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見たことはないけれど、書いた覚えはある。
そんな光景を前にして、私は目を瞬かせていた。
「……え?」
踏み固められた土の道の両側に建物が並ぶゴミゴミした町並み。
その間を縫うようにして進む人々。
翻る装束は古代中華と平安を足して2で割ったかのような雰囲気。
どこからともなく漂ってくる食欲をそそる美味しそうなにおいは結構はっきりと中華。
そして遠くには『荘厳』という言葉を体現したかのようにそびえる中華風のお城。
「…………え?」
総トータルして言うと、全体的に和中折衷の異世界。
それを数秒かけて認識した私は、勝手に叫び出しそうになる口を必死に押さえるとかろうじて残っていた理性を総動員させて道端に体を寄せた。ここが私の知っている世界なら、あのまま道の真ん中でへたり込んでいたらいつか荷馬車に轢かれると思ったから。
「う、嘘でしょ……!?」
──私、『絶華の契り』の世界にいる……っ!?
何とか細路地の入口に体を押し込んだ私は、両手で口を押え込んだまま周囲を見回し、やっぱり抑えきれなかった衝撃を自分の手元にだけ吐き出した。
絶華の契り。
それは私が小説投稿サイトで連載していた小説のシリーズ名であり、私が書籍作家デビューを飾った思い入れの深い小説のタイトルだった。
ざっくり説明すると、世界観は作者に都合がいい感じに和中折衷。妖怪が誰にでも見える存在……災厄として存在している世界にある、中華風の国、麗華国が舞台。
主人公の紅珠は国に仕える女呪術師。明仙連という宮廷の組織に属する宮廷呪術師で、一昨年に呪術師養成学校である祓師塾を卒業したばかりの新人ながら、周囲に実力を認められているエースである。
そんな紅珠はある日突然、第三皇子・李陵から呼び出しを受ける。接点もなく、呼び出される理由に心当たりもない紅珠が首を傾げながらも皇子の屋敷に出向くと、そこにいたのは祓師塾時代のライバルである涼だった。
紅珠と涼は、切磋琢磨と言えば聞こえはいいけど、要は何かにつけ互いに張り合ってきた仲。最終的に卒業間近に『負けた方はひとつだけ、相手の言うことに必ず従うこと』という賭け勝負を行い、紅珠の負けという形で決着がついていた。でも、涼はその権利を使わないまま祓師塾卒業を迎え、そのまま行方知れずになってしまう。
なんとそんな涼こそが、紅珠を呼び出した麗華国第三皇子・李陵その人だったのである。
将来的に皇帝一族を守る皇族呪官になる定めを負い、それに答え応えるために祓師塾に通っていたという涼。そんな涼は賭け勝負の報奨である『負けた方はひとつだけ、相手の言うことに必ず従うこと』という権利を使い、紅珠を表向きには自分の妃、実際は自分のお抱え呪術師として召し上げることを勝手に決めるのだけど……
……というのが、序盤の流れだ。
──え? でも、何で? 私、編集画面を開いただけなのに……
投稿サイトでボチボチ好評だったことに調子に乗ってしまった私は、サイト経由で参加できる新人賞に『絶華の契り』を出した。それがうっかり賞をもらっちゃって紙ベースで商業出版となったわけだけど、現実は厳しくて商業版の『絶華の契り』は結局鳴かず飛ばず。担当についてくれた編集さんが急病で編集部からいなくなり、その後続の担当さんもコロコロと変わって最終的には誰が担当なのかも有耶無耶になった。
そんなゴタゴタもあって続刊が出ることはなく、色んな利権の問題と担当たらい回し騒動で何もかもが曖昧になったこともあって続きを書くことも許されず、サイトには同人版とも言える『絶華の契り』が中途半端な状態で掲載されたままになっていた。
一番申し訳ないのは、そんな宙ぶらりんな状態なのに今でも根強いファンの人達が読みに来てくれているということ。
それが本当に申し訳なくて、苦しくて。
希望を抱いて商業書籍化したはずなのに、全てが過ぎ去った後には絶望しかなくて。
……書くことが全てだった私には、もう生きていることすら、苦痛でしかなくて。
いっそ全てを終わらせてやろうって思った私は、絶華を削除して自分も首をくくろうと決めた。そのために久々に絶華の編集画面を開いた、わけ、なんだけども……
──削除ボタンを押して……いや、押せてた? 押す前に目の前真っ白になったんじゃない?
……とにかく、気付いた時には、この世界に立っていた。ちなみに編集のために握りしめたスマホはいまだに私の手の中にある。
──何で!? どうして!? 一体何がどうなってんの……っ!?
「氷咲さん……?」
混乱しつつも『自分自身が創り上げた世界の中にいる』という何とも表現しがたい感動を噛みしめて周囲を眺める。
その瞬間、聞き覚えのある声が私の名前を呼んだ。それが誰の声なのか思い出すよりも早く、私は反射的に声の方を振り返っている。
「……え」
振り返った先にいたのは、地味なリクルートスーツの上に袿を羽織った女の人だった。髪をひとつにまとめていて、メガネをかけた顔に化粧っ気はない。
そのメガネの奥の瞳が丸く見開かれて、真っ直ぐに私を見つめていた。そして私と視線が合うと、ゆっくりと、ぎこちなく、口元から笑みを広げていく。
「……やっぱり、氷咲さんも呼ばれたんですね、この世界に」
見覚えはない。
だけど、声に聞き覚えがあった。
「……もしかして」
華やかで、明るい声。
やり取りはいつもメールと電話で、会ったことはついぞなかった。
だからより一層記憶に残っている。
声だけでその場に花を咲かせるかのような、話しているだけで心が浮き立つような華やかな声。……最後の最後までそんな声の調子は変わらなかったから、彼女が鬱で苦しんでいたなんて、事が終わるまで知らなかった。
「もしかして、澄村さん?」
私の声に、彼女はゆっくりと頷いた。
「こんな形で『初めまして』と言うことになるとは、思っていませんでした」
遠回しに私の言葉を肯定した澄村さんは、足早に近付いてくると私の肩に手を添えた。
「こちらへ。状況を説明します」