兄上と、もう一人の後輩
「……つまりあの顔は照れていただけで、彼はただの口下手だと…」
「…はい、兄上」
「……正気か?アレはどう見てもお前を射殺さんばかりの視線だったぞ」
「大事な後輩と言われて、嬉しかったようです」
テオリアの残念な事情を話すと、兄上も私と同じように頭を抱え込んだ。
分かります、分かりますよ兄上。
あの顔は、照れているなんて可愛らしい表現で済ませていいものではありません。
「……いやそうだな、エヴィが女生徒を『大事』と表現するわけ無いと思ったし前々からエヴィに手のかかる後輩が居るとは聞いていたが……アレが、アレなのか……」
婚約や結婚を意識されないよう、令嬢には率先して関わらないようにしているのを知っている兄上は辛うじて理解をしてくれたようだ。
「……では彼は婚約者を大事にしようと思っているのだが、婚約者の方には全く伝わってないと言うわけだな」
「はい。私も去年の夏よりアドバイスをしていますが全く伝わってませんし……テオリアの方も諦めて婚約を解消して私の従者になりたいと言い出す始末です」
全く、困った後輩だ。
小さく吐息を吐いて兄上のメイドがいれてくれた紅茶を飲む。
プリシラの物とは違うが、これはこれで美味しい。茶葉はどこの物だろうか、兄上が好むものであれば今度贈り物をする時の参考に……
思考が逸れている、と思った時兄上が静かに息を飲んで私を見つめているのに気づいた。
「どうかしましたか?」
「いや……」
僅かに首を傾げて見つめるも、兄上は言葉を濁した。
無理に聞き出そうとは思わないが……珍しい。
「……エヴィの従者か。彼の座学の成績はどうなんだ?」
「そちらの方は問題ありませんよ。対人関係のアドバイスは全く効果がありませんが勉学関連のアドバイスは素直に聞き入れて貰ってますので」
「……エヴィが勉強を教えているのか?」
「はい、頼まれたのでタイロンの特産品の菓子を対価に教えていますが」
「二人っきりでか?」
「他に教わりたいと言う人も居ないので
二人っきりですが?」
先輩が後輩に勉強を教えるのは特に珍しいことでは無い。兄上は何が気になるんだろう。
私が女性として居るのであれば大問題にもなるが、私は男としてここに居る。
男であれば密室で二人っきりでも別に問題は無いと思うが…。
「…エヴィのお墨付きがあると言うならば、エヴィが彼を従者にするのは………特に反対は………いやダメだ、エヴィにはまだ早い!」
「何を言ってるんですか兄上。私はいずれ表舞台から退く身、そんな私の従者にしては彼の将来は終わったようなものですよ」
「………まあ、まあ、そうだな…」
「まあ、そんなわけですのでテオリアは私に対しては特に問題の無い後輩ですので心配なさらなくて結構です。もし家の方に私の従者になりたいと言う手紙が来たら断っていただいてもよろしいですか?」
「ああ…ああ…わかった。……なんだか余計に心配になってきたぞエヴィ…」
「え、なんでですか?」
「……いや、なんでもない。そろそろ夜も遅いからもう戻りなさい」
「……はい、おやすみなさいませ兄上」
兄上の気になる態度に首を傾げつつも、確かに時間も時間であったので自室に向かう。
五学年の寮から、三学年の寮は少々距離がある。
兄上に頼みはしたものの……テオリアはルツェリア嬢との関係改善を半ば諦めつつあるようだ。
また、頼み込まれそうだな。
可愛い後輩を突き放すのは心が痛む。
窓から空を見上げると、私の悩みなんか素知らぬ月が明るく綺麗に輝いていた。
「おはようございますエヴィ先輩」
「……おはよう、テオリア。何故ここに?」
「お荷物をお持ちしようと思いまして」
「いらないよ。これくらい自分で持てる」
予想通りというかなんというか、翌朝身支度を整えて朝食を食べてから部屋を出ると扉の前にテオリアが居た。
なんで、三年の寮の中にいるんだ?いつも君が待ってるのは寮の玄関の外だろという意味を込めてにっこりと微笑むとテオリアも微笑み返してきた。
「今日は朝早く起きてしまったので」
「そうか。だが他学年の生徒が寮の中まで入ってくるのは目立つからやめるように」
「そうですか?結構いますよ」
「それは主人に仕える侍従達だ」
「そうですね」
「そうですね、じゃないぞ」
テオリアが何を狙っているのかはわかるが、外堀を埋められるなんて冗談では無い。
荷物は奪い取られないようしっかり持ち手を握り溜息を着いてから学園に向かって共に歩き出す。
「お昼も迎えに行きますね」
「やめろ、テオリア。私にそのつもりは無い」
「……日頃から改善に向けて努力しろと仰ったのはエヴィ先輩でしょう?」
「それは婚約者殿との関係改善であって、私とお前では無い」
「俺としてもエヴィ先輩との関係は居心地がいいんですけど、将来を考えたらそうも言ってられないので」
お前、ふざけるなよ?
ニコニコと微笑みながら見上げると、さすがのテオリアも罰が悪そうな顔をした。
「いつも通り、個室で待ってなさい。言うことを聞けないと言うのであれば君と共に食事をとることはもうない」
「……わかりました」
さすがにこの状況で会話が盛り上がる訳もなく、そのまま無言で学園へと向かっていく。
それはあと少しで昇降口に着くと言った時だった。急に私の前に人影が飛び出してきたので、ぶつからないように歩みを止める。
「あ、あの!イブリンデ先輩……っ!」
飛び出してきたのは、テオリアの婚約者だった。
ルツェリア嬢は頬を可愛らしく赤く染めた……私からしてみれば厄介極まりない表情で私の前に立ち、それから私の後方にテオリアが立っているのを見て面白いくらい顔色が薔薇色から蒼白へと変わっていった。




