66. 道化と獣の狂騒曲4
「んん……?」
――魔力が渦巻いたと思ったら、記憶にある内装がぐるん、と変化した。
垂布を潜って中に入ると、そこは以前とは似ても似つかない空間だった。
円形建築、扉は一つ。壁や丸い天井には浮彫が見える。窓のない室内は明るく、凝った意匠の床は鏡のように磨かれている――唯一、赤と金を基調とした色彩だけは面影を感じなくもない。
(あの結界みたいに、妙な感じはしないんだよな)
入口は消えずに残っており、閉じ込められるような気配はない。外に人の気配はほぼ感じられず、敵の大半はこの中にいると思われる――進んだ方がよさそうだ。
気配を消すこともなく足を踏み入れる。特に何も起きずに一つしかない扉に辿り着いた――開いてみると、同じような空間が見える。
二つ目の部屋に入ってみても、特に何も起こらない。三つ目、四つ目、五つ目――。
(これは単純に、簡単に逃げられないように奥へ誘い込まれているだけなのか?)
最悪、全力をもって空間を破壊しにかかるにしても、面倒だな――魔術を伴った未知の罠を想像していたが、模範的な誘い罠なのかもしれない。
――八つ目の扉を開くと、以前の部屋とは違う気配があった。
見た目は今まで通った部屋と同じに見えるが――扉を開くまで気付かなかったのは、部屋に結界と似たような効果があるからか。しかし、特に何も起こらない。
(“中にちゃんと入ってこい”ってことか)
律儀なことである。
変わらず扉に向かおうとすると、部屋の中央を過ぎた辺りでその異変は起きた。
――天井、壁、全方位の浮彫が膨れ上がった。
ビチ、ギチギチ、ビキ――浮彫に描かれていたものが、生々しい音と共にそっくりそのまま現れる。
否、サイズだけは違う。大きいものなど、ざっくりセレの倍ほどの背丈はありそうだ――浮彫達は確かな質量をもって床に降りると、一斉にセレに襲いかかった。
“赤い道化”と“金色の魔物”。直接攻撃してくる魔物に、その隙間を縫うようにして道化が魔術やらナイフを飛ばしてくる。
まるで粘土のような質感のそれは、生物の気配を感じさせない。それなのに、動きだけは生きているように見える。
奇妙な感覚だ。少なくとも、セレが今まで出会した状況のどれにも当てはまらない――四方八方から襲ってくるのを避けながら、分析する。
(使い魔とも違う、これも魔術? ――まあいい、敵であることに変わりはない)
思考と並列して、道化の火魔術を避けざまにセレは天井へ跳んだ。床に犇めくそれらを睥睨し、ナイフを抜く。
“巨獣狩り”であるセレの業は大味だ。先刻のような街中や、このような狭い空間での混戦時にはあまり向いていない――故に。
《――アヴァリス流闘術――<飛爪>》
斬撃、連撃、乱撃。<業>を幾重にもずらし重ねた“裂爪”が、二色の獲物に縦横無尽に襲い掛かる。
ッパァン! 分厚く重なった一音が空間を裂く。回避の余地も与えない双撃は、盤上を直ちに更地へと変貌させた。
“アヴァリス流闘術”――それは、極めて実戦的かつ非現実的な戦闘術。
“堕欲者”であるセレが身につけざるを得なかった戦闘術は、未だ不本意ながら、時たまに訪れる対巨獣以外での戦闘で大いに役立っていた。
(柔いな。見た目通り、粘土みたいな……ん? もう一つ気配が――――!)
――着地に至る数拍前、浮彫が再び膨れ上がる。
これは、キリがないパターンか! 着地と同時に再度粘土共を薙ぎ払う。間髪入れずに、捉えた気配――部屋の一角、“ただの壁”を蹴りつけた。
「――――、…………ッ!」
バギャンッ! 岩のような氷のような、不思議な破壊音を轟かせ壁が崩れ飛ぶ。
壁の中にいたのは、人――ローブを纏った男は、派手に血を吐き出し瓦礫の山にどしゃりと落ちた。
――粘土共が出てこない。
周囲を観察していると、男の血で濡れた瓦礫がパラパラと崩れ始めた。その細粉が砕けた壁に吸い込まれると、元の綺麗な壁に戻ってしまった――なんと便利な。敵地だというのに、セレは思わず感心してしまう。
(壁は元通りになったってことは……あの粘土共はこの男が操っていて、この空間はまた別物ってことなのか?)
魔術にはまるで理解がないが、状況からそう結論付けざるを得ない。この先もこれを繰り返すことになるのなら面倒だが――。
(方針は変わらんな。なるべく早く片付けよう)
リィンの方で小土人が見つかれば話は早いが、こちらにいる可能性も十分にある。早く最奥まで辿り着かんと、セレは一気に速度を上げた。




