B:老人の呟き
老人は天を仰いで、大きな溜め息を吐いた。
オアシスに辿り着いてから自分がしていたことは、結局のところ、現実逃避にすぎなかった。そのことに思い至ったからである。
少し前まで〈自問自答〉という形の対話をしていた青年は、老人の前から姿を消していた。どこかに旅立ったのではなく、文字通り、煙のように掻き消えたのである。
理由は単純である。もはや青年は必要ないと思って、老人自身が切り捨てたからだ。
青年は老人の分身なので、この言い方では自分で自分を見限ったように聞こえるかもしれない。しかし、正確にはそうではない。話し相手としても相談相手としても、その価値がなくなったと老人が判断したからである。
老人のもつ力は、人智を超えたものだった。
それは言わば、願望達成能力である。仮に老人が望めば、それは速やかに叶えられるのだ。
ちなみに、老人は神ではない。少なくとも、「神」と呼ばれる類のものではない。人間から崇められたこともない。いや、それどころか、おそらく老人のことなど、誰も興味を持っていないだろう。
この世界をつくったのが誰なのか?
他ならぬ、老人自身である。しかし、誰も知らない。
それどころか、世界を作っているのは神だと誤解していることだろう。
もし老人が気まぐれを起こせば、人間など一人残らず消えてしまうのに、誰一人知らなかったのだ。
老人は元々、人類とは別世界に存在している。人類の進化に関わったことはないし、助けの手を差し伸べたこともない。
検討に検討を重ねて広大な世界を作り上げ、時折り遠くから漫然と眺めていただけだ。見守っていたと言った方が聞こえはいいかもしれないが、実際にはただ放置していたようなものである。
だが、どうやら、それも限界のようだ。体力的にはともかく、精神的に衰えを感じてしまった。
それを自覚したきっかけは、はっきりわかっている。
エムである。エムが現れたとなると、これは見過ごせない。たとえ、一瞬、顔を見せただけで、すぐに消えてしまったとしても。
老人は無意識のうちに、助けを求めてしまった。心の中で、誰かの救いを願ってしまった。それは老人の限界以外の何物でもない。
老人は考えに考えた末に、一つの結論を打ち出した。
「とりあえず、もう一度、エムに会うしかなさそうだな」
その呟きは広大な砂漠に吸い込まれ、誰の耳にも届かなかった。




