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七黒星の巨獣狩り  作者: 若狭義
暗闇の末梢
72/80

70. かの巨獣狩りについて[side.O]

 その日に起きた“ある出来事”は、世界に三つの衝撃を与えた。



 一つ、【五陸四海】の一角であり、()()最も長く生きた個体であった【禁足樹海の王竜】が討伐されたこと――長らく討伐不可能とされてきた強大無比の巨獣が斃されたこと。


 一つ、【禁足樹海の王竜】が討伐された際、世界最大の森林であり、世界の中心を壟断(ろうだん)してきた“禁足樹海”が南北に分断されたこと――(のち)に、人類の生存圏に極めて大きな影響を与える“東西大陸大地溝帯”が出来たこと。



 最後に一つ、上記の事態を引き起こしたのが、()()()の巨獣狩りであったこと。


 堕欲者(グリード)登録情報の照会と巨獣狩り当人への事情聴取からわかったのは、樹海に乗り込んだのは百年と少し前だということ。当人曰く“禁足樹海内の棄民村を拠点(ホーム)にしていた”――つまり、実に百年もの間、人の立ち入らない魔境である棄民村周辺にいる巨獣を狩り続けたということ。



 己に適した武術流派の修了、六ツ星になる()()()()()を目的とした”戦闘教練義務”――五ツ星になれば必ず課せられるそれを放棄し、五ツ星になった途端に禁足樹海へ乗り込んだ大馬鹿者(いのちしらず)

 その巨獣狩りが百年遅れの戦闘教練義務を()()()()()()()(のち)、そう時を待たずして七黒星へと至ったのはまた別の話である。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 久方ぶりに訪れた堕欲者(グリード)連盟本部。用件が渦中の愛弟子についてとあってか、男は一人、忘れもしない愛弟子との邂逅を思い出していた。


 今から約百五十年前。巨獣の領域とされていた禁足樹海、その中心で“それ”は発生した。

 “忌堕(イミオチ)”――男が観測した中で、最も<(ほんのう)>が揺さぶられたそれ。僻遠(へきえん)たるかの地にあっても届いたその威圧は、男が誰よりも早く、連盟本部からの討伐指令すら待たずに行動を起こすには、十分すぎる威力(えさ)であった。







「――待たせてすまんな、ヴォルデン」

「全くだ。さすがは“総長様”だなぁ、うん?」


 無駄に広い応接室に遅れてやってきたのは堕欲者(グリード)連盟の総長、ラスティ・ローエンその人であった。

 ローエンは「勘弁してくれ」と頭を掻くと、上等なソファーにどかりと行儀悪く腰を下ろした。形式上は総長であるローエンが上ということになっているが、その実、総長と同格に近い立場にある男との間に、上下関係などないに等しい。


「さっそくだが、報告を頼む」

「あいよ。結論から言うと、セレは生きてる。しかも“何事もなく、至って健常な様子に感じられる”だってよ」

「……まあ、そうなるよなぁ。弱々しい【不死身(あいつ)】なんて想像つかねえし。んで、結局ウィンカーはどこに消えたってんだ?」

「さすがの【大いなる御手(ピューティア)】もはっきり言えねえらしくてなぁ……“この世界ではない異郷のどこか”、なんだとさ」


 遠見と予知の一族【大いなる御手(ピューティア)】の里は、並以上の堕欲者(グリード)でも辿り着くことが難しい秘境にある。男は、総長(ローエン)直々に里へ赴くよう密命を受けていた。


 “七黒星、セレ・ウィンカーの失踪”はかの辺境支部の勇断で早急に緘口令が敷かれ、幸いにも大事にはなっていない。事態を知るのは連盟の上層部、一部の有力者のみに留まっている。

 その有力者の一人が、セレの知己でもある男――五大流派、アヴァリス流の最高師範マゼル・ルネ・ヴォルデンだった。


「――……おいおいおい、やめてくれよ。まさか、あのふざけた妄想が正しかったってのか? 俺のせいなのか⁉」

「は? どういうことだローエン。場合によっちゃあぶっ殺すぞ、おん?」

「いや、違う、違うんだ……と、とにかく、ウィンカーは生きてるってことがわかっただけ上出来だ。助かった、ヴォルデン」

「内々にって話が来た時にゃあ何事かと思ったが、愛弟子の一大事だからなぁ。大事な跡継ぎのためならこの俺も、肌の一つや二つ脱ぐってもんよ」


 アヴァリス流最強の戦士の証【ルネ】を継ぐのにセレ・ウィンカー以上の逸材はいない――ヴォルデンはそう確信している。

 あの粗削りの原石を磨き上げ、今なお成長を続ける姿を見て、過去の己の判断は正しかったと改めて思う。出会って間もない頃、嫌そうな顔をしたセレを半ば強引に門弟にしたのはいい思い出である。


 “不撓不屈の大物喰らい”――巨獣【慾暴竜(アヴァリス)】を体現したかのような不壊(ふえ)の肉体と<(ちから)>を持つセレを前に、見逃すという選択肢はヴォルデンにはなかったのだ。







 単身で禁足樹海に飛び込んだヴォルデンは、その磨き抜かれた知覚と直感をもって忌堕(イミオチ)の所在をすぐさま割り出した。


 通常、忌堕(イミオチ)はしばらくその場所から動かない。()()(カルマ)>が体に馴染み、理性を完全に食い尽くした後、獣の如き有様で活動を始めるのだ。

 己が辿り着く頃には()()()()に仕上がっているだろう――強敵(えもの)を想像し、期待に胸を躍らせるヴォルデンが最初に捉えたのは、見るからに普通ではない大きさの巨獣の首。そして、()()()()()()()()()()()()遠くに見える巨獣の胴から下だった。


 これは間違いない、強敵(あたり)だ! 昂るヴォルデンはついに忌堕(えもの)相見(あいまみ)える――予想だにしない状況で。







「…………ま、まあ、その話は置いといて。ヴォルデン、【大いなる御手(ピューティア)】は他には何か言ってたか?」

「……子供を育てるとか、なんとか。予知の方で」

「…………予知で子供? はっ? 赤子(こども)⁉」

「い、いやいや、違ぇよ。あいつ昔っから妙なガキに好かれてたし、そういうやつだろ、うん」


 邂逅した時もそうだった。あの時セレの傍にいた子供は、セレがアヴァリス流を修了した頃にはすっかり大人になり、巨獣狩りとしての活動を再開したセレに裸一貫で突撃してきたらしい。


 出会った頃から大男であるヴォルデンに対しても物怖じしない子供ではあったが、あの頑固者(セレ)を根負けさせ、付き人兼弟子と認めさせたのだから大したものだ。今のセレの妙な諦めの()()はあの子供の影響に違いない――セレを門弟にと攫ったせいか、ヴォルデンに対して未だ刺々しいのが少し辛い。







 その邂逅はなんとも偏奇な形で果たされた。


 巨骸の傍、薙ぎ倒された巨木の枝に腰掛け、何やら軽食らしき包みを膝に広げている小柄な女。伸びっぱなしの薄紫の髪に、散々着倒していそうな服。小汚いという程ではないが、粗野であることに違いはない。

 ヴォルデンの直感は、この女が件の忌堕(イミオチ)であると告げていた。しかし、それにしては()()。<(カルマ)>の質は強敵(あたり)に違いないのに、あの全てを喰い殺さんと言わんばかりの(ほんのう)を感じない――“忌堕(イミオチ)”にしてはあまりにも()()()()()


 女の正面、十数メートル程離れて、襤褸を来た少女が同じように飯を食んでいる――ここでヴォルデンは気付く。

 こいつら、普通に昼飯食ってる――少女が離れているのは、()()とはいえ荒々しく立ち昇る女の<(カルマ)>のせいだろう。よくよく考えれば、僻遠(へきえん)から届くような、樹海丸ごと呑み込むような勢いだっただろう<(カルマ)>が()()()()で収まっているのは、女に未だ理性が残っていることに他ならない。


 ヴォルデンの捉えた気配は完全に“堕ちた”ものだった。しかし、この女は少女を害さぬよう<(カルマ)>を抑え、時たま雑談を挟みながら人間らしく飯を食っている――“忌堕(イミオチ)の力を引き出し()()した”のではなく、“忌堕(イミオチ)と成ったうえで人間に戻った”のだ!


 ぞわり、とヴォルデンの心が粟立つ。会話を試みようという理性と、小手調べ(あじみ)程度なら許されるだろうという闘争心(ほんのう)がせめぎ合う。

 なお、胡乱な目の女に先に声を掛けられ、同じく不審者を見る目を少女に向けられ、ヴォルデンの葛藤が瞬く間に地の果てに追いやられるのは、女二人が不可思議な昼食を終えたすぐ後のことである。







「…………いや、仮に赤子(こども)だとして、産んだら安定した職場に勤めたくなって、本部勤めからの流れで後継に――いけるんじゃね?」

「おい、テメェローエン、まだ諦めてねぇのか! セレは【ルネ】を継いで俺の曾孫を産むんだよ!」

「は? お前んとこ別に血統継承じゃねえだろ! ……ってか、んなこと考えてたのか!」

「次代の【ルネ】はセレだ。でもよ、愛弟子の子で孫の子がその次だったら、喜ぶだろ。俺が」

「お前がかよ!」

「それだけじゃねえし。<(カルマ)>の才はある程度遺伝すんだから、セレの子なら【ルネ】になる可能性は十分だろ? 俺の孫も、いい線いってるのは何人かいるしよ」

「じゃあその孫をお前が鍛え直せよ! それとヴォルデン、そういうのは“セクハラ”っつって女に嫌われんだぞ、俺知ってんだからな!」



「セクハラとパワハラ。お似合いで、大変よろしいことですね」



 湯気の立つティーカップが二つ。それらが載せられた盆。その盆を片腕で持つ女――雪風の如き冷たさが、男二人の熱をひと撫でで奪い去っていく。


 ああ、そういえば総長補佐(マリア)は、セレの弟子と仲が良かったな……ヤベェな……――顔を青くする総長(ローエン)を後目に、ヴォルデンはその至極の直感をもって光速で未来を予見する。

 そして、それが間違いではなかったと、そう遠くないうちに身をもって知るのである。



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