A:世界崩壊
三日三晩降り続けた青い雨は、〈クラッシュ・ワールド〉に多大な影響を及ぼした。
恐竜や妖怪、巨大昆虫、異形のものが消失したのである。死んだわけでも溶けたわけでもない。それぞれの輪郭が次第に透けていき、物理的に消えてしまったのだ。ウロビトなどは数えきれないほどいたのに、一体残らず消滅してしまった。
ちなみに、無人ドローンによる調査で確認されたのだが、アパトサウルスなどの巨大な恐竜は、完全に消えるまでに10分以上かかったらしい。
これは〈境界守〉にとっても、初めて経験する現象だった。
幹部たちは全スタッフに撤退を命じたが、誰一人、元の世界に戻ることはできなかった。
本来、〈境界守〉は意識を集中させれば、いつだって現世に通じる出入口〈ポータル〉を開くことができる。その〈ポータル〉が、なぜか開かないのだ。青い雨の影響ではないか、というのが研究班の見解だった。
40kmほど離れた場所に、雨の止んでいるエリアがある。幹部とスタッフたちはクロバチと輸送車を使って、そこへと向かった。
今、アジトに残っているのは、レンとミルコだけである。二人は食堂で、作り置きのコーヒーを飲みながら、
「そこなら〈ポータル〉が開くかも。ミルコ、そう思うか?」
「やっぱり、怪しいと思う。レンも罠と思っているんだろ?」
「いや、そこまでは言わない。ただ、嫌な予感がする」
「同感だな。建物の中なら安全だとも思えないけどね」
ミルコはクスリと笑い、
「ねぇ、レンがここに残った理由は、それだけ?」
「何だよ、その顔は。何が言いたい?」
「もしかしたら、シーナちゃんがひょいと返ってくるかも……。そう思ったんじゃないのぉ?」レンがそっぽを向いても、ミルコはさらに続ける。「まぁ、彼女の帰還と雨が止むこと、どちらが先になるのか、わからないけどさ」
そう言って、ミルコは傍らのノートPCを開いた。
今は成り行きに任せるしかない。レンはそう思っていた。
〈クラッシュ・ワールド〉から生物が消えた後、山が消え、海が干上がり、厚い雲に覆われた空からは太陽が消えた。もしかしたら、この壊れた世界は、さらに壊れようとしているのかもしれない。
「信じられない。レン、出て行った人たち、皆、消えちゃったよ」
ミルコのノートPCを信じるなら、幹部とスタッフを乗せたクロバチと輸送車は、目的地に到達する前にGPS信号を絶っていた。
「空の上のGPS衛星の方が消失したかもしれないけど、青い雨の影響を受けやすいのは、地上の方だもんね」
レンは苦笑を浮かべるしかない。
「青い雨のせいか? 超自然の力? この世界では本当に、何でもありだな」
「ふん、だから、何だ?」その声は、天井の辺りから上がった。「おまえは黙って、この運命を受け入れるのか?」
コーヒーカップの隣にフワリと舞い降りたのは、あいかわらず掌サイズのアシュタルだった。
「生き延びていたのか、アシュタル。簡単にはくたばらないヤツだな」
「レン、そいつはお互い様だ」アシュタルも苦笑する。「ほとんどの魔物も消え失せたよ。もう何が何だかわからない。こいつが終末というものなのか?」
「さぁな。俺にもわからん。元々でたらめな世界だ。神様の怒りでも買ったのかもしれん」
レンは自分で言っておきながら、本当にそうかもしれないなと思った。
「そういえば、シーナはどうした? 姿が見えないが」
「彼女は消えたよ。雨が降り出す前に」
「雨が降り出す前? それは本当か?」
「お話し中に申し訳ないけれど、そろそろ私、終わりみたい」
ミルコは右手を頭の高さに上げていた。肘から先は、きれいに透き通っていた。
「……ミルコ」
「何か言い残すことはあるかって? うーん、別にないな。こうなってみると、常識やモラルを気にしないで、もっと好き勝手に生きておけばよかったかな。我ながら、真面目過ぎたかも……」
そこで言葉は途切れてしまい、吐息だけが宙を漂っていた。
「長い付き合いの俺だから言わせてもらうが、ミルコ、そんなことはなかったと思うよ」
これで、レンとアシュタルだけになってしまった。
「常識的に考えて、遠からず消えてしまう運命だろうな」
「レン、そう悲観的に考えたものでもないぞ。人間は『毛虫が終末と感じる状態を蝶は誕生と感じる』とかいうんだろ?」
「知らんな。何となく言いたいことはわかるが、誰に聞いたんだ、そんなこと」
「おまえたちが観るアニメーションに出てきたセリフだ。私みたいな魔物が地球を支配するストーリーだったので、参考にさせてもらったよ」
「結局、おまえ、少しも支配してねぇじゃないか」
「レンみたいな異能グループも出てきたぞ、確か、サイオニクス戦士とか言ったな」
「ださいネーミングだな。それ、絶対に大昔のアニメだろ」
蛇足になるが、このアニメとは、1983年公開の映画『幻魔大戦』である。
「そういえば、アシュタルの望みは、この世界の未来を見届けることじゃなかったか」
「ああ、そうだ。〈クラッシュ・ワールド〉がどうなるのか? それが見たくて、休戦協定を結んだわけだが、とんだ骨折り損だったな」
「いやいや、休戦協定を結んだのは、〈境界守〉と魔物のトップ同士だから」
「細かいことにこだわる奴だな。そんな男は女にもてないぞ」
「それって、おまえには、絶対に言われたくないセリフだよ」
レンとアシュタルは不安を打ち消すように話し続けていた。
青い雨が降り始めて5日目、二人の話し声は消えた。
6日目、世界のすべてが、原子へと還り始めた。
7日目、〈クラッシュ・ワールド〉は消失した。




