灰雪の灯火
「電車アナウンス」
「死にたい」
僕には「死にたい」という言葉を四文字でしか表現出来ない。
それだけで黄色い線の外側へ一歩踏み出す資格があった。
「あなたなら東京へ行っても必ず大丈夫」
「お前なら絶対成功するよ」
家族や友人の声援に見送られた僕は、地元の高校卒業後、幻想に踊らされ上京した。
「音楽で絶対成功する」
あの頃の僕はそう決意していた。
もしあの頃の自分に会えるなら、 「悪いことは言わないから今すぐ地元にとどまって就職しろ」 とでも伝える。
初めの頃は右も左も分からず、街並みや道行く人全てが物珍しく期待に胸を膨らませた。
しかし次第にキャリーケースが擦り切れ消えて行き、服に着られ、靴に履かれ、道に通られ、 街に染まった。
持ってきたギターは埃を被り、僕は誇りを失った。
今では音楽で成功するという夢も諦め、就職活動をする日々。
しかし、なかなか仕事は見つからない。
当然だ。
東京に来てからまともに定職に就かず、アルバイトで生計を立てていた。
アルバイトも周りに溶け込めず、次々変えた。 職務経歴書に書けることなどない。
今日も面接を終え、ホームで帰りの電車を待つ僕。 手応えなどあるはずもない。
「もういいか」
列からはみ出し、線路へ足を運んだ。
数秒後には僕は見るも無惨な姿で大衆の目を引きつけるだろう。
死後の方が注目される皮肉な人生だ。
しかし、偉人も英雄、そして芸術家も死後に評価されるという事は良くあることだ。
女性の甲高い悲鳴声と列車の警笛が鳴り響く。
列車にぶつかる瞬間、目の前が眩い光に包まれた。
ここはどこだ。
僕は死んだのかな。
何故か見覚えのある街並み。
冬なのだろうか、灰が舞うように雪が降り落ちる。
街にも僕の心にも灰雪が降り積もる。
辺りを見回していると、声が聞こえた。
「早く行くよ」
可愛らしい少女と少年が何かを話している。
「もう、ぼっとしないで」
「ごめん、ごめん」
僕はこの少年に見覚えがある。
覚えも何も、この男の子は小学生だった頃の僕だ。
一緒にいる女の子は誰だろう。
僕が必死に思い出そうとしていると、少女と幼き頃の僕はどこかへ歩いていった。
後を付いていくと、あるお店の前で彼女たちは立ち止まる。
「今日も来たのかい、君達」
店から少し白髪の入り交じったおじさんが出てきて言った。
「おじさんこんにちは」
「こんにちは」
僕がガラス越しに見える店内に飾られているある物を指差し話す。
「僕、いつか大きくなったら絶対あれ買うんだ」
ある物とはギターだ。
「買ったら一番初めに聞かせてね」
近くで少女が笑顔で言う。
あのギターは確か。
楽しそうに会話する少年と少女を見て、おじさんは少し悲しそうな表情を浮かべた後に口 を開いた。
「ごめんね、お店今月いっぱいで閉めることにしたんだ」
「ごめんね」とおじさんは繰り返す。
「えーなんで」
「どうして」
「僕、ここの楽器屋さん大好きなのに」
「私も」
僕達は寂然とするおじさんに心許ない質問を投げかける。
おじさんは何かを思いついたように口を開く。
「寒いし中に入りなよ」
古びた木製のドアが擦れ強く軋む音がする。
店に入るおじさんに着いて行く僕達。
おじさんは店内に入ると、赤ん坊をあやすようにギターを抱きかかえ微笑んだ。
「どうせ売れ残るだろうから、君にこのギターあげるよ」
「いつかおじさんにも聞かせて欲しいな」
僕は舞い上がった。
「僕、絶対上手くなって有名になってお金持ちになったら、ここで楽器屋さんする」
「私も店員さんする」
おじさんの顔に喜色が表れた。
「楽しみに待ってるね」
「そうだ、店が閉まるまではおじさんが教えてあげるから暇があればおいで」
視界が暗転する。
思い出した。
僕の家で眠っているギターはここで貰った物だ。
何故、今までこんなにも大事な事を忘れていたのか分からない。
この後、僕は店仕舞いするまで毎日おじさんにギターを習いに行っていた。
おじさんは元気にしているのかな。
しかし、あの少女が誰なのかは思い出せない。
暗闇の中、声が聞こえる。
「妃世君なら大丈夫だよ」
目の前に先程の少女が現れた。
泣いた後のように目を赤く腫らしている。
少女は何か光る物を僕の首にかけて言った。
「絶対また会えるって信じてる」
少女が僕に背を向け立ち去ると、再び視界が眩い光に包まれた。
「電車アナウンス」
「あれ、死んでない」
今の幻は何だったのだろう。
不思議なことに線路へ落ちた筈の僕が再び列に並んでいる。
しかし、そんな事は関係ない。
何の才能も与えられなかった僕でも、死だけは平等に与えられたのだ。
幻がおじさんとの約束を思い出させてくれたが、もう僕には関係ない。
再び線路の方へ足を踏み出そうとした、その時。
「妃世君何をしようとしてるの」
声が聞こえる。
さっきの少女の声だ。
「妃世君聞こえないの?」
辺りを見回すがそれらしい少女はいない。
「妃世君!!」
周りの人たちは気にせず列に並び携帯を触っている。
この声が聞こえないのだろうか。
「妃世君こっちだよ」
胸元から声がする。 僕はゆっくりと下を見下ろした。
「わーっ!!!!」
僕は声を荒らげ腰を抜かした。
周囲の人の視線が僕に集まる。
何故か僕の胸元が燃えている。
しかし、熱くない。
他の人にもこれが見えていないのだろうか。
「どうしたの?妃世君?」
声は火の方からする。
周りからの視線を浴びながら、僕はひとまず駅のホームから逃げ出した。
駅構内のトイレに駆け込み、洗面台で顔を洗う。 夢じゃない。
鏡に映る僕を見るが燃えていない。
しかし視線を下げると燃えている。
僕の頭は狂ってしまったのだろうか。
火に水をかけてみた。
「冷たい、やめて」
やはり、火が話している。
トイレの個室に入り服を脱いでみたが、胸元はまだ燃えている。 服は燃えていない。
「妃世君、早く服着てよ」
どこか照れくさそうだ。
こんなのがいたら静かに死ぬことも出来ない。
僕は再びホームに戻り、今日は帰ることにした。
「妃世君、大きくなったね」
「妃世君、いつ東京に来たの」
電車内でも胸元の火はずっと話しかけてくる。
この火は幻に出てきた少女なのだろうか。
あの少女は誰なのか。
どうして僕の胸元で燃えているのか。
考え出すときりがない。
「ねえ、無視しないでよ」
放置し続けていると火は黙った。
「電車アナウンス」
電車を降り、いつもの帰路に着く僕。 いつになったらこの火は消えるのだろう。
早く死にたい。
重い足でコンクリートを踏み付ける。
「着いた」
駅から離れた寂れたアパート、家賃 3 万円ワンルーム四畳半。
郵便受けには大量の支払い請求書と企業からの不採用通知。
開けるのも嫌だ。
部屋に入り重い腰を下ろした後、三角座りした。
「はあ、疲れた」 そのまま膝に顔を埋め、深いため息を吐く。
「妃世君お疲れ様、偉いね」
何故か胸元の火が暖かく感じ、隙間風で頭を撫でられたような感覚に陥った。
この火は何なのだ。
あの幻に出てきた少女とは何か関係があるのだろうか。
考え事をしていると、火が言った。
「私、久々に妃世君のギター弾いている所見てみたい」
自然と埃の被ったギターに手が伸びた。
何ヶ月ぶりに触れただろうか。
僕はギターを近くにあったティッシュで丁寧に拭き取った後、チューニングした。
ギターが手に馴染む。
「ねえ、あの時作った曲を弾いて欲しい」
あの時、作った曲とはどんな曲なのだろうか。
思い出せない。
火に向けて曲を作った事なんてない。
この声の少女のことすら思い出せていない。
「ほら、『消え入りそうな君を』ってやつ」
ギターの弦に手を置くと、
『消え入りそうな君を焼き付ける日
灰となった君に届く灯火』
驚いた事に自然と歌詞とコードが脳に浮かんだ。
続きを弾こうとするが、
「おい、うるせえぞ、何時だと思ってんだ」
隣の部屋から壁を叩く音と怒鳴り声がした。
僕はギターを壁に立て掛け、横になった。
「怒られちゃったね」
「でも、妃世君凄く上手くなっいてびっくりしたな」
自分でも驚いた。
先程弾いた曲は僕が今まで弾いたどの曲よりも弾き心地がよかった。
心臓の鼓動が早まる。
「ギターを弾きたい」
言葉を発すると同時に、ギター抱え家を出た。
「はあ、はあ、はあ、」
息を切らし益々胸が熱い。
「早く弾きたい、弾きたい」
街灯の少ない夜道、ギターを抱え全力疾走する僕。
人気のない夜道を走る。
「やっと着いた」
着いた先は公園だ。
公園のベンチに座り込むとすぐに弦に指をかけた。
久しぶりに無我夢中に我を忘れるくらいギターを弾いた。
「ほんと上手くなったね」
少女の声で我に返った。
「あの曲の続きを弾きたい」
しかし続きが思い浮かばない。
僕は初めて火に質問した。
「あの曲の続きを教えてくれないか」
まどろむような静寂に包まれる。
「ごめん、何故か歌詞が言葉に出来ない」
申し訳なさそうな声で火は言った。
僕はこの火の事をもっと知る必要がある。
「君は何者なの?何で僕に付いてるの?」
僕は一番聞きたかった質問を投げかけた。
沈黙の後、彼女は答えた。
「今は言えない」
「今は」とはどういう事だろう。
「名前だけでも教えてよ」
僕は続けて聞いた。
「忘れちゃったの?桐花だよ。桐の花って書いて桐花」
火は少し青白く、小さくなり悲しそうだった。
この火は僕の過去の記憶に出てきた少女なのだろうか。
しかし、名前を聞いても思い出せない。
曲を弾けば何か思い出せるかと思ったが、 何度弾いても桐花の事は思い出せない上に、先の歌詞が思い浮かばない。
「悔しいな」
自然と言葉に出た。
何社面接で落ちようが悔しいとは思わなかった。
自分を採用しない相手が悪い、世の中が悪い。
そうやって他人のせいにしてきた僕に、久しぶりに悔しいという感情が沸いた。
「妃世君なら大丈夫だよ」
火は赤く燃え、僕に優しく語りかけた。
火にそう言われると何故か自信が沸いてくる。
この日から僕は夜になると公園でギターを弾くようになった。
それから数ヶ月が経った頃。
「お先に失礼します」
「お疲れ様」
今日も疲れた。
僕は貯金も尽きかけていたので、近くのレストランでアルバイトをしている。
桐花は相変わらず僕の胸元で燃えている。
しかし、今回のアルバイトが続いているのは桐花のおかげだ。
「妃世君あそこのお客さんお水欲しそうにしているよ」
「妃世君それはそこじゃなくて隣の棚だよ」
視野の狭い僕を助けてくれるおかげで褒められることが増えた。
僕が失敗して落ち込んだ時も桐花は励ましてくれる。
家に帰ってシャワーを浴びた後、いつも通りギターを持って公園に向かった。
「今日は何弾くの」
「今日こそはあの曲の続きを弾きたい」
曲をまだ思い出せずにいた僕は、もう一度自分で考える事にしていた。
「実は少し歌詞の続き思いついたんだ」
「そーなの?早く聞きたい」
僕はギターの弦に手をかけた。
『消え入りそうな君を焼き付ける日
灰となった君に届く灯火
夢を失った僕を焚き付ける日
燃え盛った僕に届く灯火』
弾き終わり沈黙の後、桐花が言った。
「うーん、何かが足りない」
僕もそう思っていた。
やはり思い出すしかないのだろうか。
自分の才能のなさが悔やまれる。
家に帰り、重い瞼を閉じた。
「お店なくなっちゃったね」
「おじさん今頃何をしているんだろう」
「音楽を続けていたらまたいつか会えるよ」
「そうだね」
僕と少女が公園で話をしている。
これはあの時の幻の続きだろうか。
季節は変わり、雪は溶けている。
僕がベンチに座り込み、ギターを弾き始めた。
「妃世君上手くなってきたね」
「Fコードも弾けるようになったんだ」
僕が得意げにFコードを弾きながら言っている。
「そういえば最近曲も作っているんだよね」
「え、聞きたい」
「まだ全然出来てないんだけどね」
僕は一呼吸置いた後。
『消え入りそうな君を焼き付ける日
灰となった君に届く灯火
赤く光る君に息を吹きかけ
青くなった君は燃え移りだし』
「まだここまでだけど、どうかな?」
「す、す、すごくいい」
「ほんと?」
「うん、早く全部聞きたい」
笑い合う二人を見る僕は口を開いた。
「これだ」
今すぐ弾きたい。
「絶対一番初めに君に聞かせるよ」
「楽しみ」
「待っててね、桐花ちゃん」
やはり、この少女は僕に取り憑いている火なのか。
この少女が僕の記憶から抜け落ちていることも、 火として僕に取り憑いている事も、 全てはこの先に起こる出来事に関係があるのだろうか。
考える間もなく視界が暗転する。
「起きて、朝だよ」
瞳を開くと、桐花が叫んでいる。
「今日も面接でしょ、早く起きて」
僕はすぐに目を覚まし、朝の支度を終えた。
この日は面接中もバイト中もずっと、あの曲の事を考えていて身が入らなかった。
「疲れたな」
「お疲れ様、妃世君」
僕はアルバイト先から走って家に帰った後、シャワーも浴びずにギターを持ち公園へ向かった。
公園に着くとすぐにあの曲を弾き始めた。
弾いていて心が躍った。
弾き終わると拍手の音がした。
気付くと目の前に顔を赤らめた二人のおじさんが立っていた。
「仕事終わりに二人で飲んだ後、帰り道を歩いていると公園から君の歌声が聞こえて自然 と足が吸い寄せられたよ」
「良い曲だね、酔いも覚めたよ」
「ありがとうございます」
「なんて曲なの?」
「まだ、曲名は決まってなくて」
路上ライブの経験はあったが通りかかった人に褒められたのは初めての経験だった。
これを路上ライブと言って良いのかは分からないが。
「君が作曲したのか、もしかして有名な歌手なの?」
「いえ、趣味程度です」
僕は自信を持って歌手とは言えなかった。
「君なら絶対売れるのに」
「今のうちにサインでも貰っておこうかな」
謙遜のそぶりを見せる僕に二人は続けた。
「これ、少しだけど貰っといて」
「私からも」
そう言い、二人は財布から千円札を取り出し遠慮する僕に手渡した。
「じゃあ頑張ってね」
二人は立ち去った。
「よかったね、妃世君」
「こ、こんなの初めて」
僕は歓喜のあまり言葉を詰まらせる。
もう一度音楽を真剣にやりたい。
自信を持って職業歌手と言いたい。
もう一度夢を見たい。
今度は見るだけでは終わらせない。
絶対に叶える。
次から次へと沸き上がる感情。
桐花は言わなくても何かを察したのか一言。
「妃世君なら大丈夫だよ」
少しギターを弾いた後、帰路についた。
帰り道ではこんな会話をした。
「ねえ、桐花との出会いっていつだったっけ?」
「覚えてないの?」
「ご、ごめん」
「妃世君が今持っているギター、私も楽器屋さんの前でいつも見てたの」
「そうだったの?」
「そう、それで私と同じように毎日ギター見に来てる子がいたから話しかけてみたら仲良 くなったの」
「ごめんね、思い出せなくて」
「大丈夫、だって私が」
彼女は何かを言いかけた所で話を変えた。
「そうだ、妃世君、今日貰った二千円でたまには良い物食べなよ」
そういえば外食なんていつからしていないだろう。
「久しぶりに肉でも食べたいな」
近くに安いステーキ屋が見えた。
店に入り、300g で二千円ちょっとのリブロースを頼む。
周囲から漂う肉の匂いでお腹が鳴った。
しばらくして目の前に煙の立ちのぼる肉が置かれた。
「美味しそう」
「ねえ、私も食べたい」
そう言う桐花を無視して、まずは塩と胡椒だけかけ肉にナイフを通す。
肉汁と綺麗な赤みが顔を覗かせる。
僕はそれにかぶりついた。
「美味しい」
「ずるい」
彼女は不貞腐れている。
気にせず、次にソースをかけて頂く。
「幸せ、生きてて良かった」
生を食す事で生を実感できる。
300g あった肉をあっという間に平らげ、僕は家に帰った。
満腹だった事もあってすぐに眠たくなった。
「近い内に路上ライブしよう」
「楽しみだね」
それ迄に何とかあの曲を完成させないと。
曲を完成させるには桐花との思い出が必須だ。
しかし、桐花のことを思い出そうと考えれば考えるほど嫌な想像をしてしまう。
もしかして彼女の身に何か起こって、既にこの世にはいないのであろうか。
「なあ、桐花」
「なに?妃世君」
「お前ってもう」
僕は言葉を詰まらせた。
「やっぱり何でもない」
こうして僕の長い一日は終わった。
次の日、僕は出かけた。
「桐花はここ来たことある?」
「ないよ」
「そうなんだ」
「おっきいね」
雷門と書かれた大提灯の前で話す。
嫌な予想が忍び足で近付く。
僕達の地元の近隣区域の小学校は全部、修学旅行で浅草に行っている。
僕の地元の楽器屋に通える距離に住んでいた彼女の学校も例外ではないだろう。
ここに来たことがないはずがない。
「修学旅行どこ行ったの?」
僕は確信に迫る。
「ここに来るはずだったけど、私行けなかったんだよね」
火はこれまで見たことがないほど青く小さくなる。
雰囲気が重苦しい中、僕達は浅草を回った。
日が沈み始めたので、桐花をある場所へ連れて行くことにした。
「いつの間に東京タワーより高い建物出来たの?」
彼女はスカイツリーを知らなかった。
スカイツリーは僕が中学生の頃に着工し始めた。
やはり夢の続きで、この子の身に何か起こるのだろうか。
「登ってみたい」
「登ろうか」
窓口で一人分のチケットを買い、エレベーターに乗った。
「エレベーター凄く早いね」
確かに早い、あっという間に地上 350mへ着いた。
「わあ、綺麗」
そう言う彼女は表情がないのに何故か可愛らしく思える。
「ほんとに綺麗だ」
空から見下ろす街並みは宝石箱のように綺麗だったが、胸元で少し揺らぐ火はそれ以上に 輝いて見えた。
価値観に囚われた人間は目の前の宝石に目が眩み足下で踏み潰している花に気が付かない。
「もう降りる?」
「もうちょっとだけここにいたい」
「展望回廊も行く?」
「それは大丈夫だよ」
彼女が物寂しそうに言う。
「ここゆっくり回って欲しい」
僕は言われるがまま展望デッキを回る。
「ちょっとだけ止まって欲しい」
止まった方向には特に何もないように見える。
桐花は弱々しく青く光った。
「ありがとう、もう大丈夫」
「帰ろうか」
桐花はいつものように橙色に光る。
「今日はありがとう」
「何がだよ」
「私のために色々なところに連れて行ってくれたんでしょ?」
「行きたかっただけだよ」
家に帰ると、僕は朝まで歌詞の続きを書いた。
時間を忘れ無我夢中でペンを進めた。
「できた」
そう言った時には既に窓から光が差し込み、外では鳥のさえずりが聞こえた。
「もう朝か」
「お疲れ様、妃世君」
「一曲だけ聴いてくれない?」
「聴きたい」
嬉しそうな桐花に一曲だけ聴いて貰った後、僕は倒れるように眠った。
瞼を閉じる寸前に
「凄く良い曲」
と言う、桐花の声が聞こえた気がした。
「ねえ妃世君、今日もあの歌聴きたい」
「いいよ」
また僕の消えてしまった記憶だ。
過去の僕達がいる。
「早く行こ」
僕の方を見ながら前を歩く君を追いかける僕。
「前向いて歩かないと危ないよ」
「妃世君の事見ていたいんだもん」
嫌な予感がする。
「おい、桐花、危ない」
「え?」
横断歩道をはみ出す彼女に車が迫り寄る。
僕は最悪な事を想像した。
ここで、桐花は。
「怖かったよう」
泣く桐花と、その背中を摩る僕。
予想とは裏腹に彼女には怪我一つなかった。
車と衝突する直前で僕が彼女の腕を引き助かったようで、僕は胸を撫で下ろした。
桐花の身に最悪な出来事が起こると想像した自分が憎い。
視界が暗転する。
ここはどこだろう。
僕の周囲だけ明るく、辺りは暗闇に包まれる。
胸元が燃えている。
「桐花?」
話しかけても返事がない。
よく見ると火はネックレスのようになっている。
「なんだこれ、外れない」
足音が聞こえる。
誰かがこちらに歩み寄ってくるようだ。
「妃世君、もう君に私は必要ないよ」
成長した桐花だ。
「もう大丈夫、妃世君なら大丈夫」
「どういうこと?」
「私はもう時間切れみたい」
「全く分からないよ、桐花は今どこにいるの?」
「妃世君なら大丈夫」
桐花が僕の首にかかった火のネックレスを取る。
「君から奪った記憶返すね」
僕の脳内に桐花と遊んだ日々の記憶が蘇る。
全てを思い出した。
僕の目からは自然と涙が溢れた。
「桐花、何でいなくなったんだよ」
過去の桐花はある日を境に待ち合わせ場所に来なくなった。
「今から結末を見せるけど、前を向いて歩いてね」
「どういうことだよ、桐花」
僕の喉から絞り出したような声は彼女には届かず、視界は切り替わった。
目の前で家が燃えている。
ここは確か。
小学生の時にここで大火事があって、燃え尽きた家の残骸を見に来た事がある。
「そういえば、火事の次の日から桐花がいなくなったんだ」
胸騒ぎがする。
「凄い火事だぞ」
「消防隊はまだ来ないのかよ」
「おせえな」
周囲の人達が燃える家の方を見ながら話をしている。
「おい、家の方から女の子の声がしないか?」
「この火事の中、人がいたら助からないぞ」
家の方から泣き叫ぶ桐花の声がする。
僕は家の方へ走り出した。
「桐花、どこにいるの?」
家の障害物をすり抜け桐花を探すが見つからない。
「誰かいるの?助けて」
桐花の声が聞こえる。
声がする方へ足を進める。
「見つけた」
しかし、目の前に目も当てられない惨状が繰り広げられる。
横たわるタンスに足を挟まれる桐花、そんな彼女に火の手が迫る。
僕はタンスを退かそうとするが触れない。
泣き叫び、タンスから抜けようと藻掻いていた彼女だったが、抵抗を辞めた。
「妃世君ともっと遊びたかったな」
「妃世君の歌、近くで聞き続けたかったな」
桐花がそう言った次の瞬間。
彼女に向かって燃え盛る柱が崩れ落ちる。
必死に彼女の名前を叫ぶ僕だが声は届かない。
彼女へ向かって手を伸ばそうとした時。
「はあ、はあ、はあ」
荒い息を上げ、ベッドから飛び起きる僕。 夢が覚めてしまった。
あれは夢ではない。
確かに僕の記憶だ。
「いない」
胸元を見るが火が消えてなくなっている。
何度も名前を呼ぶが、返事はない。
「どうすれば良いんだよ」
あの桐花の家に行けば何か分かるかも知れない。
しかし、すぐに考えを改めた。
今の僕じゃ桐花に顔向けできない、 僕には成し遂げないといけない約束が残っている。
それから数週間が過ぎた。
「絶対大丈夫」
自分に言い聞かせ、千葉県の柏駅へと向かった。
ここは公式に認可されている路上ライブスポットだ。
既に登録も済ませている。
僕はギターを抱き抱え座り込み、いくつかのカバー曲を歌った。
通行人は皆、通り過ぎていく。
途中何人か立ち止まりはするが、すぐに歩みを進める。
過去の僕はこれに挫けたが、今回は違う。
「この曲はまだ完成していないのですが、少しだけ耳を貸して下さい」
僕はいない観客に向かって語りかけた。
いないなんて嘘だ。
路上ライブは通行人全員を観客にすることだって出来る。
「君に向けて歌う。『灰雪の灯火』」
『消え入りそうな君を焼き付ける日
灰となった君に届く灯火
赤く光る君に息を吹きかけ
青くなった君は燃え移り出し
消え入りそうな君を繋ぎ止める日
見えなくなった君に届く言霊
耳を塞ぐ君をそっと撫で
俯く君に優しく微笑み
夢を失った僕を焚き付ける日
燃え盛った僕に届く灯火
横線を踏む僕の腕を引き上げ
僕の顔と胸を赤に染めあげ
夢を失った僕を繋ぎ止める日
見えなくなった僕に届く言霊
振り積もった埃をそっと拭きあげ
誇り持った僕に優しく微笑み
灰となった君と夢を失った僕で
作り上げた火よ
明日へ届け
灰が舞い
種を蒔き
夢叶う日
思い出焦がし燃え盛る日
消えてしまう君を焼き付ける日
灰となった君に届く灯火
時の止まった君を塔へ連れ出し
輝く街を君が掠める
消えてしまう君を繋ぎ止める日
見えなくなった君に届ける言霊
燃え盛る君を覆い隠す手
君と繋ぐ手を引き離す火
夢を得た僕を焚き付ける日
燃え盛った僕に届く灯火
顔を隠す僕をそっと撫で
前を見る僕の背中を押す
夢を得た僕を繋ぎ止める日
輝く僕に届く言霊
路上の僕は空を見上げ
故郷の僕を見下ろす日
灰となった君と夢を失った僕で
作り上げた火よ
明日へ届け
灰が舞い
種を蒔き
夢叶う日
流した涙で消えてしまう火』
数年後、病院の一室。
「いつになったらうちの子は元の生活に戻れるのでしょうかね」
「早く意識を取り戻すと良いのですが」
肩を落とし、泣く女性。
それを慰めるように背中を摩る看護師。
病室は静寂に包まれる。
看護師が病室から出ると、女性がベッドで横たわる人に話しかける。
「今どんな夢を見ているの?」
「あの時、家にいるのがあなたじゃなくて私だったら」
女性が病室のテレビを付けると音楽番組が流れている。
『次は今大人気のあの人です』
男性がステージ上に上がる。
「この人、最近凄いらしいね。桐花と同じ年みたい」
男性はマイクを持つと誰かに語りかけるように言った。
『見えていますか。あなたの火が僕に降り積もった灰を払拭してくれた。 聴いて下さい』
『灰雪の灯火』
「良い歌ね」
女性がそう言うとベッドに横たわる女性の瞳から雫が垂れ落ちる。
「おめでとう、妃世君」
「い、今話したの?桐花?」
泣きながら抱き合う二人の女性が病院の一室を彩った。
『灰が舞い
種を蒔き
夢叶う日
灰となった君と
夢を叶えた僕を
消えてしまった火が
繋ぎ合わす日
灰雪の中で光る灯火』