A:美少年の夢
シーナはベッドに横たわると、30秒もたたないうちに眠りに落ちる。
子供の頃から眠りは深い。ぐっすりと眠りこみ、朝まで目覚めることはない。そのせいか、夢を見ることはほとんどなかった。
そんなシーナが毎晩、夢を見るようになった。しかも、同じ夢を繰り返し見ている。
同い年ぐらいの少年の夢なのだが、クラスメイトでも幼馴染でもない。ただ、どこかで昔、会ったことがあるような気がする。
彼は美少年だった。シーナより頭一つ高いので、身長は175センチほどだろう。痩せてはいるが、筋肉質のバランスのよい体躯をしている。一見クールな印象だが、彼が無意識に浮かべた笑みは、きっと世界中の女性の心を鷲掴みにするだろう。
まちがいなく「女難の相」だね、とシーナは思った。
夢の中の美少年は、全裸だった。一糸まとわぬフルヌードなので、シーナは自分の欲求不満を疑ったほどである。
美少年の肢体が闇の中で、青白く浮かび上がっていた。よく見ると、伸びやかな四肢に、何かがからみついている。人間ではない。ぬめぬめと光る複数の大蛇だった。
大蛇は何十匹もからみ合っており、本体は直径2mほどの巨大ボールになっていた。
複数の大蛇は触手のように、妖しく蠢き、美少年を責めたてている。執拗に絞めつけると同時に、快楽の波を送り込み、男の精をしぼりとろうとしているのだ。
それを知った時、シーナは赤面してしまった。
美少年の表情がセクシーに歪んでいたが、やがて、口元に不敵な笑みを浮かんだ。彼は普通の人間ではなかった。それどころか、異能力の持ち主だったのだ。
美少年は手のひらを天に向けて開くと、そこに小さな光がともった。その手で大蛇を握りしめると、たちまち白煙を上げ始める。高熱によって異形の肉を溶かしているのだ。大蛇の拘束がゆるんだところで、美少年は素早く逃れて、身体の自由を確保した。
きれいに指先を伸ばした右手を大きく振ると、この世界を覆っていた闇がきれいに一掃された。あたりは日暮れ時の明るさになり、周囲の状況が明らかになった。
斜めに傾いたひびだらけのビルが立ち並び、車道も歩道も砂で覆われている。世紀末を舞台にした洋画でお馴染みの情景が広がっている。一言でいうとゴーストタウンであり。アニメにたとえるなら『北斗の拳』の世界観だった。
気がつくと、シーナはふわふわと埃っぽい街並みの上空を漂っている。
「ああ、やっぱり、これは夢なんだ」と呟いたが、眼にしている情景はあまりにもリアルだった。
砂で覆われた車道では、全裸の美少年が大蛇の巨大ボールと対峙していた。彼の全身から闘志がみなぎっているのが見てとれる。自信たっぷりに微笑むと、まるで指揮者のように両腕を美しく振るった。
「デスサイズフラッシュ」
美少年が呟いた次の瞬間、彼の目の前に大鎌の形をした光が出現し、大蛇ボールに向かって襲いかかった。青い体液をまき散らしながら、大蛇ボールは無残に切り裂かれた。
美少年は第二陣を繰り出し、さらに大きく引き裂く。数匹の大蛇は逃げ去ったが、大半の大蛇は光に焼かれて絶命した。
美少年はその残骸の中から、何か白いものを引っ張りだそうとする。
上空で見ていたシーナは驚愕した。それは青い体液にまみれた、シーナだった。全裸のシーナ自身である。
美少年は直ちに、シーナの救命処置にとりかかる。美少年の唇がシーナのそれが重なった。眠り姫の目覚めのキスではなく、マウス・トゥー・マウスの人工呼吸である。
上空を漂っていたシーナは無意識に、美少年のすぐそばまで近寄っていた。異常な状況はともかく、これは正真正銘のシーナのファーストキスである。シーナは真っ赤になって、二人の行為を見つめた。
「シーナ、死ぬなっ。戻ってこいっ」
美少年は必死でシーナの命を取り戻そうとしていた。彼がシーナを心から愛しているのは明らかである。
シーナは思わず、胸が熱くなる。両手を強く握りしめる。
やがて、全裸のシーナは咳き込みながら、意識を取り戻した。その瞬間、〈見ていたシーナ〉と〈見られていたシーナ〉が重なった。二人のシーナが一人になったのだ。
美少年がとろけるような微笑みを浮かべていた。シーナはその美しさに見惚れる。そこらの男性アイドルなんかより、全然かっこいい。胸の鼓動が早くなり、激しく動揺しながら、
「好き」と言いかけた時、シーナは目を覚ました。
リアルな夢だった。シーナは唇を指先でおさえる。まだ、生々しい感触が残っていた。
「私ったら何て夢を見ちゃったの」
何度も美少年の夢を見てきたが、裸を見たのとキスをしたのは初めてだ。うれしいような恥ずかしいようなむず痒い感覚に包まれて、シーナはベッドの上で転げまわった。
「シーナ、ドンドンうるさいわよ。何してるの、早くしないと遅刻するからっ」
ドア口から顔をのぞかせた母親から怒られても、シーナの頭の中には花が咲き乱れていた。この私が三次元の男性に興味をもつなんて信じられない。
というのも、シーナが心を惹かれてきた男性は皆、アニメのキャラクターばかりだったからだ。しかも普通のイケメンには食指が動かない。ある程度のかわいさは重要だし、時折り見せる意外性も不可欠である。
理想ナンバー1は『シティーハンター』の冴羽獠、ナンバー2は『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズの空条承太郎で、ナンバー3は『ワンピース』のルフィ・D・モンキー。
「おいおい、ルフィってイケメンか」という声が聞こえてきそうだが、シーナの中では充分イケメンである。
話がそれてしまったが、シーナはずっとアニメキャラ一辺倒で、三次元の男にはまったく興味がなかった。だから、夢に出てくる美少年は例外中の例外といえた。
「やばいよ、獠ちゃんや承太郎さんより、彼のことが好きになっちゃったかも」
このままの関係が永遠に続けばいい、とシーナは思った。名前も居場所も知らないけれど、毎晩、夢の中で会えるのだ。スリリングな夢ばかりであるのは困るけど、自分の希望通りの夢を見る方法があるかもしれない。
確か、明晰夢といったはずだ。昼休みに図書室に行って調べてみよう。親友の千春に言ったら、呆れ顔で溜め息を吐かれるだろうけど。
そんなことを考えながらシーナが登校すると、予想外の出来事が待っていた。いや、これがアニメなら、テンプレな出会いだったかもしれない。
つまり、時期外れの転校生である。
「今日は新しいお友達を紹介します」
そういったのは、担任教師の門元望である。美人でスタイルも抜群なのに、少しも飾り気がなく、男女ともに生徒に人気が高い。
彼女は廊下の方を見やり、そこで待っている転校生に向かって、
「ほら、早く入ってきなさい。はい、みんな注目」
教室に入ってきた男子生徒を見て、シーナは驚いた。彼が、夢で見た美少年だったからだ。
「西牟田廉といいます。どうぞ、よろしくお願いします」
「清廉潔白の廉か。いい名前ね。みんな、仲良くしてあげて。はい、拍手」
門元教諭と一緒に、生徒たちが拍手する。
シーナは首を傾げた。西牟田廉は猫背のせいか、身長がイメージより低い。おどおどとした態度と小さな声も、イメージと違っていた。夢の中では、あんなに堂々として力強かったのに、目の前の彼は貧弱そうに見える。
ルックスはそっくりだけど、やっぱり別人か、とシーナは思い直す。
門元教諭が指定したレンの座席は、空席だったシーナの真横だった。
「西牟田くん、教科書は明日届くの。今日のところは悪いけど、隣の子に見せてもらって」
「あの、すいません」おどおどした彼の視線を受け止めて、シーナはにっこり微笑む。
「ああ、私の名前は山崎椎菜。よろしくね、西牟田くん」とりあえず、無難に挨拶した。
こうして、夢の美少年そっくりの西牟田廉は、シーナのクラスメイトになったのだ。