C:老人と女子高生
文字通りの「砂漠のオアシス」だな、とシーナは思った。
オアシスを一歩出れば、大海原のような赤い砂漠が広がっており、生物と植物の気配は少しも感じられない。一言でいうなら灼熱地獄、もしくは死の世界である。
ただ、なぜか、懐かしさを感じさせる情景だった。シーナがこの世界にやってきたのは二度目なのだが。
水場に近寄っていくと、木陰に敷かれたシートの上に、老人がポツンと座っていた。
「……おじゃまします」
「やぁ、来たね、エム」
「あなたですね。私をここに呼んだのは」
「ああ、そうだ。何か問題があったかな」
「いきなりだったので、少し戸惑いましたが、別に構いません」
老人はにっこり微笑み、
「そう言ってくれると思った。こっちの世界に来てもらうのに、君の意志は無視できないからな」
どうやら、シーナが〈境界守〉に不信感を抱いたことが、少なからず影響していたらしい。いっそのこと、元の世界に戻ることができればよかったのだが、そこまで事はうまく運ばない。
「……あのう、ここって、やっぱり〈クラッシュ・ワールド〉じゃなくて、別の世界なんですね」
「〈クラッシュ・ワールド〉か。その呼び名を聞くのは久し振りだな。私は〈できそこない〉と認識している。おもちゃ箱をひっくり返したような世界だっただろう。あそこは、ただの失敗作だからね」
「……失敗作? それって、あなたが作った、ということですか?」
「まぁ、そういうことになる。きっかけだけ作って、あとは成り行き任せだったのだが」
シーナは少し考えてから、
「あのう、失礼ですので、ひょっとして、神様ですか?」
「その質問に答えるのは難しいな。君たちが呼んでいる神ではないが、幾分、その要素は含んでいる。つまり、神であり神ではない」
「あまり頭がよくないので、よくわかりません」
老人は満面に笑顔をつくって、
「神は万能である。君はそう思っているはずだ。本当に万能なら、失敗などしないはずだろう。しかし、私は〈できそこない〉を作ってしまった」
「……はい」
「では、私は神かね?」
シーナは腕組みをして、しばし考えこむ。
「神、じゃない?」
「と、私は思う。ただ、神にも失敗あり、と認めるのなら、その限りではない」
どちらでも構わない、という口ぶりだった。つまり、神と呼んでもいいし、呼ばなくてもいい。好きにしてくれということだろう。
「何となくですが、わかったような気がします」
もっとも、シーナは心の中で、理屈っぽいのは苦手だな、と思っていたのだが。
「さてと、それではそろそろ、要件に入らせてもらおうかな」
老人は座り直し、シーナの眼をまっすぐ見つめた。
「エムである君を見込んで、どうか、力を貸してもらいたい」
「私が神様のお手伝い? マジですか?」
「ああ、マジだ。大マジだよ」と、老人は軽い口調で応じた。「エムである君にしかできないことだよ」
「そのエムなんですけど、〈メディウム〉とか〈夢遣い〉とか言われても、ほとんど自覚がないんですよね。私、どこにでもいる平凡な人間なので」
老人は「ふふっ」と笑って、
「平凡な人間は、〈クラッシュ・ワールド〉に来られないし、夢の中に入り込んだりしないよ」
「それはそうかもしれませんけど。あの、さっきから気になっていたんですが、どんどん若返っていませんか?」
「ああ、君は若い方が話しやすいだろうと思ってね」
そう言った時には、もはや青年の姿になっていた。肌の艶、眼の輝きは20代前半のものである。
「どうだろう? 君のタイプではないかな」
光り輝くような笑顔に、シーナはあっさりKOされてしまう。
しかし、かろうじて立て直す。いやいや、私はレンくん一筋だから、と意志を強くする。「さぁ、どうでしょう。ハンサムさんなことは認めますが」
「それは、どうもありがとう。残念だけど、君には、心に決めた相手がいるようだね」
「私のことは結構ですから、どうぞ、話を先に進めてください」
元老人の青年は肩をすくめて、
「わかった。そうしよう。ただ、頼み事をする前に、エムについて説明が必要みたいだな」
「すいません。私の理解は、まだ追いついていないようですね」
「ほんの少し、認識を新たにしてほしい。正確に言うと、〈エムツー〉なんだよ」
「そういえば、最初は、そう言われたような気がします」
記憶力に自信のないシーナだが、最初に〈エムツー〉という言葉を口にしたのは、確かアシュタルだったはずである。どういう意味か尋ねても、なぜか、はぐらかされてばかりだった。
一生懸命に考えて、Mが二つということから、〈ミニ・ミラクル(小さな奇跡)〉かな、と思ったものである。
「やっぱり、Mが二つということですか?」
「いや、そうじゃない。〈第二のM〉という意味だよ。ちょっと考えてみたまえ」
シーナは腕組みをして、「うーん」と唸ってから、
「〈第二のM〉ということは、M一つですね。何だろう。〈夢遣い〉の夢がらみ? まさか、〈モンスター〉じゃないでしょうね」
ひとしきり考えた後、シーナは潔く両手を上げた。
「降参です。教えてください」
「シンプルな単語だから、すぐにわかると思うんだが、Mとは、〈マスター(Master)〉のことだ。つまり、主人、名人、巨匠、theをつければキリストという意味になる。でも、君は女性だから、こう呼んだ方がいいかな」
青年は笑顔で言った。
「つまり、〈マリア(Malia)〉。聖母マリアだよ」
シーナは絶句した。
聖書の中に登場する人物と、何の取得もない平凡な女子高生。あまりにも違いすぎる。天と地の一億倍ぐらいは違うだろう。いや、それ以前に、比べることすらおこがましい。
「あの、聖母って何をする人なんでしょう」
素朴な疑問は思いのほか、青年に受け、腹を抱えて笑われてしまった。
「君にできないことは求めないよ。その点は安心してくれ。君なりに、聖母を全うしてくれれば、それで充分だから」
そう言って、シーナの頭をポンポンと叩いた。
(あ、これって、よくテレビドラマで見かけるヤツだ。ひょっとして、愛情表現のテンプレ? いやいや、相手は神様じゃん。それはありえない)
シーナは頬を赤らめて俯いてしまった。ときめいてしまった自分に戸惑い、そんな想いを慌てて打ち消した。だから、青年の言葉を聞き逃してしまった。
「……というわけなんだ」
「えっ、すいません。今、何て言ったんですか?」
青年は朗らかに微笑んで、
「君には〈世界〉を作ってほしい。決して〈できそこない〉ではない〈完璧な世界〉を産んでほしい。そう言ったんだよ」
二度目の絶句。
〈世界〉を作る。〈完璧な世界〉を産む。
それがどうやら、聖母の務め、ということらしい。
「なるほど……」
シーナは意外と、冷静に受け止めることができた。神様や聖母マリアが出てきたところで、無意識のうちに予想して身構えていたのかもしれない。
ただ、気がかりなことが一つある。いの一番に、その点を確認した。
「まさかと思いますけど……、あれは、なしですよね」
すべて言わなくても、青年は察してくれた。
「ああ、マリアだからね。処女受胎しかありえないさ」
シーナは安堵の溜め息を吐いたが、もし、Mの過酷な運命を知っていれば、どう思っただろう。
もっとも、逃れようのない運命には、覚悟を決めて立ち向かうしかなかったのだが。




