77. 仮登録
いつも通り、淡い陽光に起こされたセレは、就寝時にはなかったものに一瞬身体を強張らせた。
「…………」
左半身、脇腹に感じる熱源。掛布団をそっと捲る――綿毛のような白い何かが見える。心なしか、出会った頃より量と艶が増したような気がする。
あの日、結局連れ帰ることになってしまった白い子供が、セレの布団の中で気持ちよさそうに眠っていた。
(隣に寝てたのに、いつの間に入ってきたんだか)
音を立てぬよう慎重に体を起こす。大きめのセミダブルベッドは、小柄なセレとニアを乗せてもそれなりに余裕がある。
預かってからかれこれ一週間、毎朝この調子である。やはり働かぬ直感、目覚めの子供体温に、セレは未だ慣れずにいる。
(今日はどうするかな……ああ、エナが外に出たがってたな)
ニアの衣類等を揃え、チェルシーの元に報酬を受け取りに行き、教授宅の本棚に強い興味を示したニアを本屋に連れていき――それ以降、昼過ぎに外に食べに行く以外の外出をしていない。
ニアは意外にも文字が読めた。チェルシーから受け取った図鑑が気に入りのようだが、年齢にそぐわない小難しい本にも興味を示す。読む、寝落ちするの繰り返し――子供としては活発さに欠けるが、本人は充実しているようだ。
セレも特別外出が好きというわけでもないので、例の伝奇本を読み進めるのに都合よく籠っていた。しかし、さすがに籠りすぎたと反省する。セレはともかく、ニアをもっと人と関わらせなければ。
ニアを起こさぬようベッドを抜け、手早く身支度を整える。表情が乏しいこと、大人しく利口であること以外、ニアは存外に普通の子供だ。普通の子供らしくよく食べ、よく眠る。起きてくるのはエナと同時である。
混血は生命維持活動が必須ではないとはいえ、保養のために食事・睡眠は摂った方がいいらしい――これが健全な姿なのだろう。
(また本屋……は、エナはそこまで興味ないよな)
昼寝に飽いたらしい精霊をどこに連れていくか。森に行くにはニアがいるし、街の散策となると新たに開拓が必要だ――頭を捻りつつ、セレはひそりと部屋を抜け出すのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ニア君、おはよっ。……へへへ」
「…………(サッ)」
「な、なんで隠れるの!? うう、セレにはそんなに懐いてるのに……」
「鼻の下伸ばしながら近付くからだろ……」
「ええ、でもぉ……私だってニア君の頭ナデナデしたいし、抱っこしたいし、一緒に寝たいし……」
「…………(キュッ)」
『お前もなかなか大変だなぁ。……俺の方がキュートだけどな!』
ニコル、ついでにハリナは、妙に食い気味にニアに構う。アメリアとダニエラに強く諌められ、初期よりは落ち着いたものの、それでも諦めない――母親に頭を叩かれ、ニコルが退場していく。
女将に事情を説明し、追加料金を支払い、ニアの滞在先は滞りなく決定した。
性別については年齢を鑑み、女性エリアでの滞在が許可された。元々、ある程度までの年齢なら異性の子供連れも許可してきたらしい。ありがたいことである。
「ふふっ、ニア君はモテモテだねぇ」
「ヌッ」「ヌフ」「ヌ?」「ヌヌ」「ヌン」
「…………?(モグモグ)」
目玉焼きを切りつつ、リィンがころころ笑う。当人といえば、ニコルのことなどすっかり忘れた様子でパンを食んでいる。子供らしく切り替えが早い。
「セレは今日も読書?」
「いや、外出を……しようと思ったんだが、何処に行くかな、と」
「決まってないの? んー……狩猟者なんだし、狩りは? ニア君連れてさ」
「いや、さすがにそれは……」
「あ、あれだよ? 森の深部とかじゃなくて、平原にだよ? ニア君に仮登録させてさ、依頼受けたらいいんだよ」
仮登録、とは――目を瞬かせたセレに、リィンがまったりと続ける。
曰く、本来は孤児など貧困に喘ぐ子供を掬い上げるための制度で、成人に満たない年齢の子供でも制限付きで依頼を受けられるようになる。受けられるのは雑事依頼が主で、報酬は少ないが、子供が金銭を得られる貴重な手段であるという。
「ニア君の場合、セレがいるからね。銀等級とのパーティーだし、採集依頼なんかも受けられるんじゃないかな」
「へぇ……そういや、平原って行ったことないな」
「ふふっ、それはセレがおかしいんだよ〜。せっかくニア君も動きやすい服買ったんだし、運動してきなよ。ポリン草とかおすすめ」
「…………!」
『ポリン草って……あれか! 屋台にあった美味いヤツ!』
ポリン草とは、ポリポリした歯応えが癖になる、老若男女に広く親しまれている野草である。
可食部は茎。塩味、甘味、辛味など、その適正は幅広く、スナック菓子のように売られていたり、食感を楽しませるために料理に混ざっていたりする。
瞳を輝かせるニアとエナに、セレはふむ、と思案する。簡単な採集ならニアでもできるし、平原ならば危険もそうないだろう。それに、リィンの気遣いも無下にはできない。
リィンにはニアの事情を簡単に伝えている。事件の関係者あり、何より力尽きたニアに会っている――あの小綺麗に梱包されたニアを見ているのだ。
ニアは今、獣人族の子供らしい格好をしている。長髪のための前開き、尾を汚さぬための長丈というのは変わらないが、以前とは比較にならないほど軽装だった。
「……そうだな。どうする?」
『俺は行くぞ!』
(だろうな)
欲望に忠実な精霊を肩に乗せつつ、子供の反応を待つ。ハッとした子供は、口をもごつかせ、キュッと噤んだ。
「……いき、たい」
「そうか。じゃあ今日の予定は決まりだな」
「ふふっ、懐かしいなあ。私も子供の頃は、自分のおやつを採りに行ってたっけ」
遠慮はしないこと。短くてもいいから、なるべく言葉で伝えること――次第に子供らしくない遠慮を見せ始めたニアに約束させたことである。施しに慣れていないこの子供は、利口であるが故に己の立場を理解しているようだった。
まだまだぎこちない子供の頭をくしゃりと撫でると、セレは最後のハムを口に放り込んだ。




