでも普通に平和だった世界。
シーナの脳裏に、一つの疑問が湧いた。青年の話は続いていたので、右手を上げてから、
「すいません、私が元々いた世界には戻れるんですよね。今も存在しているのなら、間違いなく戻れるはずですよね?」
「もちろん、戻れるよ。ただ、すぐには難しいだろうね」
「それは、どうしてですか?」
「エムの務めを果たすためには、相当の時間がかかるからね。少なくとも1000年は覚悟しておいた方がいい」
「それ、無理だから。1017歳とか、マジ生きていられないから」
「年齢のことなら気にしなくていい。ここでは時が止まっているからね。いつまでも、若さを保っていられる」
「でも、あなたは……」
「ああ、私も時間に縛られてはいない。幼子にも老人にもなれる。まぁ、気分転換のようなものだ。とにかく、時間はいくらでもあるんだ。神は世界を創造するのに7日かかったというが、私たちは凡人だ。1000年で足りなければ、10万年でも、1億年でも構わない」
「気の遠くなるような話ですね」
青年はシーナを真っ直ぐ見つめて、
「要はシンプルな話だよ。君はエムの務めを果せれば、元の世界に戻ることができる。それで、すべてが元通りだ。君の家族と友達が待っている。ただ、当たり前のような日常を送ることができる」
「……」
「アドバイスをさせてもらうと、うまく作ろうなどとは考えないことだ。とりあえず試してみる。失敗しても構わない。トライアル&エラー。大事なことは、同じ失敗を繰り返さないこと。コツコツとこなしていれば、いつかは出来上がる。いつかは終わる」
「そうすれば、元の世界に帰れるんですね」
青年は力強く頷いた。
「……わかりました。やります。どれだけ時間がかかっても、最後までやり遂げます」
シーナは昔から、手先が不器用だった。例えば、小学校の工作である。ボール紙と色紙を使って好きなものを作るように、先生から言われたのだ。
最初は、シンデレラ城を作ろうとしたが、すぐに挫折して、より簡単なデコレーションケーキに変えた。その後、ペンギン、クジラ、魚と次々と変更し、結局、出来上がったものは、何だったか、覚えていない。
作らなければ元の世界に帰れないが、やり遂げる自信は限りなくゼロに近い。神でさえ、世界を作るのに7日かかったのだ。青年は「少なくても1000年かかる」といったが、凡人のシーナならそれ以上かかることは間違いない。もしかしたら、1万年以上かかるかもしれない。
「いや、そこまではかからないだろう。君には類まれな素質があるからね」
青年の軽い口調にカチンときながら、
「私の素質って、一体なんですか? 自覚が全然ないんですけど」
「一言でいうなら、願望達成能力かな。私ほどではないが、君の素朴で真っ直ぐなベクトルは称賛に値する。その上、〈夢遣い〉の潜在能力、日常生活における妄想力を併せ持つのだから、もしかしたら、1000年もかからないんじゃないかな。何と言っても、君はエムなのだから」
青年は、こう続けた。
「君はアニメーションが好きらしいな。アニメはラテン語のアニマ(anima)からきている。命や魂という意味だ。英語のアニメイト(animate)には、命を与える、命を吹き込む、という意味がある。アニメ制作とは、作品世界の創造主だからね。こう考えてみると、君の手がける世界創造とは、究極のアニメーションだとは思わないか?」
その言葉は何よりも、シーナを勇気づけた。
持ち前の根気と集中力、粘り強さを発揮して、日々、世界創造に取り組んだ。気分転換にスイーツを楽しむ以外は、ひたすらと黙々と作業を進めた。ちなみに、清潔な新雪をベースにしてフルーツ、クリームをのせたオリジナルフラッペは、なかなか美味しかった。
青年のいう願望達成能力が発動したのか、〈夢遣い〉の潜在能力が働いたのか、普段からの妄想力がものを言ったのか、結果から言うと、青年の予想は外れた。1/3以下の322年しかかからなかったのだ。
こうして、世界は再編された。
シーナは青年から称賛を受けたが、それでも不安な点があった。
(私はうまくやれたのかな? みんなにとって理想の世界を作れたのかな?)
それは帰還を果せば、自分の眼で確認できるはずだ。楽しみであり怖くもある。一日でも早く帰りたかったはずなのに、つい躊躇ってしまうシーナがいた。
「どうして、躊躇うんだ? 君は作った世界だ。君にとって理想的な世界であるじゃないか」
そう言って、青年は首を傾げていた。
「ええ、そうだと思うんですが、私にとっての理想が、他の人にとっての理想ではないわけで……」
「それがわかっているのなら、何も心配はいらない。人は変わる。感じ方も、判断基準も、時と共に変わっていく」
「それで、いいんですかね」
「いいも悪いもないよ。作り上げた世界の行く先など、誰にもわからないからね」
「そうなんですか? あなたにもわからないの?」
「ある程度の予想はつくが、完璧にはわからない。未来は誰にもわからない。未来を作り上げるのは、世界を構成するものたちだ。言わば、世界そのものの責任」
「……私、そこまで達観できません。でも、未来については、世界に委ねるしかないないんですね」
「よくわかっているじゃないか」
青年は満面の笑みを浮かべていた。
322年の想いを込めた世界を確認するため、シーナは帰ることにした。




