A:魔物の弾丸
なぜ、人間どもと一緒に旅をする羽目になってしまったのか?
考えるまでもない。アシュタルがシーナの提案にのってしまったからだ。客観的に考えれば、彼女の口車に乗せられた形だが、アシュタルは不愉快ではなかった。それどころか、どこか彼らとの旅を楽しんでしまっている自分自身がいる。
私は一体どうしてしまったのか、とアシュタルは自問自答を繰り返していた。
シーナという女がレンと一緒にいることを知った時は、全身の血が逆流するような怒りを覚えたものである。だが、実際に会ってみると見事に想像を裏切られた。
きっと優れた異能力の持ち主だと思っていたのだが、あまりにも弱そうな女だった。アシュタルの手にかかれば、掛け値なしの秒殺である。
なのに、なぜ、シーナはあんな風なのか? 魔物であるアシュタルに、なぜ、こうも馴れ馴れしいのか? まるで人間扱いではないか。アシュタルが人間に擬態しているせいかもしれないが、こんなことは後にも先にも初めてである。
こんなことなら出会った時点で、さっさと始末しておけばよかった。使い魔の連中を操って、連中の乗り物を谷底に落としてやれば、ただそれだけで済んだのだ。
「後悔先に立たず」というのは、人間界の諺だったか。「転ばぬ先の杖」とか「濡れぬ先の傘」ともいうらしいが。
レンという人間と死闘を繰り広げて以来、人間に強い関心を持って勉強してきたが、人間と言う生き物は理解不能だ。つくづく、複雑怪奇である。
シーナのように外見だけでは計り知れないところがあり、一言でいえば、底が知れないのだ。
もしかすると、それこそが、〈エムツー〉である証なのかもしれない。
そんな想いもあって、アシュタルは人間どもと行動を共にすることにした。本能のままに戦闘を繰り広げる魔物ではあったが、当面、レンとは休戦状態にして、しばらくシーナを観察しようとしたのである。
アシュタルは魔物の中で「変わり者」と呼ばれているが、シーナはアシュタル以上に「変わり者」である。考え方が明らかにレンとは違っている。シーナには敵意を全く感じない。
〈境界守〉ではないせいもあるだろうが、まったく敵と戦うつもりがないらしい。いや、それ以前に、敵を敵と見なしていないのかもしれない。
その意味では、シーナはアシュタルとは正反対の生き物だし、生存競争の厳しい〈クラッシュ・ワールド〉では、極めて稀有な存在である。
そんなシーナとは一体どういう生き物なのか? なぜ、シーナが〈エムツー〉なのか? 〈エムツー〉ならしめているものとは一体なんなのか?
アシュタルはシーナにすっかり好奇心を刺激され、妙な言い方になるが、興味津々だったのである。
そんな思惑があったことは確かだが、レンと協力して怨霊どもを撃退したあたりから、妙な感じだった。くすぐったいような、誇らしいような、人間流に言えば、心が通い合ったというのかもしれない。
人間と魔物は本来、敵対関係にある。一緒にチームを組むなどありえない話だった。魔物の中には人類と不可侵条約を結び、共存の道を進もうとするものもいるが、それは主流派ではない。ずっと、アシュタルは人類を敵視していた。
ただ、レンという男だけは例外だった。顔を合わせた瞬間にただ者ではないとわかったし、いくら戦っても勝負の決着がつかず、以来、腐れ縁のような関係を続けてきたのだ。好敵手といってもよかった。
そのレンという人間に惚れたのではないのか、そんな風に仲間から揶揄われたのは、一度や二度ではない。命のやりとりといった、きわどい戦い方をすることで、屈折した快感を得ているのではないか、と笑われたこともある。
それは図星だった。魔物の愛情は人間のそれとは似て非なるものだが、アシュタルはレンに魅かれていた。レンの精には不老不死の効果があるという噂がなくても、そのうちベッドの上で異種格闘技戦を挑むつもりだ。あくまで、魔物のセックスではあるが。
レンの命を奪おうとするものは決して許さない。もし、レンを倒す者がいるとしたら、それはこのアシュタルでなければならない。
だから、レンが絶体絶命の窮地に陥った時、アシュタルは黙って見過ごすことができなかった。
怨霊どもとの戦いで、アシュタルの魔力は消耗している。魔力を急速に補充する手段は一つしかない。
それは、山の精気を吸い上げることだった。
「シーナ、待ってろ! すぐに戻る!」
そう叫んでシーナから離れると、5秒で山のパワーポイントを突き止め、さらに8秒でそこに辿り着いた。
ずっと嫌な予感に襲われていた。絶望的な危機が迫っている。のんびりしていられない。
最低限の魔力を済ませるまで28秒。急いでレンたちの元に戻ると、まさに大巨人が落下するところだった。
「レン! シーナっ!」
大巨人が二人を押しつぶすまで、わずか1秒足らず。しかし、アシュタルは躊躇いなく飛び込んでいった。その姿はまるで、弾丸のようだった。
そして、アシュタルは全魔力を解放して、命がけの転移を行ったのだ。




