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5ミリ先にある怪物帝国(モンスターワールド)  作者: 坂本光陽


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A:悪夢山脈②


 レンはSUVを通常モードに戻した。すると、それを待っていたかのように、森の一部が動き始めた。シーナは我が目を疑ったが、SUVに追いすがるように、それは明らかに動いている。


「レンくん、森の一部が動いてるっ」

「森じゃない。そいつの正体は……」


 巨大カマキリだった。森の中から現れた姿は、体長5mほど、羽根を広げると8mはありそうである。そいつがSUVのルーフにとりついてきた。大型の鎌のような巨大な前脚をボンネットに振り下ろされ、シーナは悲鳴を上げる。


「シーナ、捕まっていろよっ」


 レンは車体を左右に振って、ルーフ上の巨大カマキリを振り落とそうとする。しかし、足の爪で車体のくぼみを掴んでいるのか、思うようにはいかない。カマキリの斧がフロントガラスにも振り落とされる。


 フロントガラスは防弾ガラスだが、いつまで攻撃に耐えられるかわからない。ルーフの上は機銃の死角にあたるため、SUV装備のそれも使えない。


 レンは手段として、ドライブテクニックを駆使した。急ブレーキやスピンをきかせたドリフト走行で、巨大カマキリを振り落とそうとする。荒っぽい運転に、シーナは気が気ではなかった。


 おまけに、果てしない山道ループに閉じ込められているのだ。このままではらちが明かない。SUVの燃料切れが必至と思われた。


 運の女神はレンたちを見捨てなかった。目の前に、山道を横切るように張り出した太い枝が迫ってきたのだ。頭上の敵をルーフから引きはがすには、おあつらえ向きである。レンはアクセルを踏み込み、その太い枝の下へとSUVを突っ込ませた。


 巨大カマキリを太い枝に叩きつける作戦だったが、その衝撃の手応えはレンには感じとれなかった。どうやら、枝と激突する直前にジャンプしたらしい。おかげで、巨大な敵はルーフから離れたが、相手が被ったダメージは皆無である。再び攻撃を仕掛けてくるはずだ。


 レンはアクセルを踏み込んで、山道を駆けあがっていく。見通しのきかない坂道を上り詰めると、そこに待ち構えていたのは、真っ赤なスーツに身を包んだ巨人だった。谷底に膝をついて屈み込んでいるので、真っ白な顔が目の前にあった。


「……きれいな人」


 美しい顔にシーナは眼を奪われた。真っ赤な唇が印象的だ。ただ、美女なのか美男子なのか、性別は不明である。また、頭部の大きさから見て、身長は低く見積もっても20m以上はある。


 レンは峠でSUVを急停止させた。美しき巨人が山道に肘をついて、通行を妨害していたからだ。魅惑的な笑顔を浮かべて、SUVを見下ろしている。いや、巨人が見つめているのは、運転席のレンだった。


「レン、久し振り」

「……アシュタル」


 レンは低く呟くと、唇を噛み締めた。

 真っ赤なスーツを身に着けた美しき巨人は、レンが言っていた魔物にちがいない。

 シーナは女性の直感で、二人の浅からぬ因縁を察した。おそらく、愛憎が入り乱れた深い関係なのだろう。


 巨人の真っ赤なスーツの左肩に、先程の巨大セミがとまった。やはり、彼女の使い魔だったらしい。レンがSUVをバックさせようとすると、同じく使い魔の巨大カマキリが両脚を振り上げて立ちはだかっていた。


 絶体絶命の状況に、シーナはポツリと呟く。

「……レンくん、戦いを避ける手段はないの?」

「人類の敵だからな。ただ、交渉の余地はある」

 そう言って、レンは車外に出た。


「アシュタル、いきなり襲ってこなかったということは、僕たちと君たちの〈不可侵条約〉の効力が活きているという理解でいいのかな」

 巨大カマキリは明らかに攻撃を仕掛けてきたが、レンはそのことには触れない。


「さぁ、どうだろうね」美しき巨人は鼻で笑う。「条約なんか知ったことじゃない。ルールに縛られて生きていて、何が楽しいんだ。こうして話しているのも、私は気まぐれにすぎない。気が変わって、ここでおまえらを始末しても構わないんだ」


 レンは両手を上げて、苦笑を浮かべた。

「おいおい、こちらに戦う意志はないよ。アシュタルともあろうものが、自分の値打ちを下げちゃいけない」


「それは、どういう意味だ?」

「無抵抗の者に手にかけたら、卑怯者の烙印らくいんを押されるぞ。それは誇り高きアシュタルにはふさわしくない」

「……」

「ここは僕の顔を立てて見逃してくれ」


 美しき巨人は試案顔だったが、ふとSUVの中にいるシーナに眼を止めた。

「ふーん、これがレンの彼女? チンチクリンというか、お子ちゃまというか、あまりパッとしない子ね」


「ちょっと聞き捨てなりませんね」と、シーナは車外に出た。

 いくら相手が魔物であっても、女性として見下した言い草にカチンときたらしい。

「今、私のことは全然関係ないでしょ。そもそもレンくんは、まだ彼氏じゃないし」


「ああ、そうなんだ。それは悪かったわね。でも、『まだ彼氏じゃない』ということは、『ゆくゆくそのうちに……』ということ? つまり、その気持ちはあるということでしょ?」

「そりゃ未来のことはわかりませんよ。明日や数時間後、5分後のことだってわかりません」


「ふぅん」アシュタルはシーナをしげしげと眺めていたが、やがて口角を上げて笑った。「レン、面白い彼女じゃない」

 レンは苦笑しながら、「車の中に入れ」と目くばせをするのだが、シーナには通じない。

「なぁに、レンくん、はっきり口で言ってよ」と、小首をかしげている。


「本当に面白い子ね。怖いもの知らずなのか緊張感がなさすぎるのか。まさか、私を舐めているんじゃないよね」

 シーナが見上げていた美しき巨人が、あっという間に消失した。

「え、ええっ」


 次の瞬間、アシュタルは腰に手を当てて、シーナの眼の前に佇んでいた。これが元のサイズなのか、身長170cmほどのグラマラスな体型である。

「でも、ホント可愛い」そう言って、アシュタルは細い指先で、シーナの髪の毛に触れる。


 シーナは絶句して凍りついていた。美しい魔物から目が離せない。

「よせ、アシュタルっ」

「うるさいわよ、レン」


 アシュタルは指を鳴らしただけで、簡単にシーナの意識を奪った。彼女が路上に崩れ落ちる前に、さっと腕を伸ばして、しっかり抱きとめる。

「しばらく彼女を借りるわね。どうする? レンも一緒に来る?」

 レンは少し考えていたが、

「ああ、いいだろう。俺も同行する」


 アシュタルが口角を上げて笑うと、一瞬のうちに辺りは漆黒の闇に包まれた。



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