A:黄昏の死闘①
山間部で大きな地震にあうのは、街中にいる時よりはるかに危険である。
落下物から身を守ってくれる頑丈な建物はないし、負傷した場合に助けてくれる人もいない。身動きの取れない状態で孤立無援になることは、大げさではなく死に直結する。救助隊が駆けつけること自体、期待できないからだ。
「……もうダメ」
シーナはその場で座り込み、動けなくなってしまった。アシュタルが何か叫んで頭の上から逃げていったが、シーナの耳には届かない。
地鳴りと共に、大木がシーナに向かって倒れてきた。ああ、ここで死ぬんだ、とシーナは思った。
「何をしてる。早く立てっ」
両脇の下に手を入れられ、シーナは無理やり起こされた。そのまま軽々と抱きかかえてくれたのは、もちろんレンである。これまで以上に引き締まった顔つきをしていた。大きく横にジャンプして、大きな倒木から逃れると、素早く周囲に視線を巡らせて、さらに大きく跳んだ。
シーナはレンの身体にしがみつきながら、地震の原因を目撃した。
正確に言えば、それは地震ではなかった。山肌が大きく陥没して、そこから巨大な腕が空に向かって突き出されているのだ。まるで、特撮映画の怪獣のような登場シーンだった。
「レンくん、これは何!?」
「でかすぎる新手の登場だ」
レンは苦笑交じりに呟くと、山道の崩れていない部分を選んで、きれいに着地した。異能美少年は、この状況でも冷静だった。そんなレンをシーナは改めて頼もしく思う。
新手の巨大生物から距離をとっているが、それでも頭上から土くれが雨のように降ってくる。
地表に出ている部分だけ見ると、それは人間の上半身に似ていた。巨大生物は人型なのだ。言わば、巨人である。
それにしても、桁外れの大きさだった。巨人化したアシュタルは約20メートルだったが、目の前の巨人は上半身だけで倍以上はある。
「大きい……、大きすぎる」シーナが放心状態で呟く。
大巨人はゆっくりと両手を尾根にかけると、身をよじるようにして土の中から両脚を引っこ抜いた。足の裏が土の塊を落としながら、シーナの頭上を移動していく。
驚いたことに、足の裏だけで、テニスコートぐらいの大きさがあった。
大巨人の全身は赤茶けた色をしている。まるで、山の一部が意志をもって、ゆっくりと動いているようだ。腕や胸に遮られて、ほとんど頭部は見えないが、全長は優に100メートルを超えているだろう。
「レンくん、これは何っ!?」先程と同じ質問だったが、今度は声が震えていた。
「今は逃げるのが先だ。しっかり捕まっていろ」
レンはシーナを抱え直し、予備動作もなしに大きくジャンプした。山道やコンクリートなどの頑丈そうな足場を蹴って、ジャンプを繰り返し、大巨人の死角である背後に回りこもうとする。
もっとも、大巨人は小さな二人には見向きもしない。目指しているのは、空にいるクラーケンのようだ。クラーケンは依然として空に浮かんでいたが、次第に高度を下げてきたように見える。
まもなく、巨大な異形同士の戦いが始まろうとしていた。
「ああっ」
シーナは確かに見た。大巨人の手が勢いよく天に向かって伸びて、クラーケンの触腕を鷲掴みにしたのだ。
触腕とは文字通り、イカの腕のことである。蛇足になるが、イカの脚は10本ではなく8本。足よりの以上に長い2本はイカの腕である。その2本の触腕はもろそうに見えたが、どうやら強力な弾力をもっていたらしい。
大巨人がクラーケンの本体を引きずり下ろすために怪力で引っ張ったが、ゴムのように伸びるばかりである。腕力だけでなく、腰を落として体重をかけてみても、巨大イカは空から動かない。
「あのバカでかい巨人だが、〈境界守〉の本部ではディーダと呼んでいる。山や湖をつくったという伝説の巨人〈デイダラボッチ〉からとったらしい。〈ダイダラボッチ〉の呼び名の方が有名かな」
「それ知ってる。アニメ『もののけ姫』のクライマックスに出てきたもの」
『もののけ姫』とは、もちろん、スタジオジブリ制作、宮崎駿監督の大ヒット・長編アニメーション映画である。主人公たちがラストで死闘を繰り広げるのが、シシ神から変化を遂げた〈デイダラボッチ〉だった。




