006
…………。
小さいが、柔らかい枕が右頬に感じる……。
「……ん?」
「あっ、起きた?」
「……クラ、リス?」
目を開けたが視界がぼやけている。
「よかったぁ……、全然起きる気配がなかったから心配したの……」
上から聞こえてくるクラリスの声。
「それは、すまない……」
馴染んできた視界には、第七階層の見慣れた岩肌の世界が広がっていた。
「……っ」
「まだダメよ」
起き上がろうと体を動かすが、クラリスに頭を押さえつけられ……。
「もう少し休んでいた方がいいわ」
「いや、ダンジョンの中でこんな状態は……」
「血が混じったあと、しばらくの間は体が動かしづらいと思うから、ゆっくりしてて、ね?」
「そうか……」
……確かに、手に力が入らない。
今はクラリスの膝枕に甘えておこう。
「俺はどれくらい寝ていたんだ?」
「分からないわ。感覚で言えば半日くらいかしら」
「感覚……」
クラリスも、俺がアイシャたちに答えたように「感覚」か……。
「フッ……」
「な、何か変だった?」
「いやすまない……、俺も最近知ったんだがな、今の道具屋にはダンジョン内でも時間が分かるようにって、ペンダントのような時計が売られているらしい」
「そ、そうなの?」
「ああ、また道具屋に立ち寄った時にでも見てみようか」
「そうね」
それからしばらくの間、モンスターたちが来る気配もなく、俺は体が動くようになるまで休憩をとった。
「……クラリス、そろそろ動いてもいいか?」
「うーん……多分、大丈夫だとは思うけど……」
「なら……」
クラリスの手が頭から離れるのを確認してから、体を動かす。
「うぉぉ……」
みしみしと全身の関節が軋む……。
「だ、大丈夫?」
「こりゃ、体がバキバキだな……」
「血が混じって違和感が消えるのに、もう少し時間がかかるかもしれないわ」
「そうか……」
俺の体にクラリスの血が混ざったなんて、あんまり感じないが……。この全身の違和感がその証拠なんだろう。
「こりゃ、参ったな……」
満足に立ち上がることもできず、俺は地面に手を着いたまま呼吸を整える。
「なぁ、ヴァンパイアの血が混ざる時は、他の種族もこんな感じなのか?」
「いえ、他の種族はもう少し耐性があるから、血が少し入ったくらいじゃ何もならないわ」
人間だけが貧弱だということか……。
「弱い種族とは思っていたが、人間って生き物はどうしてこうも、優れた特徴がないのかねぇ……」
「そんなこと言って、人間でSランクの貴方がよく言うわね」
人間でSランク……、俺は確かにクレスから認定されたが、今となっては……。
「今の俺はSランクにも届かない凡人さ……」
「そ、そんなことないわっ!」
「いや……、俺の周りに居たクレスやキングたちが優秀だっただけで、俺にはそこまで優れた能力はないのさ……」
魔法も腕力もない分、俺にできることと言えば、戦況をある程度把握したり、どうすれば生き残れるのかを思案するだけ。
道具だって使い方次第で相手の隙を突けるアイテムに変わる。
これを教えてくれたのは、俺の師匠であって俺の考えじゃない。
俺は…………、クレスたちがエアリエルの町を守るために引退したあと、ダンジョンに行き続けたが、その中身は惰性だった。
共に戦った仲間たちは、裏ギルドの奴らに殺されて……俺は生き残ってしまった。
俺よりも強かったはずの仲間が、俺よりも先に死んでいった。
俺はいつ死んでもおかしくないのに……生き残っちまった……。
「仲間のためだと言っても、あれ以来、ゴーレムに挑戦したこともない。俺は、フラフラしているだけで強くない……。先に進むことを諦めたただの人間だ……」
「……らしくない」
「え……?」
「貴方らしくないわよっ」
クラリスが俺の目の前にしゃがみこみ、頬を膨らませている。
「な、なんだ?」
「あのね、確かにエルフ族のクレスやバーサーカー族のキングは強い。でも、何十年も人間のまま、ダンジョンに潜り続けた貴方も、それに劣らないくらい強いはずよ」
「ハハッ……冗談はよしてくれ、たまたま運がよかっただけさ……」
仲間が引退してからは、言い訳と惰性の日々だった。
一人では勝てないと知っていて、ダンジョンの攻略を諦め、適当に過ごしてきた。
「どうして弱気になっているの?」
「さぁ、なんでだろうな……」
冒険者になってから、頼ってきたのは仲間だけ……。その仲間たちは先に死んで、残った奴らは引退……。
独りで俺は、死んだ仲間のためだと冒険者を辞めなかった。いや、辞められなかった。
だが今は、昔に知り合ったクラリスとパーティを組んでいる。
もう、独りでダンジョンに行かなくていい……。
もう一度、俺はクラリスとダンジョンを攻略できる。先に進むことができる。
俺は、久しぶりに誰かに頼っている……。
「はぁ……」
おっさんが少女に頼っちまうなんて、こんな情けない話ないよな……。




