A:悪夢の果てに
シーナはパニックを通り越して、思考停止状態に陥っていた。
〈クラッシュ・ワールド〉に来てから信じられない出来事の連続だったが、空飛ぶ巨大イカと大巨人の戦いは、その最たるものだったからだ。
「マジやばいかも」
シーナは心の底から、命の危機を感じていた。特撮テレビドラマなら、巨大ヒーローと怪獣との戦いに一般人が巻き込まれないように気遣ってくれるが、化け物ども同士の戦いではそれも期待できない。
現在の状況は、大地震の発生現場に近い。しかも、その恐怖を大勢の人々と分かち合うこともできない。身体がすくんでしまい、シーナは頭の中が真っ白になっていた。
さらに、レンに抱きかかえられ土砂の斜面から飛び降りた時、恐怖のあまり気を失ってしまった。
どれほど、意識を失っていたのか、シーナにはわからない。頬にあたる風が心地よくて、目を開けてみると、眼下に広がっているのは、見渡す限りの大海原だった。
赤い海だった。時が止まったように、赤く染まった海面が凍りついている。
それを俯瞰で眺められるのは、シーナは宙に浮かんでいるからだ。
〈クラッシュ・ワールド〉の夢を見た時のように、一糸まとわぬヌードだったが、大して恥ずかしくはない。人目がないこともあるが、この状況の正体が何となくわかったからだ。
どうやら、ここは夢の中らしい。
赤い海はよくみると海ではなく、広大な砂漠だった。砂の小山が地平線まで連なっている。
心の中で意識すると、空を自由に飛ぶことができた。アニメ『TIGER & BUNNY』のキャラクター,スカイハイになったような気分だった。
行けども行けども、赤い砂漠は途切れない。まさか、海が干上がり、地球の砂の惑星になってしまったのか。もしかしたら、この世界も〈クラッシュ・ワールド〉なのかもしれない。
赤一面の情景の中に、ポツンと浮かぶ黒い点があった。シーナはそちらに意識を向けて、一直線に飛んでいく。
それは、オアシスだった。文字通り、砂漠のオアシスである。
人影が見えたような気がしたので、シーナはとっさに両腕で胸を隠した。
しかし、さすがは夢の中である。次の瞬間には、カラフルな民族衣装を身にまとっていた。おそらく、シーナ自身の羞恥心が働いたのだろう。砂漠にぴったりな遊牧民風のファッションである。
シーナは高度を下げて、ゆっくりと近づいていく。水場のほとりに人影が二つ見えた。シートの上に座って、おしゃべりをしているようだ。
オアシスの端っこに静かに降り立つと、ここまで歩いてやってきたような素振りで、シーナは二人のいる場所に向かう。
木々の間から、二人の男性の姿が見えた。ほどよいところで、シーナは声をかけた。
「すいません。水を飲ませてもらっていいですか?」
しかし、何の応えもない。声が聞こえなかったのだろうか? シーナはさらに近づいて、
「あのう、すいません」と、話しかけてみた。
同じだった。二人はシーナの方をまったく見ない。向こうには声が聞こえないだけでなく、姿も見えていないのだ。
そういえば、二人の声もシーナにまったく聞こえない。口を動かしているのに、まったくの無音である。まるで、無声映画を見ているようだ。
すぐ近くにいるというのに、不思議な感覚だった。
「とりあえず、水を飲ませてもらいますね」
シーナは律儀に断ってから、水場で手を洗って喉を潤した。
人心地がついたので、二人の様子を観察する。シーナと同じく民族衣装を着ていた。一人は20代で、もう一人は60代ぐらい。顔が似ているので、もしかしたら、父子なのかもしれない。
無声映画のような夢を見るのは初めてだった。もっとも、目を覚ました時にはすっかり忘れているだけかもしれないが。
夢に関する本によると、夢を見るのは記憶の整理整頓が行われている時らしい。こんな場面は全く覚えがない。
シーナは砂漠に行ったことがない。砂丘にも行っていない。砂漠の出てくる洋画というのも思い浮かばない。
「あ、でも、砂漠の出てくるアニメなら覚えがある」
『機動戦士ガンダム』、いわゆる「ファーストガンダム」には、アムロがホワイトベースから脱走して、ガンダムを砂漠に埋めるシーンがあった。その後で確か、ジオンのランバラルとハモンに出会うのだ。
(『シティーハンター』の制作会社がつくっているので、「ガンダム」シリ-ズには敬意を払っている。「ユニコーン」や「SEED」も好きだが、「ORIGIN」からつながる「ファーストガンダム」も捨てがたい。そんな昔の作品を知っているのかを思われるかもしれないが、今はネット配信がある。いくらでも過去アニメが観られる時代なのだ)
水辺にうずくまって、つらつらとそんなことを考えていると、シーナは違和感を覚えた。振り向くと、老人がジッとシーナの方を見ていた。明らかにシーナが見えている。
「あ、どうも、こんにちは」
「……君は、もしかすると」
老人は、そう呟いた。彫りの深い顔をしているが、異国の言葉ではなく、確かに日本語だった。
シーナは老人に歩み寄り、ペコリと頭を下げて、
「とても日本語がお上手ですね。ここはどこなんですか? あ、夢の中であることはわかっているんですけどね。あなた方は一体……」
青年が老人の視線に気づいて辺りを見回しているが、彼にはシーナが見えていないようだ。
老人は立ち上がって、シーナの方に歩み寄ってくる。
「君は、まさか……」
「えっ、何ですか?」
シーナが、そう言った時、いきなり、強い力で後方に引かれた。誰かに腕を引かれた程度ではない。突風に吹き飛ばされた勢いで、一瞬で数kmの距離を移動したのだ。
何とか空中で態勢を立て直したが、シーナは今も高速で飛び続けている。おそらく、目には見えない大いなる力によって、それはなされている。
大いなる力とは、例えば、神様とか、創造主とか。もしかしたら、シーナは触れてはいけないものに触れてしまったのかもしれない。
シーナの身体は一直線に飛び続けた。急速に陽が沈み、夜になってしまう。どうやら、わずか数十秒の間に、地球の裏側に来てしまったらしい。
しばらくすると、移動速度は次第に落ちてきて、やがて空中で停止した。
乗り物酔いのような不快感だった。頭がズキンと痛み、身体は重く感じられる。いや、これは誰かがシーナの上にのっているのだ。
シーナは目を覚ました。
身体のあちこちが痛んで最悪の気分だったが、しっかりと意識を取り戻した。
シーナの上にのっているのは、意識を失ったレンだった。おそらく、土砂の斜面から飛び降りた時、シーナの身体を抱きしめることで、落下の衝撃から守ってくれたのだ。
「レン、シーナ、大丈夫!?」それは、ミルコの声だった。
ミルコが二人に駆け寄って、シーナの上からレンの身体をどけてくれた。ミルコがレンに呼びかけているが、彼はまだ気を失ったままだ。
「ここは、どこですか?」
シーナが体を起こすと、そこはログハウスの軒先だった。
ミルコによると、山間部にある〈境界守〉のアジトの一つであり、レンとシーナが最後にいた地点から、つまり大巨人の落下地点から十数キロメートルの地点になるという。
どうやって、ここまでやってきたのか? 考えられるのは一つしかない。アシュタルの転移によってである。
「ミルコさん、アシュタルさんを見かけませんでしたか? 私たちの近くにいたはずなんです」
「アシュタル? それって魔物のアシュタルのこと?」
「魔力を消耗しているのに、転移をしてくれたんです。私たちを助けるために」
ミルコの指示を受けた〈境界守〉のスタッフが、ログハウスの近くでアシュタルを発見した。魔力を使い果たしたのか、アシュタルの身体は掌にのるほどに縮み、肌は潤いを失って土気色になっていた。
それは、昆虫の蛹に似ていた。ミルコによると、一種の仮死状態であり、このまま目覚めないこともあるらしい。
それを聞かされた時、シーナは唇をかみしめ、両目に涙を浮かべた。




