B:老人のマジックアワー
老人が目を覚ますと、すでに陽が傾きかけてきた。
砂漠の最も美しい時間である。赤が次第に濃さを増していき、太陽から遠いところから少しずつ闇に飲み込まれていく。
マジックアワーと呼ばれている時間帯である。
日没前、日の出後の数十分ほどは、どんなありふれた情景でも美しくしてしまう。山の中であっても、海辺であっても、魔法のように美しく見せてしまう。
太陽光線が日中よりも淡い状態となり、色合いも優しく柔らかくなる。黄色く見えたり、セピアがかって見えたりもする。
太陽は今、広大な砂漠の果ての地平線に沈もうとしている。砂漠と空が光の世界から闇の世界へのゆるやかなグラデーションを見せている。
やがて、砂漠全体が金色に輝き始めた。まるで、巨大なクジラの群れが発光しているようだ。
「……ほう」
老人は目を細めて、この美しい情景を味わう。
それができるのは、ほんの限られた時間だけだ。時とともに、金色の光は小さくなり、淡い闇に飲み込まれていく。嘘のように、きれいに消え失せてしまう。
これも風紋と同じく、自然が見せてくれたアートの一つといっていいだろう。
もし、誰かが確かな意図をもって作り上げたのだとしたら、類まれなアーティストとして尊敬されるにちがいない。
「そんな者がいるなら、ぜひ、あやかりたいものだな」と、老人は気弱に呟いてしまう。
砂漠の夜が間近に迫っている。のんびり過ごしている時間はない。
砂漠は寒暖差が大きい。水分がないせいで、熱しやすく冷めやすいという特徴があるためだ。今夜もおそらく、氷点下に冷え込むことだろう。
とりあえず、寝床の確保だ。大気が冷え込む前に、簡易テントを組み上げなければならない。老人は体の頑健さには自信があるが、砂漠の夜の寒さを嘗めてはいなかった。
天国の美しさと地獄の残酷さは紙一重。それが宇宙の理である。
あのブラックホールでさえ、何でも吸い込んでしまう「死の天体」でありながら、同時に宇宙の構成元素を大量に噴き出しているという。
「もしかしたら、それは宇宙創造、生命誕生に関わる重要なシステムなのかもしれんな。破壊の後の創造。もしくは、創造のための破壊。人間界で近いものといえば、企業のスクラップ&ビルドだろうか?」
老人が簡易テントを組み上げるのを待っていたかのように、太陽は地平線の下に消えた。あっという間に辺りは闇に飲み込まれてしまう。
砂漠の夜の始まりだった。




