可愛い後輩との思い出
「先輩!」
「やあテオリア。おはよう」
「おはようございます」
三年の寮の玄関を出ると、そこには私が出てくるのを一つ下のテオリアが待っていた。
軽く手を挙げて挨拶をすると彼は嬉しそうに私の横に並んで、共に学園へと歩き出した。
「今日から新しく後輩が入ってきますね」
「そうだね。テオリアも今日から先輩だ、後輩には優しくしてあげるんだよ?」
普段の彼の悪癖を知る身としては、新たな出会いは心配でしかない。
軽く茶化すように注意をすると……テオリアは渋い顔で「努力はしてます」と言った。
うん、頑張っているのは……知ってるんだけどねえ。
私には子犬のように懐いてくれているこの可愛い後輩は……人に好意を示すのが、ものすごく苦手なのだ。
私がテオリアを初めて見たのは私が二年、テオリアが一年の時の夏のことだった。
『あの、テオリア様…今年の夏休みはうちにいらっしゃいますか』
テオリアの婚約者の少女が、友人たちに囲まれて青い顔でテオリアと話すのを私は偶然見かけた。
婚約者の少女は顔を青ざめ、周りの女生徒は険しい顔でテオリアを見ていたので初め、私はテオリアがなにか彼女らに無体を働いたのではないかと……思わずその集団を注視した。
紳士として、困ってる淑女を見過ごすことは出来ないからだ。
『なぜ私が、呼ばれてもいないルツェリア嬢の家に行かねばならないのだ』
だが、よく見ると令嬢達よりもテオリアの方が悲痛そうな表情をしていた。
どういう状況だ、と思案していると『そうですか!わかりました』と言って少女たちは嬉しそうに立ち去り……テオリアはさらに辛そうな表情でその場に立ち尽くしていた。
えーっと……紳士として、困ってる令嬢を見過ごすことは出来ないが……まあ、なんか困ってる?後輩を見過ごすのも、夢見が悪くなりそうだ。
『君、大丈夫かい』
本人が嫌がったら即座に手を引こう。
そう思って声をかけたのだが……テオリアは私の声掛けにハッとしてこちらを振り返った。
その目元は真っ赤で……院長先生に叱られて泣く直前の子供たちにそっくりだった。
『……大丈夫です』
まるで人でも殺すのか?って言うような険しい顔で、どう見ても大丈夫じゃないのに去勢を張っているのが丸わかりで……困ってる、年下の子はさすがに見過ごせない。
『大丈夫なら良かった、少し手伝って貰いたいことがあるんだ。着いてきてくれ』
『は、え、あの!?』
『早くしたまえ』
彼の返答は待たずに、問答無用で歩き出す。
大丈夫と言った手前、断り難いのだろう。テオリアは険しい表情のまま私の後を着いてきて……私は食堂の個室の中に入った。
放課後の今の時間ならば、食堂に人気は無い。
テオリアも素直に中に入り……やはり険しい顔をしている彼にふっと笑みがこぼれる。
本当に、泣きそうな子供そっくりだ。
『私は外でお茶を飲んでるから、落ち着いたら出ておいで。愚痴りたいなら聞いてあげても言いけれど、初対面の人に愚痴は言いにくいだろうからね』
『……え?』
ハンカチを彼に渡して問答無用で部屋の外に出る。
食堂の個室は、上位貴族が使うものなので完全防音だ。
彼が泣いたところで問題は無いだろう。
泣かなくても、険しい顔を落ち着ける時間くらいはあって困るものじゃない。
お茶でも飲もうと思ったけれど、食堂はもう人が居なくて仕方が無いのでカバンから教材を取り出して自主学習を始める。
それからしばらくして、彼が個室からでてきた。
目が真っ赤になっており明らかに泣いたあとであったが……その表情が先程とは違った意味で怒髪天を着いた、と言った感じに険しくて、これでは泣いた後だと気づかれにくいだろう。
……うん、叱られて泣いたことが恥ずかしくて虚勢を張っている子だねえ。
『それで、貴方の用事とはなんでしょうか』
そんなこめかみをピクピクとさせながら言わなくても良いんじゃないかなあ。
だが、元気そうで……少なくとも泣きそうな顔じゃなくなったことは喜ばしい。
教材を鞄にしまって、立ち上がる。
先程は気づかなかったが、彼は随分と背が高い。女性としてはかなり高身長の私よりも…頭半分ほど大きい。
『そうだね、今から寮に戻るのだけど着いてきて貰ってもいいかな。何か用事はあるかい?』
『……特にないので、大丈夫ですが』
『ならば紅茶でも飲もうか。うちのメイドは喉に優しいミルクティーをいれるのが得意なんだ』
警戒をする彼の目元に手を伸ばすと、警戒しつつも彼は手を打ち払ったりはしなかった。
素直になれない、素直ないい子じゃないか。
そう思いつつ……赤い目元に癒しの魔法をかける。
泣いたことがバレてることを察したのだろう。
さらに彼の表情が……今にも殺されそうだと感じるほど険しくなるが、険しくなればなるほどそれが照れ隠しなのがわかってとても可愛い。
『…何が目的ですか』
『うん?私は可愛い後輩とお茶を飲みたいだけだよ』
ただ泣きそうな後輩を保護しただけのことで他意など、全くないのだ。
微笑みながら彼に背を向けて寮に戻ると……テオリアは着いてきて、私の部屋に来て、共にメイドの入れたミルクティーを飲んだ。
『そうか、彼女は婚約者だったんだね』
『だから別に彼女等に嫌がらせをされたとかでは無いので』
『そう……』
確かに、嫌がらせをされた訳では無いのだろう。
だが、それでも。
彼が素直になれないのが大問題ではあるのだが……断ったことで安堵されたことで彼は傷ついたのだろう。
それでも必死に婚約者の弁解をするテオリアはとても可愛らしいいい子に見えた。
『君は、優しいね』
『……そんなこと、無いです。俺は全然ルツェリアに優しくできなくて……』
『……そうだね。もっと彼女にわかるように示すべきだと、私も思うよ。だがそれでも君は優しい子だよ』
喉に絡みつくような甘いミルクティーを飲みながら言えば、一瞬でテオリアの表情が険しくなった。
ーーーーだが、その耳は真っ赤で。
そうか、彼のこの顔は照れてるだけなんだなと思わず吹き出した。
この日以降、私はテオリアに懐かれた。
まるで従者のように私に付き従う彼は……日々婚約者との関係改善のアドバイスを私に聞いてきている。
だが、彼の意地っ張りで恥ずかしがり屋な性格は筋金入りのもので……苦言は常に言い続けているが学年が変わった今の今まで、彼と婚約者関係が改善される様子は無い。