65. 道化と獣の狂騒曲3
(エナ、その蝙蝠は捨てておけ。あと、お前はリィンについてやってほしい)
『――――ホァッ!?』
(小土人達に魔法を掛けてやってくれ。前にやった状態を維持するやつだ)
巨大天幕を中心に、いくつもの小天幕が張られた中規模広場。闇に沈んだワインレッドの群れは、しんと静まり返っている。
――在る。
以前はなかった、“結界”だと思われるものが。
「リィン、私は正面から行く。あの結界を破壊するから、潜伏して周囲を頼む」
「……わかった。任せて、隠れるのは得意なの」
「エナを付ける。多少魔術を使えるから、手助けにはなるはずだ」
「ふふっ、エナちゃんよろしくね?」
「ぴ、ぴゅう……」
エナは小心者だが薄情ではない。短い付き合いだが、その程度のことはセレも理解している。
震えること暫し――腹にくっつけていた蝙蝠のバッジを弾き飛ばすと、やけくそ気味にリィンの肩に飛び乗った。
『アーッ、もうッ! 今回だけだからなッ!?』
(ああ、頼りにしてる)
『……フ、フンッ、俺はキュートでダンディな精霊だからな! いざという時はすげえんだぜ!』
エナなりに小土人達を心配しているのだろう。恐怖はもちろんあるが、生来の思い切りのよさが僅かにそれを上回ったようだ。
リィンのフードにエナがもぞもぞと入るのを確認すると、リィンはすう、と闇に消えた――彼女は隠形が得意な狩猟者だ、大丈夫だと信じたい。
「――さて」
リィン達と別れて一人、屋根の上。セレは広場を見下ろした。
小土人のいる場所について考えられるのは二つ。
一つは敵本陣と思しき大天幕の中。標的の精霊を奪うための交渉材料にしてくるだろう。
もしくは罠に誘き寄せるための餌――精霊は潜伏したリィンと共にいる。今は監視の目も感じないので、精霊がこちらにいないとバレないうちに制圧すればどうとでもなるだろう。
もう一つは、敵本陣から離れた場所。つまり大天幕以外、小天幕に隔離されているということだが、こちらはリィンに任せることになる。
様子を見て、途中で大天幕から連れ出される可能性もあるが――両者共に、セレにできるのは“囮”になることだ。なるべく注意を引き付けて、リィンの存在を霞ませてやればいい。
重剣を抜きざまに<業>を圧縮する。
セレはいわゆる“魔術士”と戦ったことはない。エナ以外の魔術を見たのは怪魔との戦闘がほとんどだ――だが。
(結界とやらも、魔術の一種なら――)
音もなく屋根を蹴る。
上空。ただの上段。薄らと見えるそれ目掛けて、振り下ろす。
パキィ――――ィイン――。
(魔力によって生み出されたものなら、闘気で破壊できるのが道理だろう)
“魔術は物質ではないこともある。だが、闘気で消し飛ばすことはできる”。
霧の森の中、怪魔との戦闘で学んだことだった。
セレは難しく考えるのが得意ではない。故に、技術もへったくれもない闘気――<業>による力業は得意だという自負があった。
(――ふぅん……結界ってのは、こういうのも隠せるのか)
魔術の残滓の中、露わになる。
混乱、焦燥、警戒――敵意。
蜷局のように渦巻いた感情が、ワインレッドの巨大な天幕に押し込まれている。
それなりに洗練されているあたり、素人の仕業ではないらしい――身体を撫ぜるそれを幸いに、セレは記憶に新しい垂布を引き裂いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(せっかく俺の機転で人質を取ったというのに“撤退”とは何を考えている! ……所詮はギルドから寄こされたお飾りか。俺の踏み台でしかない、臆病者共め)
天幕の一角。薄暗い室内には二人――広いとは言えない一室で、派手な色彩を纏った男が性急に動き回っていた。
厳重に封されていたであろう小ぶりのトランクからあれやこれやと取り出し、片っ端から身に付けていく。
(あの女共は狩猟者だ、使い魔を追ってここに来るだろう。目標は前情報よりはやり手のようだが……使い魔程度を削られたところで、打てる手はいくらでもある)
小土人の特性は知っている。目標達は逃げられない――のこのこと追ってきたところを始末すれば何の問題もない、予定通りにこの町から撤収できる。
広場全体に張らせた追跡結界に入れば、侵入者の位置は手に取るようにわかる。所詮は女が二人に小土人、精霊の力は未知数だが、その正体を隠しているなら派手な動きはできないだろう。
(焦ることはない……人質は別隊の手にあるのだから、仮にここまで辿り着いたとしても俺の勝利は揺るがない。それに、魔力ならあるんだ――)
背後を見やる――“それ”は衣装ケースというには細長く、楽器用ケースというには大きく仰々しい外装だった。出口から一番遠く、煩雑に置かれた荷物を避けるように置かれた黒箱。
首に掛けた宝石を握りしめる。箱の中の“それ”と繋がっているのを感じる――糸を辿った先には、レゴリックには全容を把握できない魔力の塊。
この膨大な魔力があれば――。
「だ、団長! 結界を破壊された! 正面に一人――入ってくる!」
「――――ッ、極魔遺物を起動する! 備えろ!」
小さな立方体。一見、上等な宝石箱のように見える極魔遺物に魔力を注ぐ。
これを魔宮で手に入れた時は、随分と周りから馬鹿にされたものだ。だが――!
(そうだ、今の俺には魔力がある! “混血”さえいれば、俺の魔力が尽きることはない――最後に勝つのは俺だ!)
「開け、【道化の箱庭】よ!」
空間が歪む。“魔法”が解き放たれる――荷物を、家具を、天幕の壁布を呑み込んで、新たな空間が構築される。
レゴリックは勝利を疑わない。
彼には自信があった。たとえ地べたを這いずって泥水を啜ることになろうとも、最後に笑っているのは自分なのだと。
蔑まれ、踏み躙られ、見放されようとも、得たもの全てが味方した――自分は最高に運のいい男なのだと。
――昂然と身を震わせる男に、黒箱の“それ”はただ沈黙を守っていた。




