69. 道化と獣の狂騒曲7
妙な剣を持った赤と金の道化。その背後、王座らしき椅子の前には曲芸団の、確か団長の男――そして、男に吊るされ、ナイフを首に当てられている白い子供。
(浮いてる……飾り箱、か?)
魔導具よりも数段力強さを感じるそれ。ちょうど空間の中心に、魔術的な力なのか、浮いたまた動く様子はない。
人質を用意する辺り、こちらには小土人はいないのか――扉を蹴り開いて瞬き、セレは状況を把握する。
「武器を捨てろ。ガキを死なせたくないならな」
「お前が頭目ってことでいいのか?」
「ッ動くなと言っている! 早く武器を捨てろ!」
かなりの興奮状態。まともな会話は期待できそうにない――ナイフが子供の首筋を撫でる。子供が僅かに声を漏らした様子を見、粘土兵ではなく生きた人質なのだと確信を得る。
息を吐くと、セレは重剣のベルトと腰のナイフホルダーを解いた。
「遠くに投げろ! ……よし、いいぞぉ」
「で、お前は頭目なのか?」
「……そうだ、俺が曲芸団の団長にして暗闇ギルドの精鋭、レゴリックだ」
知らぬ単語が出てきたが、頭目である事に間違いはないらしい。大人しく武装解除したセレにご満悦なようで、男は昂然と一方的に捲し立てる。
「従魔を渡せばガキは解放してやる――……とでも言うと思ったか? お前を殺してから、死体から奪ってやる! 殺せ、幻影! 首を刎ねろッ!」
レゴリックの咆哮、赤と金の道化が前傾で突撃する――道化の剣が横薙ぎにされるのを、セレは冷めた頭で眺めていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
じりじり、ちくちく。痛い、なんだろう。
身体が重い。息が苦しい気がする。景色がほんやりする――知らないにおい、ここはどこだろう。あの村ではないと思うけれど。
「おっ、お前は何なんだッ! なぜ死なない! そ、その剣は極魔遺物なんだぞ、【切断】の概念が付与された!」
そういえば、自分は眠っていたのだろうか。思い出せない。
思い出そうとして、頭の中がぐわん、と鳴った。耳が痛い。どうして――。
「切断? ――ああ、認可証のチェーンが……修理できんのかな、これ」
――ぼんやりとしたなかで、はっきり聞こえた。
静かな、女の人の声。どこにいるんだろうと思ったら、正面に金色の何かが見えて、「ああ、この人だ」とわかった。
人の形をしてなくて、大きくて、魔物みたいで――でも、怖くない。なんだか陽だまりみたいで暖かそうだと思ったら、急に身体の冷たさを思い出した。
「消費型の極魔遺物が、鎖一本……!? ――ふざけるなッ!! 俺にここまでさせたくせにッ、一体何をした!」
「お前の事情は知らん。こういう体質なんだよ、めんどくさい……――“動くな”」
その声が、世界の動きを止めたかのような。
同時に、身体を縛り付けていた何かが緩んで、身体が軽くなる。息が楽になる。ぼやけた景色が、輪郭を取り戻していく。
はっきり色付いた視界。最初に飛び込んできたのは“崩壊”だった。
赤と金の何かが粉々になって、煙のように宙に溶けていく。その向こうに、女の人が立っていた。大きな剣を鷲掴みにしているのに血は出ていなくて、そのまま砕いて捨ててしまった。
赤と金の何かが消える。すると、今度は女の人の周りから景色が溶けていく。
「――……あっ、ば、ばけ、化け物……!」
「【不死身】なぁ……こっちでも言われるとは思ってなかった」
「く、くるな、な、なにっ、な、何をした!」
「干渉だ。“内部強化型”でもこの程度は“外知覚”の射程内――ああ、言っても通じないんだったか」
まるで散歩してるみたいに、女の人はこっちに近付いてくる。それに合わせて景色はどんどん溶けていって、明るかったのが少しずつ暗くなっていく。
目の前までやってくると、「なんだ、意識はあるのか」と女の人は腕をどこかに伸ばした。頭の後ろからゴキッと変な音が聞こえると、息がもっと楽になって、身体がふわっと軽くなった。
女の人に抱きとめられる。温かくて、胸が軽くなって――なのに、胸が苦しい。どうして。
「なんだこの下品な腕輪――うん? ……お前、こんな子供からも盗ったのか。しょうもない賊だな」
「――――俺はッ! 盗賊じゃないッ!!」
「賊は賊だ。上も下も、横の繋がりも纏めてな。それ以外ない――首の宝石か、繋がってるのは」
「俺は――――ァ゛ッ」
また後ろから、変な音。
それに、バキンッ、と何か壊れた音と、千切れた音、折れた音、落ちた音? いろいろ大きな音がしたような――いつの間にか、明るい綺麗な部屋は、布で覆われた薄暗い部屋になっていた。
「ああ、月が出てきたのか」と女の人が呟く。上の方まで大きく裂けた布の向こうを見ると、確かに外は明るい――誰かが、たぶん男の人が、布の向こうで倒れている。月明かりで白くなって、よく見えない。
「……死んでないよな? あの程度の蹴りで……あれ、宝石を壊したのに、まだ腕輪は動いてるのか」
「…………」
「なんだお前、泣いてるのか……いや、普通は泣くのか、子供は。ほら、腕貸せ」
泣いてる――泣く? 今自分は、泣いている?
今まで“泣いた”ことがないからわからない。だから胸が苦しい? なら、泣きたくない。でも、止め方がわからない。
女の人が自分の腕を取って、“何か”に触れた。また、バキンッて音が――。
「――――…………、」
「ああ、もう、泣くな泣くな。悪い奴は私が潰したし、変な腕輪も壊したぞ? …………参ったな」
「…………、っ」
「……ほら、もっと子供らしく、ぐしゃぐしゃに泣け。泣くだけ泣いたら、早く泣き止め」
壊れた腕輪、霧が晴れた頭、自由になった身体。
思い出した、たくさんのこと。
頭をぐっと抱きしめられて、撫で回される。
胸が苦しい、でも、暖かい。感じたことのないそれをなくしたくなくて、手が勝手に女の人の服を掴んでしまった――もっと強く撫で回された。泣き止まないと、いけないのに。
「…………、…………っ」
「さっき、私の仲間から連絡があったぞ。町の衛兵と、怖〜いおっさん達が悪い奴らを捕まえに来たらしい。捕まってた奴らも無事だとさ…………おいおい、あんまり泣くと目が溶けるぞ」
止められなかった。止まらなかった。目が痛い、胸が痛い。目が溶けるのは嫌。
いつの間にか、自分から女の人に抱きついてしまっていた。けど、女の人は怒らないで「まあ、いいか」と言った。
背中をとんとんと叩かれると、目の奥から何かが滲み出てくる。色んなところが痛い。でも、それ以上に温かい。暖かい。
「泣くだけ泣いて、全部出し切れ。で、明日からはもう泣くな。泣いてたら、前が見えないからな」
色んなものがぐちゃぐちゃになって、もう何もわからなかった。
一つだけわかったのは――この人は、自分が抱きついても怒らない人だ、ということだけだった。




