勿忘草
何処にでもいそうな父娘の家族愛の話。何も起こらない日常、何も変わらない日常の大事さ尊さに気付くのは、いつも時間が経ってから。
「父さん、今まで大切に育ててくれて本当にありがとう。」
それは、いつかテレビドラマで観た結婚式当日、控え室で娘が父親へ告げる定番の文句だとばかり思っていた。
だが今回は、私が娘の二十歳の誕生日に贈ったプレゼントの礼としての言葉だった。
そこで目が覚めた。そう、夢の中で娘は告げたのだ。もうこの世に娘の薫子は、居ないのだから。
二十歳の誕生日当日、大学へ向かう途中、通り魔によって無惨にも命を奪われたのだから。
無気力で身体に力が入らない。薫子がこの世に居ないという現実を受け止められてない証そのものだ。けたたましい着信音を嫌い音量を下げた携帯がスタンドテーブルで鳴った。出たくない。今はとてもそんな気分にはならない。しかし着信音は切れない。仕方なく応答する。警察からだった。犯人を逮捕した事、奪われた薫子のバッグを預かってるという連絡だった。
大事な娘の命を奪った人間を心底憎むとずっと思ってたが実際はそうでなかった。勿論許せない感情は持ったがそれは、わずかで娘を失った喪失感がと比べものにならなかったから。警察へ出向くと返事をして切ってからどの位の時間が経っていただろう。薫子を想い、悲しみに押し潰され窒息する様な苦痛が私を心労させ、いつの間にか再度眠りについていた。そして私は夢の中で薫子と再会する。
「薫子、父さんもこっちへ来ていいかな。」私の力無い言葉に一瞬驚いた表情を見せた薫子は、すぐさま険しい顔つきで口を開いた。
「何を言い出すの。父さんには、まだ時間があるじゃない。」
「でも父さん辛くて。お前の居ない世界で生きる事が本当に辛くて。」永い沈黙が二人を包み込んだ。
「父さん聞いて。お願いがあるの。私が見られなかった世界を見てきてほしいの。そして十分生きて真にこの場所で再会した時に話してちょうだい。父さんの見た世界を。」
「・・・薫子」
まさかこの年で娘に励まされるとは思ってもなかった。力なくうつむき必死に涙をこらえる。握り締めた私の両拳を薫子が優しく握り締めた。
「大丈夫。父さんなら大丈夫。」
そっと私を抱き寄せた薫子は、自分の子を抱きしめる母親そのものだった。ぬくもり、香りは生前そのもの。そこに薫子がいる。私に生きる喜びを教えてくれた薫子がいる。私も抱きしめ返した。
「薫子・・・薫子・・・薫子・・・」
そう口ずさみ私は再度目を覚ましたのだった。薫子の居ない現実に。不思議と無気力な感覚は薄らいでいた。これは薫子の魔法かと思いながらも警察へ出向く準備に取り掛かった。
警察で薫子のバッグを受け取り足早に帰宅した。バッグの中身を整理してた時だった。不意にシステム手帳から紙切れが静に落ちたのは。
そっと拾い開いて記された薫子の文字にハっとした。
「父さん、今まで大切に育ててくれて本当にありがとう。」
「薫子、お前は本当にできた娘だよ、手紙よりも先に伝えてくれたんだからね。」
手紙の文字が私の涙でかすかに滲みはじめていた。
おわり
たまに人の死をテーマに書く事があるんですが、決めてるのは単なる死の美談にしないという事。ラスト、救われる内容で幕閉じする設定は常に意識してます。




