1:とりあえず、ごはんが食べたい
前世の記憶が蘇ったのは、十歳の誕生日を迎えるひと月前だった。
うっかり階段を踏み外して転げ落ちた拍子で、眠っていた記憶が一気に頭の中で蘇った。感覚的には五倍速で映画を観ている感じだ。
その情報量は十歳の頭で処理できるものではなかったらしく、わたしは高熱を出して三日間寝込んだ。
そして熱が下がり、ようやくわたしの身に起きたことを理解した。
──わたし、異世界転生している!
鏡に写る自分の姿は十歳の子どもらしいふっくらした頬と、ぱっちりとした目のそれはそれは可愛い女の子だった。前世は一重でそれがコンプレックスだったから、ぱっちり二重に生まれ変わったのは嬉しい。
ふんわりと緩やかな巻き毛は光に当たると金髪に見える栗色。瞳は薄い青がかかった灰色。うん、どこからどう見ても美少女だ。
こんな可愛い子に転生できてラッキー!
きっとこれからの人生、この容姿がなにかと役に立つだろう。容姿は良いに越したことはない。これ、前世の教訓。
しかし……鏡に映るこの姿、どこかで見覚えがあるんだよなあ。どこだっけ。前世で流行っていたラノベや漫画だと、大体乙女ゲームの悪役令嬢とかモブに転生しているんだけど……前世で乙女ゲームをやり過ぎてすぐには思い出せない。
まあ、いいか。思い出したときに考えよう。
今はそれよりもごはんだ。お腹空いた!
ぐうぐうとお腹の虫が鳴り続けている。今のわたしは成長期真っ只中の子どもなのだ。ごはんはしっかり食べないと大きくなれない。
ベッドの近くに置かれていたベルを鳴らす。
これで誰かが来てくれるはずだ。たぶん、ばあやかな。
ばあやはシャルビーという名前の恰幅のいい女性である。ちなみに年齢は不詳。本人に聞いても教えてくれないけれど、お父様よりは上らしいと風の噂で聞いた。
ばあやには息子さんと娘さんがいて、息子さんはうちで執事見習いみたいなことをやっていて、娘さんは去年商家に嫁いでいった。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
「ばあや、お腹が空いたわ。なにか食べるものを用意してちょうだいな」
「まあまあ。すっかり元気になられたようですねえ。わかりました、用意してまいります」
ばあやは嬉しそうに笑い、わたしの部屋を出て食事を持って戻ってきた。
待ってました!
「お待たせいたしました。さあ、どうぞ」
「ありがとう、ばあや。いただきます!」
「イタダキマス?」
首を傾げるばあやをスルーし、まずはお粥らしきものを食べる。
……甘い。でも、あまり味がしないな……。お米じゃなくてオートミールが使われているみたい。まずくはないけれど、美味しくもない……。
次にりんごのすりおろしを食べる。うん、りんご。ちょっと酸味が強いりんご。
「……ばあや、もう少しこう、味がするものが食べたいのだけど」
「まあ、いけませんよ、お嬢様。病み上がりのお体なのですから、こういう素朴な物を食べて少しずつお腹を慣らさないと、今度はお腹を痛めて寝込むことになりますよ」
いつもニコニコとしているばあやだけれど、怒らせるとすごく怖いことをわたしは知っている。
今もニコニコしているけれど、これ以上我儘を言えば雷が落ちそう。ここはわたしが引くべきか。
「……わかりました……」
がっくりと肩を落とし、わたしはお粥とりんごのすりおろしを無言で完食する。
「ごちそうさまでした!」
「ゴチソウサマデシタ? なんですか、それ?」
「えっと……ま、前に本で読んだ東洋のあいさつなの。気にしないで」
「はあ……そうですか」
ばあやは不思議そうな顔をしたままだったけれど、それ以上は聞いてこなかった。
前世の記憶の習慣を引き継いでしまっているとは……うーん、これからは気をつけなきゃ。
「全部食べられてようごさいました。もうすぐ皇子様とご対面ですものねえ」
「皇子様?」
首を傾げたけれど、すぐに思い出した。
そうだ。もうすぐ皇子様とお会いできるんだった。それをわたしもお母様もすごく楽しみにしていた。
そうか。この国には皇子様がいるんだ。
そしてわたしはこの国では貴族の娘。皇子様と年頃が近いから、もしかしたら皇子様のお嫁さんになれるかもしれないんだ。
皇子様のお嫁さん。つまり、それはわたしがこの国の皇妃となるということで、国で二番目か三番目くらいには偉くなるということだ。
……皇妃……なんていい響き……!
わたしはこの通りの美少女だし、皇子様と仲良くなれれば皇妃になるのも夢じゃない。
せっかく異世界転生したんだ。どうせなら、すごく偉くなってやろうじゃないの。皇妃なんて前世では絶対になれない職業(?)だし。
具体的にどんなことするのかわからないけれど。でもきっとなんとかなる! 皇子様と仲良くなればきっとサポートもしてくれるだろうし!
よーし、目指すぞ、皇妃!
「皇子様とお会いするときまでに本調子にならないと! ばあや、皇子様とお会いできる日は今までで一番可愛いわたしにしてね」
「もちろんですとも。ばあやにお任せくださいまし」
なんて頼もしい。その恰幅の良さも相まって、自信満々なばあやの頼もしさはまるで仏様のよう。ばあやがいればなんとかなると、安心感を与えてくれる。
わたしはそれから早寝早起きをし、朝起きたら部屋で一人ラジオ体操に勤しんだのだった。